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まいける
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@bluesky42195
  • 2025年10月12日
    山に抱かれた家 迷い道
    読み終えて、ふと表紙を見てみると、文哉と凪子が描かれていた。坂を下りていく凪子と振り返った後、坂を上ろうとしている文哉。象徴的な一場面が描かれていた。 文哉は、ずんずん前に進んでいく。本人は否定しても、迷いつつその場に佇んでいる凪子には眩しく取り残されている感があったのではないか。身の危険を心配され、行動も制限され、内に向かうしかなかった凪子。 凪子が以前の場所に戻り、文哉と同じように寂しさが募った。でも、文哉は凄いなあ。自分で決めた生活だから、泣いてもへこたれない。ついに自分で風呂を作りあげる。 「自分は今、幸せだ。」と。 文哉がどんどん遠くなる。親近感や憧れよりも、違う感情が芽生えてくる。文哉が書いた凪子への手紙が凪子にどう届くのか。凪子が自立の手がかりを見つければ関係はまた好転するのか。凪子の心の方が気になってしまう。 続編に期待。
  • 2025年10月11日
    PHP2025年11月号:希望を信じて生きる
    「秋風に揺れるすすきと母の声」 北海道のみわさんのお嬢さん、小学3年生の詠んだ俳句。「日々の忙しさの中で、家族との時間がいかに大切かを感じた」というみわさん。談話室コーナーで、ひだまりのようなエピソードを見つけた。 「たった一言に、人生が支えられていることがある。」 網走ハーフマラソンに参加した時、「○○さん、がんば」と沿道の方が声をかけてくれた。参加者名簿とゼッケンを照らし合わせてくれたのだろう。あれは力になった。小さかった娘達が網走中央公園で遊んで待っていてくれたのも嬉しい。 ヒューマンドキュメントの大野雅貴さんの「食」の本質と可能性を追究する話も深い。 栗山英樹さんの推薦書は『落日燃ゆ』 広田弘毅さんの人生。読んでみたい。 #栗山英樹 #落日燃ゆ #PHP #大野雅貴
  • 2025年10月9日
    永遠のおでかけ
    身近な人が亡くなるということの重みを改めて感じる。 たとえ時間が経って残酷なほど忘却を促進するにせよ。 紅白歌合戦の最中に、落ち着きのないお父さんを、もう何とかしてと思っていても、居なくなったらむしょうに寂しい。歌合戦に集中できるのに。 「父の死によって、わたしの心の中にも穴が空いたようだった。・・・のぞいても底は見えず、深さもわからない。しばらくは、その穴の前に立っただけで悲しい。」 私の両親は既に他界したが、この本を読むことによって記憶がよみがえってきた。 お風呂に薪をくべている母の姿。目を悪くして、母に新聞を読んでもらってる父の姿。孫がうまれて笑みを浮かべる父、母の顔。
  • 2025年10月8日
    ちょっとそこまでひとり旅だれかと旅
    私は小さい頃から、チョコレートが好きだった。小さなガーナチョコが売られていた時代から。マーブル、アポロチョコ、そして頂点に立つのはコーヒービート。どんな有名メーカーの輸入チョコでも、コーヒービートに勝利したことはない。 でも、益田ミリさんがフィンランドで食べた「カフェ・カール・フェッツェル」は強敵になりそうだ。そういえば函館の「ショコラヴォヤージュ」はかなり美味しかった。 益田ミリさんは不思議な存在だ。 彼女ができないことはできないと言い切ってるところがいいのだ。謙虚。 奈良公園で修学旅行で、ひとり行動している子への目線が優しい。 「はやく『大人』という場所に逃げておいで。大人になれば少しだけ自由だよ。ひとり旅に出たって平気だよ。」とビームをおくる。 「もう金沢来ることもないかもしれんなぁ」彼女の母がポツリと言う。 寂しい一言。だからこそ旅行に誘い、時間を共にしているんだな、ミリさんは。
  • 2025年10月7日
    雲のピアノ (わくわくライブラリー)
