

夜凪 順
@yonagijun
のんびりと気ままに読書中。
言葉の海に溺れて、文章を編むのが好きです。
- 2025年12月19日
人間失格太宰治かつて読んだ「恥の多い生涯を送って来ました。」 何度読み直してもこの一文はずるいなと、そう思うのです。 字数にしたらたった14文字、それなのに鮮烈に記憶に残していく。 太宰という男性がどういう人間だったのか直接話したかったと思うくらい、その才能が妬ましくて仕方ない。どろりとした私のなかの醜さが溢れてしまいそう。 「人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。」 そうは言ってもどうしたらこんなに湿度高く、色気のある文章を編めるのか。 「斜陽」もそうだが、太宰の紡ぐ言葉は私にとって退廃的で、官能的にも思えてしまう。 人間が壊れていく様をまざまざと見せつけられたとて、その気持ちは変わらないのだ。 どうか私が死ぬときには棺に納めて、一緒に燃やしてほしい作品なのです。 - 2025年12月18日
読み終わった初めての金田一耕助シリーズの読了でした。 映像作品から小説まで存在は知っていましたがなかなか手に取ることはなく、今回「100分間で楽しむ名作小説」の刊行を機に読んでみることに。 ……が。なんでしょう、この言い寄れぬ陰惨さ。 さすがの風間のひと声で気持ちが切り替わることなく、悪魔払いに熱いものをひっかけたとて、その場にいる人物も読者も晴々とすることはないだろう。その豪胆さが人を魅了する風間の良さでもあるのだろうが……。 しかし、視線誘導の素晴らしさと言うのでしょうか、ある程度推理ものを読んでいる人ならば想像するような場面にさらに伏線を張る。全ての伏線を回収した瞬間には私も肌が粟立つほど。 点と点が繋がって線となる瞬間の爽快さは、やはりミステリーものの醍醐味ではないでしょうか。 お繁に思いを馳せど、時代背景的にそうするほかなかったかもな……なんて。 そして、興奮ゆえにまるで噺家の如く言葉を連ねたり、時に体をすくませ人間味のある反応を示したり、謎を解き明かす側というのは常に冷静沈着な印象が強かった私にとって、金田一耕助という人物に随分と惹かれてしまった。 他の小説もぜひ読んでみたいと興味が湧いた一冊でした。 - 2025年12月9日
読み終わった唐突だが、私はうつ病と診断されている。 薬を飲んで寝て、ミスもなく働いて“普通”のなかに擬態して、日々を生きている。 激しめの家庭環境で育ち、自立して以降じわじわと精神を蝕まれての発症だった。 今では睡眠薬がないと一睡もできず、そのうえPTSDと不安障害のおまけつき。 なんてこった。 そうなると面白いもので自分の感情をラベリングして、置かれてる状況を客観視しようと必死に本を買い漁る。 でも、あれだけ私を別な世界に連れ立ってくれた本がとにかく読めない。 指で何度文字をなぞろうと、同じ行に戻ってしまうという摩訶不思議。 ――悔しかった、兎にも角にも悲しかった、自分が崩れるような感覚が怖い。 読めなくなったとて、自然と視界に本屋さんが入ればふらりと立ち寄ってしまう。 本屋には財布の紐を緩める魔物がいるなぞ、しようもないことを考えながら見かけたのが本書だった。 何度か手に取ろうか迷った、最終的には自分自身との戦いなのだろうと思ったから。 しかし、気が付けば数冊の本と一緒に購入し、我が家の本棚の一員となっていた。 そんなこんなで、もうじき終わりを告げるこの一年のなかで“読み切った”のだ。 読みやすいレイアウト、神経伝達物質のバランスがどのように崩れて半うつの状態となるのか。 知りたかったことがこの一冊に詰め込まれ、付箋を貼りながら貪るように読み進めた。 現代人がどれだけの情報と向き合っているのか、そりゃあ疲れちゃうよねって。 バナナ食べて日光浴しながら散歩なんて到底できるわけないよね、そもそもの燃料がないのだから。 死にたいという叫びが、殺意が、回復のサインなのだという、皮肉も度が過ぎると笑えない。 しかし、私自身が東日本大震災を経験しているせいもあるのか、終盤の先生ご自身の話に泣いた。 年甲斐もなく泣いて、勝手に赦された気になった。 それまで碌な使いものにもならない奴と罵って止めを刺してやろうと、自分の首をぎゅうぎゅうと絞めつけていたから。 ただ、“半うつ”という言葉が浸透した先に、軽々しく扱われるのではないかといった懸念もある。 うつ病の診断基準に当てはまらないからこそ適応障害と置き換えることもあるのかもしれないが、医者でもない素人が自己判断でしていいものなのか、様々な薬を入手しやすいご時世に若年層が“半うつ”だからと手を出す切っ掛けにならないかと。 そこまで考えたらきりがないので強制終了するとして、久し振りに心が動いた本だった。 また気持ちが前を向いたときにでも、フィルムカメラを片手にあちらこちらと彷徨って気ままに写真が撮りたい、そんなふうに思わせてくれる本だった。 - 2025年12月8日
