ishiguro_reads
@ishiguro_reads
- 2025年4月22日文にあたる牟田都子読み終わった若いころは「てにをは」を躍起になって直してより読みやすくしようとしていたが、ベテランの先輩からそうした細かい修正に大事な指摘が埋もれてしまうことを教わった話や、文章の拙さも含めて作者の個性を読者が受け取る機会を削いでしまってはいけないと思うようになった話が、なんだかちょっとグッとくる。 「かんなにかけたみたいにきれいにしちゃいけない」と。 どんなに経験を積んでも、何人で見ても、落とすときは落とす。校正される前の文章が世に出ることはないから「良い校正」というのは読者には存在しない。読んでいて誤植があると、散歩をしていて小石に蹴つまずいたような気持ちになる、と言われたことがあるという。転ばぬ先の杖としての仕事があることを知って、その誠実さに頭が下がる。
- 2025年4月9日トム・ヘネガン 近代建築10の講義トム・ヘネガン,八束はじめ,松下希和読み終わった芸大の学部一年生向けに「建築設計をするとき、私たちは何について考えることができるか」を教える授業を再編して書籍化している。 過去の偉人たちの作品に触れながら、「社会性」に比重を置く現代の建築教育のなかでもかたちをつくることの楽しさを知れて良かった。
- 2025年4月5日
- 2025年4月4日予想どおりに不合理ダン・アリエリー,熊谷淳子読み終わった伝統的な経済学では、製品価格は需要(購買意欲)と供給(生産量)のバランスで決まるとされている。しかし、本書は、消費者が支払ってもいいと考える金額は簡単に操作されてしまうこと、支払い意思が市場価格を左右するのではなく逆転していることを指摘する。価格は相対的なものであり、気持ちにも左右される。 行動経済学という聞き慣れないジャンルに属する本書は、心理学と経営学を修めたイスラエル人の著者によって書かれている。「社会規範のコスト」「高価な所有意識」など、個々のトピックも面白く、特に二酸化炭素排出権取引が社会規範と市場規範が交差するところ、という話などは刺激的だ。だが、最も面白いと感じたのは、たとえば「性的興奮のさなかで倫理的判断に変化は生じるのだろうか」というような仮説・疑問を思いついた後、どのように条件を整えて実験を行うことで定量的な実験とすることができるか、という実験のデザインにあった。 『生物と無生物のあいだ』と同じように、世界の知らない切り口を知る喜びを感じられる本だった。
- 2025年3月19日考える技術・書く技術板坂元読み終わった私たちは毎日経験していることを、型として捉えることを怠けている。書く・読む・話す・聞くの全てにおいて型を把握することが重要である、という主旨の本。無関係に見えることの間の関係性を調べてみよう、まずは身の回りのものにあだ名をつけてみよう、というようなHOW TO本的な書き方をしている。 英語は最初に主語・述語の重要な部分がくるから、ヒアリングする際に文の切れ目と文の始まりに注目するのが良い。逆に外国人に日本語を喋る時は文の最後をゆっくり言うと伝わりやすい。という話は納得感がある。その他にも、「ある人が同じ抽象の水準でいつまでも話していてると、われわれはそれを退屈に感じる」という抽象度のリズムによって文章を読ませるという話も興味深い。
- 2025年3月6日「美しい」のものさしAYANA気になる
- 2025年2月28日かかとを失くして 三人関係 文字移植多和田葉子読み終わったマイルドにしたデヴィッド=リンチ映画とでもいうような、困惑と不協和音を読書中に感じる。 翻訳者である〈わたし〉が主人公となり、旅行中の自身の生活の描写と翻訳文が交互に繰り返される。なめらかに翻訳することは、文章の意味を伝えても単語の手触りを削ぎ落としてしまう。彼女は全体のことを考える余裕などなく、単語ごとに逐語訳する。旅行先のひととの会話もお互いの間にある透明な衝立に向かって壁打ちをしているようだ。 文章ではなく単語を、意味ではなく手触りを伝えるのも、たしかにコミュニケーションには違いないのだろう。
