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ノエラプトル
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@Di_Noel02
たぶん前世は恐竜
  • 2025年11月19日
    異邦人
    異邦人
    不条理小説として有名だが、個人的には悲しさや苦悩、絶望といったデカい負の感情が、不思議とそこまで感じられない終わり方だった。 あらすじだけ見ると衝撃的な話だが、文章としては淡々と、すっきりとしているし、どこか客観的で落ち着いた一人称視点*も、ショックを抑えている気がする。 面白いと思ったのが、主人公ムルソーの名は、「死」と「太陽」の合成語らしい。 結果的に最後は死刑にされるが、ムルソーとしては一貫して「嘘をつかなかった」だけ。 太陽の眩しさに目を奪われ、その光とともに不幸の闇の中に落とされてしまったけど、彼は死の瞬間までその光を手放さなかった。 この世界では「異邦人」とみなされながら、それでも自分の心を偽らなかった。 その結末に、絶望というより、いやむしろ絶望ではなく、彼の胸の内の強い輝きを見た気がした。 *→ただ、死刑を宣告された後、訪ねてきた司祭に己の死を憐れまれて、ムルソーは作中で初めて感情を爆発させる。 読んだ人の多くはそうだと思うが、もうそこでぐっとムルソーの魅力に惹き込まれた。
  • 2025年11月15日
    田舎医者/断食芸人/流刑地で
    解説にカフカは「『?』のエンターテイナー」とあるように、頭にいくつもはてなマークが浮かんでくる読後。 どデカいインパクトだけが脳内にゴロッと転がされて、気づけばそれを抱えたまま物語が終わっている。 戸惑いや動揺というには大袈裟かもしれないが、ずっと心の中に「?」が転がったまんまなので、そこに吸い寄せられ、じーっと眺めてみたり、ツンツンつついてみたり、考察のし甲斐が大いにある。 中でも『流刑地で』が強烈だった。作中に出てくる、〈馬鍬〉のついた死刑執行の装置を想像するだけで、恐怖でゾクっとする。 将校の刑の執行が、ブラックユーモアというか、皮肉たっぷりの終わり方で印象的。
  • 2025年10月27日
    変身
    変身
    ラストのあまりの不条理が衝撃で、ただもう開いた口が塞がらなかった。 変身が解けず、挙句家族に見捨てられたグレゴールが気の毒でならなかったが、なぜかまた読み返したくなるような、不思議な読後感。でも、家族が彼を守り抜き、最後まで見捨てないような展開になっていたら絶対つまらないし、こんな有名な作品にはなっていないんだろうなと思った。 ところで、作者のカフカは、変身した主人公の姿は、読者がそれぞれ頭の中で想像すべきだと考えていたそうだ。 この翻訳本では、「化け物じみた図体の虫けら」「かぼそい肢がたくさん(中略)チラチラうごめいていた」などと訳されているが、そこからどんな「虫けら」を思い描くのか、『変身』を読んだことのある人ひとりひとりに聞いてまわってみたい。 個人的には、「肢がたくさん」「弓なりの段々模様で区切られた丸っこい茶色の腹」という表現から、ムカデが頭に浮かんだけれど、うちの親はGだったらしい。 はたまた、キメラみたいな姿を想像する人もいるのかもしれない。 何にせよおぞましい変身であることには違いないが、こうやってあれこれ想像が膨らむのも、この作品の面白いところだと思う。
  • 2025年10月15日
    ぼくは恐竜探険家!
