身体の美学入門 感性から捉えなおす人間の本質 (中公新書)

40件の記録
だるま@daruma_01062026年9月6日読み終わった「美しい」「醜い」は自分の感覚でありつつ所属する環境の社会的な通例に大きく依存すること、それを超えた逸脱的感性も存在すること、等々学ぶことが多い本だった。自分には逸脱的感性が発揮される(理由はわからないけど心奪われる)ことががあまり無いなあと思う。 山は日本では山岳信仰があるように偉大で美しい存在だけど、ヨーロッパでは昔は醜さや人間の罪の象徴だったという話が印象に残った。- Sept-six@biblio_stn2026年9月6日読み終わった借りてきた美学の概観、大まかな落とし込みができたので良かった。 ブラックカルチャーを扱った3、4章に力が入っている印象。 確かに例として挙げやすくわかりやすいのだろうとは思うけど、この手の話は他書でも頻出しているから切り口変えても良かったのでは?とは思う。 そしてこういうのが多くの本でとり挙げられるのもまた違う問題ではないか?とも。
蛾のおどり@Nachtfaltertanz2026年9月6日読み終わった感性は鏡の役割を果たす、ということです。まわりの人の自分の身体に対する反応が、良くも悪くも自分が何者であるかの理解に大きく影響し、さらには自分のふるまい方を規定するのです。 私のまわりにいる人々は、私が何者であるかを忘れさせてくれません。彼らが私の身体にどう反応するか。そして、どう関わってくるか。ちょっとした表情のこわばりや態度の変化が、鏡のように「私が何者であるか」を跳ね返してきます。 そして、それに応じて、私は身の置き方や立ちふるまいを微調整することになる。忘れたくても、他者が私のアイデンティティを絶えず思い起こさせてきます。 しかもその「他者」が、しばしば自分の返している反応に無自覚であったりする。ある人が自分の身体とどう付き合うかは、多分に、その人のまわりにいる他者の無意識的な反応によって、良くも悪くも共同作業的に作り上げられていくものです。 加えて、この共同作業は必ずしも対等ではありません。見る側に立つことが多い人もいれば、見られる側に立たされることが多い人もいる。場所や状況によっても、どちらに立つかは変わるでしょう。(p.53) --- 固有の魅力に気づき、捉えられ、圧倒されるとき、社会において規範的とされる「好ましい/好ましくない」の基準はどこかに吹き飛んでしまう。それはひとことで言えば、「うっとり」するという経験です。うっとりは、日常を覆っている規範的な感性の働きに穴をあけ、対象固有の魅力に奉仕するような例外的な状態を作り出します。 そもそも、個別性に向かうということは、認識能力としての感性特有の性質です。知性であれば、目の前にあるそれを「絵画だ」と判断します。つまり、個別的な対象を、「絵画」という普期的な概念へと回収していく。これが知性の仕事であり、だからこそそれは言語と相性がいい。 他方で感性は、目の前にあるそれを、絵画という普遍的な概念に回収するのではなく、「この絵」ならではの特徴に深く分け入ってそれを捉えようとします。「あの絵」や「その絵」とは違う、「この絵」ならではの特質。もちろん、いわゆる芸術鑑賞には知性も関わりますが、普遍に回収するだけで事足れりとするのは鑑賞ではありません。感性が逸脱的に働くとき、それがもつ「個別性・具体性にこだわる」という性質が全面に発揮されています。(p.135) --- デューイは、端的にこう述べています。 経験の美的ないし受動的(undergoing)な側面は、受け入れる(receptive)ことである。 それは降伏すること(surrender)を意味する。(『経験としての芸術』、50頁) surrender、つまり「参りました」ということです。自分の基準を当てはめて相手を判断するような優位性は、私の側にはもはやありません。むしろ相手の身体がもつ魅力のほうが、私を圧倒している。相手の身体の魅力が、それに見合った反応を私に求めています。もちろん、それは相手が意図的に私を服従させているとか、見下しているといったことではありません。たいていの場合、それは密かに私の中で起こる心地よい降伏です。 実感としては、美しいものを前にしたときに感じる「眩しさ」は、まさにこの降伏の感覚を表現したものでしょう。古代より、美は光として表現されてきました。 ラベルを超えて迫ってくる力、とでも言えばいいでしょうか。 逸脱的感性が何から逸脱するまさにこうした記号的な理解であり、「わかった気になっている」範囲での対象との出会いです。ラベルを逃れて、相手と出会いなおすこと、そこにこそ逸脱的感性の受動性が開く可能性があります。 (p.145)
プキ@pooky2026年8月26日読み終わった大変読みやすく、おもしろかった。 主にフェミニズムの文脈から美醜に興味があるのと、著者に惹かれて手に取った。 感性が社会的なものであり、とかく保守的になりがちであるということ。社会規範となった美の概念を覆す、マイノリティ(黒人)の運動。前半の「正義のプロセス」は必修。 そして後半、特に「逸脱する感性」の章が、何かにハマり続ける自分の人生において身に覚えありすぎた。
黒井 岬@caperoy2026年8月26日読み終わった「鏡としての感性」はトッドがファーガソンを引用して書いていた「相対的アイデンティティ」と根本で同じことを言っているなと思った。アメリカの白人の間での人権意識を高める際に黒人は弾かれていたこと。 また後半の対象との関わりの中で自分が変わってゆくこと、変えられていくこと、はある意味免疫が下がっている時に起きる、というような部分。 美に魅入られるとき人は幸せなのかもしれないが、その魅力が有害なものでないかどうか判断し自分を守る意思もまた必要だ、と本の趣旨から外れたことを思った。カルトコミュニティのことを少し連想してしまったから





































