無機的な恋人たち
46件の記録
ぬま@numa_4th2026年2月7日読み終わった『聖なるズー』に続いて、こちらも大変考えさせられるいい内容でした。読書会の課題本にもなっていたのですが、各々の性愛観やドールをどこまで許容するかなど笑っちゃうくらい様々だったのでそれも良かった。 帯をはずすと…………
socotsu@shelf_soya2026年1月27日読み終わったドールに求められる形状や用途、維持の難しさはここで登場するドールに固有のもので、それゆえに取り上げられる事例は1例を除きほぼ男性(トランスジェンダー女性がおひとりいる)で遠い部分もあるけど、ドールのパーソナリティを想像(創造)して個体としてパートナーとして関係性を築いていく過程を大事にしている人たちととらえたとき、ぬいぐるみ相手にそれと近い行為を積み重ねることとの差異ってなんだろうと考えてしまった。無機物を伴侶とすること。



埋没@mai_botsu2026年1月10日読み終わった185p 等身大人形は瞬間的に想像を刺激することがある。それはまるで人形から話しかけられたみたいな速さなので、「ナタリーが言い出したこと」だと感じられるのも無理はないかもしれない。そこには人間と人形の相互作用ともいうべき反応の応酬があるように思える。 動物性愛者に関する書籍『聖なるズー』の著者の2作目 今回はラブドールやセックスロボットなどを相手に 恋愛や性行為をする人々を対象とする内容 この人は書きぶりが独特で 研究書ともエッセイともつかない感じに引かれる 等身大人形に思わず「かわいそうに」と話しかけてしまう場面では なぜか涙が出そうになる
- 蛸足配線@nekoai302025年12月31日読み終わったドールとの恋は自分自身の断片との恋だろうか。人形を媒介として生じるそれが、生身の他人に焦がれる恋と一体どれほど異なるのか、考えれば考えるほどわからなくなる。ドールを人格のないただの「モノ」、単なるセックストイとしてのみ捉えるならばそのような混乱は起きないかもしれないが、本書で言及されている通り、人間に限りなく似せて精巧につくられた人形は、純粋なマテリアルとして扱われるには存在感が大き過ぎる。二階堂奥歯が『八本脚の蝶』で、「人間性」を「感情移入される能力であり感情移入する能力ではない」と定義していたことをふと思い出した。 息をするように自然に、生きた人間と惹かれあってやがて倦んだり、退けたり縋ったりした。求められ撥ねつけられ、ままならなさを抱えながらも確かに時間を重ねた。これらはすべて自分とは異なる他者の人格があってこそ得た経験だと信じている。しかし、人間を相手にした一連の恋愛的営みが、人形との恋よりも社会的に上位に置かれる理由など極めて曖昧なものではないかと、ドールを愛する人々の主張に触れ思わされる。生きた他人の体を透過して身勝手な夢に溺れていなかったとどうして言い切れるだろうか。多数派ゆえの鈍さと自己欺瞞を自分の中に見出し後ろめたく思う。




スゥ@oneSue2025年12月20日読み終わった愛する対象のパーソナリティは、愛する側の中で形成される。それは他者と言えるのか、それとも自己の一部でしかないのか。たとえそれが人間相手であったとしても、それは違いなく他者への愛だといえるだろうか。 この本が出版されて二ヶ月ほどだけど、はやくも著者の新刊が待ち遠しくて仕方ない。それまで前作も含めて、読み返しながら、愛とは何なのだろうかと考える。



スゥ@oneSue2025年12月16日読みたいちょっと開いた本屋で見かけたのでちょっと開いてみた。 読みたい。 自分の中で、他ニンを愛せない気持ちと、それ以上に、なれるものならヒトではない何かになりたい気持ちがずっとあった。 何かヒントが得られるかもしれない。


Hinako@Lady_Hinako2025年10月20日読み終わったラブドールと共に生きる人々がさまざまな形で登場する。ロボセクシャル、ドールの夫、異性愛者、ドールフェティシスト、そしてドールを友人として見る人など、それぞれが異なる立場からドールと関わっていた。読み進めるうちに、それらは明確に分けられるカテゴリーではなく、ジェンダーと同じようにグラデーション的なスペクトラムとして存在しているのだと感じた。 私は異性愛者であると同時に、拘束という状態そのものに性的興奮を覚えるフェティシストだ。何らかのフェティシズムを抱える人々を対象に動画を制作・販売して生計を立てていることもあり、「性とは何か」「フェティシズムとは何か」「愛とは何か」という問いを、日々自分の中で反芻している。そうした中でこの本を読むと、「恋愛」や「結婚」というものの輪郭が、いかに人間至上主義的な異性愛規範のもとで形成されてきたかが、よりはっきりと見えてきた気がした。 現代の資本主義社会では、「恋愛」や「結婚」が美化され、パッケージ化された理想として私たちに商品のように提示されているように思う。多くの人が夢見る恋愛や幸福な結婚生活は、実際には実現が難しく、その乖離は未婚率の上昇や少子化の問題にもつながっているのではないだろうか。恋愛という概念が幻想として商品化されているからこそ、それに違和感のある人々が、人間以外の存在――アニメキャラクター、ドール、AI、無機物など――に愛情を見出すことは、むしろ自然な流れのようにも感じる。 私は、こうした人々の姿に、人間中心主義や恋愛至上主義から自由になろうとする試みを見た。ドールやAIと生きるという選択は、現実逃避ではなく、新しい幸福の形の一つなのでは無いかと私は思う。最近は個人的にオタク文化の研究をしているのだが、すでに20年前から同じような発想をしていた人がいたことも知り、強い興味を抱いた。 VRやAIがさらに発展していく未来には、いま「二次元」とされている存在が、三次元的、、つまり現実のものとして”感覚的”に自然に受け入れられる日が来るのではないかと思う。恋愛やパートナーシップの形が、もっと多様で柔軟なものとして認められる未来を、私は少し楽しみにしている。




























