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読書日和
読書日和
@miou-books
  • 2026年1月8日
    この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
    一般にはほとんど知られていない元陸軍中将・根本博の数奇な人生を描いたノンフィクション。近代史、そして台湾と日本の関係史の文脈で勧めてもらい手に取ったが、想像以上に胸を打つ一冊でした。 本書から伝わってくるのは、明治生まれの日本人が抱いていた「大義に生きる」という感覚の強さ。金門島や台湾で戦った人々は、それぞれ異なる立場や事情を背負っているにもかかわらず、互いの「義」を通じてつながっていく。その人生模様が重なり合う過程に、人間ドラマとしての面白さがありました。 蒋介石についても、教科書的なイメージとは異なる視点が提示されています。人物像そのものを賛美するのではなく、あくまで根本博とのあいだに結ばれた「義」に焦点を当てて描かれており、その関係性が清々しく感じられたのが印象的でした。(人物についての評価は分かれるところも大きいと思う、自分自身も揺らぐ) 次に訪れるときには、中正記念堂であの花瓶を眺めてみたい、と思わせてくれる本でした。
  • 2026年1月3日
    私たちは意外に近いうちに老いなくなる
    「老化は、避けられない自然現象なのか。それともメカニズムとして理解し、介入できるものなのか。」 本書はその問いに正面から向き合い、最新の研究をもとに老化の仕組みと対処の可能性をわかりやすく解説している。 特に印象的だったのは、老化と「炎症」の深い関係についての説明。炎症とは何か、なぜ体内で起こるのか、そしてどのように抑えていけばよいのか――医学的な内容でありながら平易な言葉で説明されており、読みながら「やっぱり日々の生活習慣が大事なんだ」と改めて実感させられた。 近年よく耳にする「オートファジー」についても腑に落ちる解説がある。断食のような極端な方法を取らなくても、まずは腹八分目を意識することからでいいというメッセージは、無理なく続けられる希望を与えてくれる。また、少し怪しい印象を持っていたNMNなどのサプリについても、分かりやすい解説で試してみたい気持ちになった。 「老い」を恐れるのではなく、知識を味方につけて前向きに歳を重ねたい人におススメです。
  • 2026年1月3日
    真の人間になる(下)
    表紙が美しい…星々の映る嘉明湖、見てみたかったなぁ。。 下巻は、3000m級の山岳地帯に墜落した米軍機の捜索へ向かう人々の物語が中心となる。ハルムトを含む日本警察・憲兵隊、そして原住民の猟師たちが山へ入っていく描写、最初は軽口を叩ける状態から、台風が接近し極限状況の緊張と不安に変わっていく。墜落現場の描写はあまりにも生々しく、痛々しい。実際の三叉山事件の現場も、このように過酷だったのだろうかと、読んでいてなかなか辛くなる。山の中で見かけた『キエリテン』。とてもかわいらしかったのに、ここでその生態を読んでしまって、次回見かけたときにどんな気持ちになるか複雑。。 物語の中のトーマスのような人物が実在したのかは分からない。しかし、もしもっと早く報告していたら、もしもっと早く行動していたら、そう考えずにはいられず、もどかしい思いでたまらなかった。 一方で、下巻でもブヌン族と自然の描写は圧倒的に美しい。特に心に残った部分を記録しておきます。 『枝の生い茂る一本のコルククヌギが、他ってハルムトを待っているのが見える。数え切れない歳月がすでに過ぎていたが、それはまだ待ち続けていた。この木は彼の名前をもって生きており、彼は木の名前を持って道を歩いている。木はそよ風の中で揺れ、明るい太陽の下で葉をきらきら光らせているが、深い霧の中に長時間たたずんでいても、豪雨の中で待っていても、ハルムトがいつ帰ってこようと美しい再会になる。コルククヌギはブヌンの服を着ている。ハルムトの古着だ。彼はなんだか自分自身が長い間ここで待っていたような恍惚とした気分にさせられた。ガガランが毎年春になると気に着せてその木を友人のように扱っているのだ』
