
猿馬大咳
@sarubaaaaa
猿馬大咳。読書マニアから書く側へ。
現在はメフィスト賞に向けて執筆中(全く進んでない。怠惰極まれりである)。
高校生になる。痛々しさも自分だと思った。
- 2026年10月4日
さようなら、ギャングたち加藤典洋,高橋源一郎高い評価を受けている作品と聞いて図書館で借り、読み終わった。 詩や名前というものに対して、定義というものに対して、捻くれながらも真摯に取り組んでいる作品……とも言い切れない。 実のところ、私は『評価されている小説だから』という理由で全て読み尽くして、しっかりと面白いとは思ったのだが……あまり実感は湧かない。しかし私が面白いと思ったのは事実であり、今もそれは揺らがない。なので、胸を張って面白かったとは言えるが、お勧めできるとは言えない。 なにしろこの小説は、小説としての体型を成しているだけで、全体を通してどこか浮ついている。要は独特の詩のような文体なのだ。 初心者どころか、小説好きのおじいちゃんにも勧めにくい。舞城王太郎とか好きな人は読めるんじゃないですか?(実際、私の見たティアー表のようなもので、『ディスコ探偵』と同率で最高点を叩き出していたから、感性が似ている人にお勧めしたいな) この物語で生きているのは文字だけだ。それは額面通りに受け取ってくれても構わない。人の存在を確かめるのは名前であり、「彼」であり「彼女」であり「わたし」。そしてそれらの本質は「廊下」であったり「椅子」であったり「ペット」であったりする。 人間という形態に当て嵌めて物語を想像してはいけない。それどころか、他の動物にしたって油断は許されない。 主人公「さようなら、ギャングたち」が一緒に暮らしている女性「中島みゆきソング・ブック」と飼っているペット(推定猫)「ヘンリー四世」が、人の言葉を話したり、やらかしを誤魔化すために別の生き物の鳴き声を真似して、挙句短編集も読みたがる。 そもそも、信頼すらしてはならない。文字が猫と言っているだけで「ヘンリー四世」は猫ではないかもしれないし、迎えた結末も本当はそうなっていないのかもしれない。 重要なのは存在であり、文字である。 序盤で説明された、「自分の名前に殺された者」の話も非常に興味深い。 後々に、それらの伏線回収も極めて残酷に行われることも、この小説が小説であることを認める一因だった。 石球城でもそうだったけど、この話もまたネタバレなしで読んでもらいたい。 そして衝撃のラストを体感してもらいたいな〜と思う。 お勧めはしないけどね。 - 2026年10月4日
『石球城』殺人事件北山猛邦読み終わったさて。 これを読み終わったのはつい先週とかの話で、終わった直後に「帰宅後感想を書く」などと宣っておきながら、すっかり忘れて感傷に浸っていたのがこの私である。すみません。 北山猛邦という名手が存在することは、時折耳にしていた。というか、メフィスト賞からの作家さんの名前は大抵わかる。 そのうち『クロック城』を読もうかと悩んでいたら、とんでもない本が出版されたらしく、購入。 結論から、とんでもない物理トリックへの執念の煮凝りのようなファンタジー小説。 13の密室を同時に解体するという大暴挙。今までもそういう小説は何回か見てきたけれど、全てが全て、納得できる形で解決されたのは見たことがない。 石球という存在も作品の全体において非常に重要な役割を果たしていて、あの緻密なトリック群は、この石球城でしか為せなかったはずだ。 全てを語ることは出来ないし、口を滑らせてしまうのもアレなので最後に言及するのは、世界観。空の見えない、灯台の光だけが頼りの世界で、あんなにも多くのルールや固有名詞が現れて、その全てに意味を持たせる。全てはあの結末のために存在している。それでいて混乱しない程度に物語が動かされていき、陳腐な言葉だが、まるで自分も石球城に迷い込んだかのような感覚になる。 というか、この作品は本当に何も語れない。何か妙な言葉を残してしまうと、それがネタバレになりかねない。叙述トリックというわけではないが、単にこれは私が口下手だからだろうか? 『クロック城』は積読を消化してから手をつけようと思う。残り四〇冊が睨んできているのに、私は後ろめたさを感じるのであった。 - 2026年9月27日
