Reads
Reads - 読書のSNS&記録アプリ
詳しく見る
読書日和
読書日和
@miou-books
  • 2026年10月2日
    (旧版)からだは星からできている
    いい意味で、思っていたのと違った本でした! 秋になって、星にまつわる本が読みたくなって、理学博士の書く「星のお話」だと思って手に取ったら、科学だけではなく、宗教、哲学、詩、中国古典まで出てくる。おお……そうきますか。中国古典の宇宙のとらえ方や、インド最古の古典『リグ・ヴェーダ』に記された宇宙観。 「宇宙はないところから始まった」 科学の本だと思って読み始めたのに、いつの間にか古代の人たちが宇宙をどう見ていたのか、そして人間は何を考えて生きてきたのか、というところまで連れていかれた。 何千年も前の人たちが、まだ科学的に説明できなかった宇宙を前にして、それでも自分たちなりに考え、言葉にしていたこと(それも美しい詩で!!)に圧倒される。 ちょうど並行して読んでいた稲盛和夫さんの『心。』にも、どこか通じるものを感じた。 宇宙のことを考えていたら、人間の心のことまで考えることになる。 こういう本に出会うと、普段「分かったつもり」でいることが、実は全然分かっていなかったんだなぁと思う。 一度読んだだけでは、たぶん分かった気になっているだけ。 これも少し時間を置いて、また読み返したい一冊。
  • 2026年10月1日
    心。
    心。
    何かの節目節目に読みたくなる本。 利他の大切さや、心の持ちようについて、改めて立ち止まって考えさせられる。 ちょっと前まで明治時代の本を続けて読んでいて、あの時代に大きな仕事を成し遂げた人たちのことを考えていた。 時代も立場も全然違うけれど、目の前の自分の利益だけではなく、その先にいる人や社会のことを考える、という部分では通じるものがあるのかもしれない。 今回、特に残ったのはこの二つ。 「一日のうちわずかでも、心を静め穏やかに保つ時間をとること。」 そして、 「判断基準が『会社にとって』正しいかどうかではなく、『私にとって』正しいかどうかでもなく、『人間として』正しいかどうかだ。」 会社にとってどうなのか、相手にとってどうなのか、自分にとって損か得か……と、ついつい流されるけれど、その前に「人間として正しいか」と考える。 簡単そうで、実際にはなかなか難しい。 また時間を置いて読み返したい。
  • 2026年9月30日
    MIDNIGHT PIZZA CLUB 1st BLAZE LANGTANG VALLEY
    MIDNIGHT PIZZA CLUB 1st BLAZE LANGTANG VALLEY
  • 2026年9月30日
    山小屋からの手紙
    山小屋からの手紙
    『山と溪谷』で2020年10月号から2026年1月号まで連載された、全国の山小屋主人や小屋番による57回のリレーエッセイ。 コロナ禍で営業を休まざるを得なかった山小屋の葛藤や、営業再開後の感染対策、登山者との交流、山への思いなどが綴られている。 山歩きを始めて10年以上になるので、読んでいて「あ、この小屋、いつの間にか代替わりしたんだ!」と気づくこともあったり、普段は日帰りで行っている山も、次は泊まってゆっくり歩いてみたいなと思ったり。 このところシルバーウィークは雨続きで、山歩きはほぼ全滅。 でもこの本を読んでいる間は、心だけ山へ。 それにしても、コロナ禍を経て山小屋はずいぶん変わったなぁ。 「一畳に2人」(もっとぎゅうぎゅうの小屋もあったよなぁ。笑)みたいな山小屋のスタイルも、感染対策をきっかけに変わらざるを得なくなった。利用者としては予約が取りにくくなった悩みもあるけれど、泊まってみると以前よりずっと快適になった小屋も多い。 山小屋って、泊まる場所というだけじゃなくて、山を歩く人と山をつなぐ場所なんだなぁ、と改めて思った一冊。 山に行きたくなる本です。
  • 2026年9月30日
    ゆっくり急げ
    ゆっくり急げ
