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ishiguro_reads
@ishiguro_reads
  • 2025年6月3日
    思弁的実在論と現代について
    読み終わってすぐ2回目を読み始めた。いつも通り千葉さんの本は刺激に満ちている。 思弁的実在論とは無関係の哲学である。人はそれぞれに固有の問題を大事にするべきだとし、この対談集はよりバラバラになるために集まって話したものである。有限化することで他者への責任を引き受けすぎないようにするという話は、抽象から具体まで幅広く共通して腑に落ちる内容だ。 対談の相手は哲学者から作家までバラエティに富んでおり、イケメンについての考察など、カジュアルに読める話も多くオススメ。
  • 2025年5月30日
    日本人と日本文化
    日本人と日本文化
    司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏による対談本。歴史小説を読んでこなかったため司馬氏の人柄を知らず、少し硬い議題になるかと想像していたが、横断的な知識をもとに雑談や仮説を話し合う面白い本だった。いとうせいこうとみうらじゅんの雑談に近いと感じるほど、お互いの話に興が乗っている。高僧を描いた絵はいかにも立派に描かれるが、一休の絵はなまなましくて興味が湧いた、というような感性に共感する。
  • 2025年5月29日
    ユートピアだより (岩波文庫)
    ユートピアだより (岩波文庫)
  • 2025年4月30日
    しあわせの理由
    しあわせの理由
    特定の条件下の世界を想定してそこでの生き方を見ることで、現実世界の私たちを内省的に考える。SFのSはScienceであると同時にSpeculativeにもなりえるという気がした(調べるとやはりそうした議論は既にあるようだ)。 それぞれの短編の終わりに見つける答えや新たな疑問は、純文学の長編の読後やコンセプトアートを観たあとに感じるものにも近い。
  • 2025年4月22日
    文にあたる
    文にあたる
    若いころは「てにをは」を躍起になって直してより読みやすくしようとしていたが、ベテランの先輩からそうした細かい修正に大事な指摘が埋もれてしまうことを教わった話や、文章の拙さも含めて作者の個性を読者が受け取る機会を削いでしまってはいけないと思うようになった話が、なんだかちょっとグッとくる。  「かんなにかけたみたいにきれいにしちゃいけない」と。  どんなに経験を積んでも、何人で見ても、落とすときは落とす。校正される前の文章が世に出ることはないから「良い校正」というのは読者には存在しない。読んでいて誤植があると、散歩をしていて小石に蹴つまずいたような気持ちになる、と言われたことがあるという。転ばぬ先の杖としての仕事があることを知って、その誠実さに頭が下がる。
  • 2025年4月9日
    トム・ヘネガン 近代建築10の講義
    トム・ヘネガン 近代建築10の講義
    芸大の学部一年生向けに「建築設計をするとき、私たちは何について考えることができるか」を教える授業を再編して書籍化している。  過去の偉人たちの作品に触れながら、「社会性」に比重を置く現代の建築教育のなかでもかたちをつくることの楽しさを知れて良かった。
  • 2025年4月5日
    文庫 〈新版〉実戦・日本語の作文技術
    前著『日本語の作文技術』の続編としての要素と、文章読本的な要素を併せ持つと知り読んでみた。 たしかに、前著を読んだ状態だと、練習ドリルのように文章の規則を定着させる役割はそれなりにありそうだったが、わざわざ2冊買うほどの内容は無いと感じた。
  • 2025年4月4日
    予想どおりに不合理
    予想どおりに不合理
    伝統的な経済学では、製品価格は需要(購買意欲)と供給(生産量)のバランスで決まるとされている。しかし、本書は、消費者が支払ってもいいと考える金額は簡単に操作されてしまうこと、支払い意思が市場価格を左右するのではなく逆転していることを指摘する。価格は相対的なものであり、気持ちにも左右される。 行動経済学という聞き慣れないジャンルに属する本書は、心理学と経営学を修めたイスラエル人の著者によって書かれている。「社会規範のコスト」「高価な所有意識」など、個々のトピックも面白く、特に二酸化炭素排出権取引が社会規範と市場規範が交差するところ、という話などは刺激的だ。だが、最も面白いと感じたのは、たとえば「性的興奮のさなかで倫理的判断に変化は生じるのだろうか」というような仮説・疑問を思いついた後、どのように条件を整えて実験を行うことで定量的な実験とすることができるか、という実験のデザインにあった。 『生物と無生物のあいだ』と同じように、世界の知らない切り口を知る喜びを感じられる本だった。
  • 2025年3月19日
    考える技術・書く技術
