

ノエラプトル
@Di_Noel02
たぶん前世は恐竜
- 2025年10月8日生きづらさに向き合うこどもおかねともこ,フルイ・ミエコ,平井美津子読み終わった読み終わって、副題の言葉が腑に落ちたというか、じんわり温かく感じられた。 平井さんがこの本で記している、生きづらさを抱える生徒やその親たちの大半は、「家族」や「血のつながり」といった、時に支配ー被支配の関係が生じる「絆」で、がんじがらめになって苦しんできた。 大黒柱である父(夫)の言うことは絶対であり、妻や子たちは従属させられる。男の意に沿わないことをすれば虐待を受け、家を出ざるをえなかったり、あるいは出たくてもお金がなくて耐えるしかなかったりする。 離婚できても、こどもの養育費や進学費の負担に苦しむ。離婚相手が養育費を払ってくれないこともままあるそうだ。 こどもたちの狭い世界では、家庭と学校の往復が中心になってくる。 平井さんは学校で、直接的にも間接的にも、こうしたしんどい思いをしているこどもたちの存在を、何度も見聞きしてきたのだと思う。 学校も、ともすると教師と生徒の間で支配関係ができて、そこから体罰や性暴力の問題が起こったりもしてしまう。 けれど平井さんは、その子ひとりひとりに、対等な人間として真正面から話を聴き、彼らがどうすれば窮地から抜け出せるのか、一緒に考えながら伴走する人なんだなと。 「絆」というガチガチに固い結束よりも、ゆるやかに、困っているときにそっと手を差し伸べられる関係。 そんなつながりが少しずつ増えていけば、こどもにとって息のしやすい空間もちょっとずつ増えていくのかなと思った。
- 2025年10月6日最新研究で迫る 生き物の生態図鑑きのしたちひろ読み終わった美麗でかわいらしいイラストと、分かりやすく噛み砕いた言葉で丁寧に書(描)かれている一冊。どのページも本当に面白くて、スイスイ読み進められる。 頭と体が切り離されても再生できるウミウシ、 木の枝や種のさやを楽器にして演奏するヤシオウム、 ハチと似た音を出して天敵を追い払うコウモリ、 ヒトと協力してハチの巣狩りをするミツオシエ、 熱殺蜂球でオオスズメバチを蒸し殺すミツバチなどなど…… どの生き物も個性豊かに、たくましく生きているんだなと感心する。 全部興味深かったけれど、コナガの幼虫に葉をかじられると、特別な香りを出すキャベツが驚きだった。その香りに釣られて、コナガの天敵であるコナガコマユバチがキャベツに近寄ってくるらしい。 普段食べているキャベツが、そんなに主張強めだったとは。自分は葉をかじられてダメージを受けても、少しでも多く他のキャベツが助かるように……ということなのか、力を振り絞って香りのメッセージを拡散するたくましさ、すごい。
- 2025年9月27日最新版 恐竜の世界 Q&A小林快次読み終わった恐竜学検定のために借りた本。さすが小林先生……難しい問題がたくさん。ますます恐竜の学習に熱が入る。 最後には登場した恐竜の一覧がまとめられていて、見返しやすいのもGOOD。
- 2025年9月3日NHK子ども科学電話相談 恐竜スペシャル!NHK「子ども科学電話相談」制作班,小林快次,田中康平読み終わった最初の「恐竜図鑑の表紙はなぜティラノサウルスばかりなのか」という質問、ちょっと笑ってしまうけれど、共感。 また「オルニトミムス類は胃石があるが、走るときに邪魔にならないのか」という面白い質問も。それに対する小林先生の答えも興味深かった。走るとき、人間も前に重心が傾くが、オルニトミムスも、胃石を持つことで重心を前にいかせて走りやすくしていたんじゃないかと。植物をすりつぶすだけではない、別の役割としての胃石と考えると、なんだか新鮮。
- 2025年9月2日
- 2025年8月27日
- 2025年8月23日大人のための「恐竜学」土屋健,小林快次読み終わった恐竜のことを基礎部分から学び直すのに良い一冊。もちろん詳しい人が読んでも楽しめるような、ちょっとコアな情報もある。 個人的には、アンキロサウルス類の尾の先のこぶの内部構造が実はスカスカであることから、武器ではなかったという説が驚きだった。どう見たってあんなのぶつけられたら痛そうなのに。近年発表されたズールも、種小名が「脛の破壊者」を意味するけど、実はそんなことなかった……てこと??