- 2025年2月26日料理の四面体玉村豊男読み終わった例えばローストビーフとアジの干物は、原理的には似たようなものだと言う。数センチの距離で直火で炙るか、1億5000万キロ離して太陽光で炙るかの違いでしかない、と。 本書はこのように、世界中の料理が実は、原理まで戻るとグラデーションでしかない、という見方を提示する。著者 玉村豊男氏は、火・水・空気・油を頂点に持つ四面体のうえに全ての料理をマッピングする。非常にシャープなダイアグラムだ。 この四面体について彼はレヴィ=ストロースの料理の三角形と構造主義自体に着想を得た、と書いているが私にはそれ以上の可能性があるように思えた。 たとえば豆腐という素材に火と油を加えると「揚げ出し豆腐・油揚げ」ができる。これを再度四面体の底面に持っていき素材として捉えると、油揚げの網焼き、揚げ出し豆腐の蒸し物など再度変化させることができる。そもそもの豆腐を分解して、大豆を水と火の直線上で運動させてできたものと捉えることもできる。 つまり、一つの四面体とは別次元の四面体が無限にあり、それらを行き来して考えることができる。多数のモノ・コトから帰納的・求心的に構造を見つけ出すのが構造主義だとすれば、その構造のうちに変化の可能性を内包するこの料理の四面体モデルはポスト構造主義として捉えることができるのではないだろうか。
- 2025年2月15日日本語の作文技術新版本多勝一読み終わった新聞記者である本多氏が「正確で読みやすい文章」の書き方について解説する。手元にあるのが第17刷であることからも、日本語作文についての他にはない理論書であることが伺える。 たとえば読点の打ち方について明確なルールを習った記憶がないが、それだけでも過去の教育をこの一冊が上回る。他の意味で受け取られない正確な文章を書くうえでは、読点の位置は非常に重要だ。本多氏いわく、それは趣味の問題ではなく正誤が明確に分かれる。一緒に仕事をする全ての相手がこのルールに則ってメールを打ってくれたらどんなに楽だろうか、と思う。
- 2025年1月31日脳はこうして学ぶスタニスラス・ドゥアンヌ,中村仁洋,松浦俊輔読み終わった数学者から認知神経科学者に転向したスタニスラス・ドゥアンヌによる著書。フランスの科学教育評議会議長にも就任したことで、国の教育について考える立場になり、学びのHOW TOを脳科学的に解説した本として読める。 本書は、なぜ今のところ、AIよりも人間の赤ちゃんの方がはるかに学習能力が高いのか、という疑問から始まる。学習能力を高めるために先天的にプログラムされていることや、後天的な学習の効率を高める機構について説明する。 そもそも人はなぜ全てを学習した上で生まれてこないのか。容量による説明と、環境順応による説明をするが、前者は元数学者らしい明快な解説で小気味よい。 DNAはACGTの4通りで、1対を1ビットとして、60億ビット=750MB程度のデータしかない。生まれてきた時に持ってこれるデータ量はCD-ROM 1枚分程度である。それに対して成人の脳には860億のニューロンと1000兆の接続があり、かなり少なく見積もって100TBの容量を持つ。よって全てを持って生まれることはできない。 では、その初めの750MBには何が書き込まれているのか。赤ちゃんの脳はタブラ・ラサではない。生物と無生物を区別する能力、確率に関する直感、ものとものが互いに同じ場所に食い込んで存在することはないこと、など、ゲームの基本設定は持って生まれてくる。そのことが、AIの無限の可能性を考慮に入れて学習する遅さとの違いになる。 後天的な学習については、教育論のようにもビジネス書のようにも読むことができる。「学習とは、世界の内部モデルを構築すること」と設定し、学びの体系化、予測とエラー修正、能動性の重視、など一般的にも言われているような学習効率化の方法が、脳科学的になぜ正しいと言えるのかを実証していく。
- 2025年1月5日庭のかたちが生まれるとき山内朋樹読み終わったバラバラの形を持つ石を、庭の中にどう配置するか。バランスとリズムについての試行と、ときどき変わる与件にどう応えるか、という作家の態度についての記述。設計に携わる者として学びがある。 著者は美学を専門とする教員であり、庭師でもある。師匠の古川が一つの庭をつくりあげるまでの一手一手を書き残し、その裏にある意図を考察する。 偶発的な出来事により全体が崩れ、それを組み直す際、事後的にまるで意図されていたかのようにそれまでの諸要素が別の流れに統合される、という作家の態度に共感するとともに、目指したい姿だな、と思う。
