

浮舟
@ukibune_1991
主に近代文学小説読んだりしてます。
ゲーム/アニメ/映画/音楽/小説/ファッション/香水
- 2026年3月11日
顔のない裸体たち(新潮文庫)平野啓一郎感想平野啓一郎は分人主義という概念を作り出したが、この作品にも当て嵌まる。文人主義とはあらゆる人間関係の中で、人は相手により対応を変化させるが、自己の中心には本心があるという感覚が定説となる。しかし、分人主義という考え方において、自己の中心に本心は無く、相手によって対応を変えている自分もまた、本当の自分であり本心なのだ。という考え方である。 主人公の吉田希美子(ミッキー)は教師の自分とネットの自分を分けて考えていたが、写真や動画を通して同一人物だと実感する。それは2つの顔がどちらも自分だという文人主義に当て嵌まる。この描写にはSNS社会に生きる者は思い当たる節があるのではないだろうか。 また、吉田は普通の人間であり、片原は歪んだ人間である。その歪みから吉田も変容していく過程が描かれている。普通と歪みという性質では歪みに引っ張られるのだろうか。 そして歪みから生まれた衝動は性に向けられているが、人によって様々である。例えば政治に熱狂して情報を精査せず偏見でバッシングを続ける人や、宗教にのめり込む人などあらゆる方面にいる。それらの歪さも普通の人を引っ張る性質があるのだろう。 この分人主義を確立する前の実験的な作品は、写実主義の技法を用いて、分人主義というシステムから現実とネット空間、普通と歪みという対比構造を生み出し哲学的な問いを投げかけているように私は感じた。 ただ、面白い作品かと問われたらうーんという感じではあるが、純文学とはそういうものである。 - 2026年3月9日
小泉八雲集(新潮文庫)小泉八雲読書日記小泉八雲ことラフカディオハーンの小説であり、翻訳は上田和夫。日本昔話でも主に怪談と小泉八雲から見た日本人について書かれており、雪女からろくろ首、耳なし芳一まで沢山書かれている。 幽霊、死霊、生霊、妖怪まで種類豊富で良い話から悪い話まで描かれており、昔の日本人がどのような美意識と価値観を持っていたのかが良くわかる。 また、上田和夫氏の翻訳は読みやすいが少し平坦な為、難しくても平気であれば岩波文庫の小泉八雲翻訳第一人者である平井呈一氏であれば幽玄的感覚を立体的に感じる事が出来ると思う。 小泉八雲さんには日本の美を再発見してくれた事に多大なる感謝を感じています。 もしこの小説が気になっているのであれば、非常におすすめ出来ますよ。 - 2026年3月9日
小泉八雲集(新潮文庫)小泉八雲読んでる381ページまで読んだ。残りは60ページほど。 明日には読み終わると思われる。この小説は手放す事は無いだろうし定期的人読み返すと思う。そう考えると小泉八雲さんには感謝しかない。 - 2026年3月8日
小泉八雲集(新潮文庫)小泉八雲まだ読んでるもう少し読み進めた。ろくろ首に雪女、耳なし芳一まで様々。小泉八雲ことラフカディオハーンさんが伝えてきたんだなと感慨深い。生霊に死霊、幽霊に妖怪。良い話から悪い話までギッシリだ - 2026年3月8日
小泉八雲集(新潮文庫)小泉八雲読み始めた日本昔話をまとめた小説。 昔は文字に魂が宿り、絵から描かれている動物が出てくるという概念に確かに!となったり、その頃から生霊もあった事に驚いた。 3分の1くらい読み進めたけど続きも楽しみだ - 2026年3月7日
