イルカと否定神学

27件の記録
- ザムザ@zamzy7332025年5月2日読み終わった@ 自宅イルカと否定神学。こいつは人名に変換すると、ベイトソンとラカン。 読むとイルカ要素少なくて残念になるが、内容はグンバツ。 イルカはコンテクストの別名。ベイトソンの学習理論がイルカを例にしているのが由来。 学習はゼロに始まりⅣまである。 著者が推してるのはそのうちの学習IIと学習Ⅲ。 学習IIはコンテクストの学習で、学習Ⅲは他のコンテクストへの気づきから、自分のコンテクストを検討する、そんな学習。 精神医療でいったら、美容的な現状を生成しているコンテクストを変性させるきっかけみたいなものとして導入されているのが、こうしたイルカ。 否定神学のほうは、イルカが跳ねるためのエンジンとして、私たちがナチュラルに実装している言葉の働き。 関心したのは、著者がしきりにゴールや目標を設定「しない」ことが肝心だと説いていたこと。それは桎梏の別名らしい。
- ザムザ@zamzy7332025年5月2日読んでる@ 自宅p19 人間は、いちばん言いたいことは言わない。あるいは、言えない。これが否定神学の簡単な説明。 p22 宇宙論的侮辱、生物学的侮辱、心理学侮辱
- Suzuki@finto__2025年3月23日読み終わった★★★★☆ 「中井先生は、言語的なアプローチが線的な因果論を強化してしまいがちであることを繰り返し強調しています。「なぜ」「どうして」を問いすぎることは、「症状という結果には、かならず(単一の)原因があるはず」という因果論的な思考を、無自覚に強めてしまいます。これは否定神学的な作用の負の側面ですね。「なぜ」という問いには、背景に含まれる多様な要因を捨象(≒否定)して、唯一の原因に絞り込ませる圧力があるからです。 単線的な原因論は、本来ならば複数の要因が複雑に絡み合って症状につながるプロセスを単純化することで、「こんな原因があるなら解決は難しい」といった悲観論につながってしまう恐れがあります。 特に原因が「過去のいじめ」や「亡くなってしまった親からの虐待」といった解決困難なものと想定された場合に、そうなりやすい。その意味からも「なぜ」の禁欲は、個人精神療法に限らず、オープンダイアローグ的な対話実践においても重要な姿勢といえるでしょう。」169