

遷子
@msenko1367
乱読書虫。
- 1900年1月1日
浮世奉行と三悪人田中啓文また読みたい田中啓文「浮世奉行と三悪人~大塩平八郎の逆襲」(集英社文庫)読了。シリーズ完結編とのことですが、一番ええとこ持っていったぞ蟇五郎!!!くーっ!かっこええ!!!やっぱりガマはええよねガマは😙😙😙最後はジャズ大名をも彷彿とさせ、こうなったら"明治編"も読みたいよなぁ。 加似江さまを筆頭に、どうせ元気に長生きする人らばっかりやから(笑)作者が二休みぐらいしはってからぜひお願いしたいものである。私はとにかく大尊和尚作"合体変形飛び出すロケットパンチ付き空にそびえる黒がねの"大仏が見たいのだ。ほんで雀丸に操縦してほしい(主人公大迷惑)。 スズメルマ、さりげにどんどんカッコようなってるし、鬼御前&烏瓜のカップル?の行く末も気になる。こんなとこで終わられても困る。幸い続けようと思えばなんぼでも続けられるように書いてあるので(こら)気長に期待せずに待っていようと思います😁 …にしても、今回の蟇五郎のあの台詞のカッコよさは、風太郎「柳生忍法帖」の十兵衛のあの一言に匹敵する。 ほーんま、惚れ直したよ( *´艸)( *´艸)( *´艸) - 1900年1月1日
落語少年サダキチ(さん)朝倉世界一,田中啓文折りに触れ読む★大好きシリーズ。同作者のもう一つの落語作品よりこっちの方が好きです。 田中啓文「落語少年サダキチ」(3さん)読了。なんというか、正統派の"イケメン"揃いである。粋梅がカッコよすぎるのは当然として😙腹がすわった時の忠志、ねじり鉢巻のその父、その父とがっぷり四つ相撲の母、そして『タダッチは、そんなしょうもないことに関わったらあかん。けどなぁ…マネージャーの俺が許さんのや』……なに、なんなん、真一!?なにそのイキナリのイケメン炸裂!?……そして、その真一の煽りを食らったのか、〈解説?〉扉の九雀さんの似顔絵までもがイケメンに。 ほんま、これほどステキに嫌味なく落語の楽しさを教えてくれる作品もないと思う。全国の小中学校、図書館に置いてほしい。で、この本で軽く洗脳してからビデオ落語上映会など教室や体育館でしてみてほしい。(もちろん生もええけど、生は当たり外れが…以下略) なんかもう、どっしり安心して楽しんでしまっているので、感想がしょーむないですね。すみません。ええ落語はほんまええよ。粋梅師匠、生で聞きたかったなぁ…😚 - 1900年1月1日
韓国現代詩選〈新版〉茨木のり子折りに触れ読む★当時まだ新版が出ておらず、古本で見つけた時は嬉しかった。 茨木のり子「韓国現代詩選」読了。紹介された詩は勿論、付記された詩人紹介文がまた味わい深い。『この人(黄明杰)に限らず、韓国の詩人たちの大きなテーマの一つは、生きることへの鼓舞であり、それが常に長鼓チャンゴのように鳴っている。それだけ暮らしはくるしいということだろうか』 『韓国のある新聞記者に会った時、かなり年配の人だったが、「詩人!おお、頭が痛い!」と日本語で叫んで、ほんとうに頭をかかえてしまった。それは、かわいいけれど処遇に困る息子を持った父親のごとくであった。難解さゆえの頭痛ではなく、詩人の存在そのものを「頭が痛い!」と叫ばしむるのは、すばらしいとも言える』 この本が出版されたのは30年前だが、当時の韓国の本屋には日本とは比べ物にならない大きな詩集コーナーがあり、著者が羨ましく思うほど老いも若きも夢中で読んでいたのだそうだ。中にはノートをとる学生もいて、買うには高価すぎるのかな…と思っていたら、ある大学教授が教えてくれたところでは、それは自分の好きな詩人の、特に好きな詩だけを集めて、自分一人だけのアンソロジーを作るためにしているのだと。 『韓国のひとびとの詩を好むこと尋常ならず』 もっとも現在ではその限りではないようなのだが、そうはいっても映画「詩人の恋」で見たように、深く根付いた詩や詩人に対する思いはいまだ消えてはいないように思われる。 これだけ韓国文学が注目され、まして茨木のり子は日韓共に人気があるそうなので、この本も文庫なりなんなりで再版されるといいのにと思う。良い詩は何度も何度も読めるものだし、読めるべきものだし、読みたくなるものだ。 - 1900年1月1日
