異邦人

72件の記録
- モノンクル@mononcle2025年9月12日読み終わった@ 自宅読書会の課題本として読みました。 変わった人(異邦人)ムルソーを主人公にした小説で、ムルソー自身としては自分に正直に生きようとしているだけなのに、周囲には理解されず、思いがけず(太陽のせいで?)殺人まで犯してしまい、裁判で死刑を求刑されて悩み苦しみ(でもそれすら共感も理解もされず)、最期は死を待ち望む。本当はこの小説が書かれた時代背景と併せてでないと理解しがたい小説であるかもしれません。(第二次世界大戦開戦前夜に書かれています)
- 自分@Me_me2025年9月11日読み終わった肌寒い湿気た風に、ほんの少しの塩の匂い。『異邦人』を読んでまず思い浮かんだのは、そんな感触だった。乾いているのに湿っている。心地よさと不快さが同居する、矛盾した空気。その風の中でページをめくっているような読書体験だった。 主人公ムルソーは、無関心な人間に見える。母の死に涙せず、恋人に愛を告げられても「意味がない」と答え、人を撃った理由さえ「太陽のせい」だと言う。 けれど本当にそうなのだろうか。むしろ彼は、蝶の羽をむしり取ってしまう子供のように、残酷なほど純粋で、眩しいほど素直な心を持っているだけなのかもしれない。飾らず、気取らない。彼はただ、世界をそのまま受け入れているのだ。 だが社会はそれを許さない。裁判で裁かれたのは殺人そのものより、「母の死に涙しなかったこと」だった。常識や道徳という名の荒波が彼を押し流そうとする。その姿に私はぞっとした。そして、なぜか少しほっともした。 なぜなら最後にムルソーは、「世界のやさしい無関心を受け入れる」と語るからだ。そこにあったのは絶望ではなく、静かな救いだった。意味なんてなくてもいい。ただ海辺に立ち、潮風を浴びながら呼吸している。それだけで十分なのだと教えられた気がした。
- 本の虫になりたいひと@reaaaads38692025年9月3日読み終わったあらすじがこの本を異質なものに仕立て上げているような気がする。まるで主人公が完全なる精神疾患患者のような書き方である。あとがきにもあったが主人公は嘘がつけないだけ。人殺しはダメだがそれ以降の対応を全て「助かりたいならこっち!」と正反対のアンサーしたから、こんな結果になった。それを一部の人は精神疾患患者であるというのかもしれないけれど。 「太陽のせいだ」と言ったのも弁明の最後の方、しどろもどろになりながらじゃないか。まるであっけからんといったみたいなあらすじの書き方は本当に良くない。
- 北奏館@hokusoh2025年8月31日読み終わったカメル・ダウドのHourisゴングール賞受賞の記事から「ムルソー」を知って、遡って読んでみようと思い立った。よく考えたら読んでなかった(名著あるある)。 いざ読んでみると、よくある作品紹介は当てにならないものだなあと。やっぱり自分で読んでみないとわからないし、同じ作品でも読む人によって何が響くかは全然違うんだろうなという作品だった。少なくとも私には、殺人の動機としてよく引用される「太陽が眩しかったから」っていうのはあまり重要じゃなかった。 忘れないうちに「ムルソー」読みたい。
- ポン@c_f_zqxs2025年8月5日かつて読んだ感想序盤を読み進める中で、一人称視点でありながら主人公の感情描写がやけに淡白なのが気になった。中盤以降、やっぱり外の世界から見ても異常に映っていたようで、主人公は人々から糾弾され始める。でも私は、ムルソーの自分と世界に対する正直さが一貫してるとこかなり好き。ある種の爽快感がある。カミュの思想がもっと気になる作品。
- N@r_is_for_read2025年7月15日多分私には合わなかったのだと思うが、話の内容が中々頭に入ってこず、読むのに苦労した。 ムルソーの思考もよく分からず。 こういった名作は私にとっては難しいらしい。
- momo(プロフィール変えました)@momo_noke2025年5月31日読み終わった主人公ムルソーが人を殺した理由を「太陽のせい」とする点は、全く理解できない。 しかし、彼は、自分が人を愛せないとか、母親が死んでも動揺しないといった感情の欠如を、偽らずに受け入れているように見えた。 社会的なルールや善意を身につけず、「こう思うべき」とされることにも従わない。 形式を拒否して、自分の感覚だけで生きようとする姿勢に、ある意味での誠実さも感じた。 不条理な世界で、自分に嘘をつかずに生きることの難しさと孤独を考えた。
