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読書記録
  • 2025年4月17日
    土と兵隊/麦と兵隊
    『土と兵隊』には杭州湾敵前上陸記、『麦と兵隊』には徐州会戦従軍記という副題がつけられている。発表されたのは『麦とー』が先であるようだが、出来事の時系列は本書に収録されている順序が正しいようだ。どちらも著者が戦地で殴り書きで記した日記をもとにしているそうだ。 『土と兵隊』では、泥まみれの畦道を、敵軍の銃弾を浴びながら行軍する語り手と仲間たちが描かれる。初めての大陸への不安と期待、ぬかるみでの七転八倒を続けながら、仲間との連帯感が生まれていく。 『麦と兵隊』では季節が変わり、農民たちが育てた一面広がる麦畑の中で、方向感覚を失いながら徐州陥落に向けて奔走する姿が描かれる。 兵士たちの素朴な性格や一喜一憂、激しい戦闘での束の間の休息。ルポルタージュでありながら、ついつい著者の目線で日本軍に感情移入してしまうところに、本書の魅力があるのだろう。発表された当時は日本でもベストセラーになったという。 しかし、彼らが食べているもの、一晩を過ごす宿はほとんどが地元の村人から奪ったものであり、すでにもぬけの殻になっているとはいえ、(少なくともその時点で)略奪に何の良心の呵責も感じていないことには怖さを感じる。 著者自身も本来憎むべき敵軍が自分たちと同じ顔をしていることに困惑を隠せない場面も描かれている。とはいえ登場人物すべてがこの戦争を肯定的に捉えざるを得ない、その社会の空気にすっかり飲み込まれている様子は、読者に重い読後感を残す。 あとから振り返れば重大な戦争犯罪に手を染めていても、その真っ只中では抗うことが困難であり、後悔先に立たずとは本当にその言葉の通りだと実感する。 戦後しばらくして火野葦平が自ら死を選んだ理由について、もう少し考えたいと思った。
    土と兵隊/麦と兵隊
  • 2025年4月13日
    ヒロポンと特攻
    1950年生まれの著者は大阪府の中学校で社会科教員として働き、退職後は教科書問題に取り組んできた経歴を持つ。 1−4章は戦時中にヒロポンやヒロポン入りチョコレートがどのように製造・管理・使用されていたのかを明らかにしている。1章のタイトルからして「女学生が包んだ覚醒剤入りチョコレート」と衝撃的な文言で読者を引き込む。4章の終わりで「ヒロポン使用証言の少なさ」という見出しのもとに、特攻兵にヒロポンが与えられてもその正体が伝えられてはいなかったこと、注射していた軍医さえもそのことを戦後になって初めて知らされていたことが語られる。 5-11章では太平洋戦争における特攻の実態をつまびらかにしている。実際に命を落としたもの、生還したもの、特攻を命じたもの、それを見守っていた地元住民や当時の日本社会の空気感を著者は抉っていく。 12-14章では戦争責任への向き合い方を整理し、なぜ日本は戦争を始めたのか、今改めて戦争を起こさないために何ができるのかを論じて締めくくっている。 書名にある「ヒロポン」はあくまでも大日本帝国が起こした戦争を振り返るための切り口に過ぎず、本書の主な論点はむしろ「特攻」とサブタイトルの「太平洋戦争の日本軍」にある。「ヒロポン」についての文量は全体から比較すれば若干少ないような気もするが、それでも実際に手に取って読む価値があると思った。 一般的な歴史書に比べて著者の政治スタンスが言葉の端々に色濃いことは否めないが、それだけ反戦への思いが強いのだと受け取っておく。戦後、特攻を指示した側が「反戦」や「平和」のオブラートに包みながら、命を落とした兵士たちを美化していった経緯には背筋が寒くなった。 最後にカバー画像提供は早川タダノリ氏であることにも触れておきたい。
    ヒロポンと特攻
  • 2025年4月13日
    鉄川与助の教会建築 (LIXIL BOOKLET)
    鉄川与助の教会建築 (LIXIL BOOKLET)