    尊敬する恐竜学者のうちの一人、小林快次さん。 小林さんが発掘に携わった恐竜については、別の書籍を読んだこともあり、ある程度は知っているつもりだった。が、恐竜学者になる前のことは詳しく知らなかったので、この本で知れて満足。 大学生のとき、周囲に押されてアメリカに一年間留学するも、勉強に身が入らなかった小林さん。 しかしそれをきっかけに、もう一度アメリカできちんと古生物のことを学びたいと決意し、そこからのものすごい努力の連続に、本当に尊敬の思いを抱く。 「勉強」や「研究」というと、つい大変なイメージを抱いてしまいがちだけど、本質は「知りたい」、「謎を解き明かしたい」という好奇心や探究心から来ていて、その強い気持ちが行動を後押ししてくれるんだなと思った。 僕も既に大学を卒業してしまったが、まだまだやれることがたくさんあるなと、この本から刺激を受けた。 恐竜のために、何でも楽しんで学んで、どんどん自分の中に吸収し続けよう、と密かに決意。
  • 2025年10月8日
    生きづらさに向き合うこども
    生きづらさに向き合うこども
    読み終わって、副題の言葉が腑に落ちたというか、じんわり温かく感じられた。 平井さんがこの本で記している、生きづらさを抱える生徒やその親たちの大半は、「家族」や「血のつながり」といった、時に支配ー被支配の関係が生じる「絆」で、がんじがらめになって苦しんできた。 大黒柱である父(夫)の言うことは絶対であり、妻や子たちは従属させられる。男の意に沿わないことをすれば虐待を受け、家を出ざるをえなかったり、あるいは出たくてもお金がなくて耐えるしかなかったりする。 離婚できても、こどもの養育費や進学費の負担に苦しむ。離婚相手が養育費を払ってくれないこともままあるそうだ。 こどもたちの狭い世界では、家庭と学校の往復が中心になってくる。 平井さんは学校で、直接的にも間接的にも、こうしたしんどい思いをしているこどもたちの存在を、何度も見聞きしてきたのだと思う。 学校も、ともすると教師と生徒の間で支配関係ができて、そこから体罰や性暴力の問題が起こったりもしてしまう。 けれど平井さんは、その子ひとりひとりに、対等な人間として真正面から話を聴き、彼らがどうすれば窮地から抜け出せるのか、一緒に考えながら伴走する人なんだなと。 「絆」というガチガチに固い結束よりも、ゆるやかに、困っているときにそっと手を差し伸べられる関係。 そんなつながりが少しずつ増えていけば、こどもにとって息のしやすい空間もちょっとずつ増えていくのかなと思った。
  • 2025年10月6日
    最新研究で迫る 生き物の生態図鑑
    美麗でかわいらしいイラストと、分かりやすく噛み砕いた言葉で丁寧に書(描)かれている一冊。どのページも本当に面白くて、スイスイ読み進められる。 頭と体が切り離されても再生できるウミウシ、 木の枝や種のさやを楽器にして演奏するヤシオウム、 ハチと似た音を出して天敵を追い払うコウモリ、 ヒトと協力してハチの巣狩りをするミツオシエ、 熱殺蜂球でオオスズメバチを蒸し殺すミツバチなどなど…… どの生き物も個性豊かに、たくましく生きているんだなと感心する。 全部興味深かったけれど、コナガの幼虫に葉をかじられると、特別な香りを出すキャベツが驚きだった。その香りに釣られて、コナガの天敵であるコナガコマユバチがキャベツに近寄ってくるらしい。 普段食べているキャベツが、そんなに主張強めだったとは。自分は葉をかじられてダメージを受けても、少しでも多く他のキャベツが助かるように……ということなのか、力を振り絞って香りのメッセージを拡散するたくましさ、すごい。
  • 2025年9月27日
    最新版 恐竜の世界 Q&A
    恐竜学検定のために借りた本。さすが小林先生……難しい問題がたくさん。ますます恐竜の学習に熱が入る。 最後には登場した恐竜の一覧がまとめられていて、見返しやすいのもGOOD。
  • 2025年9月3日
    NHK子ども科学電話相談 恐竜スペシャル!
    NHK子ども科学電話相談 恐竜スペシャル!