- 2026年9月10日
読み終わった先月のこと。ひょんなところからこの作者さんに中三の頃の作品を読んでもらって、的確な指摘をしていただいた。それがきっかけで、作者さんのデビュー作を読もうと思ったのが今月。 完全にやられたというのが、正直な感情。 00年代の作風にありがちなキャラクターはまだ慣れていないけれど、だとしてもファンタジー要素が全面に出ているせいかこれの宣伝としてあるダークミステリという部分をどうしても失念してしまっていた。ラノベを読むときは頭すっからかんにしてるので、やらかしたと思う。 感情移入までの布石をラスト五〇ページまで丁寧に、大胆に贅沢に敷いて、世界観を強調しながら、最後に一気にアクセルを踏んでいくのが見事。もはやラスト五〇ページのためにこの本を読んでも正直アリ。 ただ、どうしても下ネタとかは割と挟まってくるし、中古ばかりで新品は中々買えず、作者さんにお金が行くかも怪しい。 もし復刊(?)とかされるなら真っ先に買うので、頼むぜ電撃文庫……!♡ 読まれないであろうが作者の瀬那さんにも感謝を。最近の執筆の活力があの文章だけなのです。ですが本当に勇気を貰えます、ありがとうございます……。 - 2026年9月6日
夏と冬の奏鳴曲 新装改訂版麻耶雄嵩読み終わったさて、私はこの小説を自力で理解できたとは思っていない。解説も見ていない。他の人物の感想も、このアプリの簡潔なもののみを閲覧した。 それから寝起き。 私は色々書くけれど、そのどれもは、この小説の素晴らしさを表現できていないと、嫌ァな意味で断言できる。 構成にも触れるため、微ネタバレの香りを嗅ぐかもしれない。 久しぶりに、ミステリの真相にドキドキした。 まず、この作品には、探偵役が出てくるまでが非常に遅い。具体的に云うのならば、核となる彼の存在が初めてインクの上に立つのは表紙と、最後の二ページだけであり、それ以外では全く名前が言及されていないのだ。 探偵役は自ずと主人公になるのだが、自己を問う物語の都合上、彼もまた、抱える過去を考慮すると探偵として不適格になり、更に信用できない語り手という役回りに落ちてしまう。 この事件の探偵は、真の意味で存在しないのである。 その最後に現れる彼ならば、あの奇怪な館の惨劇を実際に解決して見せることも出来るはずだが、あえて彼を出さずして、事件を細部まで語り通したのは拍手を送らざるを得ない。 構成もどこか奇書的である。 五つ目の奇書としてこの小説が挙げられることは少なくないが、途中で別の本の引用が始まる点、視点人物が完全に三人称視点になり、映画の隅々を描き出して見せたり……果てはキュビスム、神性などの領域になり、物語は波乱を迎える。 こちらのすごいところは、若干理解しやすく仕立てているということだろうか? 同じ文章を繰り返したり、ある地点が視点人物によって強調されていたりと、そして全てを揺るがすために欠かせない要素であることは、云うまでもないことだ。 和音という存在が、至る所に散りばめられている。それは、和音館に齎された信仰であり、虚構であったことが実に虚しく描かれている。 感情的ではあるが、冷静な語り手。それに阻害されているだけで、かなり遅れて酷い結末に辿り着いた青春小説としても見れるのかなあ、などとも思ったりする。信仰の熱意や他の信者的な人物との関係性から、かつて和音やそのみんなが全てであった彼らがどれだけの人物であったかを推し量れるようになっている。 個人的には、和音は〇〇〇〇だったというのは納得できるが、他の皆様はどうだろうか? というか、これに関しては途中で予測できたことである。ミステリをちょっと読んでるだけでも、法則というのは読めるのだなあと思ったりした。 それでもなお、そこから繰り返されるどんでん返しと、最後の二章の終わりを見届けた絶望は揺るがない。三年前に読んでいたのならば、これを世界一の小説だと言い張っていたレベルかもしれない。 普通に感想を書くと、ネタバレになり得るので、少し気取ってみた。最後もさることながら、最悪の小説であったことは云うまでもない。最高の最悪である。麻耶雄嵩を許さない。愛してる。ちゅ。 この衝撃をリアルで語れる人間がいないことに寂しさを覚えながら、今日は出かけるために、ここで筆を止める。 - 2026年8月13日