  • 2025年12月30日
    残された時間の使い方
    帯に惹かれて目次を開くと、今の自分に刺さるキーワードが並んでいて、そのまま購入。最近ついSNSに時間を溶かしてしまい、「このままではダメだな」と思いながら過ごしていたこともあり、年末年始に気持ちと時間を整えたい気持ちで手に取りました。 読み進めるうちに、「まさにイメージ通りの佐藤優」と「あれ、こんな一面も?」という佐藤優の両方に出会う一冊だと感じました。特に、瞑想の時間を取り入れているという話は、(勝手な先入観ながら)これまでの硬派なイメージと結びつかず、意外でありながらも興味深かったです。 ちょうどこの本の前に、ショーペンハウアーの幸福論を題材にした本を読んでいたこともあり、そこで語られていた「教養の大切さ」や「主観的に時間を使うこと」というテーマと、本書の内容が思いがけないところでつながりました。最後は「幸福」という言葉をキーワードに、主体的に自分の時間を取り戻してほしい、と締めくくられており、背中を押されるような読後感がありました。 私たちは、ちょっとした先入観や刷り込みのようなものによって、気づかないうちに自分の選択肢を狭めてしまうことがある──その指摘もとても印象に残りました。これを教訓として、意識しながら日々の時間の使い方を見直していきたい…!
  • 2025年12月30日
    求めない練習
    求めない練習
    韓国でベストセラーとなった、ショーペンハウアーの幸福論をベースにした一冊で、もともとは40代向けに書かれた本だそう。 「40代は、人が最も情熱的に生きる人生の黄金期であり、同時に“人生は苦しみである”という認識にも至る時期でもある」最初から共感しまくりです。 興味深いのは、この本が20代の韓流アイドルの愛読書として紹介されたことをきっかけに広く読まれるようになったという点。一見きらびやかに見える世界の裏で、韓国社会もまた「求めすぎること」に疲れているのかもしれない、と思いました。 ショーペンハウアーは厭世主義者/ペシミストとして知られていますが、実際には経済的に豊かで、いまでいうFIRE生活を送っていたとも言われています。だからこそ到達できた洞察なのか、それとも環境とは別の地点から見つめた人生観なのかと考えさせられました。 なかでも心に残ったのは、 「成功したければ、望むものを手に入れるがよい。幸せになりたければ、いまあるものを楽しむがよい」 という一文。 そのほかにも、印象に残った言葉を記録としてのこします(ネタバレ的ですが) 「人生とは、目の粗いモザイクのようなものだ。近くから見たときはそれが何かよくわからないが、遠目で見ればその美しさが見えてくる」 「食べたものが肉体となり、読んだものが精神となり、現在の自分となる」 「今日という日はたった一度きりだ。二度とやってこないということを、常に肝に銘じておくべきだ 「時間と幸福は、留まることなく流れていく」 「あなたが無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人があれほど望んだ明日だ」 「 幸福の真の条件は、客観的な外部に求めるものではなく、自分の内部の主観的条件から求めるべきだ 」 そして本書は最後に、 「賢明に生き、品格と教養を積み重ねて年を重ねるには、読書と試作、そして絶え間ない自己洞察が必要だ。運命は変えられる」 という言葉で締めくくられます。 続けて読んだ、別の著者による“時間”についての本でも、ほぼ同じテーマ──教養、古典を読むこと、主観的な時間の使い方、そして鍵となるのは「幸福」──が語られており、二冊を続けて読むことで理解がより深まったと、なんて言うとショーペンハウアーに怒られそうですが、そう感じています。