    定期的に読みたくなる、ヤマザキマリさんのエッセイ。 自分の視野が狭くなっていないか、知らず知らずのうちに思い込みにとらわれていないか。読んでいると、凝り固まったところをぐいっと広げてもらうような気持ちになる。 今回も序盤から、日本にイソップ寓話が伝わったのは安土桃山時代から、と知って「えー、そんなに早くから?」と驚いたり、アリとキリギリスのとらえ方が国によって違うという話に、また自分の思い込みに気づかされたり。 たくさんのエッセイの中で、今回いちばん心に残ったのは「途中でやめていい」。 「最後までやり遂げないといけない」って、けっこう根深い呪いだと思う。 私もいまだにこの呪いにかかっていて、新しいことをやってみたいと思っても、「これ始めたら最後まで続けなきゃ」と考えてしまう。だから、やめてもいいんだよ、と言われると、ちょっと肩の力が抜ける。 「思うようにならない」ということは、何が起こるか分からない面白みに身を委ねてみるチャンス。 今回もガチガチになっていた頭と心を、少しほぐしてもらいました。
  • 2026年9月30日
    テミスの不確かな法廷
    今年ドラマになっていたんだ!と、今更帯から知る。 任官七年目の裁判官・安堂清春が主人公。ASD/ADHDの特性がある彼が、Y地裁で起きる3つの事件に向き合っていく。 ミステリの要素も強く、事件の展開も面白いのだけど、印象に残ったのは主人公の特性がとても細やかに描かれていたこと。 SNSなどで目にする「発達障害の特性」の説明よりも、こうして一人の人間の行動や考え方を通して描かれると、すっと頭に入ってくる。程度の違いはあっても、誰しも得意不得意や、ちょっと人とは違うところがある。 「特性」と名前をつけた途端に、分かったような気になってしまうこともあるのかもしれない。ストーリーを楽しみながら、社会全体の見方や、人の違いのとらえ方についても、新しい視点をもらえた一冊。
  • 2026年9月28日
    愛すること
    愛すること
    読んでいて気づかされたのは、知らず知らずのうちに従っている思い込みや、それによって生まれる不健全な思考のパターン。 自分では「こういうもの」と思っていることも、実は長いあいだ身につけてきた考え方にすぎないのかもしれない。 怒りや悲しみをなくそうとするのではなく、まずそこにあるものを見つめる。そして、自分の言葉や行動を少しずつ整えていく。 書いてあることは難しくないし、さらっと読めてしまう。 でも、理解することと、実際にできることは全然違う。 たぶん、実践するには一生かかる。 (かかっても、自分の心や身体を傷つける限り、本質は変わらないのだ)。 特に「愛の瞑想」の言葉が心に残った。 自分に必要な言葉だったので、手帳に書いて、時々眺めなおすことにする。
  • 2026年9月28日
    風の神のいたずら
    風の神のいたずら
    大好きな「アジア文芸ライブラリー」から新刊が出ていた! ここの本が好きで、ちょっとずつ読み進めている。 朱和之さんの本は『南光』以来、2冊目。 日本統治時代の台湾に生まれた音楽家・江文也の生涯を描いた音楽小説。 台北・大稻埕で生まれ、幼少期を厦門で過ごし、13歳で日本(上田)へ渡る。その後、東京、北京へと住む場所を変えていく彼にとって、「故郷」とはいったいどこだったのだろう。 フィクションと断り書きはあるけれど、植民地時代の台湾から日本、そして大陸へ。激動の時代に翻弄されながらも、ひたすら音楽に情熱を注いだ芸術家の姿が、とても鮮やかに浮かび上がってくる。 自信にあふれていて、素直で、疑うことを知らず、周りからも愛されている。 読んでいるうちに、江文也という人がどんどん好きになっていった。 でも、戦争を経て、戦後は日本国籍を失い、日本へ帰ることもなく、複雑な時代の波にのみ込まれていく。 実際に彼が国際的な評価を得た『台湾舞曲』(1936年)や『孔廟大成楽章』、そして彼と競った伊福部昭の『日本狂詩曲』をYouTubeで探して、時々聴きながら読んだ。それぞれの土地や民族性、そして当時の時代の空気まで想像が広がって、なんとも不思議な読書体験だった。 特に、北京で老志誠と出会う場面の描写がとても美しかった。 北京の路地。日差しに照らされて揺らめく木々。どこからともなく聞こえてくる音楽。光景が、目の前に浮かぶようだった。 作中に出てくる唐詩も美しい。 『子夜春歌』や『琵琶行』。 当時の人たちは、こんな美しい詩を暗唱していたんだなぁ、と思う。 言葉の響きや表現の美しさに、改めてうっとり。 そして何より、朱和之さんが江文也という人物に惚れ込んでいるのが、読んでいてビシビシ伝わってくる。 私もすっかり江文也に惹き込まれて、一気読み。 音楽を聴き、詩を味わい、時代に思いを馳せる。とても幸せな読書の時間だった。 こうなると、未翻訳の『當太陽墜毀在哈因沙山』もやっぱり読みたくなる。 翻訳されますように。
  • 2026年9月26日
    天然日和
    天然日和