- 2025年8月13日
- 2025年7月31日
- 2025年7月12日ぼくがスカートをはく日まめふく,エイミ・ポロンスキー,松中権,西田佳子読み終わったタイトルから察しがつく通り、トランス女性(と思われる)の子ども・グレイソンが主人公。学校の演劇のオーディションで、女神ペルセポネの役を志願したことをきっかけに、彼女が勇気を持つようになる物語。 「こうでありたい」という理想の姿と現実の自分を比べてモヤモヤしたり、まわりの人の発言で気持ちが浮き沈みしたりするグレイソンに、シンパシーを感じる。 そしてただただ、彼女の勇気に敬服する。とはいえ、解説でも書かれていたように、一番大切なのは、誰にも悩みを打ち明けられずに一人で抱え込んでいる人が、自分のまわりにいるかもしれない、という想像力を、一人ひとりが持つことなんだよな。カミングアウトする/しないは当人の自由だし、勇気=絶対ではない。いろんな生き方があるけれど、それを否定したり貶めたりすることは誰にもできない、その人だけの生き方だ。 上に「シンパシー」と書いたが、この場合必要になるのは「エンパシー」なんだろう。もちろんまったく同じ人間ではないから、想像しても分からないことだってあるとは思う。完全に理解するのも、それはそれで難しい。 でもだからこそ、暴言や暴力に頼るのではなく、対話して、ちょっとでも相手の意志を尊重しようとする力が大切になってくる。といってもそれはまさにマジョリティ側の問題であって、マイノリティにこれ以上マジョリティの前提を押し付けるのも違うと思うけれど。 大半の人は、マジョリティ性とマイノリティ性のどちらも併せ持つ。その中で、他者の痛みや苦しみから目を逸らさず、自身の立場を見つめて、何ができるのか模索していくしかないんじゃないだろうか。時間がかかるし、めんどくさいことだってあるけれど、きっとそれしかない。 排外主義は手っ取り早いが、何もかもを失うハメになるし、何も解決しない。 それに対抗するためのエンパシーを、僕も持って生きていきたい。
- 2025年6月15日ニュートン式 超図解 最強に面白い!! 宇宙科学雑誌Newton読み終わった近年世界各地で起きている自然現象や災害などを見ていると、自然、ひいては地球への畏怖を感じる。 けれど、その地球も莫大なエネルギーを持つ太陽の威力には敵わないし、さらに太陽も天の川銀河の中で見ると一つの恒星にすぎない。 そして天の川銀河も、宇宙の中では数ある銀河のうちの一つで、その宇宙さえも、外側にまた別の宇宙が存在している(マルチバース)かもしれなくて……。 ここまで壮大だと、もはや畏怖を通り越してただただ呆然としてしまう。 138億年という悠久の時を刻む、そんな宇宙だけれど、生まれた瞬間は原子よりも小さかった。 そこから1秒の1兆分の1の、1兆分の1の、さらに1兆分の1ほどの間に、1兆の1兆倍の、1兆倍の、さらに1000万倍の大きさになった……らしい。 この急激な膨張「インフレーション」が、特に衝撃的だった。
- 2025年6月7日人新世の「資本論」斎藤幸平読み終わった”斎藤幸平さんといえば……“の一冊(たぶん)。 日本を含めた“先進国”社会に蔓延る、資本主義システム。それが自国の低所得者や社会的立場の弱い人々だけでなく、グローバル・サウスの国々、さらには地球全体からも搾取し続け、窮地に追い込んでいるんだと思うと恐ろしくなる。 キーワードとなる「コモン」は、土地や水、食料などをはじめ、人類全員にとっての共有物を指す。誰のものと決まっていたわけではなく、そこに住む人々みんなが使えるものだった。 けれど資本家たちがコモンを解体し、土地も水も食料も搾取し、それらに値段や「価値」がつけられたことで、お金を払わないと手の届かない代物へと変わってしまった。本来はみんなで共有して使うものだったのに。 そして資本主義の世界では、経済成長すればするほど、「成長」という言葉とは裏腹に、環境破壊が進んでいく。新しい商品が出るたびに化石燃料やら石油やらレアメタルなどの採掘・消費も進んでいく。