増補新版 韓国文学の中心にあるもの斎藤真理子また読みたい斎藤真理子「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス)読了。韓国ドラマ映画がお好きな方にもぜひ読んでもらえたらと思う素晴らしい力作。韓国の小説も詩も少しづつ読んできたけれど、未読の作品は勿論、既読の作品も改めて読み直さなくてはと思った。 『中上健次は(略)朝鮮戦争について「ああ、なんでこんな大事な大きな悲劇を知らなかったんだろう」と述べた。このナイーブな言葉は、韓流ドラマやK-POPが日本中に行き渡った今でも、あまり変わらない響きをもっているのではないだろうか』 朝鮮戦争に限らず、本当に自分の知らなかったことの多さ(その意味の深さ)に呆然とする。 『韓国映画を見ているとときどき、最後まで救いのないストーリーや、いわゆる「いたいけな」登場人物が最終的に助からないラストシーンを目にして、たじろぐことがある。だが現実は、救いようのない死の蓄積の上に今があるのであって、作家に限らず、韓国の表現者たちには、それをしっかり 受け止めた上で物語を見わたす胆力のようなものが備わっているのではないかと思う』 韓国における『救いようのない死の蓄積』がどのようなものであるか、私には全くわかっていなかった。しかしこの「胆力」はどの作品の端々にも感じていたように思う。 折りに触れ何度でも読み返し考えたい本です。 - 1900年1月1日
ガレス・エドワーズ自伝: 現代ラグビーで最も完壁といわれた男ガレス・エドワーズ,神谷美江,菊山栄折りに触れ読む★旧Twitterからの転載 ラグビーW杯が近づいてきたので、大好きな本を御紹介。前にも紹介したのですが、「ガレス・エドワーズ自伝〜ウェールズの名SH」(ベースボール・マガジン社)です。古本でしか買えないと思いますが、ユーモアと詩情あふれる簡潔な名文で、この機会に重版にならないかしらと思わずにはいられません。 『ヒューは歩数を数えて後ろに下がり、息を深く吸ってゴールを見上げる。今思うと、あの時にはヒューのお母さんもつき当たりの家の中で、ボールがまたもや自分の庭に落ちてくる瞬間を息をつめて待っていたことだろう。』(*街灯をゴールポストとして設定。街灯の向こうに友達ヒューの家があった) 『夕方いつまでも遊んでいて、あたりが暗くなってくると、近所では有名な父の口笛が鳴り「ガレス!家に戻れ」と呼ぶのが聞こえる。「お父さん、今決勝のゴールを狙うところなんだよ」と叫び返すと「わかった。それじゃあ、あと五分だぞ」と父はいつも寛大だった。』 『しかし父がもう一度呼べば、それはもう待ったなしで、異議を唱える余地はなかった。』 この自伝には著者のお父さんをはじめ、カッコイイ大人がいっぱい出てくる。 『学校で何かの表彰式がある日など、運動場はロールスロイスで埋めつくされる。そこに私の父の乗ってきたモーリス・コウリィが一台まじる。父は自分の車がロールスでないことを誇りとしていた。』 そして、校長先生はというと… 『さてガレス、君は他の生徒が自分よりラグビーが下手だからといって見くだしてはいかんぞ。それから君の父親が炭鉱夫だからといって、他の生徒が軽蔑したら容赦するなよ』 好きなところを書き抜いているときりがない大好きな本です。 - 1900年1月1日
海女たちホ・ヨンソン,姜信子,許榮善,趙倫子折りに触れ読むホ・ヨンソン(許栄善)「海女たち〜愛を抱かずしてどうして海に入られようか」(新泉社/姜信子・趙倫子訳)。詩集を読む時には気合がいる。私は詩がわかる人間ではないからだ。それでいつもなんとなくパラパラとめくってみて開いたページの詩をまず読んでみる。 『愛しい愛しい娘たち 五歳になったら 父は娘を膝に座らせて 膝を叩いて 民謡や野辺送りの歌を教えました 聞いたそばからすらすら歌う末っ子 十五で仮設劇場の舞台に上がり 「行く春来る春」の歌さながらに 歌って憂いを晴らしたのです』 『あの冬、笛の音が風のように吹き 荒れ渡る海に遥かな道を開きました 雪はしんしんと降り 降ってはちりぢりとなる 岩場の隙間へ あの冬 死者たちの体を隠して歩いた 若い父 十六で海女になり 野辺送りを歌うとき 大きな心を持ちなさい 海ほどの心なくして どうして歌で弔いができようか』 『海ほどの心なくして どうして歌で弔いができようか』 詩がわからない人間をも引き込む力が詩にはあり、またそういう詩が好きである。 また語り芸にも惹かれているので、これはパンソリの世界だろうな…と素人心に思ったら、翻訳者が鼓師かつ脚本家の方であった。 