鉄の胡蝶は
69件の記録
エフ@katekyof05092026年9月28日読み終わった久しぶりに保坂和志を読んだけれども、 日常と猫をいろいろな小説や映画などを例にあげて、 哲学的な文章を書いているというのイメージを 抱いていたのだけど、なんかこんなふうに リビドーについても堂々と話す人だったっけと。 職歴を考えると、糸井重里みたいなものと思えば 納得できるかもと思ったり。 知性溢れる文章で異性への興味を表現していて、 表現方法が別ベクトルの村上春樹って感じ。 内容に起伏がないし(これは今さら言っても意味がないけど)ある程度長いので、読むのにテンションを維持させるのが難しいけれども、ところどころを抜き出して読んでも文章や内容に冴えたものがあるので、 面白く読めるし、心に残るところも多い。 完成度はどうなのかと考えてみると、正直に言って なんだかよく分からない。途中、読むのがだるくなってしまったり、ひとつの作品として考えるとどうなんだろうとも思ったので⭐︎3.5
阿久津隆@akttkc2026年9月11日読んでる中学二年生のころ、駅前で沢井綾子に「茶々丸君♪」と声を掛けられるところ。「どうしたの?」「?」「変な顔してあたしを見るから、」「変じゃないよ。」「よ! ひさしぶり! とか言いなよ。」「ひさしぶりだね、」「反応、ニブイなあ、」のところ。 p.290 沢井さんが明るく振る舞えば振る舞うほど自分は重ったるくのろまになっていくのだった、私は沢井さんの顔もちゃんと見れない、私はその後、こういう、反応に困った、自分の何と言わずすべてを持てあましているような男の子たちをいっぱい見てきた、とくに同情は感じない、好感を抱いたりなおしない、でもこういう男の子やもう少し年が上の若者を見るたび、私はこのときの中二の自分にそれが積み上がる思いがする。 私は見るたびに、しょうがないんだ、自分で何とかするしかないんだと思う、本人は何とかできてたらこんな愚図でのろまなことはしていない。 『八月の光』でクリスマスが「若いというのはつらいことだ。つらいことだ。ひどいことだ」と考える場面というかクリスマスのその声が聞こえてきた。いくつかのことを思い出した。
阿久津隆@akttkc2026年9月9日読んでるp.243 おばあさんに時間をさんざん食われ、私は急いで次の用事に向かった、振込みはついにできなかった、しかしそれは別の理由でだった、すると今度もまたさっきとは別のおばあさんが、歩行者用の信号はとっくに赤になったがまだ三分の二しか進んでない、おばあさんは弱々しくも堂々と車の流れを塞き止めていた、向こうの車線だけじゃない、渡り終わったこっちの車線も動かない、おばあさんが渡り終わるのを見守っていた、おばあさんの生物学上の圧倒的な弱さが場を支配していた。 今日もだいぶ読んでしまって、こんなにするすると読んでしまうのももったいない感じ。
阿久津隆@akttkc2026年9月7日読んでる「過去は恩恵を与える」だったか「過去は現在を支援する」だったかとあったが今の僕には過去は脅威でしかない、と私は考えて、困った、と思いながら、でも、この時間はいくらか、リラックスに近づく感じがある、頭が、文章の導きであっちに行ってこっちに行って、そうやって揺すられていると、緩んでいくような気もする、ありがたい、助かることだ
阿久津隆@akttkc2026年9月5日読んでる「〈やれたかも〉という現実」の次は「カフカ式〈やれたかも〉」というタイトルでくだらなくて笑っちゃった。読み、保坂和志の文章を読んでいるといつだって、開かれた気持ちになる。
阿久津隆@akttkc2026年9月5日読んでる沢井綾子、『カンバセイション・ピース』の水撒きの、鼻歌を歌う、沢井綾子だ、その沢井綾子とは別人だろうが沢井綾子の話がうっすら流れながら話はあちらこちらに飛んで、ウキウキしながらうれしく読んだ。