    読み始めてびっくり。この本、2006年刊行?! しかも、2001年頃に連載されていたエッセイをまとめたものなので、書いたときの石田ゆり子さんは30代になったばかりくらい。 20年以上前の文章なのに、驚くほど古さを感じない。エッセイって、時間が経つとその時代の空気を感じることが多いのに、この本は今読んでもすっと入ってくる。 すでに俳優として活躍していた頃なのに、書かれているのは小さな日常のこと。気取らなくて、ちょっと笑えて、時々じんとする。そして、端々から自分の言葉や生き方を大切にしていることが伝わってくる。 特に好きだったのが「悪いことは口にしない」という話。「自分の耳が、その悪口を一番近くで聞いているからだ」 この考え方、好きだなぁ。 今でこそ、悪口やネガティブな言葉が自分自身に与える影響について、脳科学などでも語られるけれど、そんなことを理屈で説明するより前に、言葉を大切にしていたんだなと思う。 「他人への想像力の欠如は、自分への愛情不足から」という視点にも、ちょっとドキッとした。 そして、30代になったばかりの彼女が、すでに「自分の足でしっかり立っていたい」「強くなりたい」と考えていたことにも驚いた。 私が30歳の頃なんて、そんなこと考えていたかなぁ。 人の気持ちをちゃんと想像していたんだろうか。今も微妙だけど。笑 ご家族への愛情もたっぷりで、こんなふうに育った背景には、お母さまの愛情や教育もあったんだろうな、と感じる。 読んでいるうちに、なんだか「素敵な人だなぁ」としみじみ思った。 自分とはずいぶん違うな、と思いかけたところで、 「たぶん人は、いくつになっても学べる。いくつになっても成長できる。」 という言葉に救われた。 そうか。 20年前の30代の彼女が考えていたことを、今の私が今さら受け取っている。 いくつになっても学べるなら、まあ、まだ間に合うか。 自分のことくらい、自分で信じて、大切にしてあげよう。 20年越しに、ちょっと背中を押してもらったような一冊。 大切な人にも教えたくなる本でした。
  • 2026年9月26日
    老いることの驚きと幸せ これから年を重ねていくあなたへ、88歳の作家からの手紙
    年を取るのは怖いし、年齢との向き合い方もなんだか悩ましいお年頃なので、すがるような気持ちで購入。 ところが、序盤からいきなり怖い。    「0」のつく年齢は毎回怖いものです。 あー。そうそう、そうなんだよ。 そして、 「歳をとってなにが悲しいかというと、老いたことではなく、自分がまだ若いということだ。気持ちの上では、まだまだ40代か50代」 年齢を重ねていけば、自然と心も落ち着いて、若い頃のような焦りや雑念から少しずつ解放されていくものなのかな、と思っていた。大間違いだったーーー! と、私はこの本を読んで受け取ってしまった。笑 88歳の作家が書いているからこそ、「歳を取ればこういう境地にたどり着くのかな」と勝手に期待していたのだけど、どうやらそう単純な話ではないらしい。 むしろ、何歳になっても「自分はまだ自分」で、年齢だけが先に進んでいく。 身体は変わっていくけれど、心の中には若い頃の自分も、その時々の自分もずっと残っている。 年老いても、みんな心はずっと若いままなのだと改めて知った。 これから50代、60代と年齢を重ねていったら、もっと穏やかになって、いろんなことを気にしなくなるのかな、なんて思っていたけれど、そう簡単ではなさそうだ。 まだまだ先のこと、と思いたいような、あっという間に来そうなような。 この本、読むタイミングやそのときの自分の気持ちによって、きっと感じ方が変わるんだろうなと思った。
  • 2026年9月26日
    万里の長城 (福音館の単行本)
    先日訪れた「かこさとし展」でこの本を知って、気になってすぐ最寄りの図書館へ。児童書のコーナーにあったけれど、これ、大人もめちゃくちゃ勉強になる。読み終わって裏表紙を見たら「小学校上級~大人向け」とあって、なるほど。笑 かこさとし展では1ページしか見ることができなかったけれど、実際に借りて読んでみたら、地球の誕生から始まる壮大な物語。 イラストは中国の常嘉煌さんとかこさんが分担して描かれているそうで、文章だけでなく、絵を眺めているだけでもいろいろなことが見えてくる一冊だった。 そして、あとがきに込められたメッセージも響いた。 戦争を知っている世代のかこさんだからこそ、万里の長城という「国と国を隔てるもの」を描きながら、そこに留まらず、お互いを理解し、思いやることの大切さを伝えようとしているのが感じられた。
  • 2026年9月26日
