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まいける
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@bluesky42195
  • 2025年8月26日
    50歳からのごきげんひとり旅
    『50歳からのごきげんひとり旅』(山脇リコ著)を読んだ。 私が初めて一人旅したのは19歳の時。 シュラフとザックを持って、松本へ。駅で仮眠した後、安曇野へ。ユースホステルを利用しての信州旅だった。予備知識もほとんどなく、行き当たりばったりの旅だったからか、出会った人、景色が新鮮で今でも鮮明に憶えている。 この本は、図書館のリサイクル雑誌、『stereo』で山内トモコさんが推していた。 いいなあ。旅先でのひとり朝ラン。人通りがない街を朝ランで予習する。早歩きでも散歩でもいいからこれはやりたいな。山脇さんが、水戸の千波湖周辺のコースがお気に入りとは。我が青春の街だけに嬉しい限り。 彼女の訪ねたところで一番惹かれたのは、法隆寺。造詣深いホテルマンに教わって、法隆寺及び仏像を観たい。大学生の時訪ねた斑鳩の里は、全然変わっていたけれど。視点が変われば楽しめそう。 国内でひとり旅するならスマホ、SNSから離れたい。国外だったら、スマホをフル活用して貪欲に歩きたい。そうそう、絵葉書も書きたい。昔のように。
  • 2025年8月25日
    昭和からの遺言 足裏の記憶
    「裸足で大地を走り廻った 足の裏の感触が忘れられない」 子どもの頃、道で野球をやっていたら、打球がたんぼに入り、ズボズボっと沈む感覚を味わった。ヒルの存在とたたかいながら。 足の裏の役目が目と耳になり、実感を伴わない知識を身につけ、ヒトは本来もっているエネルギーを半減させていく。 「己れの体内にあるエネルギーを使うこと それが生物としての ヒトの根本の生き方」 昭和に戻りたいとは思わない。 でも、五感をフルに使って 体内にあるエネルギーを呼び戻したい。
  • 2025年8月25日
    昭和からの遺言 足裏の記憶
    「裸足で大地を走り廻った 足の裏の感触が忘れられない」 子どもの頃、道で野球をやっていたら、打球がたんぼに入り、ズボズボっと沈む感覚を味わった。ヒルの存在とたたかいながら。 足の裏の役目が目と耳になり、実感を伴わない知識を身につけ、ヒトは本来もっているエネルギーを半減させていく。 「己れの体内にあるエネルギーを使うこと それが生物としての ヒトの根本の生き方」 昭和に戻りたいとは思わない。 でも、五感をフルに使って 体内にあるエネルギーを呼び戻したい。
  • 2025年8月25日
    昭和からの遺言
    「よしもう世間に恐いものなどない 町にとび出し 雷を落とそう 雷おやじの伝統を継ごう!」 倉本聰さんは『昭和からの遺言』で雷おやじになり 腹の底から雷を落としまくる。 『北の国から』で伝えたかったこと フクシマの原発事故後に伝えたかったことを 直接的に声高に訴える。 特に瓦礫にまみれた東京を 腹をすかした人々が重機もすがる人もない中 瓦礫の山をどうやって片付けて行ったのか 激しく迫ってくる。 今の生活の下敷きにあるものに気付かされる 叫びだった。 深く深くえぐられた。
  • 2025年8月25日
    山を楽しむ (岩波新書 新赤版 803)
    圧倒的に男性社会だった日本の登山界。 「(エベレストに)登っちゃって、ごちゃごちゃ言う人を黙らせるんだ」とギャフンと言わせた田部井淳子さん。 エベレスト、富士山などの環境保全や故郷福島の東日本大震災被災者支援、高校生との富士山登山。彼女の足跡を辿ると、その足跡の大きさがわかる。 そんな彼女が好きな道は山の中の自然道。山の上の稜線につけられた山道、トレイル。 エベレストに登頂した時も、アルバイトでお金を貯め、カーテン布地で登山ズボンを作った女性たちが集まり、600人のポーターと共に歩き、寒いテントで過ごした夜の積み重ねが、この登頂につながったという。 シェルパには、命を救われたこともあった。雪崩に襲われ、気を失った時、テントをナイフで破って助けてくれたのはシェルパ仲間だったという。 私も山の仲間から教わったことがたくさんある。 持っていったものは全部持ち帰る。 危険を感じたり迷ったりしたら、引き返す。 何より楽しい会話と美しい朝焼けと満天の星。 山が呼んでいる。