  • 2025年12月30日
    真の人間になる(上)
    真の人間になる(上)
    先月登った三叉山──「天使の涙」と呼ばれる美しい嘉明湖(ブヌン語で“月の鏡/月の影”)を見るのがメインの目的だったのですが、この地にまつわる事件があったことを、最近になって初めて知りました。きっかけは、今年出版された三叉山事件を扱う別の作品(朱和之さん)で、そちらはまだ未読ながら、同事件をモチーフにした本作が既に邦訳されていると知り、図書館で手に取りました。 物語は、1945年9月に起きた「三叉山事件」を背景にしています。日本軍から解放された連合国軍捕虜を乗せた米軍機が、台風に遭遇して台湾東部の三叉山に墜落。台湾の正式接収前という“権力の空白期”のなか、日本人・漢人・アミ族・ブヌン族の捜索隊が山へ向かう──その時代と土地の緊張が静かに描かれます。本作は上下巻のうち、まず上巻で事件へ至るまでの終戦前後の混乱と人々の生活が描かれています。 中心にいるのは、ブヌン族の少年ハルムトとハイヌナン。幼いころから野球が好きで、アミ族のコーチ・サウマのチームに入り、1941年春には霧鹿の部落を離れて花蓮港中学へ──甲子園を目指して練習に打ち込む姿が描かれます。やがて真珠湾攻撃が起こり、世界が一変していく。彼らの故郷や山の描写は匂いまで立ち上がるようで、植物のみずみずしさ、伝承や自然の擬人化表現の清々しさに強く惹きつけられました。少年たちの成長もまた、とても愛おしい。 特攻隊の夫婦のやり取りや、隊員たちが遺した言葉には胸を打たれます。感性豊かなハルムトが、下巻でどのような運命を辿るのか──続きを読むのが楽しみであり、ハイヌナンの運命は上巻冒頭に描かれていたので読み進めたくないような、複雑。
  • 2025年12月29日
    中高年シングル女性
    気になって購入した一冊でしたが、読み進めるうちに、著者の思いにうまく乗り切れず、少し暗い気持ちになってしまいました。 「いつまで働くのか」「働いていてもなぜ不安が消えないのか」「これが最適解なのだろうか」と、自分自身のこれからを考えずにはいられず、読書を通して気持ちが揺さぶられる感覚がありました。著者はきっと、同じ立場の女性たちに“声を上げよう・つながろう”と呼びかけているのだと思いますが、私はどこか身構えてしまい、半歩後ずさりしてしまうような戸惑いも覚えました。 それは、おそらく自分の中にある思い込みや思考の癖に引っ張られているからなのかもしれません。この本に対する受け止め方は、人によって大きく分かれそうだと感じます。レビューを書こうか迷いましたが、「迷いが残る読後感」もひとつの記録として残しておきたいと思いました。
  • 2025年12月29日
    ひとりずもう
    ひとりずもう
    『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者三宅香帆さんが紹介されていて気になり、手に取った一冊。小学生時代から「さくらももこ」になるまでの青春が綴られており、笑いともどかしさが同居する、印象深いエッセイでした。 前半は、昭和の空気をかすめて育った世代として「あるある!」と共感する描写がたくさん。懐かしさに頷きながら読み進めました。一方で、後半の「まんが家を目指す」章では、一度は夢を諦めかけながらも、諦めきれずに葛藤し、それでも再びまっすぐ夢へ向かって走り出す姿に、思わず応援したくなります。ヒロシに対する悪口の辛辣さとバリエーションの豊かさが絶妙で、「さくらももこ節」のセンスが炸裂していて思わず笑ってしまいました。 あとがきにはしんみり。表紙をめくったあとのイラストはそういうことだったんだ・・と分かるのでぜひ読んでほしいです。 さくらさんは清水の街からよく富士山を眺めていたそうですが、私はこの本を、神奈川側――鎌倉の山の中から富士山を眺めながら読みました。 時代も場所も違うけど、ちょっとだけさくらさんに重なった・・・つもり!