不安定@unstable_okyt2026年9月4日引用部分的に読み返しただいいち弱肉強食というのは人間による造語でしかもこんなのは自然のごく一断面、むしろ自然の変調だ。自然をそのようなものと見る人間がもともと世界はそのようであると見たいだけだ、自分の生き方・やり方・願望を正当化するために「自然がそうだ」と、みんなが自然を知らないのをいいことに自然がそうであるかのように言う。 p.253より引用 ーーー 頭の片隅にピン留めしておきたい文章。 動物や植物の営みは必ずしも弱肉強食ではない。 それなのに「所詮世界は弱肉強食なんだから。だってそもそも自然がそうでしょ」と言いたがる人たちがいる。まるで逆らえないさだめであるかのように。でもそれは、そうであってほしいという彼らのさもしい世界観を反映しているだけなのだ。 そうやって逆らえないさだめを捏造する人たちが方便として使う言葉には「自然」の他に「伝統」があるよな、と思う。
阿久津隆@akttkc2026年9月4日読んでる「〈やれたかも〉という現実」という章で『やれたかも委員会』の話で、この回は読んだかもしれない、と思うと渋谷のどこかの図書館が思い出されて笹塚ではないし幡ヶ谷でもない、でも幡ヶ谷かもしれない、下っていく螺旋階段の印象があってそれが幡ヶ谷のあの立地でそんなふうになるのかと思うが、案外そうかもしれない、連載を読みたくて『群像』を求めて図書館に行ったような気がする、渋谷の図書館というと明治神宮のほうに行った記憶も同時に浮かんできてあそこでは別のなにかを探していたような気もする。いずれもフヅクエを始めた最初の数年の時期で自転車であちこちをうろうろしていた。
阿久津隆@akttkc2026年9月3日読み始めた3日前くらいから枕元にありながら、どうしてか、今日じゃないだろう、今日じゃないだろう、と先延ばしにして、フォークナーを読んでいたが、今日からだ、と思って保坂和志の『鉄の胡蝶は』を始めた。 p.7,8 私は妻と府中のお寺に六年前の今日の夜、その日私は前日から一泊で友達何人あと札幌に山下澄人がまだそのときには小説は書いていなかった、彼は劇団フィクションの主宰で作・演出をしていた、彼は劇団とはまた別に札幌で演劇のワークショップをしてもいたそのワークショップ参加者とフィクションの団員とでつくった芝居の公演を六月二日に観た、翌日の三日は友達何人かと市内を観光というほどでなくうろうろした、イサム・ノグチが造ったという小山は登った、それ以外は飲み食いしていた、そして羽田に五時すぎ頃着いた、羽田でたしかビールを一杯ぐらい飲んで八時すぎにあと二分で家に着くというとき獣医の先生から携帯に電話がかかってきた、先生は預けていたピースが危篤だと私に言った。 こう始まってすぐに、ああ、保坂和志を読んでいる、といううれしい満たされるような気持ちになって、保坂和志がNHKの猫の番組に出ていたのを見たのはまだ調布の前、元代々木にいたころで多分コロナ隆盛の時期で、そこで原稿用紙を前に小説を書いていくのはサッカーをやっているみたいなことだと語っていたのがずうっと残っていてそれを見たとき僕はサッカーを見るようになる前だったけれどサッカーを見るようになってからそれがよりよくわかる感じがしてあっちにパスを出そうとして動きをキャンセルして別のパスコースを探すとか、パスして、戻して、パスして、戻して、とやりながら相手のズレを探してラインブレークを狙うとか、ディフェンスラインからパスでつなぐかと思ったらぐっとキャリーして前進していくとか、そういう感じがあって誰の文章を読んでいるときよりもワクワクする。
不安定@unstable_okyt2026年8月14日読み終わった鎌倉に遊びに行った家族が、お土産に栞をくれた。鶴岡八幡宮が描かれている。 鎌倉について書かれた文章も多く収められているこの本にぴったりで嬉しい。