とどまることを知らない資本主義は、地球が悲鳴を上げている今この瞬間も、地球から資源を巻き上げ続けている。 そんな悪化の一途を辿る現状を食い止めるためには、脱成長コミュニズムが鍵となる。 コモンが解体され、一部の資本家や権力者だけがそれらを独占して利益を得る構造そのものを変えないといけない。脱成長コミュニズムでは、自然の循環に合わせながら、コモンを労働者や市民たちの手で自治管理して、お互いを助け合っていくことを目指す。 地球の限りある資源を使い果たしてしまう資本主義とは決別し、世界全体がコモンを取り戻すことこそ、人類のために本当に必要なことだと思う。 そのための行動のヒントが、この本にはぎゅっと詰まっている。何度でも再読したい一冊。
- 2025年5月14日恐竜 (なぞの古代生物 3 カラー版)たかしよいち,保田義孝読み終わったかなり昔の本(1980年代)なので、復元図としては今と全然違っているけれど、絵としては美麗だと思う。 恐竜をはじめとした古代生物たちがどのような姿で想像されてきたのか、研究の過程をたどっていくのも面白い。 本の中では、ブラキオサウルスやパラサウロロフスが潜水していたり、アーケオプテリクス(始祖鳥)が現生鳥類の直接の先祖と考えられていることに、驚いてしまう。 けれど、この当時も研究者の人々が懸命に恐竜たちの謎を解き明かそうと奮闘していたんだろうなと思うと、この姿の古代生物たちにもなんだか愛着が湧いてくる。
- 2025年4月8日谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)江田ななえ,谷川俊太郎読み終わった特にインパクトが強かったのは、谷川さんの「苦しみのグルメ」という言葉。 しんどいことがあったり、なにか失敗してしまったりすると、落ち込んだり、涙がこぼれてしまうこともある。そのときは自分を責めたり、相手を恨めしく思ってしまうけれど、月日が経ってみると意外にケロッとして忘れていたり。 そうしてふと思い出したときに、薄まった苦味と同時に、「あのときの自分、苦しんでたなー」と、ほんの少しじわっとする甘みを感じる(木肌を削られて、そこから甘い樹液がジュワっと出る……みたいな)。 特に今は慣れない環境で、沈み込んだりまた起き上がったりを繰り返しているけれど、「自分は苦しみのグルメなんだ!」と思ってやり過ごしたい。 また、「人間はどうして国を持たなければいけないのか」という鋭い質問があって、「国家ではない共同体モデルに人類の未来を想像することもできる」といった答えも面白かった。 要は植民地主義的な思想が積み重なってできたのが、国家というものなのだろうか。谷川さんの書かれているように、他民族や他の共同体を支配したいなどという欲望が、その土地や民族どうしを統一させ、一つの国がつくられる。その国はまた別の国と戦い、”勝利”すれば相手国を支配して統一できる。そうしてどんどん国の領土は大きくなり、人口も増えていく。 それでもまだ欲望は止まらず、さらに別の国を我が物にするために、支配者たちは戦争の準備をする。秀吉の朝鮮出兵とか、琉球やアイヌへの支配とか、世界大戦みたいに。 今まさに起きている、イスラエルやアメリカによるパレスチナでのジェノサイドも、パレスチナを完全に支配するという欲望のために、そこにいる人々は、ジャーナリストや医療関係者も含め殺害のターゲットになっている。 はるか昔から支配者たちの欲望に塗れている国のシステムを変えることは、すぐには難しいだろう。 けれど、谷川さんののこした言葉に少し勇気づけられた。 「苦しみのグルメ」として現状にもがきつつ、本を読んだり、人と話をしたり、情報をシェアしたり、創作活動をしたり、虐殺加担企業をボイコットしたり(逆にパレスチナ支援をバイコットしたり)、ちょっとずつ視野を広げていきたい。
