ブルシット・ジョブ
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リーリーマン@taninu0072026年6月17日読み終わった@ 自宅ブルシット・ジョブをしながらブルシット・ジョブを読む 主たる論点は個人的に「労働を通して大人になる」どこまで信じてられるのかが重要なのかな
J.B.@hermit_psyche2026年5月31日読み終わった本書を読むという経験は、単に一冊の労働論を読むことではない。 それは現代社会が自らにかけている巨大な催眠術の構造を観察することに近い。 デヴィッド・グレーバーが本書で試みているのは、「なぜ人は働くのか」という経済学的問いへの回答ではなく、「なぜ人は意味のない仕事をしながら、それを当然だと思い込めるのか」という文明論的問いへの解剖である。 そして本書の真価は、労働市場や雇用制度への批判そのものではなく、人類が数世紀にわたって築き上げてきた価値体系の深層にメスを入れた点にある。 グレーバーの議論はしばしば誤解される。 彼は「この仕事は不要だ」と断罪することを目的としているわけではない。 むしろ彼が問題にしているのは、人間自身が自らの仕事を無意味だと感じているにもかかわらず、その感覚を公的には否定し続けなければならないという奇妙な精神構造である。 ここで彼が発見したのは経済現象ではなく認識論的現象である。 すなわち現代社会は、現実そのものよりも制度によって維持される虚構を優先する段階に到達している。 企業が存在するのではなく企業という物語が存在し、組織が機能するのではなく機能しているという演劇が存在し、人々は価値を生産するのではなく価値を生産しているように見せることに従事する。 この意味で本書は労働論である以前にシミュラークル論であり、ボードリヤール的な現代性批判の実践的民族誌として読むことができる。 興味深いのは、グレーバーがマルクス主義者として読まれることが多いにもかかわらず、本書の洞察がマルクスよりもむしろウェーバーやカフカに近いことである。 マルクスが資本主義の問題を搾取に見出したのに対し、グレーバーは無意味性に見出している。 ここには決定的な転換がある。 十九世紀の工場労働者は過酷だったが、自分が何を生産しているかは理解していた。 しかし二十一世紀のホワイトカラー労働者は快適なオフィスに座りながら、自分が何を生産しているのか分からない。 搾取の問題は依然として存在するが、それ以上に深刻なのは存在論的空洞化である。 人間は疲労によってではなく無意味によって破壊される。 この発見は現代の精神疾患の増加や慢性的な虚無感を理解するうえで極めて重要である。 本書を読んでいると、労働そのものに対する近代社会の宗教性が浮かび上がる。 グレーバーが本当に攻撃している対象は資本主義という経済システムではなく、労働を神聖視する信仰体系である。 近代人はしばしば自らを合理的存在だと考えるが、労働に関する価値観だけは驚くほど神学的である。 人は苦しまなければならない。 暇であってはならない。 何らかの役割を演じ続けなければならない。 こうした観念は市場原理から導かれるものではなく、むしろ禁欲主義的な宗教倫理の世俗化された残骸である。 本書が暴いているのは資本主義の非合理性ではなく、近代社会そのものが宗教的神話によって支えられているという事実である。 特に優れているのは、グレーバーが「人間は本来怠惰である」という古典的な保守主義的前提を完全に覆している点である。 彼の観察によれば、人間はむしろ意味ある活動を求める存在である。 創作、発明、教育、介護、共同体活動など、人は何かを生み出し誰かの役に立つことに根源的な喜びを感じる。 だからこそブルシット・ジョブは苦痛なのである。 もし人間が本当に怠惰な存在なら、何もしない仕事は理想郷でなければならない。 しかし現実にはそうならない。 ここでグレーバーは人間観そのものを書き換えている。 彼にとって自由とは労働から解放されることではなく、自分が意味を感じる活動へ向かう能力なのである。 さらに本書の恐るべき点は、それが単なる社会批評に留まらず、現代民主主義の病理にまで接続していることである。 無意味な仕事に従事する人間は、自らの人生が他者によって管理されているという感覚を蓄積する。 その感覚は怒りとなり、やがて政治的不信へ変換される。 グレーバーは明示的にはそこまで論じていないが、本書を読み進めると二十一世紀におけるポピュリズムの台頭や制度不信の背景が見えてくる。 社会が人々に意味を提供できなくなったとき、人々は物語を求める。 そして政治的極端主義はしばしば失われた意味の代用品として機能する。 ブルシット・ジョブは単なる職場の問題ではなく、文明の意味供給システム全体の危機なのである。 もっとも、本書は学術的厳密性という観点から見ると弱点も抱えている。 グレーバーの議論は証言と逸話に大きく依存しており、統計的検証は十分とは言えない。 彼の類型論も経験的分析というより思想的モデルに近い。 しかし興味深いことに、この欠点は本書の価値を大きく損なわない。 なぜなら本書の重要性は数量的な正確さではなく、今まで言語化されていなかった感覚を概念として定着させたことにあるからだ。 社会を変える書物は必ずしも完全なデータから生まれるわけではない。 しばしばそれは、人々が既に感じていた違和感に名前を与えるところから始まる。 『ブルシット・ジョブ』という言葉自体がその役割を果たした。 最終的にこの本を読んだ後に残るのは、「どの仕事が無意味なのか」という問いではない。 本当に残るのは、「なぜ我々は意味を失った制度を維持するために人生を消費しているのか」という問いである。 グレーバーは仕事の分析を通じて、近代社会が人間を目的として扱っているのか、それとも制度維持のための部品として扱っているのかを問うている。 だから本書は労働論でありながら、実質的には自由論であり、人間論であり、文明批評である。 その核心にあるのは極めて単純な命題だ。 人間は生きるために働くのか、それとも働くために生きるのか。 この古典的な問いに対して、グレーバーは二十一世紀の官僚化された資本主義社会を舞台に新たな形で挑戦している。 そして本書の真の価値は答えにあるのではなく、その問いを現代人が再び真剣に考えざるを得なくなる点にある。 読後、世界は以前と同じように見えるかもしれない。 しかしその世界を支えている前提は、もはや以前ほど自明には見えなくなっている。 その認識の揺らぎこそが、本書が読者にもたらす最も本質的な知的体験なのである。