古代エジプトうんちく図鑑芝崎みゆきまだ読んでる僕の本当の原初体験を挙げるのならばこのうんちく図鑑だと思う。 これを読んだときはまだ小学二年?それすらも行ってない頃だったけれど、この本がどれほどわかりやすいかは理解していた。 ツタンカーメンに魅入られて始まった考古学者の夢(ある日それは打ち砕かれるけれど──ミイラが怖過ぎて)の出発点。 全部が手書き?文字の新鮮な感じ。挿絵とか漫画のようなものをあってわかりやすい。 下ネタが好き過ぎて序盤から大爆笑。エジプト神話って汚いね……色んな意味で汚い。 あと著者さんの旅の話とかもあって、個人的にレーズン入ってるコーヒーかな?って飲んだらハエだった話がツボだった。 ファラオのことも詳細に解説している。そういうところもチェック! 古代エジプトのことをある程度知った上で(固有名詞とかざっくりとした歴史とか)読んだらもうすーごいよ。流石に二十年くらい前の本だから情報の違いもあるかもだけどね。 今も書店にあるのかな? 昔買ってもらったのを今でも読んでるから、よくわかんないや。 - 2026年7月22日
翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件麻耶雄嵩これでデビューしたのマジですか?となるレベルの意欲作にして問題作。ミステリ旋風が渦巻いても仕方がないほどの名手だと思い知らされる。 『夏と冬の奏鳴曲』と一緒に購入。どうせならデビュー作から読もうぜ!となりこちらから。もう片方は今読んでる途中。 あらゆる全てがどんでん返しされて、『虚無への供物』とか好きな人はハマりそうな内容。ネタバレにならない範疇での話ですが、解決篇は四回行われるが、そのどれもに説得性があって、どんなトンチキな解決もこの場所ならありえるな……と思える。ミステリにうってつけの舞台と難問。 次々と殺されていく城の住人たち、語り手香月と探偵木更津の会話、間に仕込まれる大伏線とどんでん返し。 もはや凄すぎて何も云うことは無いけれど、とにかく面白かったし、つまらないと投げ出したくなる人は最後の三〇ページまで耐え忍べ。絶対読め。 しばらく経ってからデビューした清涼院流水はキャラクターの味が濃すぎるけれど、ぶっちゃけぶっ飛び度は両作品あまり変わらない気もする。強いて云うのなら、麻耶雄嵩は正統派に加えた奇想、清涼院流水は搦手の多さと暗号、二人に共通するのは歴史が変わるほどの驚天動地。 『夏と冬の奏鳴曲』も、どんな衝撃が待っているのか、身構えながらページを捲ります……。 - 2026年7月22日
ダクダデイラ餅屋蛾読み終わった微ネタバレ注意モキュメンタリーホラーのリセット?が入った感覚。背筋や梨から始まったホラーブームも早二年、もしかするともっと時間が経ってるのかもしれませんが、書店を見るとホラーのコーナーには何々を探していますだとか、何々と住んでくださいだとか。テンプレート化されたホラータイトルがずらりと並んでいたじゃないですか。 多分それらの中には『近畿地方』に並ぶレベルのホラー作品もあると思うんですけど、ぶっちゃけホラーってこぞってやり出すと怖さみたいなのが半減すると思うんですよね。 商業的には正解なんでしょうけど、ここまで続くともうお腹がいっぱいと云った感じで。 そんなジャンルに震撼と休憩を挟んだ作品がこちら。 前々から異様な雰囲気にゾワゾワしていたけど、SNSに存在する都市伝説や呪いがふんだんに詰まっている。本を紹介している某氏で買う踏ん切りがついて、購入。 ひたすらに怖い読書体験をさせてもらった。言い表しようのない気持ち悪さと、ネット特有の遠慮の無さが逆に直接的な想像をしてしまう。 特に怖いのはそりゃあ最終章。今までに無かったレベルでの人間との分かち合いみたいなのが、無情にも潰されていくのが見ていて辛かった。 それぞれに思惑みたいなのがあって、あれは怪獣バトルに近いのかな? どうだろう……。 