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ノエラプトル
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@Di_Noel02
たぶん前世は恐竜でした
  • 2025年5月14日
    恐竜 (なぞの古代生物 3 カラー版)
    かなり昔の本(1980年代)なので、復元図としては今と全然違っているけれど、絵としては美麗だと思う。 恐竜をはじめとした古代生物たちがどのような姿で想像されてきたのか、研究の過程をたどっていくのも面白い。 本の中では、ブラキオサウルスやパラサウロロフスが潜水していたり、アーケオプテリクス(始祖鳥)が現生鳥類の直接の先祖と考えられていることに、驚いてしまう。 けれど、この当時も研究者の人々が懸命に恐竜たちの謎を解き明かそうと奮闘していたんだろうなと思うと、この姿の古代生物たちにもなんだか愛着が湧いてくる。
    恐竜 (なぞの古代生物 3 カラー版)
  • 2025年4月8日
    谷川俊太郎質問箱
    谷川俊太郎質問箱
    特にインパクトが強かったのは、谷川さんの「苦しみのグルメ」という言葉。 しんどいことがあったり、なにか失敗してしまったりすると、落ち込んだり、涙がこぼれてしまうこともある。そのときは自分を責めたり、相手を恨めしく思ってしまうけれど、月日が経ってみると意外にケロッとして忘れていたり。 そうしてふと思い出したときに、薄まった苦味と同時に、「あのときの自分、苦しんでたなー」と、ほんの少しじわっとする甘みを感じる(木肌を削られて、そこから甘い樹液がジュワっと出る……みたいな)。 特に今は慣れない環境で、沈み込んだりまた起き上がったりを繰り返しているけれど、「自分は苦しみのグルメなんだ!」と思ってやり過ごしたい。 また、「人間はどうして国を持たなければいけないのか」という鋭い質問があって、「国家ではない共同体モデルに人類の未来を想像することもできる」といった答えも面白かった。 要は植民地主義的な思想が積み重なってできたのが、国家というものなのだろうか。谷川さんの書かれているように、他民族や他の共同体を支配したいなどという欲望が、その土地や民族どうしを統一させ、一つの国がつくられる。その国はまた別の国と戦い、”勝利”すれば相手国を支配して統一できる。そうしてどんどん国の領土は大きくなり、人口も増えていく。 それでもまだ欲望は止まらず、さらに別の国を我が物にするために、支配者たちは戦争の準備をする。秀吉の朝鮮出兵とか、琉球やアイヌへの支配とか、世界大戦みたいに。 今まさに起きている、イスラエルやアメリカによるパレスチナでのジェノサイドも、パレスチナを完全に支配するという欲望のために、そこにいる人々は、ジャーナリストや医療関係者も含め殺害のターゲットになっている。 はるか昔から支配者たちの欲望に塗れている国のシステムを変えることは、すぐには難しいだろう。 けれど、谷川さんののこした言葉に少し勇気づけられた。 「苦しみのグルメ」として現状にもがきつつ、本を読んだり、人と話をしたり、情報をシェアしたり、創作活動をしたり、虐殺加担企業をボイコットしたり(逆にパレスチナ支援をバイコットしたり)、ちょっとずつ視野を広げていきたい。
  • 2025年4月6日
    姜尚中と読む 夏目漱石
    漱石が権威主義をひどく疎んでいたという事実が興味深い。 彼の生きた明治は、金持ちと政界とが結びつき、大学を出た一部のエリートが、国家官僚として権力を固めていったと。 漱石はそうした癒着的な権力を、「物事を真剣に考えている人たちの志をつぶしてしまうものとして嫌った」らしい。 漱石は博士号を取得したことはないが、1911年に文部省から文学博士号を授与するという知らせがあったそうだ。 漱石が当時入院中だったため、家に学位証書が送りつけられるが、彼は毅然とした態度で「今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。」