やはり詩というものは世の中にないといけないものだと思う。自分には作りようのないものなので、余計にそう思うのだが。明日から読み始めます。 『海ほどの心なくして どうして歌で弔いができようか』 ええなぁ。とことんミーハーで申し訳ないけど。 ホ・ヨンソン「海女たち」(姜信子、趙倫子訳/新泉社)読了。済州島についての本を数冊購入したので、これらを読んでから再読する。もう少しだけ深く読めるようになるだろう。詩に描かれた海女たちは、みな優しく、たくましく、勇敢で、『かっこいい』。ミーハーはミーハーらしい言葉を使う。 『さあ、すべての準備はととのった 出陣を前にした選手のようだ あたしかい? ほんの六十年ばかりやってきたさ!』 かっこいいでしょう?としか言えない。 - 1900年1月1日
目くらましの道<上>ヘニング・マンケル,柳沢由実子折りに触れ読むヘニング・マンケルをまた最初から読み直している。ヴァランダーというおっさんを見ていると、私はつい笑ってしまう。まずオペラ大好きな熊なのである。その巨大熊が、悩んだり(熊の苦悩)、激怒したり(熊の激怒)、反省したり(熊の反省)、しかし彼は真摯である。本当に真摯なのだ。 「ピラミッド」読了。北欧ミステリーで自分にしっくりくるのはマンケルだけなのだが、なぜかという説明は難しい。ヴァランダーというおっさんもめんどくさい奴で、どこがいいのかと聞かれてもこれまた説明が難しい。しかし好きである。面白い。 「ピラミッド」収録「ナイフの一突き」。22歳のヴァランダーはやはりめんどくさい男であった(笑)。が、その父共々なんか面白いのだ。『運ぶの手伝おうか?』『いいや、警察の世話になどならん。それはそうと、近いうちにポーカーをしに来い』…なんや、この会話(^_^;) 久々にマンケルを読んで、その筆力を思う。訳文がまたとてもいいのだろうけど。分厚い1冊だが、じっくり楽しめそうで嬉しい。そしてもう新刊が出ることはないのが寂しい。 - 1900年1月1日
手/ヴァランダーの世界ヘニング・マンケル,柳沢由実子また読みたい「ヴァランダーの世界」を読んで、マンケルのストイックさに敬意を表するとともに、それでもよぉ…とつぶやいてみる。 『残念ながらヴァランダーはあまり本を読まないのではないかと思う。読むとしても詩などは読まないだろう。だが、たとえば歴史本は読むような気がする。(続)歴史上の事実が書かれた本とか、歴史を題材にした小説とか。それと、シャーロック・ホームズは昔から大好きだったのではないかと思う』 いえー!!!( ・∀・)ノ全く同感!!! 『彼がこれからどれほど生きるか、私は知らない。それは彼自身が決めることだ』 引退後のヴァランダーって、夢でモルフェウスに会ってるような気がする。愛犬ユッシと一緒に。なんか「サンドマン」の世界に移ってきても違和感ない気がするんよね、あのおっさん。 うん、それいいな。そうしよう。(手段を選ばぬ) - 1900年1月1日
増補 光州事件で読む現代韓国真鍋祐子また読みたい真鍋祐子「増補 光州事件で読む現代韓国」(平凡社)読了。光州事件だけでなく、韓国に関心を持つ人全てにとって非常に興味深い内容だと思う。そして「光州518」「タクシー運転手」「1987 ある闘いの真実」これら3本の映画が、この本に書かれている〈変遷〉を見事に描き出していたな…とも思った。『(追悼から始まった)五月行事の集会でシュプレヒコールをあげる、いまや老いた遺族たちの姿をみると、なぜだか痛々しい思いにさせられる。彼らが本当に叫びたいことは、スローガンなどでは決してない…(略)おそらく彼らの関心は、ただひたすら死者の恨(ハン)に思いを致し、すくいあげ、これを解いてやることに傾注されるのである。まずは事件の真相を追究し、死者に代わってその名誉を取りもどすこと。……』『〈冤魂〉を〈英霊〉に、〈暴徒〉をば「民族」と「民主」と「自由」を愛する平和の使徒に。(続)かような転轍の契機となったのは、しかしながら確固たる政治思想というよりも、むしろ「冤魂たちが安らかに眠れる」ことを願うばかりの素朴な民情ではなかったろうか』 3本の映画の中でこの思いが最も素直に感じられるのが「光州518」だと思う。事件から時が経つにつれ当然そのアプローチの仕方も変わってくるはずで、今の観客には客観的で洗練された「タクシー運転手」の方がより『しっくりくる』のではないか。