無機的な恋人たち
86件の記録
- meidosan@meidosanmeidosan2026年4月20日読み終わった愛とは何か 性愛とは何か 人形を相手にする人物たちからのインタビューから考えていく。インタビュー対象ごとの差異から思考を深めていく感覚が面白かった。 以下引用。 愛するとは、自分ではない存在と共存すること。そして、その存在を日々、くまなく観察すること。観察を続けることによって、私たちはその相手を知ることができる。そしてその相手に対し、適切な行動をとることができる。 私は彼に質問した。 「アンナに魂はあると思う?」 ジムは答えた。 「⋯⋯エネルギーを注げば注ぐほど、自分に返ってくるとも思う。きみの言ってる魂がどんなものか分からないけれど、これで回答になってる?」 等身大人形は瞬間的に想像を刺激することがある⋯陽の光や影、ちょっとした傾きによる微細な変化などが言ってみれば仮の自律性を人形に与える。少なくとも、人形の側にも想像を引く力は十分にあるのである。 以上引用おわり。 人間相手でも、人形相手でも、共存し、観察し、時間と思いをかけてエネルギーを注げば、そこには愛も性愛も発生する。 逆にいえば、人間相手でも、共存し観察し時間と思いをかけてエネルギーを注がなければ愛もくそも発生しない。 そう思わせてくれる本だった。 あとカントにはとても残念な思いでいっぱいになったので、今日から定言命法を放棄しようと思う。
shiori@shiori_4172026年4月15日読み終わった久しぶりに、読んでいてページを繰る手が止まらない本だった。 読んでる間中、自分が知らなかった世界を知る面白さと、知的好奇心とを刺激されっぱなしだった。 デリケートな内容も含むテーマだけど、「愛とは何か、セックスとは何か」という人間の根源的な問いに根ざしていて、読みづらさはなかった。 著者の濱野さん自身の辛い体験から立ち上がった問いであり、その答えを探す真摯な姿勢が内容にも反映されているからだと思う。 ドールの夫たちは人形に自分の内面を投影しているのでは、という話は、積読している『「推し」の科学』でのプロジェクションの話とも関わっているのでは?と思ったので、あちらも読まなくては。 一般的な性愛規定から外れた欲望を抱く人々、という面では、そのまんまだけど朝井リョウの『正欲』を思い出す。こちらも再読しようかな。 少し前の映画だけど『ラースとその彼女』もラブドールを愛する男の人の話だったよな…と思って調べたら、主演ライアン・ゴズリングだったんだ!(プロジェクト・ヘイル・メアリー映画でライアン・ゴズリングフィーバー中) 全然気づいてなかった!観てみようかな… 同じ著者の『聖なるズー』も購入したので、続けて読みます。
水曜日@wednesday2026年3月10日買った読み終わった@ 蟹ブックス東京の本屋さん巡りで買った本。蟹ブックスにはマメルリハちゃんがいてかわいかった。 おもしろかった〜。濱野さんが実際にドールと共に眠る体験をしたところが印象的だった。心の動きは気になるけど、ちょっと怖くて私には同じ体験はできないかもしれない……。 『聖なるズー』も読まねば。
ゆ@yumenokayoiji2026年2月11日読み終わったラブドール、等身大の人形と暮らしたり愛したり結婚した人たちを辿るのを興味深く読んだ。 メンテナンスと切り離せないこと、供養は日本的な考えであることは新しい気づきだった。 「異性愛軌範と人間性愛規範煮囚われて」いることに鮮やかに、深く、ある意味希望のある光を当てている本だと思う。- ケン@teomacero252026年2月11日読み始めた読み終わった「聖なるズー」に続き、大変面白く一気読みした。著者が今後再び性愛について取り上げるとしたら、どんなものであれAIが大きく関わってくるだろう。取材に大変な労力を割かれているスタイルなので、また数年後かもしれないが、次作も楽しみに待ちたい。
ぬま@numa_4th2026年2月7日読み終わった『聖なるズー』に続いて、こちらも大変考えさせられるいい内容でした。読書会の課題本にもなっていたのですが、各々の性愛観やドールをどこまで許容するかなど笑っちゃうくらい様々だったのでそれも良かった。 帯をはずすと…………
socotsu@shelf_soya2026年1月27日読み終わったドールに求められる形状や用途、維持の難しさはここで登場するドールに固有のもので、それゆえに取り上げられる事例は1例を除きほぼ男性(トランスジェンダー女性がおひとりいる)で遠い部分もあるけど、ドールのパーソナリティを想像(創造)して個体としてパートナーとして関係性を築いていく過程を大事にしている人たちととらえたとき、ぬいぐるみ相手にそれと近い行為を積み重ねることとの差異ってなんだろうと考えてしまった。無機物を伴侶とすること。