  • 2025年8月23日
    「好き」を言語化する技術
    三宅香帆さん、3冊目。 自分の記録のために、SNSを活用してきたが、 もう少し読み手を意識した言語表現をしようと思えた1冊。 何より他人のレビューを読まずに、自分の感じたことを自分の経験と照らし合わせて表現していくこと。 そういえば、読書の途中にレビュー読んじゃって、他の人の感じ方を中に入れていたこともあったなあ。 自分の言葉で語る工夫 やっていこうかな。
  • 2025年8月22日
    ずっと幸せなら本なんて読まなかった 人生の悩み・苦しみに効く名作33:
    『なぜ働いていると〜』を読んだことがあるが、それより数段面白い。著者が24歳〜25歳ごろの本と知って、納得がいった。若いころにしかない感性とその感性への自信と若さゆえの無鉄砲さがあるからいいのだ。 読んでみたいなと思ったのは、 男に生まれたくなかった日に読む本、穂村弘さんの『現実入門 ほんとにみんなこんなことを?』 面白くない映画を観た後に読む本、ブラッドベリさんの『華氏451度』 眠れなかった時に読む本、小川洋子さんの『海』 読書の愉しみを忘れそうになったらこの本を読み返そう。どんな読み方もどんな感じ方も自由だって思えるから。
  • 2025年8月21日
    陽だまりのひと
    やはり藤岡陽子さんは裏切らない。 小さな法律事務所の芳川弁護士と事務員涼子。 依頼人に寄り添い、そして時には踏み込んで最善の道を探っていく。 芳川弁護士の、じわじわ滲み出してくる正義感は、いぶし銀の輝き。事務員の枠を超えてフォローする涼子もいい。 結婚間近で婚約破棄された女性、母親の交通事故で高校を退学する決意をするサッカー少年など読んでいるだけで辛くなるが、二人が希望の光を灯してくれる。 藤岡陽子さんの小説は華やかではないけど、深く、そして温かい。
  • 2025年8月21日
    かわいそうだね?
    時々、綿矢りささんの心理描写の妙を味わいたくなる。 インストールで非凡なものを感じ、『大地のゲーム』で少しがっかりしたが、この作品でイーブンに戻ったかな。 『かわいそうだね』 樹理恵がアキヨのところに乗り込んで理性の蓋を外して、ぶちまけてスッキリ!どう考えても、この状況は長続きするわけがない。 でも、冷静に考えるとアキヨの居候を受け入れた時点で終わっていたのだろう。樹理恵に気持ちを寄せて読んでいくとかなり辛い。でもアキヨにしてはしてやったりかな。
  • 2025年8月17日
    私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
    本当の自分とは何か。本当の自分を探すためにも本を読もう。そう思っていた。 でも、平野啓一郎さんのこの本を読んだおかげで、違うものの見方ができるようになった。 *一人一人の個人の中には、対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて「本当の自分」である。 *人間は、たった一度しかない人生の中で、出来ればいろんな自分を生きたい。 *愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のこと。 平野さんは、自分の小説を分人の観点から紹介、解説している。これから平野啓一郎さんの小説を読む時の、キーワードになりそうだ。 最終章では、「まったく矛盾するコミュニティに参加することこそは、今日では重要なのだ」と語る。 これが、苦手な人、相入れない考えとの静かな融合につながるかもしれない。 違う視点をくださった平野啓一郎さんに感謝。
  • 2025年8月15日
    バースデイ・ガール
    バースデイ・ガール
