李陵・山月記
55件の記録
くらげ@kulage_jelly2026年10月8日読んでる読み終わったこの本の中にある、「弟子」という短編小説を読了しました。 孔子の弟子、子路という人間の一生を多様なエピソードを交えた描いた作品。 色々と語りたい箇所はあるのですが、 特筆すべきは、中島敦自身の考えや答えを一切載せていないという点です。 実話をもとにした作品ですから、それは基本なのかもしれませんが、それとしても彼独自の解釈などが完全に排除されているように感じます。 中島敦の作品は、どれも距離を感じるというか…。 だからこそ、読者にも問いを残す。 読者が考える余地を与える。 これだけ愛されるのも納得です。 ただ浮いては沈みを繰り返すだけの僕の脳では、 この問いへの明確な答えは出せていません。 いつか、出せるのでしょうか。 いいえ、思考放棄はダメですよね。 考え続けていけたら、と思います。
はなを@873noreads_2026年10月4日「己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。」 「才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」 思春期の入り口に立った人間が必ず読むべき通過儀礼みたいな本だなと思う、いつ読んでも刺さって抜けない。 大人になってから読むとさらに自分の身を鑑みて「ウッ」と思ってしまう 。例えば、大学時代にできた友達と会うのは大好きだけど、中学までの地元の知人には一切会いたくないなぁと思う時。それなのに中学までの地元の知人が毎年正月には帰ってくるのか尋ねてくる時。やんわりと毎年断る時。 まだ私は虎ではないと思うけど… 虎のようになってしまった人もそろそろ出始めそうな年代になってきた。
玉りん堂@tamma_11232026年9月4日読み終わった難解な文章で、註釈と本文を何度も行き来しながら読了。 司馬遷や孔子の時代を史実をもとに小説化されたもの。 難解ながらも漢語調の文章が味わい深く、内容をよりリアルに浮立たせ、引き込まれた。- つぐ@tug___read___tug2026年5月24日読み終わった課題書@ カフェ山月記、教科書?で読んだときは昔はあまり響かなかったけれど、改めて読むと心に残るものがあった。 どうしてこの展開なんだろう、と子供の頃に思っていたことが、大人になって「こういうことを表現したかったのかな」と思うようになっていて、驚いた。 感性が変わると、読後の感想も変わるんだな、と。 李陵も弟子も、少し知識が足りなくて読み進めるのに時間がかかった。これらの作品も、これから先色んなことを知って学ぶことでまた、感じ方が変わるのだろうな。 忘れかけた頃に、読み返したい作品だと思った。




- ごうき@IAMGK2026年5月16日読み終わった中島敦『山月記』 「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」 高校3年生(2年生かもしれない)の頃に授業で読んだきりだったが、今度ある読書会に参加するために再読した。2回目である。 やはり名作だ。どこからどこまで、エッセンスが詰まっている。とても良い文学作品だ。中島敦って、こんなに良かったのか。 本作には様々なテーマが込められており、だからこそ読む人にとって受ける印象が違うのだろう。また、或いは解釈の違いもあるのかもしれない。「李朝は虎になっていない」と言う説もあるくらいなので。ただ、最初に着目すべきはやはり文章の形式であろう。この作品は李徴に焦点が当てられているが、物語として、李徴の鉤括弧が付いている台詞は、序盤に虎として叢から躍り出た時の「あぶないところだった」「如何にも自分は隴西の李徴である」しかない。その他の台詞には一切の鉤括弧がついておらず、物語の進行とともに李徴の独白は量を増していく。これにより李徴の語りは物語そのものとなり、李徴は自己劇化される。自己劇化し李徴のバックストーリーを作中作のように配置することで、我々は袁傪に共感しながら、李徴を客観視することができる。 さて、この作品は「内面のコントロール」「罪と罰」「芸術家の苦悩」といった様々なテーマを包含しているようだが、やはり「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という語が有名なように、一番大きなテーマは「芸術家の苦悩」であろう。思うに芸術家の素質は例えば孤独であることやら矜持心やら青臭さやらナルシシズムであることやら己への厳格やら色々な要素があるだろうが、一番大切なのは謙虚であることだろう。これはナルシシズムとは異義に思えるが、そうではない。あくまで芸術家として自信家な姿勢を見せつつ作品に対しては謙虚である、そういう姿勢だろう。袁傪は虎になった李徴の詩を聴き、「作者の素質が第一流に属するものは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか」と述べる。この「何処か」とは、紛れもなく謙虚であることだろう。不思議なものだ。作品への思惑や姿勢は、作者が意識しないところで読者に読み取られる。作家に唯一コントロールできないもの、それが作家の生まれながらの内面であり、これが本作品のテーマの一部である「内面のコントロール」であろう。これは鋭敏なる読者には、例えその読者が文章の鍛錬をさほど積んでいなくとも、すぐに直感できるものである。そして李徴はそれに勘付いていた。しかし、勘付いたのが、少し遅かった。そしてそれを勘づいて初めて、己が中途半端な精神、即ち「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」と詩作への油断が、妻子を苦しめていたと言うことに気がつくのである。 李徴は人間にも芸術家にもなりきれないようであるが、謂わば芸術家としての矜持を持ちながら、そうして芸術家として生きる性質を持たなかった、そうして生活を送る能力のなかった人間だったのだろう。そうしてこういう人間は現代にもごまんといる。芸術家や芸能人、その他何者かになろうかと思いつつ、けれども何者にもなれない、年齢は歳をとっているけれども年齢は若いフリーターのような夢追い人、そういう人に重なるところがあある。そういう点では、本作は芸術家を志す人間の手本・バイブルとなるポテンシャルを秘めていると言えるだろう。