    最初の「恐竜図鑑の表紙はなぜティラノサウルスばかりなのか」という質問、ちょっと笑ってしまうけれど、共感。 また「オルニトミムス類は胃石があるが、走るときに邪魔にならないのか」という面白い質問も。それに対する小林先生の答えも興味深かった。走るとき、人間も前に重心が傾くが、オルニトミムスも、胃石を持つことで重心を前にいかせて走りやすくしていたんじゃないかと。植物をすりつぶすだけではない、別の役割としての胃石と考えると、なんだか新鮮。
  • 2025年9月2日
    恐竜学
    恐竜学
    真鍋先生のやさしい解説と多くの写真・イラストが満載で、ビギナーが見ても、アマチュアが見ても楽しめる一冊だと思った。
  • 2025年8月27日
    もっとやりすぎ恐竜図鑑
    もっとやりすぎ恐竜図鑑
    恐竜学検定の勉強のために図書館で借りたけど、ふつーに知らん恐竜いっぱい出てきて、己の無知を知った。これを機にガチで恐竜のこと学ぼうと意気込んだ。
  • 2025年8月23日
    大人のための「恐竜学」
    大人のための「恐竜学」
    恐竜のことを基礎部分から学び直すのに良い一冊。もちろん詳しい人が読んでも楽しめるような、ちょっとコアな情報もある。 個人的には、アンキロサウルス類の尾の先のこぶの内部構造が実はスカスカであることから、武器ではなかったという説が驚きだった。どう見たってあんなのぶつけられたら痛そうなのに。近年発表されたズールも、種小名が「脛の破壊者」を意味するけど、実はそんなことなかった……てこと??
  • 2025年8月13日
    やりすぎ恐竜図鑑
    やりすぎ恐竜図鑑
    川崎悟司さんのイラスト、めちゃ美。 スティラコサウルスが表紙で一番デカいの、さすがよく分かってる。
  • 2025年7月31日
    日本恐竜図鑑
    日本恐竜図鑑
    情報としてはもちろん古いが、イラストは綺麗だし、昔の復元図として大いに楽しめる本。今後もより多くの恐竜化石が日本からも出てくれるとうれしい。
  • 2025年7月12日
    ぼくがスカートをはく日
    ぼくがスカートをはく日
    タイトルから察しがつく通り、トランス女性(と思われる)の子ども・グレイソンが主人公。学校の演劇のオーディションで、女神ペルセポネの役を志願したことをきっかけに、彼女が勇気を持つようになる物語。 「こうでありたい」という理想の姿と現実の自分を比べてモヤモヤしたり、まわりの人の発言で気持ちが浮き沈みしたりするグレイソンに、シンパシーを感じる。 そしてただただ、彼女の勇気に敬服する。とはいえ、解説でも書かれていたように、一番大切なのは、誰にも悩みを打ち明けられずに一人で抱え込んでいる人が、自分のまわりにいるかもしれない、という想像力を、一人ひとりが持つことなんだよな。カミングアウトする/しないは当人の自由だし、勇気=絶対ではない。いろんな生き方があるけれど、それを否定したり貶めたりすることは誰にもできない、その人だけの生き方だ。 上に「シンパシー」と書いたが、この場合必要になるのは「エンパシー」なんだろう。もちろんまったく同じ人間ではないから、想像しても分からないことだってあるとは思う。完全に理解するのも、それはそれで難しい。 でもだからこそ、暴言や暴力に頼るのではなく、対話して、ちょっとでも相手の意志を尊重しようとする力が大切になってくる。といってもそれはまさにマジョリティ側の問題であって、マイノリティにこれ以上マジョリティの前提を押し付けるのも違うと思うけれど。 大半の人は、マジョリティ性とマイノリティ性のどちらも併せ持つ。その中で、他者の痛みや苦しみから目を逸らさず、自身の立場を見つめて、何ができるのか模索していくしかないんじゃないだろうか。時間がかかるし、めんどくさいことだってあるけれど、きっとそれしかない。 排外主義は手っ取り早いが、何もかもを失うハメになるし、何も解決しない。 それに対抗するためのエンパシーを、僕も持って生きていきたい。
  • 2025年6月15日
    ニュートン式 超図解 最強に面白い!! 宇宙