僕は一応物書きだから、「ほー!」と思ったところを書くと、過激な表現を削除するという表現方法。 まだ最後まで読んでいないよ、何を云っているんだこいつは、十分やばいじゃないか。という意見もございましょうが、原文──実在するかは知らないけれど、の更に過激な部分を[削除済み]みたいにして規制をかけている。 多分、あれ以上は怖くならない。あそこから更に描写してしまうと、返って陳腐になってしまう。あのギリギリの感覚が楽しくて読んでいたのかもしれない。 やりすぎない、エモすぎない。怖さに全振り、落ちるところはしっかり落とす。 嫌な部分はしっかり落とさないまま終わる……ホラーのお手本、これがR18じゃない世の中がどれだけ寛容か、という話でした。 この話をしている間も、窓から視線を感じます。 - 2026年6月23日
ディスコ探偵水曜日 下舞城王太郎読み終わった『ディスコ探偵水曜日(下)』読了 とあるDiscordサーバーから転用。 毎回言っているので友人から信用が無くなっていくけれど、本当に面白かった。 最近多くないですか? 面白い本……。 まあ面白い本に巡り会えているのは素晴らしいことなので、良しとします。 結論から言うと、従来の三冊に『匣』と『ディスコ探偵』含めて五大奇書というのも間違いではないのかもしれない、と思った。『ドグラ』のような精神や意識、脳に対する向き合い方だったり、『黒死館』(未読だけれど見聞で)のような衒学的な推理だったり、『虚無』のような推理合戦も、見応えがあって尚且つダレない。三作に漂う硬派な印象を、いわゆる舞城節で緩和していたり、ラノベ的な語り口調でポンポン話が進む。 荒唐無稽さに呆然としながら、ミステリ→SFの移行を済ませて、その癖に最後は愛が勝つみたいな構成にしているのが最高に憎い。好きになっちゃう。舞城さんの構成力が無ければ駄作扱いされていたし、こんなに話題にもならないと思う。 風呂敷を広げるだけなら、最悪、誰にでも出来る。例えば、未だに一作たりともまともに完結させられない物書きの僕が、『一年で一二〇〇個の密室で、一二〇〇人』を殺すという風呂敷を広げても、まともに回収できるとは思えない(この元ネタの『コズミック』も、素晴らしいトリックで解決していたが、完璧とは言えないですし)。並の作家には出来ない。 だが舞城は一味違った。風呂敷を広げるだけ広げて、このあとどうなってしまうのか──という疑念を抱いた瞬間に、持参してきたどデカい風呂敷で、広げた風呂敷を包み込んでしまった。まさにパックマンのように。 『余計な文脈』は存在せず、『全てに意味がある』。 「本当かぁ?」と思いつつ、ページを捲ってみると、全てが都合が良すぎるほどに当てはまって、それも気持ちの良いものだから余計に腹立たしい。中途半端ではダメな話だった。けれど、怯えずに最後まで書き切られた。 そこからまごうことなき最高のあの終わりに向かっていく流れも、感動的。決して全ての要素が足蹴にならないで、ディスコの背中をぐっと押しているように感じた。 論理をしつこいほどにほざきながら、その後ろにはいつだって愛や信頼、友情や悪みたいな心が隠されていて、時を超越してもそれは変わらない──。 間違いなく、四〇〇〇円払う価値はあったし、他の舞城作品に触れようと思う良い機会だった。 ただ、一点だけ注意してもらいたいのは、あまりに怒涛の展開が続いていくので、若干置いてけぼりにされてしまうこと。 中巻でかなり見られる図なんかで、割と理解しやすくなっているけど、ゆっくり時間が取れないと気になって夜も眠れぬ思いをする。一気読みがおすすめ、それか他の本と合わせて読むと、案外気が落ち着くかも。 そういえば、これは自語りになってしまうのですが、僕が読書を始めたきっかけは三年前、中学一年生の夏に読んだ『姑獲鳥の夏』で、本格的にどっぷりハマるようになったのは『カゲロウデイズ』だった。その後も『世界99』に脳を焼かれるなどして、濃密な日々を今まで過ごしているわけだけれど、そもそもの素養は、舞城作品にあったのかもしれない。 それは、小学校時代まで遡って、『ジョジョの奇妙な冒険』のスピンオフ作品・舞城王太郎『JORGE JOESTAR』だった。 清涼院流水に手を出したときに、九十九十九とかいう名前に見覚えがあったのも、今この作品を好きだと言えるのも、かつて僕に道を示してくれた舞城王太郎の小説にあったのかもしれない……。色々再読してみようかな、見えるものも違うかも。 てなわけで史上最強の小説との出会いと終わりでした。悲恋ですよ、私たちは。 - 2026年6月10日
