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みつき
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@mitsuki-o
ブクログと併用しながら、別の使い方を試してみます。
  • 2026年3月31日
    長野まゆみの偏愛耽美作品集
    長野まゆみさん自身の作品は凛一シリーズくらいしかまともに読んでいないんだけれど、作家としてよりも、同じ匂いを愛する方としてずっと意識している。そういう方が編んだアンソロジーがあるのを見つけて手に取った。ほぼ既読の作品ばかりではあるが、アンソロジーの愉しみは配列と解説。かつて読んだことのある作品も、アンソロジーの中では別の味を発する。内田百閒「サラサーテの盤」(pp217-237)、稲垣足穂「天体嗜好症」(pp201-216)、久生十蘭「昆虫図」(pp147-151)などはそういうふうにして読んだ。十蘭、つくづくうまいなあ。本書で初めて知ったのは田中恭吉「スパーク」(pp306-307)。この人の作品はもっとみたいし読みたいな。
  • 2026年3月29日
    「酒」と作家たち (中公文庫 う 30-1)
    編者による解説「雑誌『酒』と佐々木久子」(pp232-239)がまず面白い。佐々木久子という人に興味がわく。同誌に発表された中から選りすぐられたエッセイの数々が収められており、どれも内容は他愛もないものではあるが、読んでいて心地よい。色々な作家や評論家や学者の酒にまつわる話が収められているけれども、一番上品な酒の飲み方は北原白秋の「(前略)父の酒はもっぱら酒宴の和気藹々たる雰囲気を楽しむとか、知友門弟と交歓するとか、旅先きで歓迎陣と和光同塵するとかが主であった。本格の詩歌の制作に熱中している間は、一週間も徹夜を続けても、一滴も口にしなかった(後略)」(p156)だと思う。禅哲学者である息子・北原隆太郎の「父・北原白秋の酒」(pp154-158)で述べられている。
  • 2026年3月24日
    幸せな結末 大滝詠一ができるまで
    大滝詠一さんが二〇一三年の暮れに亡くなって以降毎年三月二十一日に◯周年記念盤やら発掘音源集やらベスト盤やらがリリースされるのがお決まりのようになり、二〇一六年の”DEBUT AGAIN”までは私もなんとなく買っていたのだが、そのうち? という音源集や、はては盆踊り大会やギャラリー展示まで開催されるようになり、なんか違うな、と感じ十年近く遠ざかっていた。さて二〇二六年三月。”NIAGARA TRIANGLE Vol.1”の五十周年記念盤は買わなかったが、この本は買った。脳内で、一九九〇年代のお二人の声で再生しながら読んだ。お馴染みの名言がいっぱい書きとめられている。今でもぐっとくるのは「(前略)君の中にお家再興っていうのがあるならば君の城を建てろよ、と(後略)」(pp256-257)。新鮮味を感じたのは奥様との出会いのエピソード(pp100-105)。
  • 2026年3月21日
    給仕の室
    給仕の室
    日本近代プレBLってなんだそれは? と思いながら手に取った。編者は中央公論新社となっており、誰かよくわからない方(方々?)による編集付記(p6)に「(前略)本書では編集の便宜上、主に男性作家によって書かれた一九〇〇年代前半の小説作品を『プレBL』という語でまとめていますが、この呼称は、(後略)」云々とプレBLなる語についてごちゃごちゃ書いてあるのだが、読んでもよくわからない。収録されている作品には痛々しいものが多い。室生犀星「お小姓児太郎」(pp135-149)で少年弥吉のお尻に馬刺剣が突き立てられる場面には、読んでいてウッとなってしまった。解説を書いている佐伯順子は「(前略)男どうしの欲望が暴力や放蕩などの反社会的要素と露悪的に結びつくのは(後略)」(p345)とこれまたごちゃごちゃ分析してみせるが、全くピンとこない。そんな格好いいものではなく、ただの虐待ではないか。後半に収録された作品群の方が好みで、特に巻末に収められた山本周五郎「泥棒と若殿」(pp299-341)のほのぼのしんみりとした味わいに救われる。
  • 2026年3月21日
    苦手な読書が好きになる! ゼロからの読書教室
    「基礎英語レベル1」に連載されたものを元にまとめられた本。中学生とフクロウの対話で第一部(pp7-103)では読書感想文の書き方を、第二部(pp107-203)では小説以外の本の読み方・使い方を学べるようになっている。後半は国立国会図書館をいかに使いこなすかにかなりの紙幅が割かれている。
  • 2026年3月19日
    それでも日本に原発は必要なのか? 潰される再生可能エネルギー
    「原発優先ルール」という、「(前略)電気が余りそうな日には、原発は止めずに再エネのほうの発電を止めるように各大手電力が再エネ事業者に指示する、日本独特のルール(後略)」(p7)があることを初めて知った。希望を失わず再生可能エネルギーに取り組む人々と、それを打ち砕く人々との国内国外のせめぎ合いが紹介される。「第七章 絶望を超えて歩みはじめた被災者たち」(pp217-243)は確かにそういう内容が書かれているのだが、自死していった人々の遺した言葉の数々を読むにつれ、絶望的な気持ちにもなってしまう。「おわりに それでも私は書き続ける」(pp244-254)では、著者が所属する新聞社から処分を繰り返し受けてきたことと、でもそれに屈するつもりはないという気持ちが吐露される。
  • 2026年3月16日
    枯れてたまるか!
