九月と七月の姉妹

63件の記録
- かりさ@karisalilac2025年9月15日読み終わった10ヶ月違いの同い年の姉妹。姉セプテンバーの支配に置かれながら依存する妹ジュライ、ふたりだけの世界、約束、揺るぎない絆。物語を配する不穏さ、残酷と悪夢、記憶と現在の交錯...奇妙に歪んだ愛の形。詩のように静謐な狂気と恐怖。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年9月10日読み終わった映画を観たオンライン試写でみる→パンフレット読む→原作読む→劇場でみる、という不思議な順番で楽しんだ。文学研究畑なのでこれで正解だった。 試写のときは「不穏」に支配されていた感覚があったのだけど、ジュライとセプテンバーとシーラになにが起きているのかを知ってからみると、「不穏」はどこかに消え、代わりにやってきたのは「痛み」だった。いや、どちらにも「痛み」はあったが、種類が違う気がする。もう一度みたらまた違うかもしれない。DVDになったらまたみようと思う。 このさきネタバレあり。 ٩( ᐛ )و ٩( ᐛ )و ٩( ᐛ )و ٩( ᐛ )و ٩( ᐛ )و ٩( ᐛ )و 原作では母のシーラもまたジュライ同様にセプテンバーの幻影とともに生きているような描写があり、その描き方が映画よりも強かった。映画はもう少し、シーラはセプテンバーが死んでいることを受けとめている空気が強い。つまりシーラがジュライを見るときの感覚は、映画や原作を通してなにが起きているかを知っている再視聴/再読の者が見るときの感覚と近いのかもしれない。初見時はジュライの目線で世界を見るが、二度目以降はシーラに近くなる。 セプテンバーを含めた世界に支配されることから生じる「痛み」をジュライは感じていて、それを初見時の私も感じていたのかもしれない。ジュライにとってはそれらははじめての経験で、他者に支配されることもだれかが死ぬことも支配から束の間解き放たれることも、はじめてのことであるがゆえに「不穏=不安」を覚えるのかもしれない。今回、シーラ寄りの感覚で見ているときには、それらはすべて経験済みのことで、その不穏や不安、痛みを「私は知っている」ということから生まれる痛みなのかもしれなかった。シーラは親や夫に支配され、死別し、束の間解き放たれる経験をしている。「ジュライになにが起きているか」を知っている者として、視線を共有していたということか。
- ☁️@mmccxx2025年9月9日読み終わった図書館本姉妹の話も良かったけど母親の話がすごく良かった。どういう感じで映画化されてるのか気になるので観にいきたい〜 “家とは肉体であり、自分の体は何よりもまず家であると、彼女は最初からわかっていた。彼女はあの美しい娘たちを宿していたではないか。それにいままでずっと、もっと小さく、もっと重い子供のような憂鬱を宿してきた。興奮と愛と絶望を宿していたし、この〈セトルハウス〉では、ふり払うのが難しいとわかった激しい不安を日々の活力を奪う重い疲労を宿している。“P.98
- โยโกะ@yookoom2025年9月4日読んでる読み終わったセプテンバーはわたしをつなぎとめていた。世界にではなく、彼女自身に。 わたしはそのとき、いままで何度も思ったように、彼女こそわたしがずっとなりたかった人間だと考える。 どうも集中できなくてもう返却しようかと思った頃におもしろくなってきた
- m@kyri2025年7月27日読み終わった@ 自宅この9月に映画が公開されるということを知らないままに買った本だったけど、今日読み終えたのでこの先私の地元でも映画が公開になったとしても大丈夫。調べたらヨルゴス・ランティモスのパートナーの人がメガホンを取ったらしく、ああ、なるほど……みたいな感じの物語だった。 すごく詩的な文章なので、時折パソコンとかスマホとかそういうガジェットの描写が出てくると、なんだか違和感を感じてしまう。そういうのがあまり似合わない文章。 愛と支配の違いとは何だろう。ジュライはセプテンバーを思い、「私を愛してくれた」と語ったけれど、ジュライがそう思ってるならそれでいいのかもしれないけど、それまで読者はずっとセプテンバーのジュライに対するものすごい支配的な態度を読んできてるわけだから、その愛とは本当に愛だろうかとどうしても疑ってしまう。セプテンバーの支配、もしくは愛は、ジュライにずっとずっと根を下ろす。どれだけ時間が経っても、ジュライの中にはセプテンバーがいる。思春期の一時期を自他の境界が曖昧になるほどに溶け合うことは、いずれはそこから抜け出すかもしれないにしても、その先の長い人生にも確実に影響を及ぼす。そして、セプテンバーがジュライを支配するのは、セプテンバーがデンマーク人の父親似、ジュライがインド系の母親似、ということも無関係ではないような気がする。 映画になったらどんな感じになるのかな。きっと美しい画面になることは間違いないだろう。問題は、うちの地元でもちゃんと上映してくれるかどうかだ……
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年6月30日映画を観た原作読まねば試写に招待されたのでオンラインで視聴(とてもありがたい)。原作未読なので映画での話になるけど、支配(によって受けた傷)の連鎖、蓄積、といったことを考えさせられる作品だった。ジュライは姉のセプテンバーに、姉妹は母親に、母親はまたその親に。そうして辿っていくと、根本にあるのはインド系イギリス人であることからくる差別や抑圧、つまり植民地支配の歴史だ。映画制作陣がどこまで意図しているかはわからないけど、そのように読むことで彼女たちは歴史のなかに記憶され、物語られ、生き続けることになる。カリブ海思想の影響を受けている。
- エマ子@emma-05082025年5月24日読み終わったセプテンバーとジュライ。10ヶ月違いの姉妹は、姉が精神的に妹を支配しつつも強い絆で結びついている。 妹ジュライの語りはジメジメしたホラー小説みたいで不穏だけど、二人の母シーラから見た姉セプテンバーはやんちゃな破天荒娘という感じで少しホッとさせられる。 絆の語源は馬や犬の首を繋ぎとめるための綱のことというのを思い出した。強すぎる結びつきは自分の首を絞めかねない。
- gato@wonderword2025年3月6日2024年読んだ本ベスト10超絶カッコいい訳文とシングルマザー家庭育ちの娘特攻な物語がブッ刺さって、読んでいるあいだ本当に鋭い痛みを体に感じた。血みどろな意味のグロではないが、グロテスクな話だとは思う。