動きすぎてはいけない
38件の記録
みすてぃ@misty8823112026年8月10日読み終わった哲学評論・論考単行本を発売年(2013)に読んだきりだった。当時夢中で読んだが(千葉さんは本書によるデビュー前から著名で、いよいよ単著が…!という人文系の熱い空気感の中に僕もいたので)、やや入り組んだ第3章『存在論的ファシズム』までの流れは割と明確に憶えていたのだが、特に第5章からの「後半」の、駆け抜けるようなアクセル状態をすっかり忘れていた。序論の「切断論」のインパクトを置くとしても、「前半」部のヒューム主義から読み解くドゥルーズ、といった独自の路線を、「後半」部ではさらに範囲を広げて、最終的には(ドゥルーズ論によくある)スピノザーベルクソン主義に代わってヒュームーライプニッツ主義を強調するというような終わり方だった(エピローグ前の動物論含めてそれだけではないのだが)。 凄まじく独創的な「単著」であり、芸術的でもある。なのに本書の立場は充分、一般読者/社会にも通ずる「半端さ」をも持ち合わせている。二回読んで、名著だと確信を深めた。
い。@hon_i_read2026年5月16日読み終わった千葉雅也によるドゥルーズの解説と再解釈、そして有用性が書かれている ベルクソン的なひとつに接続された世界をもつドゥルーズとヒューム的な物事が切断された世界をもつドゥルーズの相反するふたつのドゥルーズに分け、統合させていく 非意味的に切断されている世界を非意味的に接続していくことが必要であり、しすぎてはいけないし、しなさすぎてもいけない つまり、動きすぎてはいけない、とはその中間をいくという意味で使われている 更に後半では、ライプニッツのモナドのように閉じられた系を真とするドゥルーズの理論が展開されていく ドゥルーズの理論を、閉じられた系としての物事を、過剰な意味接続をせず、しかし非意味的接続をしながら、リゾームを展開し、しかしそのリゾームもまた切断すべきものとして解釈する 物事を考える時に、とても有用で、意味に過度な必然性や接続を求めないことの良さを感じた
saeko@saekyh2026年5月7日がんばって読み切ったけど、難しかった! ただこれまで読んだ千葉先生の本たちが、この本に書かれていることから派生して書かれているんだろうな〜と思った。 基本的に全然よくわからなかったけど、ところどころ印象に残る文章があった。 「世界はデフォルトで狂っていて、多少まともになるときがあるにすぎない」という一文は、なるほどなと思うと同時に、哲学者ってロックだなあと思った。 世の中をわかりたいという欲求から、情報を一般化したり、ツリー構造で整理したり、何事にも過剰に意味を求めようとする社会において、物事はリゾーム的に無秩序に広がって繋がったり切れたりして存在しているという考え方のほうが正しいんじゃないかなあって思うなどした。

































