むらさきのスカートの女

42件の記録
- みんみん@min-min2025年5月25日読み終わったまずふつうは「むらさきのスカートの女」のような人物とお近づきになりたいとは思わない。そこからして異常なのだが、ページを追うにつれ、「わたし」自身のオカシさが増していく。ちょっと気がふれた人のSNSを追いかけるような居心地悪さ。読者自身も「黄色いカーディガンの女」のストーカーさせられてたってことかな?
- ゆうひ@hnaf_yh2025年5月3日読み終わった<わたし>の執着心が怖かった。コンビニ人間を読んだ時のような異質さを覚えた。 "だから、もう一度つまんでみる。今度はもっとしっかり、爪が鼻の頭に食い込んで血が出るくらいまで。"
- まりりん@mariring_10152025年4月26日読み終わったものすごく普通の日常の中に ほんのちょっとだけ 何かがズレると こんなに不気味な展開になるのか? そしてこの 『むらさきのスカート』 私はフレアスカートを想像して読んでいたけど 最後の方で もしかしたらタイトスカートだったのかも? と思い始めた。 どうでもいいんだけど。
- nami@sun_jbm2025年4月18日読み終わった始めは「むらさきのスカートの女」が不気味な存在であるのに、途中からは主人公の異様さが際立っていてある意味ホラーのようだった。怖い。気持ち悪い。でも、面白くて読み進めてしまう。そんな感じ。あれほど執着していたにも関わらず、「むらさきのスカートの女」が失踪した後は興味を失ったようだったのも怖かった。主人公は如何にして「黄色いカーディガンの女」になったんだろう。
- 夏しい子@natusiiko2025年3月29日かつて読んだ今村ワールドに引き込まれる作品。 最初はむらさきのスカートの女と黄色いカーディガンの女が早く友達になったらいいのにと思って読んでいたが 黄色いカーディガンの女の恐ろしさが読むほどに加速する。 ある意味ホラーかと思うような怖さと色々な背徳感を感じドキドキしながらページをめくるのが早くなる小説だった。
- タム@tumn_2025年3月23日読み終わった裏表紙のあらすじから、漠然とユーモア有りのほっこりストーリーかと思ったら、読み進めていくうちに段々と不穏な空気が漂い始める。 ストーリー自体も面白かったが作者のあとがき、心情がかなり自分と似ていて、他の作品も読んでみたいと思った。
- yu@meeea012025年3月10日読み終わったこれぞ純文学だな― この不気味さ、「普通」がじわりじわりと形を崩し、静かに軋むような違和感。 なのに、それが妙に心地よいのだから、不思議でならない。 どう考えても、「わたし」こそが最も異常で、最も狂気に満ちている。 けれど、その異様さがかえって滑稽で、どこかコミカルで、気づけば何度も笑ってしまった。 ふと、思い出す。 あのドラマのオープニング。『TRICK2』 卵の殻にゆっくりとひびが走り、こぼれ出るのは黄身かと思えば、紫―― ありえぬ色が、ありえぬはずの美しさでそこにあった。 自分の中に根を張る「普通」や「常識」。 それが導き出すはずの結末を、するりと裏切る価値観の提示。 その瞬間にひらく違和と驚きこそ、純文学の醍醐味なのだと思う。 かつての自分なら、純文学の面白さなど微塵も理解できなかっただろうと思う。 今も同じように感じる方がいるかもしれない。 そんな方のために、私が敬愛する平野啓一郎さんが語る、純文学とエンタメ小説の違い、そしてその定義についての一節を引用したい。 何かの参考になれば。↓ 「その上で、僕の思う定義を敢えて言うと、読み終わったときに何かすごく大きな認識や価値観の変化があった、というのが純文学作品に求められるもの、コアにあるものだと思います。今までの自分の価値観に抵触するために、考え込んだり、抵抗を感じたり、その世界と自分との間に葛藤と緊張関係を持ちつつ、それを咀嚼しようとして、読むのに相当な時間がかかるものだと思います。 エンタメの場合は、一つのエンターテイメント世界として完成されていないといけない。あまり価値観自体を破壊するようなプロットになると、ややこしい思弁的なところに引っかかり、ページをすいすい捲くることができません。だからある程度、読みやすさを前提とする必要があります。それが純文学側から見たときに、「通念的で物足りない」という評価になるのかもしれません。ただ、目的が違うとも言えますしね。......」
- うみぶどう@umibudou2024年1月23日読み終わったかつて読んだ序盤では「むらさきのスカートの女」と呼ばれる奇妙な人物を観察する「わたし」という構図だが徐々に「女」の特異性は薄れ入れ替わるように「わたし」の狂気じみた部分が表出する。色々考察できそうな作品。柔らかな文体と不穏な描写の組み合わせが面白い