- 2025年1月1日Lexicon 現代人類学奥野克巳,石倉敏明読み終わった文化人類学における近年のキーワードを収録し、各項目を異なる著者が執筆。それぞれのキーワードが登場した背景と、今後の展開可能性について解説する。 頻出する引用から重要な文化人類学者や著作が浮かび上がり、現代の学者たちが共有する問題意識について知る。特に「アナキズムと贈与」と「マルチスピーシーズ民族誌」という2つのテーマに強く惹かれた。 ある時期までの文化人類学は、リサーチに基づく民族誌の製作と逆説的に見出される西洋中心主義の批判に主題があった。その「民族誌」そのものの虚構性が批判された結果、内省の時代を経て、現在はヒト以外(モノ、動物)との関係からヒトのあり方を描くことが大きなテーマになりつつあるようだ。
- 2024年12月18日読み終わったイタリアに交換留学していた頃からの友人の書いた本。彼はスローフードを担う農家や農村のリサーチをしていて、イタリアの各地の生産者に取材をしてまわっていた。 特定の農作物をつくるため、農地には様々なスケールの要素が絡み合った特有の風景がある。その風景には、人の営みと自然の摂理がお互いに歩み寄ってできたような強度とリズムがあり、心惹かれる。 本書は、農地の地形的特徴、生産の体制をつくるための街の構成、ぶどう棚のような生産のための治具、など、食の生産にまつわる風景(フードスケープ)をつくる要素とその関係に着目する。それらは、インタビューや写真、周辺環境まで含めた長い断面(バレーセクション)、人のつくる治具や建物の仕組みを説明する短い断面などで説明される。 普段建築で見る(描く)よりもかなりスケールの大きいバレーセクションも魅力的だが、筆者本人が撮った写真に目を惹きつけられた。 本自体も横向きに長いが、写真も大抵は横構図が取られる。人を映しながら建物を、建物を写しながら山を、という風に、一つの写真の中に複数のスケールを行き来できる視点がある。横向きの写真を英語で呼ぶことも含めて、この人の目はランドスケープを向いているのだな、と思った。
- 2024年12月16日霧のむこうに住みたい須賀敦子読み終わったイタリア文学の翻訳やエッセイ、小説など、幅広い文筆活動に共通して、須賀さんは瑞々しい感性と力強いことばで世界について、人について描写する。 この本は、長年過ごしたイタリアでの記憶について書かれている。読みながら、須賀さんの目線で風景や人間関係を追体験する自分と、古くからの付き合いで須賀さんの話を聞いているような、親密なコミュニケーションのなかにある自分の、両方の存在を感じる。本を読むこともコミュニケーションなんだと気付かされる。 普段動画を見たり、SNSでの短くて端的で限定的な文字表現に触れるなかで、人の話をゆっくり聞く、あとで思い出して心が遠くに持っていかれる、というような経験をしばらくしていないな、と思う。読んでほっとする気持ちと、少し寂しい気持ちが入り混じる。
- 2024年12月16日
- 2024年11月6日生物と無生物のあいだ福岡伸一読み終わったカイヨワの「反対称」を読んで、生物と無生物の連続性と分水嶺について興味を持ち、生物学者の福岡伸一氏が記した本書を手に取った。2007年のベストセラー本である。 生物学についての本を読むのは初めてだった気がするが、その作法が非常に面白い。ある分野での過去の学者たちの発見と失敗の歴史、哲学的思索、具体的に取られた実験方法の記述など、様々な方向から織り込まれたテクストは重厚で、門外漢にも示唆に富んでいる。 たとえば、砂浜に散在している小石と貝殻を見たとき、同じような見た目であっても片方は生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちは見ているというのだろうか。著者曰く、有機的かどうかは自己修復を行うか否かであり、動的平衡を保ちつつ更新し続ける性質に依存する。 この生物学的視点に、カイヨワの「反対称」に記される美学的視点を足してみるとどうなるか。建築自体が、安定と不安定、対称と反対称のあいだにあることで、そこに生命的な律動が感じられる。サンゴ虫の作り出すサンゴ礁のように、建物とヒトと、ヒトの振る舞いにより動かされるモノのレイアウトが、フラクタルな関係性を築くのが生物として好ましいのではないか。