    近年世界各地で起きている自然現象や災害などを見ていると、自然、ひいては地球への畏怖を感じる。 けれど、その地球も莫大なエネルギーを持つ太陽の威力には敵わないし、さらに太陽も天の川銀河の中で見ると一つの恒星にすぎない。 そして天の川銀河も、宇宙の中では数ある銀河のうちの一つで、その宇宙さえも、外側にまた別の宇宙が存在している(マルチバース)かもしれなくて……。 ここまで壮大だと、もはや畏怖を通り越してただただ呆然としてしまう。 138億年という悠久の時を刻む、そんな宇宙だけれど、生まれた瞬間は原子よりも小さかった。 そこから1秒の1兆分の1の、1兆分の1の、さらに1兆分の1ほどの間に、1兆の1兆倍の、1兆倍の、さらに1000万倍の大きさになった……らしい。 この急激な膨張「インフレーション」が、特に衝撃的だった。
  • 2025年6月7日
    人新世の「資本論」
    ”斎藤幸平さんといえば……“の一冊(たぶん)。 日本を含めた“先進国”社会に蔓延る、資本主義システム。それが自国の低所得者や社会的立場の弱い人々だけでなく、グローバル・サウスの国々、さらには地球全体からも搾取し続け、窮地に追い込んでいるんだと思うと恐ろしくなる。 キーワードとなる「コモン」は、土地や水、食料などをはじめ、人類全員にとっての共有物を指す。誰のものと決まっていたわけではなく、そこに住む人々みんなが使えるものだった。 けれど資本家たちがコモンを解体し、土地も水も食料も搾取し、それらに値段や「価値」がつけられたことで、お金を払わないと手の届かない代物へと変わってしまった。本来はみんなで共有して使うものだったのに。 そして資本主義の世界では、経済成長すればするほど、「成長」という言葉とは裏腹に、環境破壊が進んでいく。新しい商品が出るたびに化石燃料やら石油やらレアメタルなどの採掘・消費も進んでいく。とどまることを知らない資本主義は、地球が悲鳴を上げている今この瞬間も、地球から資源を巻き上げ続けている。 そんな悪化の一途を辿る現状を食い止めるためには、脱成長コミュニズムが鍵となる。 コモンが解体され、一部の資本家や権力者だけがそれらを独占して利益を得る構造そのものを変えないといけない。脱成長コミュニズムでは、自然の循環に合わせながら、コモンを労働者や市民たちの手で自治管理して、お互いを助け合っていくことを目指す。 地球の限りある資源を使い果たしてしまう資本主義とは決別し、世界全体がコモンを取り戻すことこそ、人類のために本当に必要なことだと思う。 そのための行動のヒントが、この本にはぎゅっと詰まっている。何度でも再読したい一冊。
  • 2025年5月14日
    恐竜 (なぞの古代生物 3 カラー版)
    かなり昔の本(1980年代)なので、復元図としては今と全然違っているけれど、絵としては美麗だと思う。 恐竜をはじめとした古代生物たちがどのような姿で想像されてきたのか、研究の過程をたどっていくのも面白い。 本の中では、ブラキオサウルスやパラサウロロフスが潜水していたり、アーケオプテリクス(始祖鳥)が現生鳥類の直接の先祖と考えられていることに、驚いてしまう。 けれど、この当時も研究者の人々が懸命に恐竜たちの謎を解き明かそうと奮闘していたんだろうなと思うと、この姿の古代生物たちにもなんだか愛着が湧いてくる。
    恐竜 (なぞの古代生物 3 カラー版)
  • 2025年4月8日
    谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)
    谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)
    特にインパクトが強かったのは、谷川さんの「苦しみのグルメ」という言葉。 しんどいことがあったり、なにか失敗してしまったりすると、落ち込んだり、涙がこぼれてしまうこともある。そのときは自分を責めたり、相手を恨めしく思ってしまうけれど、月日が経ってみると意外にケロッとして忘れていたり。 そうしてふと思い出したときに、薄まった苦味と同時に、「あのときの自分、苦しんでたなー」と、ほんの少しじわっとする甘みを感じる(木肌を削られて、そこから甘い樹液がジュワっと出る……みたいな)。 特に今は慣れない環境で、沈み込んだりまた起き上がったりを繰り返しているけれど、「自分は苦しみのグルメなんだ!」と思ってやり過ごしたい。 また、「人間はどうして国を持たなければいけないのか」という鋭い質問があって、「国家ではない共同体モデルに人類の未来を想像することもできる」といった答えも面白かった。 