ディスコ探偵水曜日 中舞城王太郎読み終わったとあるDiscordサーバーより転用 初めて感想を書きます。なのに何故中巻から書き始めるのか?──と申しますと、先ほど読み終わったばかりだからです。 この衝撃を吐き出したいがために、衝動的にこのサーバーに入ったくらいの、学生風情にはとんでもない感覚でした。とはいえ、まだ下巻を読んでいないので、読破されている方は暖かく見守っていただけるとありがたいです。 所感としては、「これはミステリではない!」です。もちろん褒め言葉の意味です。貶すためにサーバーに入ったわけではないのですから。 あらすじはちょっと面倒になってしまうので書けません。あまり夜更かしも出来ませんし、僕が書くとネタバレになりかねない。けれど、感想は少しずつ配慮できるように書きます。 ミステリの領域を超えて既知のミステリを圧倒的に置いて行ってしまっている。あまりにも解決がぶっ飛んでいる。上巻はいわゆる世界観説明も兼ねた伏線やら色々。それが、中巻のメチャクチャな展開にある程度の説得性を持たせているのが巧妙だと思った。 名探偵たちの多重解決も見事で、どれも「あれ、これが正解なんじゃないか?」というものばかりで、『パインハウス』の要素を隅から隅までしゃぶり尽くした約五〇〇ページ。これもまた上巻までで止めているが、『虚無への供物』の探偵役たちの推理合戦を彷彿とさせた。五冊目の三大奇書を呼ばれるのも、納得の面白さと難解さ。何度読み進める手を止めたのか数えきれない。 実際は世界観バトルそのものだったけれど、どれもが同じだけの強さを持つ推理で、どれもこれも不正解にするにはあまりに惜しい内容だったけど、最後の推理が一番ぶっ飛んでいて、あまりの強烈な『舞城ワールド』に溺れつつ、拍手を送りたくなるほどのメチャクチャ!──ここで言う「説得性」というのは、梢を取り巻く一連の騒動だったり、『パンダラヴァー』、『パインハウス』の事件と照らし合わせて、その程度に足る「過剰でなく、薄っぺらくもない」解決に送られる。 誤解を恐れずに言うなら、問題の出題者も回答者も全員イカれているので、全く問題が無い! むしろ、エンジェルバニーズと同じような反応をしてしまうこともしばしば。 下巻も噂通りのヤバさなら、今まで読んだ小説の中で一番好きまであるかもしれない。というか僕はメタミステリが結構好きで、今まで好きになっている小説は『姑獲鳥の夏』だったり『コズミック』だったりするので、その傾向はあると思う。 口がデカく、まだまだ作文能力も低いですが、とにかく面白い。 ここまでで四〇〇〇円の価値があると思いました。夜も遅いのでこれで終わりにします。おやすみなさい😪 - 2026年5月13日
読み終わった読了しました。 著者先生がこの投稿を見ていることは期待していないけれど、感謝を伝えたくなるほどの作品。 本当にありがとう……。 とんでもない衝撃を受けた。これがメフィスト賞かと、これが文学かと、これがエンターテイメントかと! 深夜三時、やっとの思いで読み終わって叫びたくなった。流石に近所迷惑になるのでやめた。 メフィスト賞は編集者に偏愛されるような『偏』の作品が多いけれど、これは偏の塊だ。いくつも重なった作中作、螺旋階段を降りつつ登るを繰り返す──他の作品には全く出来ない所業を為している。 構想としては、『ドグラ・マグラ』に若干近いけれど(何なら作中作という発想はそこから来ているらしいし)、それとはまた違う魅せ方をしている。 要は、前代未聞の作品構成であるということだ。 似る二つは、こんな構成に少し違いがある。 ドグラ・マグラ──記憶を無くした主人公が、精神科の『正木先生』の残した文書を畳み掛けるように見る構成。 