と断った。 そして、博士号をありがたがりすぎると、博士号を得た「学者的貴族」が権力を握ってしまうことを懸念していると綴っている。 権力者や権威的な存在にも鋭く批判をぶつける漱石の聡明さに敬服する一方で、昨今「政治とカネ」という言葉をよく聞くように、いまもなんら変わらない政界(というか自民党)にうんざりする。 信頼ではなくカネで人心掌握して、宗教組織とベッタリ癒着して選挙で大量に議員を当選させて。漱石の批判した明治政府の本質と何が違うのだろうか。ここまでくると怒りも通り越して虚しさを感じる(本の感想のはずが気づいたら自民批判に……)。 それはそうとして、漱石作品もいろいろ読んでみたくなった。
  • 2025年3月3日
    若きウェルテルの悩み
    若きウェルテルの悩み
    正直難しく感じる箇所も多くて、もっと文学や宗教が分かるようになってから再度読み返したいとも思うが、ともあれ結末に衝撃を受けた。 訳者解説によると、発表された当時、若い読者から自死する人が出るほどの反響だったとか。 想い人・ロッテや、まわりの人々、社会に対する、ウェルテルの苦悩、葛藤、絶望が、彼の書く手紙を通してじわじわと伝わってくる。 絶対に結ばれることがないと分かっている相手を、それでも「この人しかいない」と深く愛し、苦しみ続けるウェルテルの恋心を思うと、胸がじくじくと痛む。 特に、ロッテの婚約者・アルベルトと口論する場面のウェルテルの言葉がすごく印象に残っている。曰く、 病気に侵されて気力を失い、体が言うことを聞かず、自力でも立てず、一縷の望みにかけても元気になれないとき、それを死に至る病と呼ぶ。それと同じく人間の精神だって、いろいろな印象や観念に取り憑かれ、熱情が湧き上がると、冷静に考える力を奪い去り、自身を破滅に追い込むことがあると。 手紙を読み進めるにつれ、ウェルテルの直情的で激しすぎる恋心も、彼自身をじわじわと精神的に追い詰めていったことが分かる。 自死を選んでしまう人の心情が、皆こんな感じだとは言い切れないかもしれないが、不安定で危うく、繊細な人間であるがゆえの選択なのだろうか。
  • 2025年2月14日
    意外と知らない鳥の生活
    インターン先のNPOで行われたバードウォッチングやこの本のおかげで、鳥の魅力をたくさん知ることができた。 珍しい鳥ももちろん気になるけれど、歩いていると、すぐ近くにいる鳥たちの生活にも興味をそそられる。 ふと目をやると、ドバトのカップルが人目も憚らずイチャイチャしていたり、ハクセキレイが猛ダッシュしていたり、たくさんのスズメが一本の木にとまってチュンチュン鳴きまくっていたり。 今までは気にもとめずに通り過ぎていたが、鳥たちにもそれぞれ人間のような面白おかしいところがあるんだなと思うと、途端にかわいく見えてくる。 また鳥の観察をしに行きたいし、普段外を歩いているときも、彼らの姿を見逃さないでいたいと思う。
  • 2025年1月25日
    アルプスの少女ハイジ
    アルプスの少女ハイジ
    とにかくアルプスの風景描写が印象的だった。いかめしく聳え立つ岩山に、眩しいお日さまの下色とりどりに咲き誇る花たち、風に乗ってざわざわと枝葉をゆする樅の木。想像するだけでもうっとりしてしまうから、実際に見たときの感動は計り知れないだろうなと思う。 アルムのおじいさんの山小屋も好きだ。おじいさん手作りの三脚椅子やテーブルの温かみを感じるし、屋根裏にある干し草のベッドの上には星が瞬いていて、天体観測しながら眠りにつけるなんて、ロマンチックすぎる。朝食には、厚く切ったパンにトロリとしたチーズをたっぷり乗せ、ヤギのシュベンリから絞った甘ーいお乳をごくごくと飲む。シンプルだけど、大自然の中でいただくには最高のメニュー。 そして、まわりの人たちの幸せを常に考えているハイジの優しさにも、強く心を揺さぶられる。彼女の健気さや愛らしさには多くの登場人物たちが心を鷲掴みにされているが、本の世界すらも飛び超えて、「アルムにおいでよ」と自分に向けても手が差し伸べられているような気がした。 