しかし、少なくとも私が見返したいと思うのは〈下世話〉な「光州」の方である。作品の出来不出来ではなく、〈悼む〉という思いにさせられるのは、やはり〈身近な〉人々を〈内から〉描いた「光州」なのである。この本を読んで、ものすごく腑に落ちた気がした。(部外者の勝手な思い込みかもしれないが) まぁ、私の浅薄な感想などどうでもいいが、韓国初心者にも分かりやすい力作であり良作だと思う。この著者の著作は全て読んでみたいし、韓国の民族芸能にもますます興味が湧いてきましたよ😆 『数々の悲劇は歌となり、芝居となって語り継がれる』…その文化が今も脈々と受け継がれている国であるらしい。 - 1900年1月1日
鍋奉行犯科帳田中啓文折りに触れ読む田中啓文の<鍋奉行>シリーズが大好きだ。とにかくおいしそうなもんを、皆がひたすら幸せに食べまくっているのがいいのだ。 いきなりですが「ひばりチエミのおしどり千両傘」。この映画のキャスト(監督はモチロン沢島忠)でこの「鍋奉行」シリーズを映画化してほしかった。ああもう最高に楽しかったやろなぁ…。皆して走り回って、食べまくって、歌いまくって(笑)。正月映画にピッタリやったのに。 作者さんは続きが出ますよと仰ってたんやけど…気長にお待ちしてます😚 - 1900年1月1日
保健室のアン・ウニョン先生チョン・セラン,斎藤真理子また読みたいとにかく導入がうまい。この軽やかさにはどんな人でも引き込まれてしまうだろう。同作家の「屋上で会いましょう」でも思ったけれど、翻訳者のお仕事ぶりがまたすばらしく、そこにも韓国小説の勢いを感じる。 作者があとがきで『ただ快感のために書いた。快感を感じとれなかったら私の失敗』とまで書いているが、文句なしの大成功なのである。ちぇー(笑)。飄々とした鉄板のエンタメでありながら、底にしっかりとしたごつい根があって、この面白さは恐らく何度読んでもすり減らない。 そして登場人物の言動に好きな韓国ドラマのキャラを思い出したりもしてしまうのだが、それは彼らに<人間としての真っ当さ>が共通しているからなのだ。韓国の作品は愚直なまでに、この<人間としての真っ当さ>を描いていると思う。少なくともそれがあるからこそ人間だと信じているように思われる。 『世の中が公平でないとしても、親切心を捨てたくはなかったからだ』 こういう人たちの物語である。別に登場人物の誰も綺麗事は言っていない。だが、こういう人たちの物語をこんな楽しい形で読むことができるというのは、なんと幸せなことだろう。 - 1900年1月1日
クリスマスのフロスト フロスト・シリーズ (創元推理文庫)R・D・ウィングフィールド折りに触れ読むクリスマスというと「フロスト警部」なんだけど、クリスマスじゃなくても“クリスマス”的な話が多いと思う。ほんわか暖かかったり、クスリと笑えたり、そしてどうしようもなく胸が痛かったり。どっちかというと辛い話の方が多い。それでもフロストの『なぁ…』って呼びかけを聞くと嬉しくなる。 職場でやりきれないことが起こった時はフロスト警部全巻を読む(全巻読んでしまうんですよ!)。彼の置かれている立場は、ク●ったれ上司も含め、どれもこれも身に沁みてわかることばかりで、そんな中での彼の言動は私の憩いであり理想である。 まさに私のバイブル。 - 1900年1月1日
四書桑島道夫,閻連科また読みたい★原語で読了。 人間がどんどん壊れていく様を”自然に”描いていく描写力と、それが醸し出す地の底からの振動のような圧迫感、不気味さ、迫力が何かを彷彿とさせるなと思っていたが、ボレロだ。もっと土臭く、泥臭いボレロだ。 麦を大きく育てるために自分の血を体中から絞り出したり、遂には人肉食が始まったりしているのだが、描写はあくまで淡々としている。静かな狂気というのか、それが当たり前のような底冷えのする恐怖である。 読了。最後の最後で「きた」。ユダ的役割の<作者>が物語を支え、やはり<孩子>が津波の如くみな持っていった。この小説にはアメリカの大学教授の長い序論がついているのだが、その一節。”孩子的背景我们一概不知。他悄悄地来,却轰轰烈烈地走”。……“轰轰烈烈”にも程がある…。 <作者>の台詞。“坟阵也要走。死人堆里也要走,过去坟阵死人堆,就都回家啦”。 『<孩子>のことは我々には一切わからない』。そして死屍累々。…乱暴だが、こういう小説だ。もはや何と言っていいやらわからない。ただ、<作者>の言葉と、”他悄悄地来,却轰轰烈烈地走”という一節は忘れない。 - 1900年1月1日