女王陛下(略──記憶を無くした主人公が、恋人から渡された『女王陛下に捧ぐ、王家の宝の在処』という小説を読み、その中には作中作が多く差し込まれている構成。 『ドグラ』は一→二→三→四……のように、順々に別の物語が続いていくようだが、『女王陛下』は更に歪で、一→二→三→四←三←二←一……と具体的な作中作の数は考慮していないが、まさにマトリョーシカ(入れ子構造)のようになっている。更にこの中心に入ると、二から三に、三から二、二から四みたいなのが当たり前に出てくる。 物語が次々に入れ変わっていく、堂々巡りの大異例なのに、ページを捲る手が止まらない。物語の緩急がついているからだ。 例えば、物語四の佳境に入る前に、物語二が茶々や感想を入れるなどして、読む前のちょっとした休憩が挟まる。目まぐるしいので、集中力などの関係はほとんど無くなっていて、むしろそんな登場人物こそが、下の作品と一緒に読んでいる伴走者の役割を果たしてくれているから、むしろ勇気をくれると言っても過言ではない。 この通り、奇書的にも似て非なる作品でありながら、飽きさせない、読ませるための工夫を挟んでいる。 読むことが苦痛にならない。 少なくとも僕は、退屈したシーンを一つも感じなかった。 宗教の対立の描き方も秀逸で、主に反対者の側面に立って見ているが、完全なる否定までとはいかない。常に人物の思想は変化していき、諦観や理性とはまた違った姿になるのも見どころの一つだ。 後半に関しては、清涼院流水ほどでは無いけれど、賛否は分かれそうだなあという印象。 それを怒涛の展開と取るか、浮き足立っていると取るか……ちなみに僕は前者です。 今までにない小説、最近のメフィストは面白いのが続き過ぎている。 次に出る『大江戸フューチャーズ』にも期待が募るばかりだ。 - 2026年5月10日
- 2026年4月4日
人間に向いてない (講談社文庫)黒澤いづみ読んでる図書館で発見したので、ゆっくり通って読む。 100ページくらいまで読んで、うんうん、と頷くことばかりだ……。 すでにここまで読んでいる方がいれば意外かもしれないけれど、父親に共感した。 確かに、順風満帆に行くはずだった人生が、息子の不出来によって人目を気にするようになってしまう。 家族の体裁も、自身のものだとばかりに背負ってしまうのは抗えない負の感情だし、仕方のないと言うにはあまりに彼は酷い男なのだが、僕は彼に共感した。というか、登場人物全員の肩を持ってしまいたくなる。 僕にも「ユウくん」のような時期があった。 だからこそ、だろうか。 彼と敵対する者の気持ちも分かってしまうのだ。 まあ、全部読んでからじゃないと、断定は出来ないかな。 - 2026年3月29日
少女不十分西尾維新読み終わった曰く「僕はこれを書くのに十年かかった」。 強烈なキャッチコピーに惹かれて思わず購入──戯言シリーズを読み終わって、「西尾維新はこりごりだ!」と笑顔のまま書店に向かったらこの様だった。 気になる──そう思えたのは、間違いなく戯言シリーズや物語シリーズを読んでいたからだと思う。 というのも、西尾維新作品には、印象に残る少女がふんだんに出てくる。それらは正しく「不十分」と銘打たれても良いほどの、少女の登場ぶりだ。 そんな作品の著者が、少女という言葉をタイトルに入れている時点で、尋常ではないはずだ。 さて感想なのだが、やっぱり尋常じゃなかった。「この本に粗筋なんてない」やら「これは小説じゃない」やらと書いておいて、すっきりとして、またアクセルをギュンギュンと踏み続けるかのような爽快感で終われた。 Uという少女の奇妙な行動原理や、それに翻弄されながら適応していってしまう主人公。 「クビシメロマンチスト」のような、主人公のイメージが気味悪く崩壊していくのとはまた違う、ズレた人間を親身に描いているから、すんなりと受け入れられたし(まあ、西尾の話だし──というニュアンスで)、その目線に立っても異常だと言われるUの更なる異質さが、物語を構成している。 急激なアクセルという言葉は、良い意味でも悪い意味でも通るけれど、これはとても良いアクセルだな、と思った。 他の作品でも、素晴らしいドライブテクで、読者を振り回し続けてほしいと思える一作でした。 - 2026年3月25日
