ガザに地下鉄が走る日

28件の記録
- Ken@ken_book_lover2025年5月30日読み終わったアラブ文学研究者による、ガザ、ヨルダン川西岸、中東各国又は緩衝地帯(国境)に暮らすパレスチナ難民の姿を描いたエッセイ集。人権主体として認められない「ノーマン」としての難民、イスラエルによる占領によって生き地獄を「生きる」パレスチナ自治区の人々の絶望と希望を力強く文章にしている。 一貫して書かれているのは、国際社会及び各国市民によるパレスチナ/イスラエルに対する「無視」の残虐さである。「無知がホロコーストというジェノサイドを可能にしたのだとしたら、繰り返されるガザの虐殺を可能にしているのは、私たちの無関心だとも言える」と、我々の無関心を至る箇所で指摘している。 岡真理は、絶望の中生きてきたパレスチナ人が我々の平和な生を見た時に我々を許せるだうろか、と問うと同時に、あとがきにおいて、「パレスチナに希望があるとしたら、それは、私たち自身のことだ」と書く。無知/無関心が多くの命を奪う反面、知ること/関心を持つことが多くの命を救うのだと。 「この世界は、彼らがノーマンズランドのノーマンである限りは、『気の毒な難民』に対して、ときに気まぐれな温情は与えはしても、国民ならざる彼らが、『人間ならざる者』の分際で政治的権利、人間の自由を求め、世界が人間の新たな共同性へと開かれることを求めたとき、凄まじい暴力となって顕現し、彼らの上に襲いかかることになる。」
- 村崎@mrskntk2024年3月17日アラブ文学者の岡真理さんによるパレスチナの人びとの暮らしや会話、生きていく/亡くなってしまう姿、歴史。重く、けれどきっと事実のとおり書かれている一冊。今もなおガザへの虐殺行為は止まっておらず、毎日心が痛む。 正直なところ、読み終わった今も自分が何をすべきか、なぜこのようなことが起こっているのか、わからない。冒頭にも引用した、「被害者だったユダヤ人の人びとなのに、なぜこんなひどいことができてしまうんだろう?」という疑問を、私も持っていたけれど、「人間とは「非人間化」の暴力の犠牲者であろうとなかろうと、「他者を非人間化することを教え込むことができる」、ということなのだから。」この一文を読んで、納得できないのに納得してしまったような、とにかく本当に悲しくなった。 日本にも歴史があって、非人道的なことを行われたり行ってきたことをわたしは知識として持っていて、非道な戦争の痛みを知っているはずなのに、たとえば今世界で起きている戦争という歴史に直接関与しようとしないことは、つまりそういうことになるんじゃないだろうかと思った。直接関与していない、というのはもちろん戦地に行って戦争止めてこいとか、直結的な行動じゃなくて、自分の生活を優先して、つらいニュースに耳をふさいで、でもときどき心が痛むと言ってみて、そのあと今晩の夕飯の献立を考えている、というような生活をしていること。でもじゃあそんな生活をしていることが悪いかといったら悪くなくて(「悪」は明らかに別にある)、悪くないけど私は、四六時中関心を持っているわけじゃないことを、どうとらえたらいいんだろう? この惨劇が一体いつまで続いてしまうのかわからない。続いてほしくないし、今この瞬間に終わってくれよと思う。でも、自分にできることってそうそうないけど、少なくとも思っているだけでは何も変わらないということはわかってる。この世界に住む人たち全員が、見て見ぬふりをしたとき、本当に希望が消えるのだと思う。