    LIXILギャラリーにおける「鉄川良助の教会建築/五島列島を訪ねて」展と併せて刊行された一冊。 鉄川良助が人生をかけて取り組んだ教会建築が、簡潔にまとめられている。江戸幕府が崩壊したのちも迫害されていたキリシタンへの禁教が解かれたのは明治6年のこと。 鉄川は明治12年に生まれ15歳から家業の大工の修行を始める。転機となったのは明治34年。22歳でペルー神父設計の曽根教会の建築を手伝い、リブ・フォールド天井の工法や幾何学を学び、後にも神父設計の建設に関わる。 1976年にその生涯を終えるまでに数多くの教会を手がけた彼は、キリシタンに転向することはなかったという。だからこそ、建築指導をする神父たちと対等かつ率直な立場で建築について学ぶことができたそうだ。 身を隠すように質素な建物で集まっていた人々が、晴れて「神の家」を持てるようになった時に、鉄川良助のような教会内部と外部を行き来できる技術者がいたことは、とても幸運だったと思う。 本書は作りとしても美しく手の込んだ書籍となっている。展示図録として企画者が力を入れていたことが伝わってきた。
    鉄川与助の教会建築 (LIXIL BOOKLET)
  • 2025年4月13日
    東京の台所
    東京の台所
    朝日新聞デジタルマガジン『&W』での連載をもとに2015年に平凡社より刊行。文庫化にあたり2024年に加筆・再構成されたのが本書だ。 たかが台所、されど台所。「こだわりがない台所など存在しない」と断言できるほどに、どれ一つとっても同じものがない。それもそのはず、その家に住んでいる人が違うのだから当然である。ほとんど外食で自炊しないという住人の台所にも個性がある。 本書の魅力は台所あり方もさることながら、インタビューに答える人々の多様なライフスタイルにもある。パートナーや子供達との関係、どんな仕事をしているのかを知った上で、改めて台所をじっくり見ると、そこに映っていない住人の暮らしの息遣いが伝わってくる。 東京の台所の連載は現在も月2回のペースで継続している。個性豊かな台所の姿を通して、変わりゆく東京、ひいては日本の姿を地層のように積み重ねてほしい。100年後、200年後の生活史研究のための貴重な財産になると思った。
    東京の台所
  • 2025年4月13日
    そんな言葉があることを忘れていた
    著者は構成作家としての肩書きに加え、又吉直樹との共著や自由律俳句をまとめた単著で知られる。 本書は自由律俳句をまとめたものであり、経年・孤影・叙景・過古の4部構成となっている。 自由律俳句の世界で著名な人物といえば、萩原井泉水・種田山頭火・尾崎放哉の三人が思い浮かぶ。短い言葉で心象風景を鮮やかに切り取る技巧に、スタイルの違いはあれどどれも魅力的だ。それはせきしろにも共通する。 ではこの3者とせきしろの決定的な違いは何か。それは詠み人と読む人の同時代性と言えるかもしれない。上記の3名が生きた時代は明治前期から昭和中期に当てはまる。最も長く生きた山頭火の没年が1940年であることを考えると、すでにかなりの時間が経過していることを実感する。 せきしろが本書を刊行したのは2024年。自由律俳句によって切り取られたモノやコトが読む人にとってより共感しやすいのではないだろうか。 一つだけ心に残った句を取り上げたい。 売り場のテレビ全てに故郷が映っている(211頁より) 故郷から離れて暮らす人が家電量販店のテレビ売り場で見つめているのはどんな風景だろうか。開花宣言・観測史上最高気温・記録的大雪などいろいろと想像が膨らむ。しかし一度でも震災や自然災害を経験したことがあるなら、この句から連想する景色は喜ばしいものではないだろう。 巻末の又吉直樹による力の入った解説も読み応えがあった。
    そんな言葉があることを忘れていた
  • 2025年4月12日
    死ぬまでに一度は訪ねたい東京の文学館
    その名の通り東京とその周辺に点在する文学館や漫画・映画・演劇・アニメにまつわる施設を紹介した一冊。 文学館と聞くと、文豪の書斎を再現したスペースや肉筆原稿を展示しているイメージだったが、大正・昭和の雰囲気を残す建物やよく手入れされた庭園などが併設されている施設もあり、とても魅力的な場所だと思った。それが格安で入館できるとは何と日本は恵まれているのか。「死ぬまでに一度は」とは言わず何度も足を運びたくなる。 基本的にガイドブックとして使うための本だが、簡潔な紹介文はテレ東のアド街を連想させる文体で、思わずナレーター津野まさいで脳内再生してしまった。 東京在住ではなくても、身近な文学館を訪れてみたくなる本だった。