不安定@unstable_okyt2026年8月14日感想この小説が翻訳されるとしたら翻訳家は困るだろうなと思う。 小説の文法、それどころか日本語の文法からも逸脱した文章が多く出てくる。でもその逸脱は、この小説の瑕疵にはならない。(と思う) ふつう、ひとは友だちや家族と喋る時に文法を気にしていない。「私が」「私は」という主語が何度も重なったり、「…で、」「…なんだけど、」「…というか、」のような適当な接続詞で文と文を繋げてだらだらと喋り、喋りの前半と後半で主語が変わったりもする。友だちや家族との会話を録音してそっくりそのまま文字起こししたら、文章としては相当変な日本語になるはずだ。 あるいは会話ではなく一人で考えごとをしている時も同じで、自分が頭の中で考えていることも、頭の中にあるうちはいわば文章以前の状態で、文法には則っていないような言葉が渦巻いている。 そういう文章以前の言葉を使って、作者が頭の中で考えていることを喋るように伝えているのだなと思いながら読んだ。


Rica@rica_bibliotheca2026年7月27日再読中好きな作家蝦蟇と青大将が出てくる章を再読中. 「海辺の松の林と蝦蟇のいた頃」「蝦蟇と話したあの頃」の章を読むと、わたしがとてもだいじにしたいと思っているけど言語化にはしてこなかった、できなかった(体)感覚を保坂さんがことばにしてくれているように感じられて、こんなふうに思っている人がいたんだ!と喜びの気持ちでいっぱいになる.宮沢賢治の『なめとこの熊』を連想する箇所でもある. 今、わたしは、ほんとうにだいじにしたいと思っていることをだいじにできてるだろうか.
不安定@unstable_okyt2026年7月11日読んでる毎晩、寝る前に少しずつ読み進めている。 不眠で医者にかかるようになって長いこと経つが、この本を読み始めてから眠剤の効きが少し良くなったように思う。 読んでいて、たびたびハッとさせられる。マーカーでアンダーラインを引きたくなる。本には書き込みをしない派なので、実際は付箋を貼るだけにとどめているけれど、頭の中ではアンダーラインを引いている。 ーーー あの頃を人生で一番明るかったように感じる、明るい人生はその後も照らす。 (p.140より引用) ーーー

不安定@unstable_okyt2026年6月30日読んでる引用まだ読み終わっていないけど、今月はこの本を読んでいたよという記録として。 ーーー 私がとても世話になった人の奥さんが亡くなった、奥さんは亡くなる十年以上前から膠原病で自由に外出できなかった、…(略)… 五十代後半の女性が子どものような機敏さで乗ってきた、その人は私の斜め前にすわると、走り出した車窓の向こうに見える景色をとても楽しそうに見た、瞳が休みなくキョロキョロ動いてきた、そして次の、やっぱり各停しか停まらない小さな駅でさっさと降りていった、私は十二月に亡くなった奥さんの章子さんだと感じた、死んだ人が自分に似た人の体を借りて短い時間、自分が生きた世界を見に戻ったのだ。 p.53より引用 ーーー ここを読んだ時、ああ凄いと思った。

Rica@rica_bibliotheca2026年5月24日再読中好きな作家昼下がりの京都トークイベントから夜まで楽しい日曜日だった. こないだお寺の池で日光浴?していたカエルがかわいくて、話しかけたり手を振ったりしてたら、一緒にいた友人に「カエルに手を振る人初めて見たよ」と笑われたが、保坂さんにはこの感じ分かってもらえると思う. また、蝦蟇と蛇のくだりを読む.








Rica@rica_bibliotheca2026年5月16日読み終わった好きな作家今、この同じ時代に保坂さんが生きて、書き続けてくれている、ってうれしいなあ...としみじみ. いろんな思いをリフレイン. ありがとう、保坂さん.


Rica@rica_bibliotheca2026年5月11日読んでる好きな作家250頁「蝦蟇と話したあの頃」まで読了. 蝦蟇とか青大将のところ、サイコーだ. この章は繰り返し繰り返し読みたい. _______________ 青大将はあの瞬間「お前の友達ならいいよ。」とアイコンタクトで言って、自分から道を曲がったのだった。 (本文より) _______________

阿久津隆@akttkc2026年5月8日買った@ 本屋B&BなんとなくB&Bで買おうと思っていたのでB&Bに行ったので買った! まだしばらくフォークナーなので読むのは先になりそうだけど、13年待ったんだから、何ヶ月か寝かせたところでというところで。









Rica@rica_bibliotheca2026年5月7日読んでる好きな作家138頁「浜の散歩」まで読了. まとめて保坂さんを読める毎日の幸せ❤︎ _______________ 私はジョンをこの手で撫でることは叶わなかったが、ジョンと同じ波で靴を漏らした。」(本文より) _______________
もなか@monaka2026年5月1日買ったちょっとしばらく読めないかもしれないけど、買ってしまった。 群像でずっと何年も連載してるのは知ってたけどほとんど読めてなくて、もう単行本にはならないのかも、、と思っていたのでうれしい。
不安定@unstable_okyt2026年4月25日買った保坂和志自身が撮影した猫の写真が用いられた装丁。良いなー。 こういう本を買うと、何があっても"モノ"としての紙の本はなくならないし、仮になくなるとしたらその動きに全力で抗わないといけないなーと思う。


龍氏@dragon-ryu2026年4月22日読み終わった所々脱臼したかのような文体、何の話だこれという話が次々つながったり戻ったりする構造、これはおもしろいのか、いやおもしろいか、おもしろいのかな、と思いつつ、とりあえず一読。また読むと思う。
ぜち@zechl232026年4月17日買った読んでる職場の飲み会前、書店で立ち読み、読む快感、前頭葉から頭頂葉のループの快感のような感じがあって、買わないといけなくなり、買った、番号や分岐はないけど、教養文庫から出てたゲームブックを読むときのような、ソーサリーのシリーズとか、のわくわく感、で買ったあと、酔って、酒に弱くなり、這うようにして帰って、本の記念写真、








オトギ@fushigi-682026年4月15日買った久々の保坂和志新刊、嬉しい。書店で見つけて即購入。 保坂和志の本買って帰る時って、なぜか生きてるって感じがする。生きる歓び! これはわたしの感想です。













