一方で山羊番の少年ペーターが、思っていたよりも嫉妬深くて、ハイジに会いにやって来たお医者さんやクララたちに腹を立てているのが驚きだった。しまいにはクララの車椅子を(もちろん彼女が乗っていないときに)谷に突き落としてしまうくらいだから、よっぽどハイジの存在が彼の中で大きかったんだろうなと思う。 原作では、ハイジが十歳のまま物語が終わっており、『赤毛のアン』や『若草物語』のように、主人公が成長して結婚する描写がないのも、この小説の大きな特徴だろう。 ところが原作の第一部・第二部が発表された後、別の人物によって第六部までが製作され、なんとハイジがブロンドヘアになったり、ペーターと結婚して子どもが生まれたりなど、とんでもない続きにされている。上に挙げた他の小説もそうだけれど、人気が出ると無理矢理にでも続編が作られ、世間の望む女性像へと引っ張られていってしまうのが何ともなあ……と思ったり。 ただ少なくとも、“原作”のハイジは、十歳のまま読者の心の友達であり続けてくれる。彼女に会いたくなったら、また読み返したい一冊だ。
  • 2025年1月4日
    実物大恐竜図鑑
    実物大恐竜図鑑
    小学校の頃に親からプレゼントしてもらった、大切な恐竜図鑑のうちの一冊。 急に懐かしくなって、久々に読み返した。 子ども向けとはいえ、タイトル通りイラストが実物大でものすごく迫力のある、大人が読んでも面白い図鑑。 かなり前の本なので最新研究とは違う点もあるが、この丁寧で美しい筆致の恐竜たちが大好きだ。 どのページを見ても心惹かれるけれど、特に肉食恐竜の横顔は迫力満点で、興奮なのか戦慄なのか分からないゾクゾクを感じる。 そしてカバーの裏には、なんとティラノサウルスの口元が。 ステーキナイフのような歯ももちろんインパクト大だけれど、口の間からせせりみたいな肉がはみ出していたり、唾液がデロっと垂れているのが生々しい。 やっぱり「暴君トカゲ」の名は伊達じゃない……。 あとはやっぱり、鋭くて大きく、美しいかぎ爪。 テリジノサウルスはかぎ爪だけで約70センチもあって、見ているだけで惚れ惚れする。 しかもこんなに大きいのに、食性が肉食ではない説が有力という、謎多き恐竜……。 今後の研究の展開が楽しみだ。
  • 2024年12月5日
    それはわたしが外国人だから?
    それはわたしが外国人だから?
    「多様性」「インクルーシブ」といった言葉が、果たして日本にはどれほど当てはまっているのだろう。 さまざまなルーツを持つ人々で成り立っているこの社会だけれど、ヘイトスピーチだったり、入管による収容・強制的な送還だったりと、まだまだ「外国人=取り締まる対象」とされているように思われる。 何の罪も犯していないにもかかわらず、「外国人」というだけで、レイシャル・プロファイリングに遭いやすかったり、ジロジロ見られたり、差別的な言葉を投げかけられたりする人たちがいる。 国籍、見た目、性別、年齢、能力などなど。 自分たちは、それらで人のことを一方的に判断して、見下したり排除してしまっていないだろうか。 相手のルーツや属性だけで、その人のことを決めつけようとする(たとえそれが褒め言葉であっても)ところから、差別意識は芽生えてくるんじゃないかなと思った。 「外国人」である前に、その人は尊厳を持ったひとりの人間であるということ、人間らしく生きる権利があるということを、忘れてはいけない。
  • 2024年10月15日
    伊藤野枝の手紙
    伊藤野枝の手紙