    ずっと著者のことは知っていたし文章も読んでいながら、いまひとつ著者のことがよくわからなかった。昭和軽薄体の一人と言われていたが、当初から他の書き手たちより爺むさかった。軽みがなかった。一九九七年発表の話題作『文人悪食』では宮沢賢治について近親相姦的な悪趣味なゴシップを書き書評で散々叩かれていて、私自身も(なんだこいつ気持ち悪い)と感じた。「オサラバまでは全力投球!」というオビがついたこの文庫本を、著者がこの世にオサラバした(二〇二五年十一月十四日)あとに読んでみると、そうか嵐山さんは生涯編集者だったのだな、と感じる。この本は、老いて死に近づいていく(死んだ)周囲の人々と自身を特集した嵐山さん責任編集の雑誌なのである。
  • 2026年3月15日
    ドグラ・マグラ(下)
    いわゆる三大奇書を『黒死館殺人事件』、『虚無への供物』と読み継いで最後に本書を手に取った。だからどうしても比較してしまうのかもしれないが本書は前二書に遠く及ばない。迷路の中を彷徨うような読み心地は確かに共通するのだが、『黒死館殺人事件』と『虚無への供物』はそこから抜け出て光射す場所に出たような読後感を残すのに対し、こちらは闇の中のまま終わりを迎える。そして、本書が徹頭徹尾追求している心理遺伝云々という似非学問は優生学と表裏一体であり差別の構造そのものだ。最後の方でようやく病院の外に主人公が出ていくのがわずかながらの救い。結局病院の中へと戻っていってしまうのだけれど。
  • 2026年3月10日
    幻想文学怪人偉人列伝
    国書刊行会に編集者・編集長として勤めていた方による回顧録。登場するのはお馴染みの翻訳家達と作家達。それぞれの方達への畏敬の念とともに、垣間見てしまった弱さも描かれている。特に「矢川澄子の巻」(pp89-100)と「須永朝彦の巻」(pp119-158)は読んでいてヒリヒリする。でもそのフラジャイルな気質も含めての彼等だったのかもしれない。と思いながらしんみりと読んでいたら最後の章(pp219-243)では元社長が登場し、その豪快さにど肝を抜かれたままページを閉じることになった。
  • 2026年3月8日
    魔界転生 下
    魔界転生 下
    魔界に転生した名だたる剣士たちとの戦いが続き、その合間を女忍者や子供やオオカミが駆け回る。上巻を読んでいたときには転生の仕方があまりに陰惨で閉口したが、愛する女の尊厳と命を奪ってまで蘇ろうとした時点で、それまでの人生がどんなに素晴らしいものであっても、その者は人間であることをやめてしまったということなのだろう。彼らは、蘇りはしても、罰を受けねばならない。七歳の少年弥太郎の愛らしさに救われる。
  • 2026年3月5日
    魔界転生 上
    魔界転生 上
    序盤の「地獄篇第一歌」(pp7-32)から「地獄篇第五歌」(pp105-141)までは、作中登場する女性たちの扱いの酷さに読み進めるのが苦痛だった。「さて、作者がいままで縷々として叙しきたったのは、『敵』の顔ぶれなのである」(p172)と宣言されたあたりから、柳生十兵衛とその仲間たちの側に語り手の視点が移り、緊迫した展開が続くものの十兵衛のどこかとぼけた人柄や七歳の少年弥太郎の愛らしさのおかげで毒が幾分和らいでくる。と思っていたら、血も涙もない「くじびき」の場面(pp395-396)で上巻のページは尽き、下巻へと続いていく。
  • 2026年3月3日
    雪の火祭り
    二〇二五年十月に河出文庫から出た『死まで』の陰鬱さは相当なものだった。その二ヶ月後に出たこの文庫も無茶苦茶暗い。中心となっているテーマは今回も家族の崩壊。その崩壊しかけた家族が新たな形をみつけていくような「星の夜の会話」(pp117-138)や、崩壊した家族を捨てて上京し自分なりの生き方を見つけていく表題作(pp149-287)にはわずかながら希望がのぞく。でも一番印象に残ったのは巻頭に置かれている主人公の自分勝手さが本当に酷い「緑雨」(pp7-39)。
  • 2026年3月1日
    東京随筆
    東京随筆
    毎日新聞夕刊に二〇〇六年から二〇一〇年まで連載された散歩エッセイ。この連載における東京とは、例外もあるが基本二十三区内。二十年近く前住んでいた町にも、当時赤瀬川さんが散策しにきたのだなあ、と感慨深くなった。意図的に事前調査は省かれ、蘊蓄めいたことは、訪れたその場で聞いたり読んだりして知ったことに限られている。赤瀬川さんがそんなに町の歴史を知らなかったはずもなく、まして新聞社の取材でもあるので情報がなかったはずもないのだが、あえての立ち位置にこだわる姿勢が窺える。
  • 2026年2月25日
    「がん活」のすすめ 科学と名言でつくる「がんを寄せつけない習慣」