埋没@mai_botsu2026年1月10日読み終わった185p 等身大人形は瞬間的に想像を刺激することがある。それはまるで人形から話しかけられたみたいな速さなので、「ナタリーが言い出したこと」だと感じられるのも無理はないかもしれない。そこには人間と人形の相互作用ともいうべき反応の応酬があるように思える。 動物性愛者に関する書籍『聖なるズー』の著者の2作目 今回はラブドールやセックスロボットなどを相手に 恋愛や性行為をする人々を対象とする内容 この人は書きぶりが独特で 研究書ともエッセイともつかない感じに引かれる 等身大人形に思わず「かわいそうに」と話しかけてしまう場面では なぜか涙が出そうになる
- 蛸足配線@nekoai302025年12月31日読み終わったドールとの恋は自分自身の断片との恋だろうか。人形を媒介として生じるそれが、生身の他人に焦がれる恋と一体どれほど異なるのか、考えれば考えるほどわからなくなる。ドールを人格のないただの「モノ」、単なるセックストイとしてのみ捉えるならばそのような混乱は起きないかもしれないが、本書で言及されている通り、人間に限りなく似せて精巧につくられた人形は、純粋なマテリアルとして扱われるには存在感が大き過ぎる。二階堂奥歯が『八本脚の蝶』で、「人間性」を「感情移入される能力であり感情移入する能力ではない」と定義していたことをふと思い出した。 息をするように自然に、生きた人間と惹かれあってやがて倦んだり、退けたり縋ったりした。求められ撥ねつけられ、ままならなさを抱えながらも確かに時間を重ねた。これらはすべて自分とは異なる他者の人格があってこそ得た経験だと信じている。しかし、人間を相手にした一連の恋愛的営みが、人形との恋よりも社会的に上位に置かれる理由など極めて曖昧なものではないかと、ドールを愛する人々の主張に触れ思わされる。生きた他人の体を透過して身勝手な夢に溺れていなかったとどうして言い切れるだろうか。多数派ゆえの鈍さと自己欺瞞を自分の中に見出し後ろめたく思う。





スゥ@oneSue2025年12月20日読み終わった愛する対象のパーソナリティは、愛する側の中で形成される。それは他者と言えるのか、それとも自己の一部でしかないのか。たとえそれが人間相手であったとしても、それは違いなく他者への愛だといえるだろうか。 この本が出版されて二ヶ月ほどだけど、はやくも著者の新刊が待ち遠しくて仕方ない。それまで前作も含めて、読み返しながら、愛とは何なのだろうかと考える。




スゥ@oneSue2025年12月16日読みたいちょっと開いた本屋で見かけたのでちょっと開いてみた。 読みたい。 自分の中で、他ニンを愛せない気持ちと、それ以上に、なれるものならヒトではない何かになりたい気持ちがずっとあった。 何かヒントが得られるかもしれない。


Hinako@Lady_Hinako2025年10月20日読み終わったラブドールと共に生きる人々がさまざまな形で登場する。ロボセクシャル、ドールの夫、異性愛者、ドールフェティシスト、そしてドールを友人として見る人など、それぞれが異なる立場からドールと関わっていた。読み進めるうちに、それらは明確に分けられるカテゴリーではなく、ジェンダーと同じようにグラデーション的なスペクトラムとして存在しているのだと感じた。 私は異性愛者であると同時に、拘束という状態そのものに性的興奮を覚えるフェティシストだ。何らかのフェティシズムを抱える人々を対象に動画を制作・販売して生計を立てていることもあり、「性とは何か」「フェティシズムとは何か」「愛とは何か」という問いを、日々自分の中で反芻している。そうした中でこの本を読むと、「恋愛」や「結婚」というものの輪郭が、いかに人間至上主義的な異性愛規範のもとで形成されてきたかが、よりはっきりと見えてきた気がした。 現代の資本主義社会では、「恋愛」や「結婚」が美化され、パッケージ化された理想として私たちに商品のように提示されているように思う。多くの人が夢見る恋愛や幸福な結婚生活は、実際には実現が難しく、その乖離は未婚率の上昇や少子化の問題にもつながっているのではないだろうか。恋愛という概念が幻想として商品化されているからこそ、それに違和感のある人々が、人間以外の存在――アニメキャラクター、ドール、AI、無機物など――に愛情を見出すことは、むしろ自然な流れのようにも感じる。 私は、こうした人々の姿に、人間中心主義や恋愛至上主義から自由になろうとする試みを見た。ドールやAIと生きるという選択は、現実逃避ではなく、新しい幸福の形の一つなのでは無いかと私は思う。最近は個人的にオタク文化の研究をしているのだが、すでに20年前から同じような発想をしていた人がいたことも知り、強い興味を抱いた。 VRやAIがさらに発展していく未来には、いま「二次元」とされている存在が、三次元的、、つまり現実のものとして”感覚的”に自然に受け入れられる日が来るのではないかと思う。恋愛やパートナーシップの形が、もっと多様で柔軟なものとして認められる未来を、私は少し楽しみにしている。

























