    死ぬまでに一度は訪ねたい東京の文学館
  • 2025年4月10日
    多読術 (ちくまプリマー新書)
    松岡正剛といえば言わずと知れた読書家の頂点に君臨するような人物。ちょっとお堅い人文書について検索すると、かつて彼が書いていた千夜千冊のウェブサイトに行きつく。生前ホームグラウンドにしていた編集工学研究所の書棚を見れば、そこはもはや小さな宇宙のように見えてくる。到底追いつけるはずもない。 そんな彼が多読術について語ったのが本書である。聞き手の質問に答える形で、生い立ち・読書遍歴・読書論が展開される。 読書論といえばロジックで塗り固めたような読書本であるアドラー著『本を読む本』が真っ先に思いつくが、松岡の語る多読術はより感覚的で、体感を伴ったものといえる。 読むことを食べることに例え、少食でもいいし、多食でもいい。偏りも大歓迎。ただし、本を読むことは毒にも薬にもなるし、毒にも薬にもならないこともある。とにかく本(活字)が身近にあることが大切だという。 ほかにも全集を読むことをピッケルを持って山頂を極めることに例えるなど、あちこちで読書を何かに例えている。この連想力・発想力も彼が説いている「編集」なのかもしれない。 松岡の幼少期は、呉服屋の倅として経済的にも文化的にも非常に恵まれた家庭だったことも語られていた。仮に自分がその環境に生まれていたら、彼のようになれたのだろうか。 いい意味で読書のハードルを下げ、多読人口を増やす効能のある一冊だと思った。
    多読術 (ちくまプリマー新書)
  • 2025年4月9日
    翻訳する私
    翻訳する私
    ジュンパ・ラヒリが翻訳について書いた本が出ると聞いて、彼女が翻訳者としても活動していることを知った。 イタリアの作家ドメニコ・スタルノーネと公私ともに交流があり、彼のイタリア語で書かれた作品を英訳しているとのこと。 本書でそれらの翻訳について語られるかは不明だが、発売が楽しみだ。
  • 2025年4月8日
  • 2025年4月8日
  • 2025年4月7日
    精神疾患をもつ人への支援で、壁にぶち当たったら読む本
    発売日に早速購入。前作の通称「横綱本」はある意味で教科書的な例を伝えるものだったが、今回はとにかく「壁」にぶち当たった例ばかりが登場する。 こきおろし、リストカット、オーバードーズ、アルコール依存、認知の歪み、利用者とその家族との板挟み。身に覚えがあったり、こういう状況あるよね…という事例のオンパレードで、読みながら眉間に皺がより、いつのまにか目に涙が。 支援者が支援される側に抱く陰性感情やべき論としっかり向き合い、その都度アセスメントしていくことがいかに重要か学べた。 個人的に刺さったのは、やりたいこと・望みが出てこない人に「自立性の押し付け」をするのではなく、「自立性の回復」を目指すことが大切だという点。「それは自分で決めなきゃいけないことです」の一点張りでは本人が八方塞がりに感じ、支援開始時よりも状況が悪化する可能性がある。正直に言うと自分もこれをやっていたので反省した。 反省と後悔の念に苛まれ、これからどうすればいいのだろうか?と悩みながら最後のページを開くと、執筆協力者代表の進あすかさんのあとがきに慰められ、勇気づけられる。(ちなみに私は小瀬子伸幸さん・進あすかさんが出演されているYouTubeを一時期ずっと見ており、ご本人との面識はないものの勝手に理想の上司として尊敬している) 帯の裏面には「看護師、作業療法士、理学療法士、保健師、相談支援専門員、ヘルパー・・・地域で支えるすべての人へ」とある。私は専門職ではないが、一番最後の「地域で支える人」に該当する。「横綱本」「壁本」を熟読し、新年度も現場と向き合っていこうと思う。
    精神疾患をもつ人への支援で、壁にぶち当たったら読む本
  • 2025年4月6日
    増補新版 東北の古本屋
  • 2025年4月6日
    文庫版 書楼弔堂 破暁
  • 2025年4月4日
    差し出し方の教室