  • 2025年12月27日
    はたらく中華料理店
    はたらく中華料理店
    フォローしているインスタグラムの方が紹介していて、気になって年末ぎりぎりに図書館で借りてきた一冊です。いわゆる「はたらくシリーズ」の写真絵本。 写真を撮っているのが店主ご夫妻の息子さんということもあり、お二人の“素顔”にとても近い表情が映し出されています。料理人としての姿であると同時に、一人の生活者としての姿が静かに写り込んでいて、じんわり心温まる・・全然違う生き方なのに、どこか田舎の両親のことを思い出してしまう瞬間もあり、そして版元の紹介YouTubeでなぜかうっかり涙ぐんでしまったり。なんか揺さぶられるんです。 「町の中華屋さん」の厨房の奥、仕事の裏側をのぞかせてもらいながら、その背景にある暮らしや時間までも伝わってくるような感覚。読み終えた今、無性に炒飯が食べたい!!朝早くから本当にお疲れさま、と心の中で思わず声をかけたくなります。 年末のタイミングでこの本に出会えたこと、なんだかとても幸運でした。
  • 2025年12月27日
    台湾鉄路千公里
    台北の鉄道博物館で展示されていた“宮脇大先生”の書籍を見かけ、中国語版が土産物屋で売られているのを横目に「帰国してからじっくり読もう」と心に決め、図書館で借りてきた一冊。 本書は、1980年6月2日から8日まで、宮脇先生が台湾鉄道を一周した旅の記録。その年に北廻線が開通したことをきっかけに訪台されたとのことで、まだ南廻線も未開通、もちろん新幹線も存在しない時代。いったいどんな鉄道旅だったのか。 驚いたのは、当時は年配層を中心に日本語がよく通じていたこと。(日本の統治時代の事は知っていましたが、それにしても戦後35年・・)そして先生が現地で見聞きした言葉を実に丁寧に記録していることです。「逢週日及例日停駛」という表示を正確に読み解く場面など、帝大生としての教養と観察眼に感服しました。 阿里山森林鉄道の章では、先生が阿里山を初めて知ったのは小学校の国語教科書からであり、鉄道として意識したのは中学の地理の授業だったと綴られています。戦前教育の一端が垣間見え、時代の重なりを感じずにはいられません。 なじみ深い台北/雙聯駅が、いまは捷運の駅である一方、当時はまだ台湾鉄路の駅だったこと。北廻線開通により支線扱いとなった「南聖湖」駅が、その2年後には「新蘇澳」駅へと改称されたこと。花蓮〜台東間にまだ寝台列車が走っていたこと――いまはもう失われた情景の数々に出会えるのも、本書の魅力です。戒厳令下の台湾でありながら、どこかのどかな旅情が漂っているのも印象的でした。 また、宮脇先生の“特技”として、速度計を見ずに走行速度を推測できるという逸話も登場します。10メートルレールの継ぎ目音を数えて速度を計算するというもので、現代の連続溶接レールでは失われた技術ですが、鉄道旅の感性が凝縮されたエピソードだと感じました。 昭和50年代の台湾鉄路の空気を、紙の上で追体験できたことに感謝したくなる一冊。いまでは見ることのできない旅の時間に思いを馳せつつ、読後もしばらく余韻に浸っています。
  • 2025年12月23日
    小泉八雲日本の面影
    小泉八雲が来日してから亡くなるまでの14年間で、13〜14冊もの作品を残している中で、 著者・池田雅之氏が「最もエキサイティングで面白い」と評するのが、第一作『日本の面影』。 桜がほころび始めた春、 八雲は日本と決定的な出会いを果たす。 八雲の神道理解の根っこには、 古代ギリシアの多神教的世界観や、ケルトのアニミズム的な感覚があった。 さらに、キリスト教の教義(ドグマ)から自由であったことが、 自然信仰である神道への深い共鳴を可能にしたのだという。 なるほど、だからこそ八雲は、 「信仰」を説明するのではなく、 空気や気配として感じ取っていくような文章を書くのだと腑に落ちた。 本書で紹介されているなかでも特に印象的だったのが、 松江の旅館・富田屋で迎えた朝を描いた「神々の首都」の一節。 120年前の日本、日本人、そして松江の一日の始まりから終わりまでを、 八雲は「目」ではなく「耳」で描いていく。 実際には見ていないはずの光景が、 音や気配として立ち上がり、ありありと目に浮かび、体に響いてくる。 怪談作家としての八雲ではなく、 日本という土地の〈聴き手〉としての八雲。 『日本の面影』が、今なお瑞々しく読める理由が、少しわかった気がした。