密室殺人ゲーム2.0歌野晶午個人的には、「王手飛車取り」よりも好き。 いやむしろ、「王手飛車取り」ありきの内容であったから面白いのか……。 この本は、「密室殺人ゲーム王手飛車取り」の続編であり、主人公五人が再び集い、密室殺人ゲームを繰り広げる内容になっている。 終わり方もさることながら、とにかく、前作の要素を取り込みながら、無理のある犯罪でも律儀に取り組んでいる。 物語を描くうえで必要なのは「客観」と「主張」だと思っているから、こういった厳密な議論を書ける人はすごいなあと思う。 「図書館の魔女」とか、「虚無への供物」とかもそれっぽいんだけど、これは全員が殺人鬼であるから、人殺しの観点から取り組んで、反論して、ゲームを盛り上げているのを見ると、作者が人を殺してきた帰り道に思いついたのではないか……と勘繰ってしまうほど練られている。 若造の感想なので、許して──僕はミステリをあまり読んでいないのだ。深く読み込めるほど、僕は読書家ではない。 これぞミステリー……しかし、長編のような要素を中編に収めて、それを一冊にまとめる。とても人の所業とは思えない。 「王手飛車取り」のラストに苦言を呈す声もあったけれど、この本のためにあのラストが用意されていたんではないか、と思えるほど、描き方が鮮やかで、潔い。 もし前作のみ読んだ方がいるのならば、ぜひ購読してほしい。ついでに言うと、前述の方ならば、この感想に「あれ?」と思ったのではなかろうか。 深夜の感想です。お手柔らかに。 - 2026年3月25日
世界99 上村田沙耶香かつて読んだ村田沙耶香の小説の主人公は斜に構えてる……というよりも、普通の人間とは別ベクトルで話が進むから、他の純文学とは一線を画す気がする。主人公が異常であることは、他の小説にも全然あり得ることなのだけれど、自身の特異性を認知しても訂正する気がさらさら無い、むしろ、現状にあまりにポジティブな印象がある。 ドス黒い闇の中でも、謎に自身の生き方に執着があるから恐ろしい。 けれど、この本はまた違う気がする──最近、冷笑という言葉をよく訊くけれど、村田沙耶香の小説は頻繁に、他人に対しての冷笑めいた描写がある。 でもこの小説は、本当に無関心、冷笑も起きなければ、自身を顧みて冷笑することも無い。ただ、思ったことを淡々と、感情を介せず、客観的に見ている。 感情の無い主人公……ベターだけれど、意外にも物語と噛み合っている。 如月さんの見ている世界と、SNSのアカウントの掛け持ち……物語の中で言えば、世界一、世界二、世界三みたいなのを誰でも持っていて、如月空子のような側面を誰でも持ってしまっているような節がある。 だから、この本は読者──社会に馴染んだ人物の暗示のように思えてならない。 主人公の何事にも無関心なのも、社会への適応や諦めみたいで、なるほど妙にリアリティがあるのはそういうことか! と思ったりする。 ピョコルンという生き物の役割も明快でわかりやすい。特に、上の後半で明かされる正体は「まあ、そんな気はしていたさ」という感じではあったけれど、それでも覆えない恐怖があって、下に手を出すまでかなり時間がかかった。 あくまで僕の想像でしかないのだけれど、それに深夜だから、よくわからない文章を書いているかもしれない。 でもこれは、コンビニ人間を超える、小説の新領域だと思う。 バチクソ高くてお財布がひいひいだったけれど、文庫化してから買うのがいいかもしれない。正直もう一万は払ってもいいなあ、と思う……そんな小説でした。 中学生活を彩った、思い出の一冊です。 - 2026年3月25日