    人間の絆(上)(新潮文庫)
    人間の絆(上)(新潮文庫)
  • 2026年9月22日
    方丈記
    方丈記
    鴨長明の生涯や、平安末期に起きたさまざまな災厄が漫画で描かれていて、古典に詳しくなくてもわかりやすい。『方丈記』の原文も収録されていて、さらに水木先生が鴨長明の一生を『方丈記』に重ねながら紹介している。これが、めちゃめちゃ読み応えあり。しかも巻末には荒俣宏さんの解説まで付いている! 『方丈記』の内容はもちろんだけど、特に心に残ったのは、水木先生自身のコメントだった。 若い頃、出征する前に『方丈記』を読み、大いに共感を覚えたという。 「死にいく者はあきらめの境地にならなければならなかったのだ」 同時に、鴨長明の『無名抄』にはある種の郷愁を覚え、『発心集』には、仏教説話を通して長明の感じる無常の心が反映されていると感じたという。 同じ『方丈記』でも、戦地へ向かう前の水木先生が読むのと、今の私たちが読むのとでは、感じる「無常」は同じなんだろうか。 災害や死、世の中の移り変わり。書かれていることは同じでも、読む人が生きている時代や置かれた状況によって、心に響くところは変わるのかもしれない。
  • 2026年9月21日
    海町、古書店ものがたり
    会社帰りに本屋さんへ寄り道。表紙が素敵で、思わず購入。本の断面にも猫の姿が描かれていて、めちゃめちゃかわいい。こういうこだわりの装丁に弱い。 家族も友人もおらず、仕事まで失った森川天音は、会ったことのない亡き祖父から尾道の古書店を相続する。海の見える町に移り住んだ天音が、不思議な猫たちや、祖父を知る町の人々と出会っていく物語。 海の見える坂道、展望台から眺める瀬戸内海のきらめき、千光寺、林芙美子の石碑。かつて歩いた尾道の街を思い浮かべながら読んだ。月ごとに章が分かれているので、季節の移り変わりや、その時々の空気まで感じられるような読書だった。 そして、林芙美子の『放浪記』やサマセット・モームなど、以前から読もうと思っていた本の名前が出てきて、 「ああ、そうだったそうだった。これも読もうと思ってたんだ」 と、忘れていた読書予定をいくつも思い出す。笑 尾道の街を思い浮かべながら読んでいたら、久しぶりにまた歩きたくなった。それにしても、読もうと思っていた本をすっかり忘れているのに、小説の中で名前が出てくると「あ、そうだった!」と思い出す。笑本を読んでいるのに、次に読みたい本がどんどん増えていく。困ったものです。
  • 2026年9月20日
    雪の如く山の如く
    雪の如く山の如く
    タイトルと表紙から、勝手にさわやかな話を想像していた。西域とかチベットとか、そんな感じの。笑 大学生から70代まで、同じ「リーリー」という読みの名前を持つ6人の女性。それぞれの人生を通して、女性であるがゆえに遭遇する、ありふれているけれど、決して簡単には逃れられない現実が描かれた短編集。 最初の「ただ座りたいだけなのに」を読み始めて、2000年代初めの緑色の客車が頭に浮かんだ。 硬くて直角の木製の椅子。でも席はない。あー、辛い。 そういえば、あの頃はヴィッキー・チャオのドラマに出てくるカチューシャも、どこでも見かけたよね。そんな記憶まで引っ張り出されて、思いがけず過去を追体験することになった。 2話目の「床の上の血」では、その生々しさに圧倒された。 えー、このテンポで続くの、、 同性だからこそ共感してしまう部分もあれば、嫌悪感を抱いたり、読んでいて辛くなったり。感情を大きく揺さぶられて、なかなかしんどい読書だった。 ここまで読者の感情を動かしてくるのは、作者だけでなく、訳者の方の力量もあるんだろうなと思う。 とはいえ、最後の話は途中で脱落。きつかった。 それにしても、タイトルと表紙から想像していた内容との落差がすごい。勝手に西域やチベットの話だと思い込んでいた自分よ、、
  • 2026年9月20日
    多類婚姻譚
    多類婚姻譚
    「個の時代」の婚姻にまつわる5つの短編。 登場人物が次の話に出てきたり、どこかでつながっていたりする、私、このパターン好きだなぁ。 いろいろな形の結婚があって、いろいろな形の苦悩がある。 どの話に出てくる女性たちにも、程度の違いはあれど共感したり、「あー、身近にいる、いるいる」と思ったり。雨の休日に読み始めたら、すっかりのめり込んで一気読みしてしまった。 自分のことや、自分の日々を少し遠くから眺めているような感覚になる場面もあって、ちょっとグサッときたり。 他人の話として読んでいたはずなのに、いつの間にか自分の中にも似たような部分を見つけてしまう。 小説を読む楽しみを、改めて実感した雨の休日でした。