ハンチバック市川沙央かつて読んだこの書籍を手に取ったのは、とあるインタビューがきっかけだった。 復讐をするつもりだったと語る市川さんに、言葉にできない感情が芽生えた。 「私は紙の本を憎んでいた。」 これまでの日常において、恥ずかしいことに意識したことがなかった。 好きなときに書店へふらりと足を運び、新品特有の香りを楽しみながら紙を捲る。 それは当たり前のことで、私にとっての至福のひとときだった。 しかし、時として本の重みも、電子書籍の光も、全てが苦痛になりうる人たちがいる。 当事者にしかわかり得ない、憤りや眺望、怒りが込められている作品と、私は受け止めた。 井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。 両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。 ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し……と物語が展開する。 そこで賛否両論だったのが“性”に触れられた場面があったこと。 気持ち悪いとの率直な声や、描写を取り入れる必要はあったのかという疑問、様々な言葉が飛び交っているのを見かけた。 蛇足になるが、私は子どもが産めない。 体は回復して健康体なのに、無性に非生産的な人間だと感じることがある。 だが、釈華は30年近く病気により生活は制限され、異性との触れ合いはおろか、その行為そのものに死に至る危険性が潜んでいる。 子どもを自分のお腹に宿し産むこと、女性なら当たり前のこと、そう当たり前のことさえできないからこそ、死ぬまでに一度は……と、思いを抱くのではないのか。 孕んで、堕胎するという表現も、現実問題として産み育てることが難しいと理解しているからこその、願望のひとつではないだろうか。 決して、軽々しいものには聴こえなかった。 そして、最後の紗花が登場する場面。 釈華と田中の物語とリンクするかと何度か読み返したが、ここだけ疑問が残ったまま。 「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやいていた釈華だが、その願望が叶ったのだろうか。 読了後はいろんな感情がないまぜになり、やるせないような、泣きたいような、苦しいような、筆舌に尽くしがたい気持ちを抱えた。 ただ、後味が悪いというものではなく、雨上がりの空にほんの少し、青空が見えたような心境だった。 - 1900年1月1日
斜陽太宰治積読中▧本にまつわる用品 通勤や外出時のケースに困っていたのだけど、「ロルバーン ケース(M)」のおかげで解消するかも。 クリアグレーは太宰作品が似合うと勝手に思ってたので、雰囲気ぴったりで嬉しい。ふふん。 ただし、「アルジャーノンに花束を」みたいな厚みのある文庫本は破れそうで怖かった。
- 1900年1月1日
私が間違っているかもしれないナビッド・モディリ,キャロライン・バンクラー,ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド,児島修気になる - 1900年1月1日
言語学を科学哲学する山泉実,窪田悠介,西村義樹気になる - 1900年1月1日
かなわない植本一子気になる - 1900年1月1日
- 1900年1月1日
脱暴力の臨床社会学中村正気になる - 1900年1月1日
それでも光に手を伸ばすPayao気になる - 1900年1月1日
隣人の愛を知れ尾形真理子気になる - 1900年1月1日
長田弘全詩集長田弘気になる - 1900年1月1日
夜と霧ヴィクトル・エミール・フランクル,ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子気になる - 1900年1月1日
置き配的福尾匠気になる - 1900年1月1日
「死にたい」とつぶやく中森弘樹気になる - 1900年1月1日
虚弱に生きる絶対に終電を逃さない女気になる
読み込み中...