網内人玉田誠,陳浩基また読みたい★中文小説は原語で読むことにしている。翻訳を読んでも結局原文が気になって読んでしまうからである。陳浩基の中文は本人が意図しているだけあって非常に読みやすいので中国語勉強中の方、ぜひチャレンジしてみてください。 さて、作者はとことん真っ当なオタク(ロマンティスト)である(笑)。「13・67」は連作構成ということもあってあまり目立たないが、この人の作品はジェットコースターの登りが長い。もちろんゆっくり登りながらも全く退屈はさせないのだが、いったん下りに入ると、えらいスピンを見せながらどんどん加速していく。しかし柱は真っ当なオタク・ロマンティストなので、最後は笑ってしまうほど願った地点に着地するのである。この「笑ってしまう」というのは貶しているのではなくて、同類として「とてもよくわかる」という意味である。一番爆笑した部分は書かないでおくが、私は作者のこの「ひねくれてなさ」がとても好きである。人間性および社会についての洞察、その真摯な描写に胸をつかれつつも、「だからこそ」の阿涅であり、阿怡である。ザックリ言うと「13・67」+「山羊獰笑的剎那」=「網内人」。3冊セットで読むとわかりやすい(?)かな。私が良しとする部分を嫌う人もいるかもしれないが、まぁそれもよくあることである。『何回読んでも居心地よくて面白い』というミステリを書く作家は自分にとってとても貴重で、陳浩基に出会えて本当によかったと思う。中国語もベンキョーしといてよかったね(笑)。 阿涅はまぁイメージしやすい(理想的)キャラだが、問題は阿怡である。非常にリアリティがあるとも言えるが、小説のキャラとしては非常にイラーッともさせられる。「健気」で「行動力がある」けど、阿涅曰く『ものすごく切れるかと思えば、ものすごくアホなことを聞く』……ここ。小説の、特にミステリのキャラは、一般人でも現実よりは数割り増し賢くないと、ほんまにイラーとしてしまう。テンポが悪くなるから(笑)。阿怡はギリギリのラインである。魅力的な女優さんが演じてくれればいいけど、下手に演られるとただ鬱陶しいだけ…という危険性大のヒロイン。でも彼女なりの魅力や面白さもあって、そこは大好きなので、ほんまに困ったなぁ…と(笑)。 ★阿涅に多額の借金がある阿怡。返済方法は「臓器」もしくは「体を」売るの二択しか思いつかない。……ので、事あるごとに。 『……や……やっぱり、臓器を売るか…体を……😭』 『そんな洗濯板、誰が買うか!』 『超めんどくさい奴』と思いながら、面白がる阿涅の気持ちもわかる(笑)。 - 1900年1月1日
夜と霧ヴィクトル・エミール・フランクル,ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子折りに触れ読む今まで読んだ本の中で、「苦海浄土」と並んで一番美しい本ではないかと思っている。 私が持っているのは旧版だが、忘れられない言葉(場面)がふたつある。 『最も善き人は帰ってこなかった』 そして収容所に捕われた人が過酷な労働の後、虹を見て言った言葉。 ここには書かない。壮絶なまでに美しかった。 - 1900年1月1日
ディオゲネス変奏曲稲村文吾,陳浩基読んでる読んでいるのは原語版(サイン入り!)。ちょびちょびと楽しんで半分まできました。今のところ「時は金なり 時間就是金銭」がお気に入りです。この作家らしい鮮やかさ。 - 1900年1月1日
- 1900年1月1日
めんそーれ!化学盛口満読み終わった大学の時、一般教養で化学をとった。数学&物理よりはまだ苦痛が少ないと思ったからである。そしたら、その化学の授業がとても面白かったのだ。今にして思えば、見るからに『理数なにそれ?』な連中を前にして先生はさぞ苦労されたことであろう。もはやよく覚えていないが、分子についての話であった。何が面白かったのかも忘れたが、初めて化学を面白いと思った。なんとテストで78点もとったのだ。人生初の快挙。「めんそーれ!化学」は、あの(一瞬の)楽しかった思い出を見事によみがえらせてくれた。全国の"ゲッチョ先生"本当にありがとうございました。 (案の定、肝心の科学的内容はすぐ忘れてしまうのだが)
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