タケチ カツエ
@katsue
- 2026年9月17日
やさしいがつづかない稲垣諭読み終わった読みやすい哲学書をと思って手に取った。 やさしい語り口(ここにもテーマのやさしいが出る)だが、やさしいは痩せるを語源に持つ、くみし易いそういった制圧的な意味を持つことにまず驚きの発見。 自分が疲れたり弱ったりするとき、自分より弱い人を攻撃する、というかフリーライドをしていると感じる人を総攻撃する場面によく会う。かつてわたしもよく攻撃していた、ついこの間まで。 でも戦火の下にあるガザに大きな憤りと悲しみを感じるし、ネパールの災害も熊本の災害も我が身の快適さに申し訳なく思い、何かできないかと寄付をしたりもする。 そのアンバランスさを、自分でもとても持て余していた。ここをとてもわかりやすく説明してくれる。 人は生まれながらにカインドネスを持っていて、それを育てる環境があるということ、憎しみの感情は実は優しさの感情の数倍根強いものだと巻末に書いてある。 絶対の善を自分は持っていると信じているなら、是非に読んて欲しい本である。 わたしは出会えてよかった。 - 2026年9月6日
春にして君を離れアガサ・クリスティー,中村妙子クリスティ作品としては異色と、ずっと昔から知っていたものの、単なるセンチメンタルな小説と思い込み手に取らずにいた。 何故か書店で読んでみようと手に取ったが、これはとても怖いミステリーだった。 クリスティの中では一番かもしれない。 なぜここまで意地悪いくらい、主人公ジョーンズを追い詰めたのか、クリスティ自身がかつての自分をジョーンズに見たからかもと推測した。 ジョーンズのような女性は今もいる、というか増えているような気がする。 自分の判断見方を一神教のように、かたくなに持ち続けて、決してその範疇から出ようとしない人。だからここまで追い詰めなくてもいいのにと思ったけれど、ありふれた人間近な人だからこそ、気をつけなさいあなたもそうかもしれない、気づいてないのかもしれないと、警告を発しているのかもしれない。 巻末の解説は栗本薫氏、彼女の夫がロドニーは嫌なヤツと評したと書かれていたことに、はっとした。たしかに、一番嫌な人はロドニーかもしれない。プアリトル、ジョーンズ。この本を読んでますますクリスティを好きになった。 - 2026年8月28日
新装版 子どもの頃から哲学者苫野一徳読み終わった哲学について知りたいと、ずっと思ってた。難しそうな本を買ったり、実際の問題に落とし込んだ悩み相談に哲学を使って考える、なんて本も読んでみた。でも頭に入ってこない、わからない。 本なときにこの本に出会った。 あ、、あ、あ〜。わたしも同じような気持ちになったことあるあるある!ううう、痛い感じも同じだ!そして随所に出る哲学者たちの言葉は、実に的を射ている、射すぎるくらい。 結論、読んでよかった、買ってよかった。 わたしはすでに成人式を3回迎えているが、どうして若い頃哲学を勉強しなかったんだろう。あの頃、わかりやすい入門書が今ほどなかったなあと思い起こす。 これを足がかりに、竹田青嗣の本にも手を伸ばしてみたいと思う。 - 2026年8月20日
限りある時間の使い方オリバー・バークマン,高橋璃子読み終わった素晴らしい!図書館で借りた本だが巡り合えたことに感謝する。 単なる時間管理の本かと思っていたが、哲学者からの引用や、目からウロコの気づき(しかもそれは自分も体験済み)でストンと懐に落ちた。 なんと時間管理には自分の限界を知ること、諦め、忍耐、目的を持たない時間が大切、そもそも管理するものではない、できるものではないという考え方だ。 結婚を先延ばしにすることも、自分にふさわしい仕事を求め続けることも、実は求道ではなくただの妥協でしかないという事も驚きの発言だ。 忙しさはアルコールのように依存性があるというのも、わたしにも覚えがある。 何か特別なタスクを遂行しているような高揚感が得られるのだ。でも現実の性活の問題も仕事も何も進歩はないというか満足がえられなかったのだから。 そもそもわたしがどう生きようと、宇宙どころか日本の本の1秒にだって影響は与えないのだから、さあ、一つずつささやかだけれど大切な、地味な事に時間を費やそう。それがちっぽけなことでもわたしに大いなる満足を、生きる実感を与えてくれるだろう。 - 2026年8月11日
一番大切なのに誰も教えてくれない メンタルマネジメント大全ジュリー・スミス,野中香方子読み終わった樺沢紫苑の本の中、でおすすめの本として紹介されていた。 それぞれの項目、不安を感じているときとかモチベーションが上がらないとき、自信をなくしているときなどそれぞれの苦しい場面での対応が書かれている。 単純なハウツー本ではないことはじっくり読むとわかるが、翻訳特有の繰り返しや一文の長さが少し読みづらさを感じさせる。しかし実行するには十分値するし試してみないと勿体ない。 わたしも自分が最も消えてなくなりたいと思う過去の記憶、それに向かっての内省を試みた。 いや、たしかに苦しいけれど本に書かれたように自分に繰り返し問いかけてみた。きちんと答えられなかったし、逃げ出したい気持ちにはなったが、やってみる前よりなんだか自分を好きになれた。 - 2026年8月9日