- 2025年4月6日姜尚中と読む 夏目漱石姜尚中読み終わった漱石が権威主義をひどく疎んでいたという事実が興味深い。 彼の生きた明治は、金持ちと政界とが結びつき、大学を出た一部のエリートが、国家官僚として権力を固めていったと。 漱石はそうした癒着的な権力を、「物事を真剣に考えている人たちの志をつぶしてしまうものとして嫌った」らしい。 漱石は博士号を取得したことはないが、1911年に文部省から文学博士号を授与するという知らせがあったそうだ。 漱石が当時入院中だったため、家に学位証書が送りつけられるが、彼は毅然とした態度で「今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。」と断った。 そして、博士号をありがたがりすぎると、博士号を得た「学者的貴族」が権力を握ってしまうことを懸念していると綴っている。 権力者や権威的な存在にも鋭く批判をぶつける漱石の聡明さに敬服する一方で、昨今「政治とカネ」という言葉をよく聞くように、いまもなんら変わらない政界(というか自民党)にうんざりする。 信頼ではなくカネで人心掌握して、宗教組織とベッタリ癒着して選挙で大量に議員を当選させて。漱石の批判した明治政府の本質と何が違うのだろうか。ここまでくると怒りも通り越して虚しさを感じる(本の感想のはずが気づいたら自民批判に……)。 それはそうとして、漱石作品もいろいろ読んでみたくなった。
- 2025年3月3日若きウェルテルの悩みゲーテ,酒寄進一読み終わった正直難しく感じる箇所も多くて、もっと文学や宗教が分かるようになってから再度読み返したいとも思うが、ともあれ結末に衝撃を受けた。 訳者解説によると、発表された当時、若い読者から自死する人が出るほどの反響だったとか。 想い人・ロッテや、まわりの人々、社会に対する、ウェルテルの苦悩、葛藤、絶望が、彼の書く手紙を通してじわじわと伝わってくる。 絶対に結ばれることがないと分かっている相手を、それでも「この人しかいない」と深く愛し、苦しみ続けるウェルテルの恋心を思うと、胸がじくじくと痛む。 特に、ロッテの婚約者・アルベルトと口論する場面のウェルテルの言葉がすごく印象に残っている。曰く、 病気に侵されて気力を失い、体が言うことを聞かず、自力でも立てず、一縷の望みにかけても元気になれないとき、それを死に至る病と呼ぶ。それと同じく人間の精神だって、いろいろな印象や観念に取り憑かれ、熱情が湧き上がると、冷静に考える力を奪い去り、自身を破滅に追い込むことがあると。 手紙を読み進めるにつれ、ウェルテルの直情的で激しすぎる恋心も、彼自身をじわじわと精神的に追い詰めていったことが分かる。 自死を選んでしまう人の心情が、皆こんな感じだとは言い切れないかもしれないが、不安定で危うく、繊細な人間であるがゆえの選択なのだろうか。
- 2025年2月14日意外と知らない鳥の生活piro piro piccolo読み終わったインターン先のNPOで行われたバードウォッチングやこの本のおかげで、鳥の魅力をたくさん知ることができた。 珍しい鳥ももちろん気になるけれど、歩いていると、すぐ近くにいる鳥たちの生活にも興味をそそられる。 ふと目をやると、ドバトのカップルが人目も憚らずイチャイチャしていたり、ハクセキレイが猛ダッシュしていたり、たくさんのスズメが一本の木にとまってチュンチュン鳴きまくっていたり。 今までは気にもとめずに通り過ぎていたが、鳥たちにもそれぞれ人間のような面白おかしいところがあるんだなと思うと、途端にかわいく見えてくる。 また鳥の観察をしに行きたいし、普段外を歩いているときも、彼らの姿を見逃さないでいたいと思う。
- 2025年1月25日アルプスの少女ハイジヨハンナ・シュピリ,遠山明子読み終わったとにかくアルプスの風景描写が印象的だった。いかめしく聳え立つ岩山に、眩しいお日さまの下色とりどりに咲き誇る花たち、風に乗ってざわざわと枝葉をゆする樅の木。想像するだけでもうっとりしてしまうから、実際に見たときの感動は計り知れないだろうなと思う。 アルムのおじいさんの山小屋も好きだ。おじいさん手作りの三脚椅子やテーブルの温かみを感じるし、屋根裏にある干し草のベッドの上には星が瞬いていて、天体観測しながら眠りにつけるなんて、ロマンチックすぎる。