  • 2026年9月19日
    図解でわかる 14歳から知るインド・中国の宗教と文化
    図解でわかる 14歳から知るインド・中国の宗教と文化
  • 2026年9月19日
    明治実業家の知識・見識・胆識
    『絢爛の法』を読んだ後で、気持ちはまだまだ明治時代にどっぷり。笑 渋沢栄一、岩崎弥太郎、大倉喜八郎など、9人の実業家が、激動の明治にどんな課題に向き合い、どう道を切り拓いていったのかを描いた本。それぞれの生き方も、時代の中での突き抜け方もすごい。 岩崎弥太郎に対する見方がかなり変わった。笑 高知を旅行したときには生家へ行ったし、上野の旧岩崎邸庭園など、ゆかりのある場所も訪れて少しは知っているつもりだったけれど、「こういうタイプの人だったんだ。言われてみれば確かに……」という感じ。 この中では、大倉喜八郎の生き方、駆け上がっていく姿に一番惹かれた。 最後に紹介される「知識・見識・胆識」。 知識は選択肢を広げるもの。見識は自分の判断軸で決断する力。胆識は結果を出すまでやり切る力。 この中で特に気になったのが「見識」だった。 幕末の志士や明治の実業家たちは、中国古典や歴史、宗教、現場での経験などから、自分なりの判断軸を身につけていったという。 情報が今ほど多くなかった時代なのに、海の向こうまで見据え、50年先、100年先を考えていた人たち。 一方、現代は情報があふれていて、知識を得る機会は多いけれど、その中から何を選び、何を信じ、自分の判断軸をどこに置くのかが難しい。 最後の「もしも明治の実業家たちが現代に生きていたら」という妄想も、「うんうん、そうかも」と楽しめた。
  • 2026年9月18日
    おどろきの刑事司法 “犯罪者”の作り方
    村木厚子さんの冤罪事件。ニュースで第一報や続報を見ていたので、この事件は覚えている。 当時は「官僚ってこんなことをしちゃうんだ。真面目そうなのに……」なんて思っていた。冤罪だったのに、まんまと検察側の筋書きに乗せられていたんだなぁ。 本書では、ご自身の冤罪体験とともに、日本の刑事司法制度が抱える問題が語られている。 体験談の部分は、読んでいてこちらまで心が折れそうになる。自分は何も悪いことをしていないのに、組織の力によって犯罪者に仕立て上げられていく。その恐ろしさは、想像するだけでもつらい。 「有罪率99.9%」という数字も、日本の検察や司法が優秀だからこそ、と考えていた部分があったけれど、そこには表に出ていない冤罪や、無理に有罪に持ち込まれてしまった事件はないのだろうかと考えさせられた。 無罪判決を書くことにも、膨大なエネルギーが必要だという話は初めて知った。 上級審で判決を覆されないように。検察に「恥をかかされた」と受け取られないように。判決の根拠を懇切丁寧に説明しなければならない。 無罪を言い渡すことさえ、これほど慎重さや労力を求められるのかと驚いた。 後半では、袴田事件をはじめ、戦後のさまざまな冤罪事件が取り上げられる。 なかでも記憶に新しいのが大川原化工機事件。十分な治療を受けられないまま、被告人の立場で亡くなった方のことを思うと、ご本人もご家族もどれほど無念だっただろうと思う。 現代の日本で、こんな冤罪や捏造が起きるのか。そう怖くなったことを覚えている。 なぜ、こうしたことが起きてしまうのか。 「間違ってはいけない」「組織を守らなければならない」という意識が、検察に限らず日本の組織に広く存在していることも関係しているのかもしれない。 間違いを認めるより、組織の判断を守ることが優先される。そうなると、誰かが疑問を持っても声を上げにくくなってしまう。 そして、もし自分が当事者になったらどうするか。 本書で語られていた、黙秘や供述調書への署名についての注意は、恐ろしくもあり、知っておく必要があることだと思った。 自分の言ったことが、そのまま正確に調書に記載されるとは限らない。分かってくれると思って話したことが、別の形で記録されてしまう可能性がある。調書の内容を十分に確認し、納得できないものには署名しないこと。 こうした知識を、できれば使うことなく一生を終えたいけれど。 冤罪は、遠い世界の誰かに起きる出来事ではない。制度や組織のあり方について考えるとともに、自分の身を守るためにも、読んでおいてよかったと思う一冊だった。
  • 2026年9月18日
    働かないニッポン
読み込み中...