食卓にきた犬
33件の記録
糖@inwatermelon_2026年7月12日読み終わった宇宙のエネルギーは膨張し、拡散し、やがて死に向かう。 そんな宇宙の一生とは比べものにもならない、あったのかなかったのかも分からないような瞬間のうちに、わたしたちの命はやがて尽きていく。 塵のようなその瞬間を、せいいっぱいに引き伸ばし、慈しんでわたしたちは生きている。 か細い生命の糸同士が、気まぐれに交差し、より合うこともある。 ときには交わりそうで交わらず、互いを切ない気持ちで見送ったりもする。 いま、車道をはさんだ向こうの歩道に、散歩する犬がこちらを見て笑っている(ようにみえる)。 わたしよりもはるかに短い命が、同じ味の空気を吸って、同じ色の光を浴びている。 すれ違ったわたしたちは、再びそれぞれの速度でそれぞれの瞬間を消費し始める。 もう二度と出会わないかもしれないし、これから何度も会うのかもしれない。さながら気まぐれな大小の惑星のように。 軽い気持ちでジャケ借り・タイトル借りした本に、そんな思わぬ思考へとワープさせられるのは驚きこそあれうれしいこと。 「食卓にきた犬」は、世間と隔絶した森林でくらす老夫婦の秘密基地のような家へ、突然一匹の犬が転がり込んでくるところからはじまる。 夫婦の短い生い先は、犬の登場によって、少し景色を変えていく。 もちろん、何かが劇的に変わるわけではない。彼らの寿命が延びたり、環境破壊や戦争がなくなったりはしない。けれども、3つの命がより合わなければ、存在しなかった喜びや悲しみがたしかに生まれる。 あと少しで燃え尽きるという、最期のきらめきの物語。 “言葉を得ることで失ったものがある。言葉を交わすということは世界を直接所有することであり、私は世界を失ってしまうことを常に恐れている。私は、文字に書き記すことで、次々と現れては、刻々と消えていく「リアル」を再現しようとする。時に、つかまえたと思う。でも、つまり、そう、いや、別にどうでもいい。書くことで現実をつかむより、直接現実と対峙できればその方がずっといい。現実の命の方が尊い。”

彼らは読みつづけた@findareading2026年6月22日読み終わった電子書籍*本の中の読書* 《ボワ・バニに越してきて以来、彼は中国語を学び始めた。だが、今夜は小説を読みたいのかもしれない。しかも一冊ではないだろう。一晩に一冊では足りない。今では、二冊は必要だった。実験のように、あの本、この本と並行して読み、そこから始まる内緒話に耳をすませる。》 — クローディ・ウンジンガー著/永田千奈訳『食卓にきた犬』(2025年10月Kindle版、早川書房)








ひつじ@hitsuji_zzz2026年1月20日読み終わった借りてきた買いたいリスト表紙の犬に釣られて私も食卓にきた。 え!!!!!!!おもしろい!!!!!!!私この物語すきです!!!!!!!なのにこれしか邦訳がない⁈⁈2年に一冊のペースで作品が生み出されているのに⁈⁈⁈これを邦訳で出版してくれた方々に感謝の正拳突き…。

かもめ通信@kamome2025年12月8日読み終わった老作家と犬、妻と夫、人と自然、生と死、破壊と再生、対となるもの、並び立つもの、境界の曖昧なもの。見て触れて考えて書いて、考えて、考えて、考えて、書いて、そうやって生きるひと。たとえその生き方に共鳴できなくても、自分とその周縁について、あれこれと考えずにはいられない。とても静かでそれでいて熱を持っていて、人々の心理も自然の描写も厳しいけれど美しく、老いや人の悪意といった不安を駆り立てる恐ろしいものと、日々の営みややすらぎが同居する不思議な読み心地の本だった。



清水美穂子@favoriteworks2025年11月27日読み終わった『食卓にきた犬』 もちろん、タイトルに惹かれたのだ。 森に住む老作家のところへ、のら犬が訪れ、 またどこかへ行ってしまう。 いま50数ページほど読んだところだけれど、犬はあまり出てこない。それでも、すごく好きだ。 ボワ・バニという村はほんとうにあるんだろうか。 「本当に、あらゆる悪意から遠く離れ、文字どおり世界から追放(バニ)されたような場所だ」。 そんな森の中の廃屋に、たくさんの本とロバを連れて夫と移り住んだ。部屋の窓からは 「資本主義から無視されてきた完新世の断片」 と表現された野原がみはらせる。 彼女は置き去りにされたものが好きで(廃屋だけでなく犬もなのだろう)、逃げることにこだわりがある。 しばらくここにいたいと思う。 と、読み始めた頃に書いた。 ずっとそこにいたくて少しずつ大切に読んだ。 想像したのとまったく違う小説だったが、 自分の日々とシンクロしてとてもよかった。














