古都川端康成読書日記古都 古都のあとがきにもある通り、川端康成が睡眠薬を多用していた時期であり、病院に運ばれ生死の境を彷徨い目を覚ますと、どんな物語を書いていたのか覚えていなかったらしい。 そんな珍しい作品ではあるが、古都自体も少し風変わりであり、川端康成の特徴である"見つめる"行為と極めて"受動的な態度"が主人公には無い。 雪国の島村、山の音の信吾、千羽鶴の菊治、眠れる美女の江口、彼等はみな主体的に動かず、相手を手に入れようとしない。しかし、古都では千重子が苗子に対して複雑な感情から養子として来ないかと誘っている。この主体的な行動が川端康成の中で異質である。川端康成の虚無の中にある温かさが睡眠薬によって表れたのか、それとも女性だから自己投影しなかったのか理由は不明である。 また、生き別れの双子である千重子と苗子には身分の違いがあり、教養も異なる。苗子の希望と身分の違いから生じる絶望の狭間にいつも通りの幽玄な世界が広がっている。 古都は温かさと切なさが同居している奇妙でもあり、複雑でもある不思議な作品だ。 またいつか読み返してみたいと思う。 - 2026年3月6日
千羽鶴川端康成読書日記千羽鶴・波千鳥 千羽鶴は川端康成の特徴である虚無と幽玄、業を見事に表現している。 川端作品に登場する主人公は美しい者を見つめるだけで自らの意志で手に入れようとしない。 千羽鶴もまた、主人公は動かず、周りが忙しなく動いていく様子が映し出されている。 菊治はちか子の誘いで茶会に参加して稲村ゆき子を紹介された時に偶然太田夫人とその娘、文子と出会う。 ちか子は菊治のお世話を忙しなく行い、太田夫人は愛嬌で近付き、文子は菊治に寄りかかるように近づいて行く。 菊治は彼女達を美しいと感じながらも手に入れようとはせず、ただ見つめるだけで彼女達は苦しみ死んで行く。そして菊次も自らの元を去った彼女達の幻影を見て苦しみ涙する。 このように自己が虚無であり、ただ美しい者を見つめるだけで手に入れようとせず、失われた何かに対して言葉に出来ない感情という名の幽玄が宿る。千羽鶴はそういう類の作品であり、川端の魔界とはこのような感覚なのだと思う。 また、千羽鶴の面白いところは、主人公が菊治なのか、茶器なのかが分からないのところである。 太田夫の黒織部、太田夫人の志野焼茶碗、太田文子の志野焼の水指、菊治父の唐津茶碗。 この茶器達の長い物語に彼等が居たのか、彼等の物語に茶器があったのか。現実なのか茶器に宿る記憶なのか分からない前衛的な作品であると感じた。 千羽鶴は未完作品ですが、むしろそれが好みです。川端作品の中でも特に読んで良かったと思いました。 - 1900年1月1日
眠れる美女川端康成かつて読んだ老人と美女、死にゆく者と生命の輝きを放つ者。 老人は美女に触れる事で生の交流、生の旋律を味わい生の回復に至る。 美女の放つ生命に老人は跪き祈る。 そのあまりの生の奔流から支配と破壊衝動に駆られてしまう。しかし、なにもしない。 これは生に嫉妬しながら生に焦がれ支配と破壊する事で自身の老いを否定する感覚だろう。 眠れる美女は生と死、美と醜、虚無と破壊から対比を描き、人間の性と倫理から起こる背徳感という業を描いた作品となっている。 まさに絵画的な芸術作品。 - 1900年1月1日
山の音川端康成かつて読んだ山の音は虚無と死の匂いが漂い続ける作品だ。 主人公である尾形信吾の"山の音を聞いて死期を告知されたと感じる"という冒頭から始まり、栗の木から栗が落ちた。日まわりが風で折れた。夢で死者と会ったなど死が日常に漂っている。 尾形信吾は老いと死の予兆から息子の嫁である菊子の生命力に魅了されてしまうが、決して自分からは悟られないように過ごしていた。 また、家族にも様々な不幸が訪れるが、尾形信吾は何もせずただ見つめるだけであり、家族はじわじわと崩壊の一途を辿る。 山の音は生と死の対比、人間の業を見事に描き、 その日常で起こる静かな地獄の世界を覗いているような感覚になる。そこから生まれる感情は複雑で言葉では表せない。これこそまさに幽玄的な作品である。 川端康成の最高傑作の一つだと私は思う。
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