カナシイホトケ

47件の記録
JUMPEI AMANO@Amanong22026年9月17日読み終わった就寝前読書@ 自宅寝付けなかったので残り三篇も読んでしまう。 〈なぜ、自分は彼らのようにロウソクの燃え具合が示唆する未来を信じることができないのか。〉(226頁) 〈この土地には、見えないものに対して〝祈ることができる人たち〟が確かに存在している。祈り続ける理由がこの土地に生きる彼らの中に確かに存在している。〉(227頁) 〈遠い昔、祭りが祭りであった頃、そこには祭りを行う確固たる理由があった。五穀豊穣、家内安全、疫病退散といった願いを前にしたとき、人は祈るよりほかなかった。祈りだけがよすがだった。祭礼はそうした祈りに少しでも近づく時間だった。〉(242頁) 最後に引用されていたお婆さんの一言、重たかったな。
JUMPEI AMANO@Amanong22026年9月17日まだ読んでる@ 自宅今日は午後休とってたけど風邪気味なので休み休み四篇読んだ。 〈この土地では、成人することなく逝ってしまった子供のことをカナシイホトケと呼んできた。〉(164頁) 〈この土地に暮らす人はこうして海が運んでくる匂いや色に染まりながら一生を過ごしているのだと思うと、永遠とはこういうものかもしれないと思えた。繰り返し、繰り返し、生まれては消える人の一生が風や土の一部となっていく。それがずっと続いていく。〉(184頁) 〈土地に受け継がれてきたお盆の営みとは特定の誰かのものでなく、誰のものでもある物語なのだ。〉(215頁)
JUMPEI AMANO@Amanong22026年9月16日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅今日は二篇読む。「彼」とカエルの話はなかなかに衝撃的だった。 〈僕はいつしか、彼らを伝統の守人のような感覚で捉えることはしなくなっていった。そして、人という生き物には、衝動的であれ、過去を脱ぎ捨てて新しい世界へ向かおうとする意志が備わっているのではないかという思いを深めていった。〉(130頁) 〈彼の言葉を聞きながら僕は少し異なることを考えていた。それは、〝時の忘れ物〟のように存在していたあの古民家に身を置いて、そもそも未来を作っていくことができるのかという問いだった。〉(141頁)

JUMPEI AMANO@Amanong22026年9月15日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅今日も一篇。 〈数百年にもわたって必要とされてきた「役割」を終えるのだ。ある意味、成就ではないか。ただし、その一方で、祭礼を失った人たちがもしも再び祭礼を必要としたとき、かつてのような豊かな祭礼の世界を作ることができるのだろうかという問いも残る。〉(113頁)
JUMPEI AMANO@Amanong22026年9月13日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅今日も三篇読む。明さんの話、赤倉霊場の話、良かった。 〈今を生きている人が「生き直す」ということはどういうものなのだろうか。〉(66頁) 〈誰が受け継がれてきた営みを前にして、「役割を果たした、もう十分なんだ」と声を掛け、見送るのだろうか。〉(89頁)
JUMPEI AMANO@Amanong22026年9月12日読み始めた就寝前読書お風呂読書@ 自宅名著『庭とエスキース』、『動物たちの家』著者による最新作。相変わらず美しい文章、写真。まずは三篇読む。 〈あの日、僕が感じたのは人の死の見えなさと、いなくなってしまったあとの空白の重さだった。そこにいたはずの人がもういない。淡い影さえもなく空白になってしまった。でもなぜか、ヨシノリちゃんがいない空白の場所はずっしりと重く、温度さえも帯びているようだった。これを〝面影〟と呼ぶのだろうか。〉(27頁)

ON READING@onreading2026年6月19日読み終わった@ ON READING『庭とエスキース』『動物たちの家』が当店ロングセラーの写真家、奥山淳志による、北辺の地で死者と共に生きてきた人びとの営み、その地で己の魂と向き合い祈る人の姿。東北の風景と人の語りが抱く死者たちを想い、今日の死生観を問う17篇。 奥山さんの文章は、どうしてこんなに惹き込まれるんだろう。一気に読むのは勿体ない、と毎夜ちびちび読んで、ついに読み終わってしまった…。 岩手に移住後、カメラを携えはじまった東北の祭礼への旅。そこで目の当たりにしたのは、遠い時代の人が創り出し、信じられてきた、神々や仏を迎え送る豊穣な物語が役割を失い、消えゆこうとしている光景だった。 イタコ習俗、赤倉霊場のカミサマ信仰、賽の河原と呼ばれる岬、秋田のやまはげ、オシラサマ、さまざまな土地の盆の行事など、そうした祭礼の細部にもまして強く印象が残るのは、そこで出会った人々の姿と、語られた言葉たち。 放浪の末に茅葺の古民家で暮し始めた「彼」。病を経て「カミホトケ」の信仰の道に進んだ「明さん」。津軽の地蔵堂で出会った老婆ーー。 今という時代と遠い時代の間で揺れながら、それぞれの人生と、祈りの営みが、幾重にも重なる土地の記憶のなかで巡っていく。 ゆれるロウソクの光、明さんの笑っているのか泣いているのかわからない表情、里から見える魂のあかり、忘れられないシーンがいくつもある。 死ぬことと生きること。彼らのように「祈る」ことができない現代の私たちは、どうやって土地と共に生きていくことができるのだろうか。




























