    手紙って、世間全体に向けてではなく、その人その人に向けて書かれているものだから、書いた人と宛名の人との関係性がよく分かって面白い。それに伊藤野枝は、誰に対しても自分の考えや気持ちを包み隠さずに記しているから、彼女の竹を割ったような、芯の通った気性がびしびし伝わってくる。 前半部分には、野枝から大杉へあてたラブレターが載っていた。すごくラブラブな内容もあれば、恋人というより、ともに社会の不条理に抗い闘う”同志“として出てくる言葉もあって、ふたりの強い情熱と絆を感じる。 一方、大杉の前のパートナー・辻へ宛てた手紙は残念ながら残っていないそう。辻は野枝からの手紙を大切に保管していたけれど、太平洋戦争中に米軍のB29の爆撃で燃えてしまったらしい。戦争やジェノサイドは、こういった大切な遺品も一瞬で消してしまうんだなと、改めて恐ろしく感じる。 特に印象に残ったのは、野枝が内務大臣・後藤新平へ宛てた、約4メートルにもなる巻物の手紙。「私は一無政府主義者です。」から始まり、「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い。」で終わる、毅然とした姿勢。 ただヤイヤイ煽っているのではなく、自分の立場・主張をまっすぐ表明し、相手が国家権力者であろうが恐れず立ち向かうところに強く惹かれる。 その28年という短くも激しすぎる人生は、もしもっと長く生きられたら、どんなものになっていただろうと想像せずにいられない。 彼女のような凄まじい行動力を持つ自信は全然ないけれど、世の中の理不尽やマイノリティに襲いかかる差別や暴力に対して、はっきりNOと言える人間でありたい。
  • 2024年10月5日
    パレスチナに生きるふたり ママとマハ
    パレスチナのビリン村に暮らすバスマさん(ママ)と、ジェニン難民キャンプに暮らすマハさん。 彼女たちの日々の「いとなみ」が、同じ目線に立って撮影した美香さんの写真を通して、生き生きと描かれている。 印象に残っているところを挙げればキリがないが、マハさんの息子の親友たちが、侵入してきたイスラエル軍の兵士に射殺されてしまった後、みんなでオリーブの木を庭に植えるところが特に胸に刺さった。 最初、息子さんたちはやる気なさげだったけれど、美香さんがひとりでやっているのを見て手伝うようになり、だんだん積極的になっていったと。 「ここでは、あまりに簡単にひとの命が奪われていくから。」という言葉も、ズシンと心にのしかかる。 小さい頃からずっと一緒に過ごしてきて、いつもみたいに他愛のないことで笑い合っていても、明日突然命が奪われるかもしれない。逮捕され、連行されるかもしれない。 何事もなくその一日を終えてほっとしても、翌朝また祈るようにして大切な人の無事を願う彼女たち。 命がいつ奪われてもおかしくないような環境がすぐそこにある日々を、パレスチナの人たちはもう何十年も過ごしている。 それが、昨年からイスラエル軍による侵略と虐殺が加速し、オリーブの木を植えるという安らぎすら、パレスチナ人から奪ってきた。 それどころか、殺された人たちは、この本に書かれているマジドさんやハムザさんのように、ひとりひとり名前のある人間だった。なのに、何万人という死者数の一人にカウントされ、しかもその数は増え続けている。 こんなに長い間不条理が続いてきたのに、なんでパレスチナのことを昨年まで何も知らなかったんだろう。と、自分自身に愕然とするし、諸国の多くの為政者が、今に至ってもパレスチナを見ていないという事実に、頭がクラクラする。 ただ、バスマさんとマハさんのことを、この本を通して知れたのは本当によかったと思う。 「いつか会ってお茶を飲みたい」というふたりの願いは、残念ながら叶えられることはなかった。けれど、ささやかな「いとなみ」を紡いできたふたりの喜びや哀しみは確かにそこにあったし、故郷で穏やかに過ごせるようにと願う気持ちは、ずっと消えないと思う。 大切な人を想い、ただ故郷で穏やかに暮らしたいと祈るパレスチナの人々。 そんな人たちがなぜ殺されなければならないのか。なんで欧米諸国や日本は、沈黙するどころか、むしろイスラエル軍に手を貸しているのか。 本当に、もういい加減にしろ。人を殺すな。パレスチナを殺すな。
  • 2024年9月21日
    なんみんってよばないで。
    なんみんってよばないで。
