ヒロシマ・ノート
29件の記録
ジョルジオ・ポメラーニ@Giorgio_Pomerani2026年1月3日読み終わった特に第一章が面白い。取材のために広島に降り立った大江がひたすら戸惑っている。反核をめぐる政治の混乱に戸惑い、原爆症の悲惨さとその研究所の脱色されたモダンさの対比に戸惑い、生き残った被爆者たちの矜持に戸惑う。これは恐らく序文で述べられているように大江自身が自分の息子が障害をもって生まれたことによって彼と共に戸惑いの生へと投げ込まれてしまったことと関係している。だが戦後の真実はこうした戸惑いの中にしかないことを、同時に本書は示唆してくれる。
あとらく@atoraku_2025年11月5日読み終わったやっぱりすごい本。問いかけに満ちていてどのページをめくってもそれ自体が謎であり威厳そのものでもある人間のありようが書かれている、大江が被爆した広島の人びとに寄せた想像力の産物でもあることは言うまでもなく もっとも嫌悪感をもよおさせるたぐいのヒューマニズムに対して使われる「卑劣」という語には遠く『臈たし』で木守有に投げかけられる「陋劣」という語を思いださせられた
読書猫@bookcat2025年8月6日読み直した(本文抜粋) “はばかることなく率直にいえば、この地球上の人類のみな誰もかれもが、広島と、そこでおこなわれた人間の最悪の悲惨を、すっかり忘れてしまおうとしているのだ。われわれは、自分の個人的な悲惨を、できるかぎり早く忘れようとする、大きい悲惨も、小さな悲惨も。街角で見知らぬ他人にちょっと軽蔑された、というような小っぽけな悲惨でも、翌日まで持ち越すまいとする。そういう個人の厖大なあつまりである全人類が、広島を、人間の最悪の悲惨の極点を、忘れようとするのに不思議はない。小学校の教科書を調べてみるまでもなく、現に大人たちは、子供たちに、広島の記憶をつたえようとつとめてはいない。うまく生き残り、さいわい放射能障害もない誰もが、広島で死んだ人たちと、死に向かって苦しい闘いをつづけている人たちのことを忘れようとしている。すっかり忘れて、自分たちは、二十世紀後半の気狂い騒ぎをなんとか愉快にやってゆこうとしているわけだ。“ ”しかし、いったん原爆症の兆候を発してしまえば、かれはもう広島を忘れることも、広島から逃れることもできないのである。“