朝食には、厚く切ったパンにトロリとしたチーズをたっぷり乗せ、ヤギのシュベンリから絞った甘ーいお乳をごくごくと飲む。シンプルだけど、大自然の中でいただくには最高のメニュー。 そして、まわりの人たちの幸せを常に考えているハイジの優しさにも、強く心を揺さぶられる。彼女の健気さや愛らしさには多くの登場人物たちが心を鷲掴みにされているが、本の世界すらも飛び超えて、「アルムにおいでよ」と自分に向けても手が差し伸べられているような気がした。 一方で山羊番の少年ペーターが、思っていたよりも嫉妬深くて、ハイジに会いにやって来たお医者さんやクララたちに腹を立てているのが驚きだった。しまいにはクララの車椅子を(もちろん彼女が乗っていないときに)谷に突き落としてしまうくらいだから、よっぽどハイジの存在が彼の中で大きかったんだろうなと思う。 原作では、ハイジが十歳のまま物語が終わっており、『赤毛のアン』や『若草物語』のように、主人公が成長して結婚する描写がないのも、この小説の大きな特徴だろう。 ところが原作の第一部・第二部が発表された後、別の人物によって第六部までが製作され、なんとハイジがブロンドヘアになったり、ペーターと結婚して子どもが生まれたりなど、とんでもない続きにされている。上に挙げた他の小説もそうだけれど、人気が出ると無理矢理にでも続編が作られ、世間の望む女性像へと引っ張られていってしまうのが何ともなあ……と思ったり。 ただ少なくとも、“原作”のハイジは、十歳のまま読者の心の友達であり続けてくれる。彼女に会いたくなったら、また読み返したい一冊だ。
- 2025年1月4日実物大恐竜図鑑デヴィッド・ベルゲン,David Bergen,藤田千枝読み終わった小学校の頃に親からプレゼントしてもらった、大切な恐竜図鑑のうちの一冊。 急に懐かしくなって、久々に読み返した。 子ども向けとはいえ、タイトル通りイラストが実物大でものすごく迫力のある、大人が読んでも面白い図鑑。 かなり前の本なので最新研究とは違う点もあるが、この丁寧で美しい筆致の恐竜たちが大好きだ。 どのページを見ても心惹かれるけれど、特に肉食恐竜の横顔は迫力満点で、興奮なのか戦慄なのか分からないゾクゾクを感じる。 そしてカバーの裏には、なんとティラノサウルスの口元が。 ステーキナイフのような歯ももちろんインパクト大だけれど、口の間からせせりみたいな肉がはみ出していたり、唾液がデロっと垂れているのが生々しい。 やっぱり「暴君トカゲ」の名は伊達じゃない……。 あとはやっぱり、鋭くて大きく、美しいかぎ爪。 テリジノサウルスはかぎ爪だけで約70センチもあって、見ているだけで惚れ惚れする。 しかもこんなに大きいのに、食性が肉食ではない説が有力という、謎多き恐竜……。 今後の研究の展開が楽しみだ。
- 2024年12月5日それはわたしが外国人だから?安田菜津紀,金井真紀読み終わった「多様性」「インクルーシブ」といった言葉が、果たして日本にはどれほど当てはまっているのだろう。 さまざまなルーツを持つ人々で成り立っているこの社会だけれど、ヘイトスピーチだったり、入管による収容・強制的な送還だったりと、まだまだ「外国人=取り締まる対象」とされているように思われる。 何の罪も犯していないにもかかわらず、「外国人」というだけで、レイシャル・プロファイリングに遭いやすかったり、ジロジロ見られたり、差別的な言葉を投げかけられたりする人たちがいる。 国籍、見た目、性別、年齢、能力などなど。 自分たちは、それらで人のことを一方的に判断して、見下したり排除してしまっていないだろうか。 相手のルーツや属性だけで、その人のことを決めつけようとする(たとえそれが褒め言葉であっても)ところから、差別意識は芽生えてくるんじゃないかなと思った。 「外国人」である前に、その人は尊厳を持ったひとりの人間であるということ、人間らしく生きる権利があるということを、忘れてはいけない。
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