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ひかりとかげ
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@hikakage
サウナの外気浴中に演奏をする「ととのえバイオリニスト」として活動してます🎻 哲学や科学、心理学や民俗学から自分の在り方やその自分が幸せに生きる為の領域作りに興味があり、そういった本を中心に読んでます。
  • 2026年3月12日
    社会関係資本主義
    学習塾のバックオフィス業務を支えるITサービスの会社を経営する著者が、幼馴染の思想家である青木真兵を中心に自身の会社内外様々な人との対話をまとめた本。 それぞれの対話を通じて会社とは何か、そもそも共同体とはどうあるべきかを著者はアジア圏、特に中国の儒教や孔子の論語などが日本の「義理人情」や「ご恩と奉公」の文脈の源流にあると説く。 そして論語ある「忠」は心のままに居る事であり、江戸時代以後に忠誠を尽くす事と変化したという点はルースベネディクトの「菊と刀」に接続するような日本人のアーキタイプを読み解く上で参考になる知識だなと思った。 タイトルにある『社会関係資本主義』は数値化されすぎた資本主義を半歩脱却し、自己ニーズを尊重できる共同体としてある新しい形だと思う。 いつの時代にも通貨は存在したが果たして"通貨"とは何か?我々は何の為に誰と生きるのか? そんな問いが残った。
  • 2026年3月3日
    お金信仰さようなら
    お金信仰さようなら
    いきなり他者の著作の話から入るが青木真兵さんの「資本主義を半分捨てる」を読み終えた後だから話や構造が繋がって見えて面白かった。 「資本主義を半分捨てる」にあった問いかけとして他者ニーズ、つまり資本主義的評価だけで生きていないか?という点を、現代のグローバリズム資本主義は「お金信仰」故の価値観や人生観の支配されてるからだという解答から始まる。 著者は資本主義もとい「お金信仰」を完全否定ではなく、それが古いシステムであり「人口増加による大量の物資的需要に対して一定の役割があった。」と言っている。そしてこれから起こる長期的な人口減少期において「お金信仰にさよならを告げたあとの世界で私たちは何を信じて生きるのか?」という新たな問いを投げかけている。 ※人口減少期についての言及は安宅和人氏の「風の谷という希望」にも繋がるような気がする。 特に本書の中でお金、つまり数値というものは上澄みに過ぎず、本来①数値②言葉③概念そして④本質という段階を経て理解すべき点を効率や回転、商業として流れに取り込む為に①以外の全てを削ぎ落としていないかという警告が特に刺さった。 無意識のうちに「売れる」や「バズる」という判断だけで「本質」の理解に触れてない事は多々あるかもしれない。それはまるでお金という教祖に供物を捧げるような事で、お金を宗教と捉えると未来の世界では今の価値観や行いは、まるで4500年前のピラミッドの建設のような全く違った価値観に見えるのかもしれない。
  • 2026年3月3日
    資本主義を半分捨てる
    資本主義を題材にしながら資本主義そのものの批判ではなく、禅問答のように資本主義から与えられたフレームを外し「自分とは何か」という問いに戻すような本。 著者は奥様の仕事事情をきっかけに奈良県東吉野の山村に移住し私設図書館の運営や障がいある方の就労支援などを行っていて、奥様が社会から受けた評価の事や障がい者たちと関わる中で評価軸があまりにも「他者ニーズ」に寄りすぎているのが現代の資本主義であると本書で語っている。その事を思想家イヴァンイリイチの「離床」に当てはめ「経済が生活の文脈から離れ、市場の原理だけで自律している」と指摘する。 この本で特に驚いたのは「障がい」(本書であつかう障がいは特に知的なものであると推察)は個人の属性ではなく社会の関係の中で生じるラベルであり、ただ周りと比べて「自己ニーズ」つまり自然の力が強すぎるが故にコントロールが効きにくいのであるという視点だった。 人は「自己ニーズ」、つまり「生きているから生きている」状態と「他者ニーズ」つまり他人や社会の評価軸の二人の自分を内在していてその間を揺蕩う存在であるという形而上学的であり、まるで素粒子の揺らぎのような結論をつけている。 それはまるで人間という字になぜ"間"が入るか?という問いに似ている。
  • 2026年2月22日
    丁寧道 ストレスから自由になれる最高メソッド
    元NTT職員から書道家になった著者が「道」を歩む中で社会に蔓延する常識や与えられた認知から脱却し、生きることに向き合い直した話だと思った。 義務感や競争、夢みたいな他人からの評価によって「今この時」を手放してしまうのではなく、日常の行為をあたかも書道や茶道のように一つ一つの所作や時間をただ愛する。それがタイトルにある「丁寧道」であるのだろう。 本書の最後の方に昭和までの世の中と平成以降の世の中を前者を孔子的な「仁」の思想、後者はむしろ老師的な「藁の犬」の思想に立ち返るタイミングじゃないかと言っていてその風向きの変化は確かに生きていて感じる。 きっと「今、この時」に生きないと何かが削れて大事なものを無くしてしまっても、対価の補償も無いし誰も責任を取らない。だからこそ「今この時」を生きたいと思える本だった。
  • 2026年2月15日
    禅学への道
    禅学への道
    当時の西洋人に向けた禅の概念を説明した本。 キリスト教的な主観と客観、思惟と世界というような二元論を剪除する事を前提に、 ・神的存在に対しての理解や崇拝ではなく最後は自己に到達すること。 ・肯定と否定との論理的対立を超えて高次の肯定に達する事。 ・禅は過程や組織、訓練ではなく一箇単純絶対の経験としている事 を説いている。 この本を読んで禅の体系や奥義や悟りを習得できるものではなくあくまで「あらすじ」を書いた本。 とはいえかなり書き方や専門用語が難解故に私自身はこの感想程度の理解しかできていないのであしからず。
  • 2026年2月2日
    〈わたし〉からはじめる地方論
    同じ英治出版さんの「風の谷という希望」を読んで感じた「地方創生」的な言葉の違和感を、最初の一章から「それは中央から与えられた言葉」であるとバッサリ言っている。人口減少を「課題」としてではなく「現象」と捉えた時に、地域に住む〈わたし〉は何をするべきかという真の問いが生まれる。住民一人一人が問いとアクションによって街を自分ごとにしていく事こそ「地域創生」ではないだろうか?と読んで理解した。
  • 2026年1月30日
    「風の谷」という希望
    地域おこし、地方創生、まちづくりみたいな言葉のむず痒さの原因は「人を呼ぶ前にやる事色々あるんじゃないか?」という事がこの本を読んで気付いたこと。もちろんこの本でも適度に人を呼ぶ事や交流についても触れていて、それらに対して批判した本では無い。しかしながら地方のエコノミクスに合わないインフラやせっかくの絶景を破壊するような植林、高度経済成長の裏でいかに地方は杜撰に作られているか。都市に大事なものを依存しながらその土地の文化や自然を削ってしまえばそりゃ地方から人は居なくなるよなって思った。
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