「遅読」のすすめ

12件の記録
- ちょこれーと*@5_ogd2025年8月1日読み終わったを読むことの良さがたくさん詰まった本だった。遅読の効能、やり方、それ以前の本を読む習慣をつける方法などが語られている。そのあたりは現時点で読書する上で自分がやっていることと重なる点が多かったから、自分のやり方の答え合わせをするような気分で読み進められた。また、齋藤先生おすすめのブックリストが載っているから、読む本に迷ったときには参考にしたい。まずは一巻だけ持っている、トルストイの「戦争と平和」を少しずつ読み進めることにする。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年8月1日読んでる『情報をシャワーのように浴びる本ではなく、読む度に無心になれる本をつくっておく。本によって、心を「ととのえる」わけです。』 『教養とは、人間としての美しい振る舞いや深い思考ができ、周囲の人と共感し連帯できる心の余裕です。』 『知性の足腰が脆弱だと、自分で価値や物事の判断ができず、間違った情報に流されやすくなるし、時間をかけて自分で考えることに我慢できなくなります。つまり本を読むことは、知性を鍛えるための基本的なトレーニングなのです。』 心を洗い思考を育てる。これこそが考えながらじっくり本を読む、遅読の醍醐味。 『読む時間そのものを楽しいものにすることが大切です。』 『人類の知性の集積として残されてきた本を読むということは、自分の知性を耕すことです。読書は人生を豊かにし、思索を深め、世界の広がりを与えてくれます。』 『読書は、急ぐ必要のない旅なのです。』 『本はまさに「人生の旅の伴走者」です。著者と一緒に旅をすることで、自分の人生は確かなものになっていきます。』 読書を旅に喩える点がとても素敵だと思った。私は旅行に行ったら名所を巡る、だけではなくてそれぞれの場所に置かれている説明の看板を見てその時代に想いを馳せたりしながら巡りたい。…とそんな風にじっくり色々見ていたら一緒に行った友人たちがいなくなっていた、なんてことが以前旅行の際に多々あった。 自分のペースで思考の旅に出かけることができる。これが本を読むことのいいところ。他人に合わせることも大事だけど、自分を大事にすることも忘れないようにしたい。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年7月31日読んでる『わたしは読んでばかりいる怠惰な者を憎む。』 『一世紀もこのような読者ばかりがつづくなら-精神そのものが悪臭を放つようになる。万人が読むことを覚えるということは、長い目でみれば、書くことだけでなく考えることも損ねてしまう。』 -ツァラトゥストラ/フリードリヒ・ニーチェ- 別の著書からの引用だけどこの文章を読んでドキリとした。まるで現代の状況を予言するかのような言葉。性根が腐敗し他人の言葉でものを語り、自分の頭では何も考えられなくなった社会…そんな風に責め立てられている気分になった。きちんと自分の頭で考えられる人間になろうと思う。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年7月29日読んでる『昔の人は、本を丁寧に読むことを表すとき「味読」という言葉を使っていました。』 『遅読=味読です。』 味わって読む…素敵! じっくり味わいながら自分の血肉になる読み方が遅読(味読)なのかもしれない。 『人間は、「考える」からこそ人間であるといえます。「考える」力が弱っていると、難しい判断、たとえば自分はどう生きるべきかという大事な判断を、他人の手にゆだねてしまうようになります。』 うーん、なんとも耳が痛い…。思考停止したまま情報の海を漂い時間を溶かしていく。人間として生きていると言えないことを常日頃からしてしまっているかもしれない。深く考えられるように努力しよう。人間として生きるために。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年7月28日読んでる『あることに没入していた時間、それが生きたということなのです。』 以前友人とお金が貰える訳でも無いのに学生時代はよく部活動なんてできたよね、という話になった。毎日毎日授業終わりに何時間も練習して、本番が近いときには土日も練習する為に登校する…。社会人になってからは対価も無いのによく頑張ってたなと思う。だけど、やっぱり「自分にとって大切な時間だった」。お金には替えられない価値のある時間だった。この一文を読んで、無駄なんかじゃなかったんだ、と報われるような気持ちでとてつもなく泣きたくなった。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年7月28日読んでる『情報が自分の外側を流れる渦だとすれば、読書は自分の内側に注ぎ込む清流です。』 『欲しい情報は、探せば探すほど次々に流れては消え、終わりが見えません。そうやって情報の海を漂っているうちに、時間はどんどん過ぎて、一日が終わっていく。』 以前「SNSを見続けて時間を溶かした」という表現を見かけた。溶かす…本当にその通りだと思って、なんて上手い表現なんだ!と驚いたのと同時に恐ろしくなった。結局のところ、思考停止したままどんどん新しい情報に触れたところで、自分は何かを得ることなんてできていない。自分の意見と錯覚してしまうほどの膨大な量のものを、吸収もできずにどんどん塗りつけているだけ。 『人格に影響を与えるものは、自分の外を流れる情報ではなく、自ら向き合い、蓄積して身につけた知識や教養なのです。』 『世界では、何を引用するかがその人の教養レベルを表すと認識されています。』 『本は、「心の糧」、心の食料なのです。』 心にも栄養を。たぶんずっと無視されてきた心は飢餓状態だから、たくさんたくさん与えてあげないと。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年7月26日買った読書は好きだ。何故なら物語に入り込んだり、理解する為に思考を巡らせる時間は嫌なことを忘れさせてくれるから。だけど、Readsに記録するようになって再認識してしまったこと…とてつもなく読むのが遅い!読みたい本はたくさんある。だけど、自分の理解が追いつかないまま読み進めても何の意味も無いし…と悩んでいたところ、こちらの御本が目に留まった。齋藤先生の文章は土壌に水がスッと染み込む感覚で読みやすいから学生時代とてもお世話になった。すごく久しぶりに触れさせていただく。 こちらを読了後、本を読むのが遅い、私はなんてのろまなんだ…という気持ちも少し晴れているといいなと思う。