- 💊@Cannabi_Shabu2025年5月29日読み終わったさすが名作👍👍👍 主人公のムルソーを、最初は変人程度に思っていて、しかし結婚したがっているマリィへの返事のシーンから、彼のことが大好きになってしまいました。 この変人具合が"異邦人"なのかと思っていたら、本当にどんどん"異邦人"になってしまって、私の想像の及ばないところまで行ってしまった、、、 生きるということに関して、私はつい精神に重きを置いてしまいがちです(これは悪い思考の癖なのですが……)。 しかし彼はどこまでも現実や感覚に重きを置いていて、それが彼の生命に直結している。そして最後はあの部屋の中で、今まで愛してきたこの世界を愛し直すことである種の悟りを得たのではないか。 物質主義になってしまった現代人が、自らの死に向き合って生を愛するには、ムルソーのような過程を辿るのではないかと思わずにはいられません。 最後の一文はイエスキリストの最期を想起させました。また解説を読んでさらに好きになった小説でもあります。 この文庫本自体を買ったのは中学生のときでしたが、今読もうと思った不思議な縁に感謝します。
- CandidE@araxia2025年3月23日読み終わった何度読んでも、構造的破綻があるように思う。決定的なのは、主人公ムルソーが殺人を犯すことで、自身が「他者にとっての不条理」と化すこと。これにより彼は理不尽な世界と同期してしまい、そのため終盤における「理不尽への反抗」という覚醒は、滑稽な自己矛盾でしかない。不条理が不条理に対して反抗するという無意味な構図を不条理とするのは詭弁であり、実態は、目糞鼻糞を笑う、である。 またさらに看過できないのは、主人公が示す社会規範の恣意性への理解や判断の一貫性の欠如の認識といった知的側面と、身体欲求への愚直な隷属や衝動的行動といった動物的側面との間に横たわる不自然な観念の乖離。人工味がして読みにくい。作家が人間存在の矛盾や二面性を描こうと意図したことは十分に承知しているが、そのキャラクター設定が歪で、デフォルメが鼻につく。企みはともかく、この作為的な矛盾や綻びは、おそらく原文の文体がない文体、すなわち「零度のエクリチュール」によって巧みに糊塗されコーティングされ、それは結果として作品の評価を支えるアイロニカルな魅力となり、作者のノーベル文学賞受賞と相まって好意的に解釈され続け、今日に至っているのだろうと推察する。 ロラン・バルトは「この不整合は作品の一部」と評価したが、対してサルトルは「主人公は自分自身の行動の哲学的意味を理解していない」と喝破した。この批評的対立において、私はサルトルに軍配を上げたい。芸術における構造的矛盾が常に欠陥とはなり得ないのは明白だが、上記の通り私は『異邦人』においてその説得力の欠如を指摘する。 一方で、不条理を「克服すべき課題」とするサルトルと「共生すべき条件」とするカミュという両者の哲学的姿勢について、私は断然カミュに共鳴する。それは、誤解を恐れずに言えば、日々不確実性が増す現代社会において、「不条理との終わりなき闘争」は消極的共存であり、「不条理との持続的対話」こそが積極的共存、すなわち我々の基本倫理に相応しいと愚考するからだ。この非常に困難な挑戦に際して、カミュの「反抗」こそが心の燈となる。 なお、本作の理解を深めるために、同時期に出版された『シーシュポスの神話』を併読することを強く推奨したい。これにより、カミュの哲学および『異邦人』の制作意図や背景が補完され、たとえ私のような批判的な意見を持つ偏屈者や内容に面白味を感じなかった読者においても、その文学的価値と魅力がより明瞭な形で伝わるはずだ。
- こよなく@koyonaku2025年3月9日読み終わった自分に嘘をつかない行為が正しい生き方だから、その結果が処刑でも正しい結果ってなるの!?誠実で素晴らしいな。 「私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。」お気に入りの一文。
- O@46_962025年3月8日読み終わった言葉にするのが難しくて、読了後しばらくそのままにしておいた。 今もまだわかっていないところが多い。けれど、ムルソーのこと嫌いじゃない。それは登場する判事や司祭の信仰を鬱陶しく感じる——私がキリシタンじゃないから——ことによって相対的に、というのもあるかもしれない。 ただ、それとはまた別に、私がムルソーだったかもしれないことを思う。あの法廷に立っていたのは、もしかすると私だったのかもしれない、といった風に。想像せざるを得ない。