文庫版 姑獲鳥の夏京極夏彦かつて読んだ僕が読書をするきっかけになった、原初体験。 「かがみの孤城」を読了し、呆然としていた中学一年生の夏、父に何か面白い本は無いかと問う。そうすれば、「京極夏彦がある。奥の本棚(父が学生の頃に読んだ漫画や小説が眠っている)から、勝手に取って読むがいいよ」と言われて、僕は小説という世界に狂った(父の言に、若干の着色はありけり)。 無意識と意識──事実を事実として描かれるミステリにとって、ほぼ禁断の題材(主観)──そのハードルを易々と越えた! アンチミステリ的とも言える。 僕はこの作品で下手なことは言えない。あけすけと言えるほど、僕には度胸が無い。 だからメチャクチャに言葉を濁してしまえば、この本は生きた死体のようなもので、自分の隣にスッと佇んでいるような……そんな本なのだ。 もうまともに読んだのも随分前だから、記憶が曖昧だ。 しかし、推理にとって知覚というものは、命綱でありながらあまりに脆い……そんなことの再確認をしているかのようだった。 ピタリピタリと収まるパズルではなく、どこにも無い、最後の数ピースがどこからともなく現れるような、そんな感覚に陥る。 人によってはこれこそ、読みにくい小説筆頭であるかもしれない。しかし、その盤石な理論と世界観に、為すすべなく惑わされてしまう懸命な読者になることは、至上の幸福だと思う。 そして、更にこの本を読む意義がある。それは、この「姑獲鳥の夏」から始まるシリーズ──「魍魎の匣」や「絡新婦の理」をふんだんに楽しめるようになるのだ(まあ、シリーズものですし、当然と言えば当然ですが)! どちらも、日本の小説の歴史に名を残す偉大な書だと僕は確信している。 ↑結局書評もどきになったじゃないか! - 2026年3月25日
コズミック 世紀末探偵神話 新装版清涼院流水かつて読んだメフィスト賞という文学賞は、「究極のエンターティメント」を目指しているらしい。エンタメ……故に、面白さが求められるのだが、これは間違いなく面白さに全振りした問題作。 ある意味、最高のエンターティメントと言える。このアカウントを作って、真っ先に感想を言ってやろうと考えるくらいには、この作品は「面白い」。 この本は圧倒的に長い。それに尻込みして、敬遠される方も多かろう。が、しかし読んだ人間を魅了する魔力が至るところに詰められている。 一年で、一二〇〇の密室で一二〇〇人が死ぬ──こんなの、面白くないわけがないだろう。 探偵一人一人のディテールも巧みだ。いわゆるキャラ小説の類なのだけれど、どれも魅力的であり、梗概にも名が載っている「九十九十九」の名は、嫌でも覚えてしまう。 僕は、トリックそのものには納得しかねるけれど、それでも、読み返す価値を与えて、退屈させないような小説という点だけで見ても、あまりにこの本は超越している。 思わず僕も、俳句を詠んでしまいたくなるほどでした(笑) ↑まるで書評みたいだな、と思いながら見直している。偉そうに! - 1900年1月1日
檻神館双極子殺人事件南海遊,清原紘読み終わった面白かった。けど忙しかった。念押しするけど、面白いと思ったのだ。 「これってどうなの?」と思ってネットでちょろちょろ感想見てって同じ考え方の人がいて安心したところでその人を盾にしてこうやって感想を書いている。 奇妙な館、謎解き、密室、双子。これらの要素は多分、ミステリ好きにはたまらないだろうし、「檻神」と「折り紙」をかけて演出しているのも楽しかった。 けれど、いかんせん要素が多いんですよね。もっと云うとページ数が足りない。全ての要素や書きたいことを詰め込むには、『ジョーカー』みたいにもはや鈍器くらいにしないと──って云うのは誇大表現だけど、目を向けるべき場所が多くてとっ散らかる。 全ての要素が整理されないまま、あるいは淡白か。そんな雰囲気で解決篇が始まるので、あのトリックの意外性みたいなものが削がれてるようでちょっと残念だった。 けれど、この館の魅力は尽きない。まさに折り紙、檻神館、折上家に相応しい真相だったと思う。 もしかしたら素早いテンポ感で書きたかったのかもね。スイスイ読めたから、単純に僕とこの作品の相性の問題だろう。 なんだかんだ云って、良作だ。批評するにも絶賛するにも、一読の価値はあるでしょう。それと、キャラクターの深さをもっと知りたいと思えたので、シリーズ化してくんないかな〜〜、どうだろう。という悩ましい感情の吐露でございました。 読み終わったのはいつだっけ。忘れたや。
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