    私たちは毎日経験していることを、型として捉えることを怠けている。書く・読む・話す・聞くの全てにおいて型を把握することが重要である、という主旨の本。無関係に見えることの間の関係性を調べてみよう、まずは身の回りのものにあだ名をつけてみよう、というようなHOW TO本的な書き方をしている。 英語は最初に主語・述語の重要な部分がくるから、ヒアリングする際に文の切れ目と文の始まりに注目するのが良い。逆に外国人に日本語を喋る時は文の最後をゆっくり言うと伝わりやすい。という話は納得感がある。その他にも、「ある人が同じ抽象の水準でいつまでも話していてると、われわれはそれを退屈に感じる」という抽象度のリズムによって文章を読ませるという話も興味深い。
  • 2025年3月6日
  • 2025年2月28日
    かかとを失くして 三人関係 文字移植
    マイルドにしたデヴィッド=リンチ映画とでもいうような、困惑と不協和音を読書中に感じる。 翻訳者である〈わたし〉が主人公となり、旅行中の自身の生活の描写と翻訳文が交互に繰り返される。なめらかに翻訳することは、文章の意味を伝えても単語の手触りを削ぎ落としてしまう。彼女は全体のことを考える余裕などなく、単語ごとに逐語訳する。旅行先のひととの会話もお互いの間にある透明な衝立に向かって壁打ちをしているようだ。 文章ではなく単語を、意味ではなく手触りを伝えるのも、たしかにコミュニケーションには違いないのだろう。
  • 2025年2月26日
    料理の四面体
    料理の四面体
    例えばローストビーフとアジの干物は、原理的には似たようなものだと言う。数センチの距離で直火で炙るか、1億5000万キロ離して太陽光で炙るかの違いでしかない、と。 本書はこのように、世界中の料理が実は、原理まで戻るとグラデーションでしかない、という見方を提示する。著者 玉村豊男氏は、火・水・空気・油を頂点に持つ四面体のうえに全ての料理をマッピングする。非常にシャープなダイアグラムだ。 この四面体について彼はレヴィ=ストロースの料理の三角形と構造主義自体に着想を得た、と書いているが私にはそれ以上の可能性があるように思えた。 たとえば豆腐という素材に火と油を加えると「揚げ出し豆腐・油揚げ」ができる。これを再度四面体の底面に持っていき素材として捉えると、油揚げの網焼き、揚げ出し豆腐の蒸し物など再度変化させることができる。そもそもの豆腐を分解して、大豆を水と火の直線上で運動させてできたものと捉えることもできる。 つまり、一つの四面体とは別次元の四面体が無限にあり、それらを行き来して考えることができる。多数のモノ・コトから帰納的・求心的に構造を見つけ出すのが構造主義だとすれば、その構造のうちに変化の可能性を内包するこの料理の四面体モデルはポスト構造主義として捉えることができるのではないだろうか。
  • 2025年2月15日
    日本語の作文技術新版
    新聞記者である本多氏が「正確で読みやすい文章」の書き方について解説する。手元にあるのが第17刷であることからも、日本語作文についての他にはない理論書であることが伺える。 たとえば読点の打ち方について明確なルールを習った記憶がないが、それだけでも過去の教育をこの一冊が上回る。他の意味で受け取られない正確な文章を書くうえでは、読点の位置は非常に重要だ。本多氏いわく、それは趣味の問題ではなく正誤が明確に分かれる。一緒に仕事をする全ての相手がこのルールに則ってメールを打ってくれたらどんなに楽だろうか、と思う。
  • 2025年1月31日
    脳はこうして学ぶ
    脳はこうして学ぶ
     数学者から認知神経科学者に転向したスタニスラス・ドゥアンヌによる著書。フランスの科学教育評議会議長にも就任したことで、国の教育について考える立場になり、学びのHOW TOを脳科学的に解説した本として読める。  本書は、なぜ今のところ、AIよりも人間の赤ちゃんの方がはるかに学習能力が高いのか、という疑問から始まる。学習能力を高めるために先天的にプログラムされていることや、後天的な学習の効率を高める機構について説明する。  そもそも人はなぜ全てを学習した上で生まれてこないのか。容量による説明と、環境順応による説明をするが、前者は元数学者らしい明快な解説で小気味よい。  DNAはACGTの4通りで、1対を1ビットとして、60億ビット=750MB程度のデータしかない。生まれてきた時に持ってこれるデータ量はCD-ROM 1枚分程度である。それに対して成人の脳には860億のニューロンと1000兆の接続があり、かなり少なく見積もって100TBの容量を持つ。よって全てを持って生まれることはできない。  では、その初めの750MBには何が書き込まれているのか。赤ちゃんの脳はタブラ・ラサではない。生物と無生物を区別する能力、確率に関する直感、ものとものが互いに同じ場所に食い込んで存在することはないこと、など、ゲームの基本設定は持って生まれてくる。そのことが、AIの無限の可能性を考慮に入れて学習する遅さとの違いになる。  後天的な学習については、教育論のようにもビジネス書のようにも読むことができる。「学習とは、世界の内部モデルを構築すること」と設定し、学びの体系化、予測とエラー修正、能動性の重視、など一般的にも言われているような学習効率化の方法が、脳科学的になぜ正しいと言えるのかを実証していく。
  • 2025年1月5日
    庭のかたちが生まれるとき