    なぜこれが中学生の教科書に載っているのだろう。 彼女の願ったものが何なのかを明らかにしていないから、想像の余地があっていいのか。 文章からなかなか割り出せないでモヤっとしている。 今日、図書館で装丁に惹かれて思わず手に取ってしまった。『どくとるマンボウ航海記』を読み終えたスッキリ気分は何処かへ行ってしまった。 ありきたりの願い事ではない。 「人間というものは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものね」 二十歳の誕生日から十年以上後に彼女は語っている。笑いながら。美人やお金持ちになってもて余すよりももっと平凡で欲のない人生を願ったのか。時間のかかる願い事??? 願い事のある人生を願ったのかな? はい。結局よくわからない。 誰か教えてほしいです。
  • 2025年8月15日
    どくとるマンボウ航海記
    中学時代に北杜夫氏の本と出会い、高校時代に筒井康隆氏の本と出会ってしまった。 荒唐無稽でナンセンスなお二人の本に青春の苦悩がバカバカしく思えるゆとりをいただいた。お二人には感謝しかない。 久しぶりの航海記。 精神科医の北杜夫氏が漁業調査船に船医として乗り込んで、5ヶ月の回遊する。不純な?動機で。 読んでみると、いまでは考えられないほどぶっ飛んでいる。今書いたら、大炎上のことだらけ。このユーモアが許された時代にはその時代なりのよさがあった。 「アフリカ沖にマグロを追う」では、うんざりするほでトロを食べ、 「ドイツでは神妙に」トーマス・マンを味わいにいく。 あとがきにあった。 「私はこの本の中で、大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るにたらぬこと、書いても書かなくても変わりがないが書かない方がいくらかマシなことだけを書くことにした。」 突き抜けている解放感にすっきり気分。
  • 2025年8月14日
    八月の六日間
    「ひと月前、燕岳に来て、槍を見てしまった」 「忘れ物、取りに来たんだ」 「応援しています」 そんな会話が粋である。 山に行くと空気が違う。山で出会った人と交わした会話がより新鮮になる。羊羹片手に登っている人と再会する。約束もしていないのに再会する。 一人で自由に登りたいというヘンクツがヘンクツと出会い、会話を弾ませる。でも、互いに距離を大切にはかる。 高所恐怖症の私が槍ヶ岳に登り、猫の額みたいな頂上で、「写真撮っていただけますか」と頼まれる。引き受ける私のへっぴり腰を仲間が笑う。 雪の天狗岳もでてきた。冬山の恐怖感を自分で膨張させ、前日ドキドキ眠れなかったのを思い出す。 ノンフィクションみたいなフィクションだけど、蝶ヶ岳や常念岳からの景色がイメージできるから楽しくて仕方がなかった。 いい本に出会えた!ブクログに感謝。
  • 2025年8月12日
    武道館
    武道館
    『武道館』(朝井リョウ著)を読んだ。 最初はアイドルの話かと、半ば冷めた目で読んでいたけど、主人公愛子の「アイドルの自分」と「本当の自分」の葛藤が面白くて熱くなっていく。 歌って踊ることが好きと、幼なじみと過ごすことが好きは、アイドル前からあったことで決して矛盾しない。 でも、アイドルとして生きていくためには、選択をしなくてはいけない。それが、その時代の流れで時代のルールなのだ。十年後、二十年後は変わっているかもしれないけど。 「正しい選択なんてこの世にない。たぶん、正しかった選択、しか、ないんだよ」 「何かを選んで選んで選び続けて、それを一個ずつ、正しかった選択にしていくしかないんだよ」 愛子の選択、杏佳の選択に幸あれ。そう祈った。 自分自身の内面をきちんと見つめ、 自分にとっての「本当」を見出していくことが SNSをはじめ周囲の風にのまれない生き方なんだろうな。 朝井リョウさんの文章を読んでいると、それだけで楽しくなる。
  • 2025年8月11日
    富士山
    富士山
    パラレルワールド、分岐点、偶然、必然、幸運、不運、幸せ、悲劇、、、。 そんな言葉が頭を巡る5つの短編だった。 初めての平野啓一郎さん。 一番ホッとしたのは一番短い短編。 「手先が器用」祖母がくれた魔法の言葉のおかげで生きる力をもらった女の子の話。 時々思い出す。中学時代の体育教師や高校時代の美術教師が褒めてくれた言葉。今でも変わらず自分を照らしてくれている。 「富士山」も面白い。 「富士山の正面というのは、どの方向から見た姿なんだろうか」という加奈のつぶやきは胸を締め付ける。 一面だけで人を判断して、決定的な距離をつくってしまったことは確かにあった。 でも強い想いがすてきな偶然を引き寄せることもあるから人生は面白い。
