南光
29件の記録
あんどん書房@andn2025年12月9日読み終わった台湾出身の写真家・南光こと鄧騰煇の生涯を描く。 大日本帝国統治下の台湾から法政大学に入学し、友人からお古のライカを買うというところが物語の冒頭。 当然当時のカメラはマニュアルなので、距離感とか露出をその場その場で判断しなければならない。そのために日常の中でひたすら物体や人物との距離を考え続け、無意識のクセになっていく…というカメラ初心者の努力がここまで描かれる小説はたぶん初めて読んだ。マニュアルで撮る練習とかをしてた頃を思い出して懐かしくなる。 時系列を行ったり来たりしつつ、鄧騰煇以外の視点も所々に挟まれてゆく。同じように日本で写真を学びながら、より芸術的側面や技法に価値を置いた彭瑞麟。海外の写真家がとらえる中国像に違和感を抱き、理想的なイメージを追求した郎静山…などなど、さまざまな立場の写真家によるモノローグが描かれる。中心にあるのは絵画主義/リアリズム/新興写真的な対立だけれど、それぞれにとっての写真論=人生観が物語の奥行きを出しているような気がした。 “時々考えた。自分が東京で勉強できているのは、家の財産に頼っているからであり、父の許可があってこそライカが買えるのだと。それでいて日本で見聞したすべてが、彼をどんどん故郷から引き離すのだった。” (P174) 出自である客家の伝統的な価値観と、都会で身に付けた近代的価値観の対立。作中の鄧騰煇の人生には、このようなアイデンティティの分裂の経験が何度か登場する。台湾人でありながら、日本の総督府によって身分を保障された写真家であるという分裂。戦後の国民党政権の元での外省人と本省人の分裂(二二八事件)。 これらはそのまま台湾という国が経験してきたさまざまな分断の歴史でもある。そして自分はそういった歴史を一切知らなかった。 “中国撮影学会は政府の反共坑俄〔反共産主義、反ソ連〕文化政策に呼応して、明るく前向きで、純潔かつ崇高な作品を撮るように会員に求めた。反対に頽廃、ロマンチック、赤、黄〔ポルノ〕、黒〔堕落〕の作品は否定された。その定義の下では、写実的、郷土的、人びとの真の生活を反映したものはもちろん、社会の不公正を告発する作品なども否定の対象だった。” (P316) 日本に都合の良いプロパガンダ的な写真を求められた戦時中から光復を経て自由になったかと思いきや、今度は反共の嵐の中で別の制約が……という状況。もちろんこの「中国」は中華民国のこと。 写真を撮るということについても色々と示唆的な記述が多く、考えさせられる。 “理屈からすれば、肖像写真はその個人を表すものだ。[…]だが彼は懐疑的だった。虚な目でこわばった表情をしたこんな写真が、本当に誰かを表し得るのだろうか。” (P256) これは作家としての写真と仕事としての写真の葛藤だと思うんだけれど、似たようなことは考えたことがあるなぁと思った。証明写真とか撮ってると考えるよな。 その辺の意識の問題をうまいこと折り合いをつけていたのが植田正治だと思う。 “写真とは、言わば撮影者の心象を映す鏡だ。だが心象を完璧に映した情景に出会えるかどうかは、運次第だ。それは往々にして電光石火のごとき一瞬で、百分の一秒の間にシャッターを切らなければ、過ぎ去ったきり二度とは戻らない。初心者でも一度か二度はその瞬間を捉えることができるかもしれない。しかしツバメが風雨を察知するように、あるいはナマズが地震を予知するように、神秘の瞬間が近づいていると直感し、鏡のように澄んだ心でそれを捉えることができるのは、しっかりと準備を整えた写真家だけだ。 つまるところ写真というのは、カメラで何を捉えたかではなく、何に心を捕らわれたかだという人がいるのは、そういう意味なのだ。” (P348) 時代に翻弄されさまざまな写真を撮ってきた主人公が最終的にこういった真理に至るところは読み応えがある。写真を作品として発表することから、より純粋に撮ること自体へとフォーカスしていく。 一応補足すると南光自身は写真以外に文章などはほとんど残していないようなので、こういう写真論とかは作家が南光の写真と向き合って導き出したものであるらしい。 本文書体:リュウミンオールド 装幀:佐野裕哉 装画:柳智之 写真:鄧南光(Te Nan-Kua)



にわか読書家@niwakadokushoka2025年6月29日読み終わった@ 自宅小説だがリアルで不思議、巻末の写真でたしかに実在の写真家がモデルなのだと実感する。 初めから詳細な東京の描写で、学生の頃は年号を覚えるだけで、近いはずなのに遠かった歴史が全く違って見える。 写真を軸に話が進むことで、歴史による文化や生活への影響がよりわかりやすい気がした。






あるる@aru_booklog2025年6月19日読み終わったカメラで風景を切り取る、時間を切り取る、時代を映す。また時間を閉じ込める。写真から思い出を取り出す、記憶を呼び起こす、その時の温度を思い出して追体験する。 写真の幅と限界を激動の時代を生きた主人公とともに考えながら読んだ。自分の写真を撮ることはあまりないんだけど、なんとなく自撮りしようかなと最後の章を読んでやってみた。 南光さん、とても優しく賢さの溢れるお顔をしている。この人の撮る女性は自然体で綺麗だ。他の写真も見てみたい。




犬山俊之@inuyamanihongo2025年4月28日かつて読んだおすすめ明日の翻訳大賞に向けて応援ポスト *** 日本植民地時代の台湾に生まれた写真家、南光が生きた時代を、彼が残した作品を下敷きに小説という形式で克明に描き出した傑作(巻末に写真12点掲載)。圧倒的なディティールの積み重ねで語られる植民地下に生きる人々の生活、苦悩が胸に刺さる。 翻訳も、細かな部分まで疎かにしない姿勢が素晴らしく、台湾の夜の濃密な空気感さえも写しとっている。 本の装丁、カバーイラスト含め、2024年最も印象に残った一冊。


台湾犬@Masa_SMZ2025年4月7日読み終わった時代に翻弄された表現者たちの苦悩。表現は表明でもある。抵抗し続けるのもひとつ、表面的におもねながら続けるのもひとつ、続けられない人もひとつ。 カメラや現像に,詳しくない者にもリアルに想像させる描写。写真に映るのは事実であっても真実ではない。意図がありそうで、偶然だったりする。





