    「難民」と一括りに呼ばれる人たちにも、ひとりひとり、それぞれまったく違う人生がある。 けれど多くの人はきっと、自ら進んで故郷を出たかったわけではないだろうし、着のみ着のまま逃げ出してきた方などは、あまりにも突然のことに頭が追いつかないだろうなと思う。 もちろん故郷を去らずに済むのが一番だろう。でも一時的にしろ長期間にしろ、戻れなくなってしまったのなら、少しでも安心して過ごせる場所を見つけられることが大切。 そのためには、難民を受け入れる側の国や地域の態度が肝心だと思う。 故郷を追い出され、心が打ちのめされている人に、「外国人は出て行け」とか「〇〇人は犯罪を犯す」などという言葉をかけたら、その人々はどんな気持ちになるだろうか。難民受け入れ率の低さや、入管法改悪の問題を見ていると、日本なんか特にそう言っているに等しいと思ってしまう。 「難民」や「外国人」である前に、その人もまたひとりの「人間」なのだということを、忘れないでいたい。
  • 2024年8月25日
    毎日がつまらない君へ
    アメリカ、フィリピン、パレスチナなどなど……現地で出会った人々と交流を重ねてきた慧さんの「宝物」を、このシリーズ本を通してたくさん見せてもらった。 あたたかく、やさしく包み込むようなこの文章は、それだけ多くの素敵な人と出会ってきたということなのかも、と思う。 一方で、東日本大震災で大切なお母様を亡くされ、かなしみに暮れるお父様を目の当たりにした。 食卓でふいに涙をこぼした、というお父様の心境を想像すると、自分もものすごく胸に込み上げてくるものがある。 けれど、慧さんが書かれていたように、すごくかなしい気持ちになるということは、それだけ彼女のことを大切に想っているということ。 ずっと一緒に生きてきたパートナーがいなくなってしまって、つらい、苦しい、という感情と同時に、深い深い愛情もそこには宿っている。 決してポジティブな感情ではないと思うけれど、このかなしみもまた、人の心のあたたかさにつながっているのかも、と感じた。
  • 2024年8月21日
    ぼくはいしころ
    自分の本当の気持ちを心の奥底にしまい込んでいる猫の話。その感情が心からブワーっと溢れ出す表現が、すごく好きだ。黒一色の猫だけど、毛並みが丁寧に描かれていてすごいなぁと思った。
  • 2024年8月21日
    なまえのないねこ
    なまえのないねこ
    ひとりぼっちの猫が自分の名前を探してさまよい、本当に自分がほしかったものに気がつく、あたたかい物語。猫の視線の高さから描かれている場面が多くて、とても臨場感があった。そして猫たちの人間味溢れる表情に、思わず顔が綻ぶ。
  • 2024年8月21日
    勉強なんてしたくない君へ
    「”勉強”の反対は”戦争”」という視点に、目から鱗だった。 確かに、戦争や紛争が身近で起こると命の危機にさらされて、学ぶことが阻害される。 その結果、自分の進みたかった道が閉ざされてしまうかもしれないし、まだ見ぬ新しい選択肢もぐんと減ってしまう。 どの国の人にも、どの地域の人にも、どんな宗教の人でも、どんな性別の人でも、どんな年齢の人でも。違うところはあっても、みんな同じ「人間」なら、自分の学びたいことを学び、同じように将来の道を選ぶ権利はある。 ただ、それはまだ残念ながら叶っていない。 毎日毎日、パレスチナや他の国・地域でも多くの市民が虐殺され、学ぶ権利も生きる権利も奪われている。 この状況を何とかするには、まさに教育の力や学ぶことこそが必要だと思う。 言葉から、歴史から、地理から、数字から、文化から、争い・虐殺ではない方法で、解決策を探っていくことができるはず。 まずは大人が武器を捨て、ペンをとらなくちゃいけない。
  • 2024年8月20日
    それでも、海へ
    それでも、海へ
    陸前高田市に住む、ひとりの漁師さんとその孫の物語。 震災で大切な港がめちゃくちゃに壊され、仲間の漁師さんも命を落とした。 心も一緒に壊れてしまうような、大きな大きなショックを、きっと現地の方々は経験してきただろう。 それでも、「海が好き」、「孫やみんなの喜ぶ顔が見たい」、という想いは変わらず、その想いが少しずつ自身を奮い立たせていく。 いつまでも読み継がれるべき、大切な一冊。
  • 2024年8月17日
    10分後に自分の世界が広がる手紙 君はどんな大人になりたい?