  • 2025年12月23日
    本当にはじめての遠野物語
    朝ドラは見ていないのだけれど、今はちょっとした小泉八雲ブームなのでは?! 怪談そのものではないけれど、「民俗学」「聴き語り」と聞いて真っ先に思い浮かんだのが遠野だった。去年の岩手旅行で、遠野の「とおの物語の館」で購入し、そのまま積読していた一冊。 急に読みたくなって引っ張り出したのが、この 全編カラーで読む『遠野物語』解説の本。 『遠野物語』の作者といえば、言わずと知れた柳田國男。 けれど、そもそも『遠野物語』は、柳田が遠野を訪れる前から構想・執筆が始まっていた。 33歳の若き官僚だった柳田は、九州・椎葉村を訪れた経験から民俗学に強く惹かれ、「九州と対になる場所」として東北に関心を持つ。 そこで出会ったのが、東京で学んでいた“日本のグリム”こと、遠野出身の佐々木喜善(キゼン)――当時22歳。 喜善は「お化け話をしただけ」と語っていたそうだが、 柳田はその語りにすっかり魅了され、話をねだり続け、やがて執筆を開始する。 それが『遠野物語』誕生の約2年前のこと。 1910年(明治43年)、自費出版で350部発刊。 河童や座敷童子が有名だが、内容はそれだけにとどまらない。 山の神、家の神、山男・山女、動物、幽霊、風習―― 全119話に、当時の人々の世界観がぎゅっと詰め込まれている。 『遠野物語』の最大の特徴は、 小説でもファンタジーでもなく、「本当にあった話」として語られていること。 実在した人物が、特定の場所で体験した出来事として記録されているため、 実際にその土地を訪れると、今でも物語の中に入り込める感覚がある。 刊行にあたっての柳田の序文、 「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」柳田先生、戦慄していたんですね。改めて『遠野物語』をじっくり読みたいと思います。
  • 2025年12月21日
    暁星
    暁星
    本屋さんで見かけて。 内容は知らないまま、このシンプルな帯とページをめくった中表紙の美しさに即購入。 読み始めてすぐに、あの事件を思い起こし何とも言えない先入観と一緒に読み進める。感想、どう書いてもネタバレになってしまう。 折しもあの事件の無期懲役が求刑され余韻の残る中現実の時間が進んでいくことに呆然としました。
  • 2025年12月16日
  • 2025年12月16日
  • 2025年12月14日
    中央アジア紀行 ぐるり5か国60日
  • 2025年12月10日
    アラフィフひとり おためし山暮らし
    「50歳になったら、1年くらい山小屋で働いてみたい」 そんなふうに、ここ数年ずっと山の暮らしに憧れながらも、金銭面や将来のことを考えると、どうしても“会社員を続けたほうがいいのでは?”という現実的な声が頭をよぎる。 いやいや、人生は一度きりなのだからやりたいことをやればいい――そんな自己対話をぐるぐると繰り返す中で書店で出会ったのがこの本だった。 表紙の帯には好きな作家さん二人のコメント。 これは買うしかない、と即購入。 本書は、アラフィフ&おひとりさまの著者が、蓼科で半年間の“賃貸別荘暮らし”を楽しんだ記録。 別荘を購入するのはハードルが高くても、賃貸で試すという方法があったのか……と目からウロコだった。 山小屋で1年働くより、もしかすると現実的でハードルが低いかもしれない。 当時の家賃や光熱費が今そのまま当てはまるわけではないが、それでも具体的なイメージが湧いてくるのがありがたい。 各章では別荘地で出会った人々とのやり取りが綴られる。 そこに暮らす人たちは皆豊かで、温かく、著者がその輪に自然と受け入れられて楽しそうに過ごしている様子が読んでいてとても心地よい。 “孤独”を心配していたのに、むしろ人に支えられ、人とつながる暮らしがここにはあった。 憧れを憧れのまま終わらせず、まず“おためし”してみる。 その柔軟さに背中を押されるような一冊だった。 何かを得るには、何かを手放す勇気が必要だよね、と自分へ問いかけ中。
