煌めくポリフォニー わたしの母語たち
31件の記録
miki@mikis2026年1月6日読み終わった台湾で生まれ、日本で育ち、日本語が母語の作家が「日本語」と向き合う。 台湾人なのに、ろくに中国語、台湾語ができない。 日本語しかできないのに、日本人ではない。 日本語を使う人 日本語を話したくないけど話せてしまう人 日本語を選んだ人 日本語を日本統治下で選ばされた人 日本語を取り上げられた人 生まれた国と育った国が重ならない。 幼少期より二つ以上の文化の間を行き来せざるを得ない人たちは今の日本に本当に多い。 どれか一つだけを選びとらなくていい。 日本人であり台湾人でもある。 それでいい。 無神経に「日本語上手ですね」なんて言わないように無知のせいで無邪気に傷つけないように、 彼らの背景をきちんと理解した上で関わっていきたい。 今年は、私の近くの人をきちんと「知る」読書をする。「知った」上でもっと知りたいから。 まずは台湾。









もぐもぐ羊@sleep_sheep2025年12月26日まだ読んでるジュンパ・ラヒリの言葉が引用されていた。 「いつも国や文化の周縁で生きているのと同じように、私は余白について書く。根づいていると感じることはできないが、いまではくつろげる場所となっている周辺のゾーンだ。そこはわたしが何らかの形で属しているただ一つのゾーンだと思う」(その9 思い出させる存在) また呉濁流の『アジアの孤児』が著者に多大な影響を与えていて、日本語文学を意識するようになったきっかけになったようだった。 著者の祖父母は日本統治下の台湾で日本語教育を受けて育ち、中国語よりも日本語の方が流暢な世代である。 呉濁流もその世代で日本語で執筆していた作家で、台湾人の彼の日本語で書かれた作品を読めるのは台湾人ではなく日本人あるいは日本語を解する著者のような人である。 そのことに感動したと書いていたことが印象的だった。









もぐもぐ羊@sleep_sheep2025年12月26日読み終わった収録されていた「おてんきゆき」という短編小説が素敵だった。 日本にはさまざまな国にルーツを持つ人が増えているし、共生していくのが今後の課題なのだと思うけど、そこに差別などがあると思うとなぜそうなってしまうのか、どうすればいいのか悩んでしまう。 外国人に対する差別感情も村田沙耶香の『世界99』で空子が「ウエガイコク」(白人や欧米人の国)の人は差別しないのに「シタガイコク」の人は差別するという矛盾もある。 それでもこの国で生まれて生活して学校に行ったりするうちにその子のアイデンティティーは親がルーツとする国なのか生まれた国なのか、それは個々に違うだろう。 それでも未来のある子どもたちが幸せに暮らせる国になってほしい。 そんな祈りが込められた小説だった。 雪が降っている描写があり季節は冬だと思うけど温かな読後感が残る物語だった。








もぐもぐ羊@sleep_sheep2025年12月23日読み始めた台湾人だけど母語は日本語で中国語は流暢に話せない著者。 そのことがコンプレックスになっているようだけど、世界中を見渡せば国籍と母語がイコールでない人はたくさんいる。 日本のような国家と言語が結びついている国に住んでる人間からすると著者のような人が不思議に思えるのかもしれないけどそれは偏見だと思う。 また台湾に旅行した若者が現地のお年寄りと日本語で会話したことを無邪気に報告してくることについて、そのお年寄りがなぜ日本語を話せるのかを深く考えないか近現代史を学ぶ機会がなかったからなのか残念に思う。 著者は「日本語はあなたの言葉ではない」と言われているように感じることがあるという。 インドにルーツがあり母語が英語のジュンパ・ラヒリが「イタリア語はあなたの言葉じゃない」と言われているようで心苦しい、とエッセイに書いていたのを読んだ時にうまく理解できなかったけど温さんの言葉でそれが理解できた。 当事者にとってはとても残酷な言葉だと思う。 たとえばアメリカで英語で書く中国出身作家のイーユン・リーやリン・マーどうだろう? 他にもモロッコ出身のレイラ・ララミは? 英語の場合は起きにくいことなのではないのだろうか?








かくり@kakuri0002025年10月7日気になる読みたい"台湾で生まれ、日本で育った作家が、複数の言語のはざまに立ち、「正しい」「普通の」日本語を揺さぶりながら、言語の豊かさを紡ぎ出します。 李良枝、呉濁流など、「国の周縁」で創作をしてきた先人たちの言葉に導かれ、日本語と向き合ってきた自身の軌跡をたどります。散文や講演録、創作を収めた、ポリフォニックな1冊。" https://www.iwanami.co.jp/book/b10146256.html
