- 2024年11月3日反解釈 (ちくま学芸文庫 ソ 1-1)スーザン・ソンタグ,高橋康也読み終わった良い。 内容ではなく形式を、意味ではなく構造を、という「反解釈」が書かれたのが1964年であることは、そのあまりの現代性に感嘆する。 千葉雅也の『センスの哲学』は、これに呼応して、その具体的な手つきを示した本と捉えることができる。 本書の中に含まれている〈キャンプ〉についてのノートもとても良い。キャンプとは、大げさに誇張された振る舞いや、過度に装飾の多いけばけばしいファッションなどを意味する。また、わざとらしさ・俗っぽさ・泥臭さを意識的に活かした芸術表現もこう呼ぶ。 設計者はしばしば、装飾を評価する言葉を持っていない。「趣味」とされるような非意味的な意匠は尚のことである。世俗的に流行するある感覚を、反解釈的に設計に取り込むことはとても刺激的だろう。具象的なモチーフを用いることも肯定する手立てになる。 本書で評されるゴダールの「女と男のいる舗道」は大好きな作品だが、反解釈的証言に触れてから観ると、さらに味わうことができそうだ。
- 2024年10月18日眼の冒険松田行正読み終わった本書は隔月誌『デザインの現場』に7年間連載された「design scape」というタイトルの原稿を再編集したものである。 かたちが似ていることをルールに、多様な図版とともに芸術作品や自然物をとりあげ、短い文章が添えられている。書評で鷲田清一氏が「図像的思考」と呼ぶこの視点は、意味を素通りして形とそれに反応する人体の関係性を純粋に捉える。 内容は多岐に渡るが、私の興味とリンクしたのは視覚的効果に対する畏怖、についてだった。ナチスのニュルンベルク党大会のフィナーレで行われた光のモニュメントが、催眠的熱狂を引き起こしたことは有名な話だ。その同じ見開きに、毎年9.11に行われるWTCの追悼の光の儀式が並んでいる。対極にある二つの儀式が相同的なイメージを共同していることは、衝撃的である。 ラグジュアリーを感じるデザインと、ロマン主義やシュプレマティズムには近いものがある。一方で、ヒトラーもまたロマン主義に惹かれていたことを本書で知った。崇高は排他に近づきうるが、祈りにもなる。意味のない形を求めても、読み取る側次第で特定の感情を引き起こしてしまうことを考えると、強い形を避けること、意味との結びつきが強い形を脱臼させて使うことの価値が再び浮上してくる。
- 2024年8月15日読む時間アンドレ・ケルテス,渡辺滋人読み終わった海法圭さんが箱根本箱を作る際に参考にしたという写真集。 人が本を読んでいるところを撮影した白黒スナップ写真集で、状況・ロケーション・姿勢・人数など、様々な環境で人は本を読むことが見て取れる。 撮影者であるアンドレ・ケルテスは作品集が20冊以上出ている大家だが、評価されるようになったのは70代になってからだという。そんな彼が生涯の中でもお気に入りの一冊であり続けたという。本を読み、思索に耽り、どこか遠くに意識を飛ばしている人の写真は、不思議とどれもチャーミングである。
- 2024年8月15日カワイイパラダイムデザイン研究チームカワイイ,真壁智治読み終わった著者の「建てない建築家」の真壁智治が共立女子大で2005年に行った演習課題をベースにしており、真壁と有志の学生「チームカワイイ」のワークショップから生まれた感性価値研究を2007年に書籍化したものである。 真壁にとっても、同年代のおじさん教師たちにとっても、「かわいい」を連発し構築的な思考で建築を語れなくなってきている生徒たちは悩みの種だった。 しかし、様式主義の「重いコトバ」、モダニズムの「正しいコトバ」、ポストモダニズムの「反コトバ」に対して、情報社会であるポスト・ポストモダニズム期に「軽いコトバ」が横行するのは、ある種不可避である。であれば、「カワイイ」について分析し、デザインボキャブラリーとしての市民権を与えよう、というのが本書の動機。 「カワイイ臨界点」などのパワーワードとともに、キモカワイイやカッコカワイイ、シブカワイイなど、カワイイと他領域の臨界点を探るため、パラメーターを変えたスタディが面白い。基本的に水玉はカワイイが、秩序や密度を変えるとほほえみだす、という内容も良く、感覚的な配置のカワイイ度を定量・定性の両方から分析する。
読み込み中...