    親ががんになったのをきっかけに手に取った。さて「がん活」とは何か。これは著者が提案する考え方というか生活態度のようなもので、「(前略)科学的に正しいとわかっているがんの予防策を、できるところから生活に取り入れていく、ごく日常的な取り組みのことだ」(p6)。そしてどれもごもっともな提案が続くのだが、本書の最大の特徴は、ひっきりなしに海外の偉人たちの名言が挿入されることだ。最初は、これ必要? と思いながら読んでいたが、中盤を過ぎたあたりから、だんだん慣れてきてしまった。最後はバートランド・ラッセルの名言で締めると見せかけて、まさかの貝原益軒で閉じられる。
  • 2026年2月24日
    ドグラ・マグラ(上)
    名高い? 本であることを前提として読んでいるので、ずいぶん露悪的な文体だなあとか描写がくどいなあとか展開がゆっくりすぎるよとか思っているうちに上巻が終わってしまった。そして下巻へ。
  • 2026年2月15日
    二十世紀鉄仮面 (河出文庫 お 18-2)
    『黒死館殺人事件』、『夢殿殺人事件』、『法水麟太郎全短篇』と読み継いできて、ついに本書で法水もの全てを読み切ってしまった。最後に読んだのがこれでよかった。開戦が近づくにつれ舞台が国内から国外へと広がり海洋冒険小説になっていく傾向が本作ではますます顕著となり、法水麟太郎は最早探偵というよりも冒険小説の主人公になっている。恋する法水。登場する女性陣もやたら艶かしく、死と背中合わせのエロチックな冒険小説に仕上がっている。
  • 2026年2月8日
    法水麟太郎全短篇
    法水麟太郎全短篇
    先に角川文庫から出ている『夢殿殺人事件』を読んでから手に取った。収録作が六つ重複しているので、この文庫で初めて読んだのは「潜航艇『鷹の城』」(pp233-343)と「国なき人々」(pp407-441)。どちらも海洋を舞台とした作品であり、探偵小説でもあるけれども冒険小説の色合いの方が強い。また、法水麟太郎ものとして最後に発表された「国なき人々」はオール讀物の昭和十二年八月号に発表されたのだから、盧溝橋事件とほぼ時を同じくしている。お話の最後、伊太利船に乗りかえて去っていく法水らはどこへ向かうのだろうか。
  • 2026年2月3日
    安倍三代
    安倍三代
    一九七〇年代生まれの私にとって、安倍晋太郎は思春期にテレビ画面で連日目にしていた存在である。あの親しみやすさを晋三には全く感じないなあ、と思っていたら、襲撃事件が起き、彼は殺された。この本は襲撃事件の前に書かれた本。晋三には、晋太郎が「弟がおんねん、ボクには弟がおんねん」(p180)と嬉々として言ったような孤独感や人恋しさや切なさは全く感じられなかった。成蹊学園という一貫校でぬくぬく育ち、空っぽの器のまま大人になった人間が、世襲で政界入りして右寄りの考えに染まっていく。そんな彼は「美しい日本人」(p287)では、どう考えてもなかっただろう。周囲の人たちの冷静な観察眼に驚く。その豊かな人脈を悪い意味でしか活かせなかったんだなあ。
  • 2026年1月28日
    南総里見八犬伝 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典
    岩波文庫で全十巻の江戸の大古典をいま読むかというと、うーん、と思い、とりあえずダイジェスト版で雰囲気を確かめてみようと思い手に取った。いわゆる名場面集。原文と訳文に簡単な解説がついている。編集されているのは高校の先生であり、まるで学生時代の古典の授業を受けているような気持ちになる。まあ、私は実際の古典の授業では『枕草子』や『土佐日記』しか教えられませんでしたけれど。感想としては、これ、ほぼ漫画だな、しかも少年ジャンプだな、という感じ。もちろん、これは順番が逆で、少年ジャンプに連載されている(いた)ような作品群が馬琴らの流れを受け継いでいるのだろう。そのうち気が向いたら、岩波文庫も手に取ってみるかも。
  • 2026年1月24日
    Oranges are Not the Only Fruit
    宗教漬けの母親のもとで育てられたJeanette(著者自身がモデル)の幼少期から、性と自我に目覚め自立していくまでを描いた自伝的作品。物語の冒頭、まだJeanetteが幼い頃から彼女は親や周囲をかなりシニカルに見ている。成長過程で、教義や童話をアレンジし寓話にしてしまう能力を身につけ、自身や周囲に起こっていることを自作の寓話に投影し始める。終盤では現実と寓話の境目が曖昧になっていくが、それはJeanetteが自我を確立していく時期と重なっている。Jeanetteにとって、自我を確立することは作家になることと同義だったのだ。
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