こけしらぷとる@togetogesaichania2026年3月22日読み終わった積んでしまっていた2024年のプレミアムカバー版を取り出して読んだ。収録作のうち『山月記』しかしらなかったが、他の作品も人の生き様にしみじみとした感情が湧いてくる美しいものだった。 個人的に1番気に入ったのが『名人伝』で、出てくる弓の技術のバトル漫画でも通用するインフレ具合に思わず興奮してしまった。オチもなかなか笑えるので他人におすすめしたくなる作品。
はら@haraheri_56562025年10月10日読み終わった作家の生涯に興味を持ったので読み始めたんだけど、注解の多さに苦戦。ページ数の割になかなか前に進まなかったが段々読み慣れてきて、最後は半徹夜で夢中になって読了してしまった。 どの話も中国古典ベースで大河のような内容。内容の濃さから、200ページ以上の読後感があって、読み終わった今、それぞれの物語の壮大さを反芻しながら呆然としている。 2025.8.24→2025.10.10
いんとん@Going-kyo2025年9月30日読み終わったまた読んだ知り合いの若えもんに教えるために、山月記を再読。 音読したくなるリズムの文体がたまらない。それに加えて、昔習った時よりも李徴の人間臭さが身に染みる。名作だ。 若えもんにも良さが伝わったみたいで、嬉しい。(学校の先生のおかげですが) 李陵も良い。山月記より長くてちょいとしんどいですが。
冬の日@its-easy2025年8月29日読んでる疲労と老眼とたくさんの注解により、毎日後戻りしながら、少しずつ読んでいる。早く寝てしまえば良いのに、ちょっとだけでも読んで寝たい。登場人物が…あの人もこの人も…なんだか愛おしい
すべての本読み読み委員会@nadare2025年8月6日読み終わった🐅✨『山月記』読書会done。英語教師フレンズから、猛獣の群れは英語で"pride"と呼ばれることを教えられフロアは湧いた😭 自尊心は重要なワードだ。/ 何というか… 『山月記』を超える短編ってもう一生出ない気がする。頭の中の"想像筋"が反射的に働き、虎の体温を感じ、白っぽい月光、慟哭の声まで映像化される感覚が心地いい。だから教科書に載るんだ!!!





読書猫@bookcat2025年3月11日読み終わった読み直した(本文抜粋) “人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。” “人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。”
にゃん@_x_mu_1900年1月1日かつて読んだ名刺代わりの10冊高校の現代文の授業で出会ってからずっとずっと読み返してる。自傷行為的な意味で読み返して鬱になるが、自戒としても読める。 ◉人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い ◉我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦に伍することも出来なかった。 臆病な自尊心→ 己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず (自分には才能がないと分かってしまうことを恐れて必死に努力する事もせずに) 尊大な羞恥心→ 己の珠なるべきを半ば信ずるが故に碌々として瓦に伍することも出来なかった (自分には才能があると信じていた信じたかったから他の凡人達と仲間になることもできなかった)
ゆけまる@yukemar_141900年1月1日かつて読んだオールタイムベスト国語の教科書で読んだ中でダントツに好きなのがこの山月記。文章のテンポと美しい対句表現が忘れられない。「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」ほんとに自分の表現力のなさを恥じるばかりだけど、天才すぎるよこんな表現。「格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである」これも声に出して読みたい日本語。なんかいい声で朗読を聞きたい笑 李陵もいい。読ませる。













