  • 2025年12月10日
    慟哭の海峡
    慟哭の海峡
    先日の台湾山行でお世話になった方から勧めていただいた本の一冊。 「バシー海峡」という地名は、台北の鉄道博物館で初めて見かけたもので、今回の読書を通して初めてそこで起きた歴史の一端を知った。 先の大戦では、この海峡で10万人以上とも言われる多くの日本兵が海に沈んだという。 それほどの悲劇があったにもかかわらず、どれほどの日本人がその事実を知っているのだろうか――そんな思いが胸に刺さった。 やなせたかしさんの弟・千尋さんについては、別の書籍で読んだことがあり、大まかな背景は知っていたつもりだった。 しかし本書では弟の友人たちの証言が収録されており、初めて “実在の青年としての姿” が強く立ち上がってくる。 だからこそ、その最期を知るにつれ胸が締め付けられる。 とりわけ、やなせさんが亡くなられた日のエピソードは、静かで深い悲しみがあり、亡くなられた方々にも思いを馳せた。 バシー海峡で12日間漂流し、生還した中嶋氏の証言は圧巻だった。 「初めは何人もいた仲間が、ひとり、ふたりと力尽きて海に落ちていく。海が透明だから、沈んでいく表情まで見えた」 という言葉、どれだけ辛かったり怖かったろう。 奇跡的に救助され療養後に除隊となっても、彼は再び志願して中国戦線へ赴き、終戦を迎えた。 戦後は、一生を戦友の慰霊に捧げたという。 生き残ったこと、生かされるということの重み、大正世代の男性たちの命の扱われ方――突きつけられ胸が苦しかった。 知らないことが多すぎた。そして、知らないままではいけないと思わされた。 「バシー海峡」という一つの地名の裏に、これほど多くの無名の死と、語られざる人生があった。 本書は戦争を語るというより、忘れられた人々の声を掘り起こす作品なのだと感じた。
  • 2025年12月6日
    ザ・エッセイ万博
    実は万城目さんのエッセイは初。ワクワクしながら読み始めて、あれよあれよという間に読み終わってしまった。はー、面白かった。 出版社を立ち上げていたなんて!万筆舎の本、気になるけど大阪までいかないと手に入らないのかーーー。 実際の万博ネタは最後の2本だけなんだけど、本全体を通して 「万」 エッセイでした。今年の万博に対する大阪と東京の温度感の違い、そうだったねぇ・・と懐かしい目になってみたり。そして早生まれの小説家もおもしろかった。 読み終わったら今日の新聞に万博や万城目さんが掲載されていて、なんてタイムリーな。
  • 2025年12月6日
    石原家の兄弟
    石原家の兄弟
    父は慎太郎、叔父は裕次郎。華麗なる「昭和の家族」の知られざる日々。 石原家の四兄弟、石原伸晃 さん、良純さん、宏高さん,、延啓さんがそれぞれの言葉で亡くなられたお母さん、親父、叔父や家族にまつわる同じお題を書き上げていくエッセイ。 四人が四人とも文才にあふれていて、とても面白くて一気に読んでしまった。 石原慎太郎さんは都知事や政治家のイメージが強いけど、駆け出しは作家、そして最後まで作家・芸術家でありたかったのかな、と感じた。 強面な印象と、いつも不機嫌そうに見えていたけど、ご先祖を大切にして長く読経をするなど、イメージが少し変わった。 兄弟四人仲が良く、そして両親と互いを大切に思っているのが伝わる。それぞれのお人柄も育ちの良さも文章ににじみ出ていて、読んでいてほっとする。 読み終わって実家の両親の顔が見たくなった。そしてまだ両親は元気だけど、いつまで元気でいてくれるかな・・とも思ったり。
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