

おいしいごはん
@hontonioishii
興味関心:
コミュニティ論/ 研究方法論/ 儀礼・祭礼/ 組織論など
好きな小説:
心が穏やかになるごはん系小説/ ミステリー/ ファンタジーやSFなど
- 2026年8月19日
- 2026年8月19日
- 2026年8月19日
- 2026年8月19日
多元世界に向けたデザインアルトゥーロ・エスコバル,増井エドワード,森田敦郎,水内智英,水野大二郎,神崎隼人読んでるまだ読んでるんかって感じだけど、可能な限り引用文献も辿りつつ読み進めている。 政治的存在論的アプローチ(私の理解だと、認識論的相対主義を前提に考えるならば多様な存在論が可能になるにも関わらず、政治的に立場の弱い人の認識*が無いものや間違いとして扱われるケースを批判的に理解するアプローチ)はとても興味深いし姿勢としても賛同できる部分もあるものの、我田引水な引用やちょっと勇足な主張に感じられるものも多い。私の理解不足かもしれないけれど。 あとは専門家に閉じないみたいな専門家キャンセルも専門家制度による政治性の解消や多様な意見という視点では効果的だけれども、それまで丁寧に積み重ねてきた(ものもある)方法論を失ったり表面的な模倣になるなどの負の側面もあるように思う。 *たとえば、川に人格があるというラテンアメリカの民族の認識が開発を妨げるために間違いとされるなど - 2026年8月16日
偽医者がいる村 (角川文庫)藤ノ木優読み終わった移動のお供の第二弾。 実態を知らない人たちによる糾弾と炎上。人口減少社会における人のいない僻地の医療と生活。すごく考えさせられる話だった。 個人的には、この台詞が印象に残っている。 「『もう、若者たちが村そのものの介護に追われているんです。そんな状況なのに、高齢者たちが中途半端に望みを繋げているから、私たちはここに縛られたまま動くこともできない』」(p.259) - 2026年8月16日
- 2026年8月16日
- 2026年8月13日
- 2026年8月10日
- 2026年8月9日
社会構成主義とデザイン思考シーラ・マクナミー,セリアーニ・カマルゴ=ボルジェス,東村知子,長尾彰,鮫島輝美気になる - 2026年8月9日
- 2026年8月8日
責任と物語戸谷洋志読み終わったとりあえずは一読するという姿勢で通読した。 アレントの場所など少し怪しい部分ももちろんあるので、また読み返したいと思う。 私はここで論じられている「責任を引き受ける」ことを國分功一郎さんの責任論と引きつけて読みました。 (全てちゃんと読めているとは限らないため、私の理解を前提としますが)國分さんは帰責性(imputability)と責任(responsibility)を対比し、責任は責を帰す先を確定するのではなく、責任を引き受けることだとしています。さらにその際に、行為を神的因果性によってとらえて一度免責し、客観的に捉えることによって自分の行動の責任を引き受けられるようになるとしています(主に『利他とは何か』所収の「中動態から考える利他——責任と帰責性」を参照)。 戸谷さんは同様に自己責任論を批判するものの、神的因果性と逆の側、つまり意志の側に立っています。その上で、物語論的責任という概念を用いて、責任を引き受けることができるのは「私」が自分の人生の主人公であるときに限られるとしています。私は、その行為や経験を自分で意味づけられるような状態にあって初めて可能になるものだと理解しました。逆に言うと虐待やハラスメント、病などにより自分の人生の主人公を奪われた状態では、責任を引き受けることができないものとも。 落とし所を考えずに書いてしまいましたが、こうしてみると免責することは奪われていた主人公の座を取り戻し、その行為の意味を改めて自らの手で与えるという風に考えると接続出来るようにも思いました。この辺りは落ち着いてもう一度考えたいところ。 - 2026年8月8日
- 2026年8月8日
しんどいから おもろいねん野々村光子読み終わった今度お話を聞く機会があるので読んでみた、 独特の反応になんとなく関西を感じながら、この人は本当に目の前の人の話をただひたすらに受け止めて肯定することに努めてきたんだなと尊敬。 ただ聞くわけではなく、相手の生きる世界を理解しようと聞く。ただ聞くことですら難しいのに、前のめりに聞きづけるというのは本当にすごいと思う。 - 2026年7月30日
- 2026年7月25日
つたなさの方へ那須耕介借りてきた読んでる"この人はこんな人だ、という思い込みで相手を塗りつぶさない、そんな余白を私たちは家の中に、職場に、学校に、どうすれば残していけるだろうか?"(pp.13-14) - 2026年7月25日
- 2026年7月21日
- 2026年7月20日
- 2026年7月19日
社会学的想像力C・ライト・ミルズ,中村好孝,伊奈正人(今同じようなことを書くのとは少し違う意図だろうけれど)ミルズもこんなこと言ってたのか。 “世界史の一時代の一場面において、たった一つの世代の間に、全人類の六分の一が、まったく封建的で遅れた段階から、すっかり近代的で進歩した、そら恐ろしいような段階へと完全に移行した。政治的な植民地はすでに解放されている。だが、新しい見えにくいかたちの帝国主義が組み込まれることになった。革命はなしとげられている。だが、新種の権威によって、より緊密なかたちで掌握されているように感じられる。全体主義社会が誕生し、そして粉砕される。 もしくは、驚くべき成功を収める。二世紀にわたる支配ののちに明らかになったのは、資本主義は社会を産業化のための装置へと変える一つの方法にすぎないということだ。二世紀にわたる希望ののち、かたちだけの民主主義ですら、人類のごく一部分に限定されている。開発途上にある世界のいたるところで、昔ながらの生活様式が破壊され、ぼんやりと期待されていただけの開発が差し迫った要求へと変わっている。著しく発展が進んだ世界では、権威や暴力といった手段が、官僚主義的なかたちを装いながら、いたるところで用いられるようになった。いまや私たちは人類そのものと対峙しているのだ”(p.17)
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