本棚のすきま@maa2026年5月30日買ったいろんな本に引用されているので、ずっとタイトルが頭の片隅にあって。紙の本も今後いつ値上げされるか分からないから、もう気になってるなら買っちゃえー!と思ってポチりました。 届くのが楽しみ!!だけど、この著者の本は、「万物の黎明」も長らく積んでるんだよな、、いつかちゃんと読みます、、いつかは、、
yoshi@yoshi2026年4月5日読んでる全くもって意味がない、私がやめたところで、この仕事が存在しないところで社会にはなんのデメリットもない、むしろ存在しないほうがいいだろ、と感じるブルシットジョブについているとはどういう感じか。著者のグレーバーに集まったたくさんの経験談が興味深すぎる。よい報酬を受けているにも関わらず、早々に辞めてしまう人、「家族のためだ」と割り切って耐える人など。 特に、耐えているケースが興味深く、なんとか仕事中の自由時間(1日数時間の仕事で十分なケースがあるが、それでも忙しいふりをしなくてはいけない)を活用してネットサーフィンする人、「これは意義がある」と感じることをやる人など。「意味のない」仕事で得た報酬で生活を継続しつつ、報酬は少ないかゼロだが意義があると感じる活動をする場合など。 「お金がもらえればいいだろ」というシンプルな話ではなく、ブルシットで受けた精神的なダメージを他でどう回復させるか、という。 「この仕事をすることでこんな価値があるんだ」と思えることの(金銭的報酬とは無関係な)精神面の支えの重要性など。
よなよな読書@shogakun2026年3月28日読んでる文章は少し冗長な気もするが、あ〜分かるな、と随所に思わせられる。 意義を感じる仕事でめちゃくちゃ忙しい状態よりも、意義を感じる仕事ができなくて暇な状態の方が辛く感じることがある。 経済学の一般的な考え方においては、なるべく少ないリソースでなるべく多くのリターンを得ることを人間は目指すとされており、それがゆえに、ブルシットジョブが取り沙汰されてこなかった、という考えは、なるほどと思った。
yoshi@yoshi2026年3月27日読んでるどう考えても必要のない仕事(ブルシット・ジョブ)があったとして、読んでいくと「今後そういうのAIでなくなるのでは」と思うし一定の仕事はなくなりそうだけど、それでも、全部のブルシットがなくなると路頭に迷う人が増えることにもなり、そうなると支配者からすると脅威(反乱など)にもなる。だからブルシットジョブをつくり続けるか、富の再分配をベーシックインカムとかで実現するかしないと社会のバランスを維持できないのかもしれない。 気になるのは「この仕事は不要だ」と本人が思っていても「ちゃんと報酬があって生活できればいいのでは」と思ってしまうが、そこはやはり人間として「無意味なことをする」という精神的苦痛があるのだろうなと。
yoshi@yoshi2026年3月27日読んでる企業には受付があったほうがいいよね、社長はもちろん、その補佐、部長、部活など、社会的に「こういう人員がいたほうが見栄えがいいよね」みたいなものがあるとすると、それらは「こういう仕事が必要だから雇う」ではなく「こういうポジションが必要だから」で雇うことになる。仕事内容は事後的に生み出される。人員構成ありきで、職務内容はあとで二次的に生み出されることで、そこにブルシットが入り込み余地がある。社会的ステータスを保つために空虚なポジションを生み出す。 とはいっても、経営陣が「これ不要では?効率化できるやん」と気づき、それらの“取り巻き”を解雇したとして、それらを失った偉い人たちが「取り巻きなしの自分」に耐えられるかどうかというのがあるのか。うーぬ
Ⅲ月@yomiii2026年3月21日読んでる管理職などの上の立場の人間の権威を保つためのブルシット・ジョブ。 「管理職があまりにも忙し過ぎて/偉すぎて、部下が必要だ」というストーリーのために人員が採用されるが、実際はその人員が忙しく働いている間にやることのない管理職がゲームをして暇を潰している、と……。 なんてアイロニックなんだ……。
🌜🫖@gn8tea2025年10月31日気になる『現代思想 統治vsアナーキー』 「政治学者が読むグレーバー ウェイバー・ハイエク・グレーバー ──官僚制と新自由主義をめぐって」 野口雅弘 p96 「グレーバーが指摘するのはまさにそうした、競争原理を軸とする改革の問題です。たとえば彼は『官僚制のユートピア』において次のような重要なテーゼを打ち出しています。「いかなる市場改革も、規制を緩和し市場原理を促進しようとする政府のイニシアチヴも、最終的に帰着するのは、規制(regulations)の総数、お役所仕事(paperwork)の総数、政府の雇用する官僚(bureaucrats)の総数の上昇である」(13頁)。競争原理を導入すればするほど規制が増え、ペーパーワークが増え、そして官僚の数が増えていく。この議論はもちろん、後の『プルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳、岩波書店、2020年)につながっていきます。」
ぼっけ@bokeh2025年3月10日かつて読んだ誰もがブルシット・ジョブと内心思ったことがあると思う。 まるで鈍器のような厚さの負債論に比べれば薄いけど、十分分厚い・・ 管理部門で働いているせいか、沁みるような内容でした。




























