  • 2025年8月11日
    PHP2025年9月号:こころ健やかに生きよう
    藤城清治さんの影絵は「洗足池」 日蓮が池のほとりで休息し、足を洗ったことから千束が洗足に変わったという。源頼朝も宿営した伝説も残る。洗足商店街の街路樹に灯る藤城さんの影絵を見てみたい。 友情のおにぎりの話もいい。農家組の児童は疎開組の貧しさを笑い、疎開組は農家組の田舎言葉を笑った。そんな中、担任の先生の計らいで疎開組から二人、農家組から二人リレー選手が選ばれ、仲良くなっていく話。おにぎりが壁をとっぱらったんだね。 田中ウルヴェ京さんは、「セルフトーク」で自分を客観化し、そこから自分はどう行動するかという課題に結びつけようと促す。ネガティブなセルフトークでもいいという。セルフトークは自分専属のコーチ。 俵万智さんと夏井いつきさんの対談。 俳句も短歌も言葉だけで無限に遊べる。それもただで。「歌を作っていると、『これ、歌になるかな』と立ち止まり、言葉を探す時間が生まれる。」と俵万智さん。 「謀反人の子孫」という呪縛を研究によって打破した明智憲三郎さん。 今回のPHPは読み応えがあった。
  • 2025年8月11日
  • 2025年8月10日
    ふたつの時間、ふたりの自分
    『ふたつの時間、ふたりの自分』柚月裕子著 柚月裕子さんの小説が面白かったので、人となりが知りたくなりエッセイに手をのばした。 「祭りのひよこ」 自分が駄々をこねて飼い始めたひよこの最期をみさせた母の強い意志、その迫力は読み手にも伝わってくる。 「記憶は死なない」 父の書棚から取り出して読んだ「樅ノ木は残った」 津波で両親が亡くなって本が流されても手ざわりも父の記憶もなくなることはない。そう言い切れるまでどれほどの涙が流れたのだろう。 黒板五郎の「遺言」 「金なんか望むな。幸せだけを見ろ。 謙虚に、つつましく生きろ。」 柚月裕子さんも『北の国から』が好きだったなんて嬉しい! 「母のぬくもりと」 一緒に布団に入った時のぬくもりと絵本を読んでくれた母の声か。自分の少年時代を思い出す。 朝露を集めて硯で墨を擦り、短冊に願いごとを書くと 叶うのか。 ああ、柚月裕子さんの大切な一冊に三浦綾子さんの「氷点」も! 柚月裕子さんの中で止まった時間と流れている時間がある。あれから14年経って、課題は山積みのはずなのに忘れるのが得意な日本人。やはり想像力の欠如が問題なのか。 柚月裕子さんのエッセイを読んでホロリとしたり、懐かしくなったり、怒りが沸いてきたり。読んでよかった。
  • 2025年8月9日
    月下のサクラ
    月下のサクラ
    『朽ちないサクラ』の余韻が消えないうちに森口泉に会いにいく!続編は前作よりもさらに面白さが増していた。警察広報課職員だった森口泉は、ある上司の強い引きで刑事になって、捜査支援分析センターに入る。 泉の映像化できる記憶力と物怖じしない性格と強い信念が事件の真相を暴いていく。 かなり危ない橋を渡る泉。泉の蛮勇がチームの絆をさらに強くする。 かなりハラハラドキドキした。主人公だから大丈夫と思っても、かなり心臓が縮んだ。 泉たちが傷みの中でたどり着いた場所は、警察、公安の闇の中で仄かに光る。 サクラシリーズ二編を読んですっかり柚月裕子さんのファンになった。
  • 2025年8月6日
    朽ちないサクラ
    初めての柚月裕子さん。 友人がすすめてくれた一冊。 主人公の広報広聴課の森口泉が親友の死をきっかけに、真相を追及する。 「世の中には、知らない方がいいこともある」 この言葉の意味する壁を突破しようとする泉 厚い壁に阻まれても彼女は朽ちないどころか さらに闘志を燃やし新しい決断をくだす。 彼女に寄り添い、力を貸してくれる磯川の存在が嬉しい。 そうか、映画では杉咲花さんが泉役を 萩原利久さんが磯川役をやったのか。 今さら、今ごろだけど観てみたくなった。
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