掌の小説川端康成三等待合室 この小説も「古本食堂 新装開店」のなかで知ったもの。 森瑤子の小説と対比しての紹介だったが、読後暫く考え込んでしまった。 森瑤子の一等待合室は、すんなり懐に落ちるような感じがあったが、これは謎が多いと思う。 男は三等待合室ではなく、普段は一等もしくは二等の常連だったのか。読みはじめ、わたしはこの男は二等もしくは一等がふさわしいと思う女性を、崇めて憧れをもって好きになったのだと思っていた。しかし読後、この男は自分のステータスに近い女に、安心して逢引のスリルや情欲を持っていたのかもしれないと思えてきた。 巡礼に出る高齢者夫婦に、人生の重みを感じたのにそれは犯罪者の逃亡姿だったのと同じく、同じステータスだから安心していた恋人が、まさかずっとつましい生活で自分をだましてひとときの夢をみていたのか、もしくは自分のもつ財力のオーラに好意を持っていたのかと思い巡らしたかもしれない。 しかし、それではあまりにも今まで情のない逢瀬の時間ではないか、嘘でも真でもひとときの夢としようという話ではないかと受け取った。 - 2026年8月7日
指輪森瑤子この中の一章、一等待合室。 古本食堂新装開店に載っていた短編小説。 こういった夫婦の倦怠を書かせると、森瑤子の右に出る人はいない。林真理子の「不機嫌な果実」もこの小説の前では陳腐なコメディに見えてくる。 今の夫婦ならSNSで相手の悪口を口汚く罵るか、自分は可哀想な被害者と、書き連ねるか発言するか…。 おそろしいくらいの無関心や裏切りも、宝石のような輝きや憧れさえ漂わせる。 情事の誘いをかけてきた男が、すんでのところで未遂になる結末に、残念な表情に本の一点のシミのような安堵感を見せる所、それを見逃さない女の観察眼。短編ながら緊張感が漂う作品だ。 - 2026年8月7日
三日坊主でも英語は伸びる清涼院流水ラジオ英会話でコラムを書いていたことから、名前を存じ上げていた。 毎日ラジオ英会話のシャドーイングや書き取り、英訳を義務付け、準一級用単語帳もタスクにしていたから、単語が滞ってとてもブルーな気分だった。 これを読んでまた取り組もうと思えたことが、最大の収穫。 必要な本は本棚で一番目立つ場所に、も目からウロコだった。 当たり前のようなメソッドも、知っているよと言いながら実行する人がどれだけいるか…。 まず英文暗記。これは中学生の時に塾の先生から毎回宿題にされていた、これを再開しようと思う。 あと、学習記録、これはとてもいいと思う。 - 2026年8月6日
読書脳樺沢紫苑樺沢紫苑の本を続けて3冊読んでいる。 子供向けアウトプットの仕方の本から興味を持ち、もっと読書を効果的にしたいと思いよんだ。 一番の学びはスキマ読書の大切さだ。 つい、まとまった時間がないと読書はできないと思いがちだったが、たしかにスキマでかなり読書時間を作ることができた。 そしてアウトプット。 今はこのReadsにしか記録はしていないが、振り返りができて頭に残りやすい。 また難しい問題は寝る前に解くとか、ふさわしい本の選び方、何を目的とするのか、今自分の理解度はどの程度なのかを見極めるというのは、知っていそうでできていなかった。 つい難しい書籍を手に取り積読になってしまっていた。 これからさらに脳のパワーを大きくすべく、おすすめの本を読んでみようと思う。 - 2026年8月6日
読書脳樺沢紫苑買った - 2026年8月6日
読書脳樺沢紫苑 - 2026年8月5日
終わった人内館牧子正直、ここまであがく人はいるのかなというのが第一感想。 最後に、故郷で誰かに尽くしたいという気持ちになったことは共感できる。 ただこれも社長業がうまくいっていれば、決して思わなかったろう。 妻に経済力がある設定は、反発持つ人もいるかも知れない。しかし、この設定でなければ、主人公がここまでさまよい自分の思いをあれこれ巡らせたりする余裕や動きができなかったろうと思うから、必要な設定だとおもう。 同級生が一つの人生を終えて新しい生き方を皆が見つけているのは、とても恵まれた人だと思う。自信が努力した結果が、こんな会社人生だったのかとあったが、真の努力の成果は、この同級生たちと出会えたことだと思う。 - 2026年8月2日
古本食堂 新装開店原田ひ香「古本食堂」の続巻が文庫化された。 「古本食堂」は知っているお店と本の組み合わせがとても良く、自分自身が神保町を散策している気分にさせてくれた。 今回も変わらない空気で楽しんだ。 中でも昭和56年の暮しの手帖の章はこころに残った。 昭和56年といえばわたしは16歳、毎日母の弁当を持っていった。 母はこの小説の母親とは違って、料理は大好きではなかったのだといまは思う。 冷凍食品のおかずではあったが、小さな家族経営の商店の主婦としては、忙しい毎日の中頑張って作ってくれたのだと思う。 時におかずが2種で、それが数日同じメニューで続くとき、疲れてるなら学食もあるからと言っても、絶対作って持たせた。 あれは母の意地だったのか。 わたしも35年家族と自分のために弁当を作り続けてきた。家族のために料理することは、わたしにとっては楽しみでもあったが、母にとってはどうだったのだろう。 ただ高3のとき、毎日果物が入るようになり、後に母に聞くと受験勉強頑張ってほしかったからと答えてくれた。 その母も今は物語の女性の母親と同じく認知症になり、施設で穏やかな日々を過ごしている。母のお弁当は一度も写真に撮ったことはない。母にお弁当のおかずのメニューを話したら、果たして思い出すのだろうか。 覚えてくれていることより、わたしが覚えていることが大切なのだと思う。
読み込み中...