    すぅっと心に響く、自分にとって大切な一冊。子ども向けとはいえ、いまの自分の悩みともリンクする部分がたくさんあり、共感度が非常に高かった。 印象に残っているのは、慧さんが初めて自分という存在の「わく」を意識した瞬間のこと。幼稚園で、迎えに来たお姉さんに名前を呼ばれた瞬間、何かが「ひゅっ!」と、からだの中におさまった感覚だったそう。少し違うかもしれないが、自分も唐突に、「あ、自分、今この瞬間生きてる。」と感じるときがある。うまく言葉にできない、空気で感じるような、このなにか。自分の他にも似た感覚を持つ人がいるんだと知って、嬉しくなった。 そして、慧さんが写真以外にも多彩だと知って驚き。少年時代、プログラミングをひとりで学んだり、映画の影響でギターにハマったり。そんな慧さんでも、将来のことに悩む日々があったのだなと知った。「これだ!」と思うことを見つけたと思っても、違和感を覚えてしまう。将来に漠然とした不安を抱えているところは自分も同じで、とても共感した。 ただ考えてみたら、慧さんの言う「現在地」と「目的地」を、自分はまだ思い描けていないな、と。きっと焦る必要はないけれど、自分がどこに行きたいかという「目的地」、また「今の自分には何が足りないのか」という「現在地」を考えない限りは、将来のこともなかなか見えてこないだろう。まずはそこからじっくり考え始めてみようと思った。
  • 2024年6月24日
    デーミアン
    デーミアン
    守護神のような、導き手のような存在のデーミアンと出会い、自己に深く深く分け入る、孤独な道を進んでいくシンクレア。独りを恐れて酒に溺れ、自堕落な共同体に入り浸る日々も。「迸り出る自分の思いそのままに生きようとしただけなのに、なんでそれがこうも難しかったんだろう」という言葉がグサッと刺さった。   しかし人は孤独であると同時に、その孤独は自分だけが味わうものではないのだと思えた。シンクレアがデーミアンやピストーリウス、エヴァ夫人たち「しるし」を持つ者と出会い、自分自身に辿り着くための孤独な道のりを共有し合うその中に、自分も夢中になって入った。“同志”は100年以上も前の本の中にもいたんだと思うと、胸が熱くなる。孤独は悪いことではない、自分の夢や運命を見つけるための大切な時間なのだ。 そして、デーミアンやエヴァ夫人の澱みない言葉の数々が、頁をすり抜けて自分の心の中に吸収されていくような感覚がした。何回読んでも、自分探しの旅のヒントをきっと何度も教えてくれるに違いない。
  • 2024年6月12日
    ゼロからの『資本論』
    資本主義と経済成長の落とし穴を、マルクスの『資本論』をもとに的確に批判した本。経済「成長」というと聞こえがいいかもしれないが(実際自分もこの本を読むまでいいことだと思っていた)、資源や地球環境は無限にあるわけじゃない。自然から搾取し、破壊を続けてまで「成長」する社会って、本当にいい社会なんだろうか。 しかも資本主義から搾取されているのは、自然だけではない。グローバル・サウスの国々や、「先進国」(正直どこが「先進」だ、と個人的には思うが)と呼ばれる国でも、貧困層の人々はその日その日を生きることで必死だ。労働者たちを低賃金で長時間雇って、特に非常勤の職員やエッセンシャルワーカーの人たちの疲弊は目に見えている。 資本主義が日本で、世界各地で限界をむかえている。それでも市場で競争は続き、価値は増殖され、資本家が無限に金稼ぎしている現状に絶望しそうになる。でもこの本で「コミュニズム」の存在を知って、実現は困難かもしれないが、とても興味を持った。 というか、少し前に読んだ伊藤野枝の「無政府の事実」に出てきた共助の考えとそっくりだった。一部の資本家が資源や富を独占するのではなく、みんなで社会の富を共有・維持して助け合う。かなりのユートピアかもしれないけれど、人類や地球の未来を守るためにはこれしかないと思う。
  • 2024年4月30日
    星の王子さま
    星の王子さま
    「たいせつなことはね、目に見えないんだよ」 心に響く台詞が随所に散りばめられている、純粋で美しい本。一方で、寄せ算ばかりしているおとなたちの虚しさや、「人に感心されることが、なんで、そうおもしろいの?」という王子さまの言葉も印象的。 現在就活真っ只中だが、数字やデータのような「目に見える」分かりやすい結果ばかりを求める“おとな”たちに、自分も近づいていってるんだな……とふと考えたり。それでも、王子さまたちが教えてくれたみたいに、自分にとってたったひとつの大切な存在を、目に見えない感情を、ずっと大切にして生きていきたいと思う。
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