翻訳する私

62件の記録
- ニック@moranis2025年8月29日読み終わったイタリアに移住した英語作家ジュンパ・ラヒリが、英→伊語、伊→英語など翻訳を通して得た経験と思考を書いたエッセイ集。 不正確な僕の引用だが、翻訳とは、変身であり、新しい自己の発見、拡張である。という事が繰り返し書かれていた。 翻訳をアマチュア的にやってる自分に励ましと勇気を貰った気がした。ラヒリ、ありがとう。やっていこう。いつかトルコ語を勉強して、Oguz Atayの前衛小説を翻訳したいという遥かな夢が僕に出来た笑。 最後のエッセイが感動的だった。 死の近づいたラヒリの母が、花を指さして、「その花に宿ることにするーー」と言う場面。ラヒリは自分の血中を解毒するように流れているオウィディウスの詩の力を感じる。エッセイを書いてる今、亡くなった母を大地の植物たちすべてに翻訳する事ができるのだ。 他には、ラヒリが言及していたグラムシ、ドメニコ・スタルノーネ、オウィディウス『変身物語』(僕は今までアプレイウス『黄金のろば』と混同してた)を読んでみたいと思った。
- もぐもぐ羊@sleep_sheep2025年8月14日読み終わった著者の母語はベンガル語で、英国生まれの米国育ちゆえに英語は恐らく第二言語というよりもう一つの母語といえる言語なのだろう。 さらにイタリア語を学びイタリア語で執筆をしたり伊→英の翻訳をするなど多言語に長けている。 翻訳はそれぞれの言語に全く同じ意味や表現が必ずしもあるわけではなく、そこをどう折り合いをつけて文章を組み立てるか、大変な仕事だと思う。 日本にはさまざまな言語の翻訳家がいて私は母語に翻訳された本を読むことができる。 これはとても恵まれた環境であると以前沼野充義先生が著書で語っていた。 この本を翻訳した小川高義さんはきっと大変だったのではないかとその仕事に感謝と敬意を。
- りなっこ@rinakko2025年8月8日読み終わった「二つに割れた言語世界」に生まれたという自意識を持つ著者にとって、書くことと訳すことは同じ行為の両面だった。そして翻訳に教えられ、翻訳故に言語へ深く踏み入り集中していく…と。 エコーとナルキッソスの神話を取りあげた、エコーはユーノーに呪われて翻訳作家となり、声でしかない最終形に至るという考察は面白かった。そしてナルキッソスは原作者でもあるが、一方で翻訳者に似た特性も持っている(二人は同じコインの裏表) 第三の言語であるイタリア語で書く理由。どんなにイタリア語に魅かれ愛しても、「私の」イタリア語とは認められないことについて、など
- よあけ@mogumogu2025年4月24日買った静岡市にあるひばりブックスさんのインスタで発見して、表紙の、作家の印象的な目と目が合い、迷うことなく購入。作家のこれまでの人生、考えていること・感じていることを記したものはすべからく興味がある。 それにしても、ひばりブックスさんがインスタにあげてくださるものって、私の趣味に合うものが結構多い。。一度店舗にお邪魔してみたいなあ。
- はるのひ@harunohinouta2025年4月24日気になる読みたい買ったたまたまXのおすすめに流れてきて発売を知り、せっかくなので発売日のうちに注文。届くのが楽しみ。ずっと心の中で積読してた「べつの言葉で」もこれを機にようやく注文した。
- 高卒派遣社員@hidari_s2025年4月9日気になるジュンパ・ラヒリが翻訳について書いた本が出ると聞いて、彼女が翻訳者としても活動していることを知った。 イタリアの作家ドメニコ・スタルノーネと公私ともに交流があり、彼のイタリア語で書かれた作品を英訳しているとのこと。 本書でそれらの翻訳について語られるかは不明だが、発売が楽しみだ。
- こけしちゃん@kokeshichan1900年1月1日読み終わったベンガル語が第一言語で、英語で小説を書いている著者が、イタリア語を学びイタリア語で書き、翻訳した経験を描く。 実はこの著者の本初めてで、いまいちイタリア語にも興味がなく、著者が訳した本も日本じゃ未邦訳みたいで、あまり興味の持てないまま読み終わった。 1作目に読むにしてはふさわしくなかったかも。小説読んでから出直します。