    著者はブックディレクターとして自ら執筆するだけでなく、図書館・病院・公共施設の書棚の選書や本にまつわる空間プロデュースを手がける人物。可処分時間の争奪戦となっている現代において、本を「読め、読め」と圧力をかけるのではなく「気がついたら手に取っていた」という状況を作ることが理想的だと説く。そのためには読者になり得る人々への「本の差し出し方」が重要だという考えに基づき、本書には様々な業界の「差し出し手」や、実際に著者と一緒に「本の差し出し方」を考えた人々へのインタビューが収録されている。 前半では、博物館・動物園・デジタルコミュニケーション・ワインバーで差し出すことを極めた人々が登場する。取材に答えているそれぞれが活躍しているのは全く違うジャンルではあるが、「差し出す側」の意図と、「差し出された側」の心地よさが交わるポイントを狙うために、試行錯誤することが大切なのだと伝わってくる。押し付けがましくなく、かつ意図はあっても過度に作為的にはならずに心地よさを演出するのは至難の業である。 後半では、著者と一緒に新しい本の差し出し方を考えた温泉地・病院・保育園の担当者が登場する。特に城崎温泉でしか買えない、いわば地産地消の自費出版本を町おこしに繋げていった実例は、本というモノと温泉旅行というコトがうまく噛み合った素晴らしい実例だと思う。もちろんそこに至るまでには紆余曲折があり、核となるNPO法人がうまく地元の人々を巻き込んでいったからこそ成し得た結果である。このやり方が万能薬とはならないかもしれないが、何をどのように差し出すかを考える上で参考になった。 「差し出し方」とじっくり向き合う著者の思考は、本にまつわる流通・小売業界だけではなくメディア論や教育論にも応用できるものだと感じた。 本書を読んだ後は、ひとまず「感想の差し出し方」から考えてみようと思った。
  • 2025年4月3日
  • 2025年4月3日
    単一民族神話の起源
  • 2025年4月3日
    世界をまどわせた地図
    世界をまどわせた地図
    古書店の息子として生まれた古地図の愛好家が手がけた一冊。 ヨーロッパ諸国が世界に向かって航海を続ける中で、"発見"したとされる国、島、都市、大陸などが地図に書き込まれる。それらの"発見"は当時知られていた世界を大きく拡大し、未開の地のさらにその先への想像力を掻き立ててきた。 一方で地図に書き込まれてきたものの中には、伝説、伝承、誤解、でっちあげられたものも少なくなかったという。そこには人々の信じたいという願いや、一儲けしてやろうという欲望が透けて見える。 中世から19世紀にかけての冒険家や地図製作者が世界をどのように捉えていたのか。130点以上の美しい地図の図録を交えながら、いかに人々が惑わされてきたのかを知ることができる。 現代の視点から見れば荒唐無稽な地図のオンパレードなのだが、地球平面説を紹介したページを眺めていて、これは他人事ではないと背筋が伸びた。そもそも地図が間違っているなら、どれだけ世界を正しく捉えようと努力したところで迷走するしかないのだ。陰謀論で分断される2020年代に重要な教訓を与えていると思った。 一枚の間違った古地図から学べることはあまりにも多い。
    世界をまどわせた地図
  • 2025年4月2日
  • 2025年4月1日
    昭和トワイライト百景
    平成29年から30年にかけてcakesにて連載されたものに加筆・書き下ろしを加えた一冊。 出版とともに平成最後の年を迎える中、戦後間もない街の雰囲気を残している街並みが紹介されている。フリート横田の真骨頂である飲み屋だけではなく、高度経済成長の勢いで建設されたモダンなビルなども含まれており、わずか125ページの軽めの読み物とはいえ、ガイドブックとしてとても楽しめた。 特に心惹かれるのは第三章の路地・街角編。すしや横丁、雑二ストアー、亀甲マーケット、塙山キャバレーなど、すでに姿を消しているものもあるが、ヤミ市の空気を今に伝える(伝えていた)場所のヒストリーは読み応えがある。 都築響一、渡辺豪、フリート横田のお三方による鼎談では「なぜ人は"昭和"の風景に惹かれるのか?」という問いのもとに濃密なディスカッションが繰り広げられていた。 決して昭和に戻りたいわけではないし、昔は良かったなどと言うつもりはない。しかし本書で紹介されている風景に想いを馳せるのは、黄昏の空が夜の闇に滲んでいく景色を眺めているようなものだと思った。
  • 2025年4月1日
    三船敏郎の映画史
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