     バラバラの形を持つ石を、庭の中にどう配置するか。バランスとリズムについての試行と、ときどき変わる与件にどう応えるか、という作家の態度についての記述。設計に携わる者として学びがある。  著者は美学を専門とする教員であり、庭師でもある。師匠の古川が一つの庭をつくりあげるまでの一手一手を書き残し、その裏にある意図を考察する。  偶発的な出来事により全体が崩れ、それを組み直す際、事後的にまるで意図されていたかのようにそれまでの諸要素が別の流れに統合される、という作家の態度に共感するとともに、目指したい姿だな、と思う。
  • 2025年1月1日
    Lexicon 現代人類学
    Lexicon 現代人類学
    文化人類学における近年のキーワードを収録し、各項目を異なる著者が執筆。それぞれのキーワードが登場した背景と、今後の展開可能性について解説する。  頻出する引用から重要な文化人類学者や著作が浮かび上がり、現代の学者たちが共有する問題意識について知る。特に「アナキズムと贈与」と「マルチスピーシーズ民族誌」という2つのテーマに強く惹かれた。  ある時期までの文化人類学は、リサーチに基づく民族誌の製作と逆説的に見出される西洋中心主義の批判に主題があった。その「民族誌」そのものの虚構性が批判された結果、内省の時代を経て、現在はヒト以外(モノ、動物)との関係からヒトのあり方を描くことが大きなテーマになりつつあるようだ。
  • 2024年12月18日
    Foodscape フードスケープ
    イタリアに交換留学していた頃からの友人の書いた本。彼はスローフードを担う農家や農村のリサーチをしていて、イタリアの各地の生産者に取材をしてまわっていた。 特定の農作物をつくるため、農地には様々なスケールの要素が絡み合った特有の風景がある。その風景には、人の営みと自然の摂理がお互いに歩み寄ってできたような強度とリズムがあり、心惹かれる。 本書は、農地の地形的特徴、生産の体制をつくるための街の構成、ぶどう棚のような生産のための治具、など、食の生産にまつわる風景(フードスケープ)をつくる要素とその関係に着目する。それらは、インタビューや写真、周辺環境まで含めた長い断面(バレーセクション)、人のつくる治具や建物の仕組みを説明する短い断面などで説明される。 普段建築で見る(描く)よりもかなりスケールの大きいバレーセクションも魅力的だが、筆者本人が撮った写真に目を惹きつけられた。 本自体も横向きに長いが、写真も大抵は横構図が取られる。人を映しながら建物を、建物を写しながら山を、という風に、一つの写真の中に複数のスケールを行き来できる視点がある。横向きの写真を英語で呼ぶことも含めて、この人の目はランドスケープを向いているのだな、と思った。
  • 2024年12月16日
    霧のむこうに住みたい
    イタリア文学の翻訳やエッセイ、小説など、幅広い文筆活動に共通して、須賀さんは瑞々しい感性と力強いことばで世界について、人について描写する。 この本は、長年過ごしたイタリアでの記憶について書かれている。読みながら、須賀さんの目線で風景や人間関係を追体験する自分と、古くからの付き合いで須賀さんの話を聞いているような、親密なコミュニケーションのなかにある自分の、両方の存在を感じる。本を読むこともコミュニケーションなんだと気付かされる。 普段動画を見たり、SNSでの短くて端的で限定的な文字表現に触れるなかで、人の話をゆっくり聞く、あとで思い出して心が遠くに持っていかれる、というような経験をしばらくしていないな、と思う。読んでほっとする気持ちと、少し寂しい気持ちが入り混じる。
  • 2024年12月16日
    新記号論 脳とメディアが出会うとき
    eye-opening
  • 2024年11月6日
    生物と無生物のあいだ
    カイヨワの「反対称」を読んで、生物と無生物の連続性と分水嶺について興味を持ち、生物学者の福岡伸一氏が記した本書を手に取った。2007年のベストセラー本である。 生物学についての本を読むのは初めてだった気がするが、その作法が非常に面白い。ある分野での過去の学者たちの発見と失敗の歴史、哲学的思索、具体的に取られた実験方法の記述など、様々な方向から織り込まれたテクストは重厚で、門外漢にも示唆に富んでいる。 たとえば、砂浜に散在している小石と貝殻を見たとき、同じような見た目であっても片方は生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちは見ているというのだろうか。著者曰く、有機的かどうかは自己修復を行うか否かであり、動的平衡を保ちつつ更新し続ける性質に依存する。 この生物学的視点に、カイヨワの「反対称」に記される美学的視点を足してみるとどうなるか。建築自体が、安定と不安定、対称と反対称のあいだにあることで、そこに生命的な律動が感じられる。サンゴ虫の作り出すサンゴ礁のように、建物とヒトと、ヒトの振る舞いにより動かされるモノのレイアウトが、フラクタルな関係性を築くのが生物として好ましいのではないか。
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