死んでしまう系のぼくらに
36件の記録
惰眠@damin__4162026年2月16日読み終わった多くの詩人たちは、宇宙や未来や自分や自分の本棚を見つめて詩を作ってきた。それもいいだろう。 でも、最果さんは、みんなとみんなが住んでいるこの世界を見つめて詩を作る。 そして、それを、ぼくたちみんなに、届けてくれるんだ。 ── 高橋源一郎(帯コメントより) 友人が死んだことを知った2日後に読了。 友情とか愛とか、私の中身はぐちゃぐちゃになっている。 その報せを聞いた直後は悲しみだった。 泣いて、泣いて、泣いて、目をパンパンに腫らした。 しかし、数日経つ頃には怒りが湧いた。 どうして彼が死なないといけないのかと。 そんな胸中、本棚から手に取ったのは本書だった。 自棄になっていたのかもしれない。 「どうせ最期には皆死ぬのだ」と、ぐちゃぐちゃになったまま夢中になって読んだ。 白い骨、愛、言葉は色彩。 愛されたがっているようで、“好き”から一歩退いているような、臆病な、そんな詩が好きだった。 夜道で家まで送ってくれるような彼との時間は心地よく、それが性欲によるものだったとしても、純粋な男女の友情だったしても、本書はやけに彼を思い出させるのだ。 月並みな言葉だけど、優しすぎたのだ。 詩にもあるように、世界を、私を恨んでくれたのなら、まだ生きていてくれたのかな。 いや。結末は変わらなかったのかな。 だってこれは私が楽になるための思考だから。 どうか、生きていてください。 それだけでいいので。
よしかわ@yoshikawa2025年12月17日読み終わった君はプラネタリウムの投影機の上に座ってる。君の形に沿って星は死んでいく。君が座ってるから死んでいく。 それを君は気付くことができない。ぽっかりと黒くなった夜空ばかり気になって、悲しくなって、泣いてしまって、投影機にうずくまる。 君は顔を覆ってるから気づかない。さっきよりも、もっと星は死んでいることに。 そんな感じの読了感だった。初めての最果タヒ作品。浴槽に全身を浸からせて、何もない天井をぼんやりと眺めたくなった。
たにこ@chico75_114272025年12月13日読み終わった私達は言葉の為に、生きているわけではない。意味の為に生きているわけではなくて、どれも私達の為に存在しているものなんだ。(あとがきより) 死と愛と孤独と希望とetc…をごちゃ混ぜにして最果さんの言葉にのせて紡がれている感覚がする。嫌いだけど好き、孤独を感じるけど愛されてる、矛盾してるようでしてないような、そんな複雑な感情を詩として表現されている。 人の感情は千差万別で複雑で、誰1人全く同じ感情なんてない。それが良いのかもしれない。



ゆい奈@tu1_book2025年3月15日読み終わったお風呂読書父(詩人)に23時から詩を書くので起こしてほしいと頼まれ(隣の家が実家)、ついでにお風呂をつかわせてもらおうといそいそ向かったはいいものの、『三四郎』を持っていくことをすっかりと忘れ、父の本棚を物色し、最果タヒをお風呂で読むことにした。 「言葉は、たいてい、情報を伝えるためだけの道具に使われがちで、意味のない言葉の並び、もやもやしたものをもやもやしたまま、伝える言葉の並びに対して、人はとっつきにくさを覚えてしまう。情報としての言葉に慣れてしまえばしまうほど。けれど、たとえば赤い色に触発されて抽象的な絵を描く人がいるように、本当は、「りりらん」とかそんな無意味な言葉に触発されて、ふしぎな文章を書く人がいたっていい。言葉だって、絵の具と変わらない。ただの語感。ただの色彩。リンゴや信号の色を伝える為だけに赤色があるわけではないように、言葉も、情報を伝える為だけに存在するわけじゃない。」 タヒさんのあとがきの言葉、全て引用したいくらいよかったな。詩のなかでは「きみはかわいい」という作品が好きだった。そういえば結局父は起きなかった。締切に間に合うのだろうか。『三四郎』を読んで寝る。










日々@hibi2025年3月6日かつて読んだ『きみを追って死ぬことも、だれかを生むことも、なにもその非現実にむすびついていかないあいだ、星が巡る。血が巡る。息をして、風が通る。葉がおどる。わたしという存在について、きみは知っていましたよね。わたしは知らなかったんです。なにも。』 ぼーっとしてるとき思い出す文言。

