要は植民地主義的な思想が積み重なってできたのが、国家というものなのだろうか。谷川さんの書かれているように、他民族や他の共同体を支配したいなどという欲望が、その土地や民族どうしを統一させ、一つの国がつくられる。その国はまた別の国と戦い、”勝利”すれば相手国を支配して統一できる。そうしてどんどん国の領土は大きくなり、人口も増えていく。 それでもまだ欲望は止まらず、さらに別の国を我が物にするために、支配者たちは戦争の準備をする。秀吉の朝鮮出兵とか、琉球やアイヌへの支配とか、世界大戦みたいに。 今まさに起きている、イスラエルやアメリカによるパレスチナでのジェノサイドも、パレスチナを完全に支配するという欲望のために、そこにいる人々は、ジャーナリストや医療関係者も含め殺害のターゲットになっている。 はるか昔から支配者たちの欲望に塗れている国のシステムを変えることは、すぐには難しいだろう。 けれど、谷川さんののこした言葉に少し勇気づけられた。 「苦しみのグルメ」として現状にもがきつつ、本を読んだり、人と話をしたり、情報をシェアしたり、創作活動をしたり、虐殺加担企業をボイコットしたり(逆にパレスチナ支援をバイコットしたり)、ちょっとずつ視野を広げていきたい。
  • 2025年4月6日
    姜尚中と読む 夏目漱石
    漱石が権威主義をひどく疎んでいたという事実が興味深い。 彼の生きた明治は、金持ちと政界とが結びつき、大学を出た一部のエリートが、国家官僚として権力を固めていったと。 漱石はそうした癒着的な権力を、「物事を真剣に考えている人たちの志をつぶしてしまうものとして嫌った」らしい。 漱石は博士号を取得したことはないが、1911年に文部省から文学博士号を授与するという知らせがあったそうだ。 漱石が当時入院中だったため、家に学位証書が送りつけられるが、彼は毅然とした態度で「今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。」と断った。 そして、博士号をありがたがりすぎると、博士号を得た「学者的貴族」が権力を握ってしまうことを懸念していると綴っている。 権力者や権威的な存在にも鋭く批判をぶつける漱石の聡明さに敬服する一方で、昨今「政治とカネ」という言葉をよく聞くように、いまもなんら変わらない政界(というか自民党)にうんざりする。 信頼ではなくカネで人心掌握して、宗教組織とベッタリ癒着して選挙で大量に議員を当選させて。漱石の批判した明治政府の本質と何が違うのだろうか。ここまでくると怒りも通り越して虚しさを感じる(本の感想のはずが気づいたら自民批判に……)。 それはそうとして、漱石作品もいろいろ読んでみたくなった。
  • 2025年3月3日
    若きウェルテルの悩み
    若きウェルテルの悩み
    正直難しく感じる箇所も多くて、もっと文学や宗教が分かるようになってから再度読み返したいとも思うが、ともあれ結末に衝撃を受けた。 訳者解説によると、発表された当時、若い読者から自死する人が出るほどの反響だったとか。 想い人・ロッテや、まわりの人々、社会に対する、ウェルテルの苦悩、葛藤、絶望が、彼の書く手紙を通してじわじわと伝わってくる。 絶対に結ばれることがないと分かっている相手を、それでも「この人しかいない」と深く愛し、苦しみ続けるウェルテルの恋心を思うと、胸がじくじくと痛む。 特に、ロッテの婚約者・アルベルトと口論する場面のウェルテルの言葉がすごく印象に残っている。曰く、 病気に侵されて気力を失い、体が言うことを聞かず、自力でも立てず、一縷の望みにかけても元気になれないとき、それを死に至る病と呼ぶ。それと同じく人間の精神だって、いろいろな印象や観念に取り憑かれ、熱情が湧き上がると、冷静に考える力を奪い去り、自身を破滅に追い込むことがあると。 手紙を読み進めるにつれ、ウェルテルの直情的で激しすぎる恋心も、彼自身をじわじわと精神的に追い詰めていったことが分かる。 自死を選んでしまう人の心情が、皆こんな感じだとは言い切れないかもしれないが、不安定で危うく、繊細な人間であるがゆえの選択なのだろうか。
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