    ヒロシと妹のチカは、ピアノ調律師の青木さんと仲良し。 青木さんはピアノの病気を治す天才だから不思議な依頼がやってくる。 ねこやねずみ、きつねやうさぎたちからの依頼は、海のピアノに海のピアノ、花のピアノとそれはそれはすてきで難しいものばかり。 現実の世界からいつの間にか動物たちの世界に入ってしまうあたりあまんきみこさんの魅魔力! 子どもたちといっしょに出かけたくなる世界。 3歳から小学生までたのしめる本。 もっともっとあまんきみこさんを知りたくなる。
  • 2025年10月7日
    海が見える家 旅立ち
    『海の見える家』シリーズの最終作。 ああ、これで文哉の父が房総に移り住んだ理由も、文哉が次に山を目指した理由もはっきりした。 文哉も凪子も大切な人を亡くした喪失感と最後の言葉が無意識の底まで沈みこんで、殻をつくってしまったのだろう。 だからこそ二人は打ち解け合い、自然な呼吸ができたんだろう。 二人が新しい場所を目指すことが、とりもなおさず古い殻を脱ぎ捨てることに繋がっていくんだろうな。 納得のいくシリーズ最終作だった。 はらだみずきさんの作品にふれると、毎日丁寧に過ごしたくなる。食べ物も資源も大切にしたくなる。 小学6年生の国語の教科書に、『海のいのち』という作品があるが、それに通じるものがある。海の恵みに感謝するだけでなく、父と同じものを追い求めることで、真に父を理解すると言う意味でも。
  • 2025年10月6日
    海が見える家 逆風
    海が見える家 逆風
    『海の見える家 逆風』 逆風どころではない。房総半島を大型台風が直撃した。 文哉の家も管理している別荘も屋根を飛ばされたりして大きな被害を受ける。 一夜にして被災者なった文哉。 でも、世話になっている人を探したり、屋根にブルーシートを張ったりして献身的に働く。 何よりよかったのは、台風の被害を受けたとはいえ、収穫した陸稲をみんなにふるまう場面。自分が作った初めてのお米をみんなで分かち合う。玄米塩結びをうまいうまいと食べる様が目に浮かぶ。特に別荘の被害が酷かった寺島が「芳雄さんが生きてたら、きっと喜んだと思う。こんなときに、みんなを笑わせ、勇気づけてる。さぞ誇りに思っただろうよ。」としみじみ語る。じーんときた。 文哉のこれからにさらに注目したい。
  • 2025年10月6日
    私たちが好きだったこと
    韓国ドラマのハッピーエンド、大団円が染み付いた身体には堪える結末だった。 きっと与志に思い切り感情移入して読んでいたからだろう。 「俺たち、人の幸福のために何か手助けすることが好きなんだよ。」 こう自分に言い聞かせて、与志は愛子が自分の夢を叶えるために、愛子との生活を諦める。 愛は相手の幸福を祈ること、それが若さなのかもしれないし、現実を経済的な現実を変えることのできなかった現実の重さなのかもしれない。 不安神経症の愛子に寄り添っていた与志だけに、辛すぎる。 宮本輝さんの小説は、きっと孤独と向き合って生きろと叱咤しているのだろう。
  • 2025年10月5日
    海が見える家 それから
    続編でさらに面白みが増している。 それは文哉が自分にできることを次々に見つけて 自立への道を歩んでいるから。 もちろん精神的には自立している。 彼の周りの人もすばらしい。 カズさん 幸吉さん それは純粋に畑仕事や魚とり、別荘管理、そしつ姉が投げ出した店をやっているから。謙虚な彼だから周囲の人も彼を応援していく。 凪子との距離が少しずつ少しずつ縮まっているのもわくわくする。 自然農法、そして今度は陸稲に挑戦か。 野菜を収穫した喜びや育てる楽しさを伝えてくれる中学時代の友人と重なる。 そういえば子どもの頃、道で草野球していたとなりの畑では陸稲やトウモロコシが育っていた。懐かしい!
  • 2025年10月4日
    おかあさんの目
    おかあさんの目
    あまんきみこさんとの出会いは谷山浩子さんの歌。 『すずかけ通り三丁目』 リサイタルでも歌ってくれた『車のいろは空のいろ』の不思議な世界。はてなアンテナの谷山浩子さんにピッタリだった。 今日、『おかあさんの目』を手に取った。 お母さんの膝の上でお母さんの瞳に映る小さなわたしを見つけるせつこちゃん。 お母さんの瞳に映る世界をふり返りふり返り確かめてにっこりしていたせつこちゃん。 でも、ある時、小さなわたしが見えなくなって、かわりにちがうものが見え始める。 あ、ミステリーではありません。 母と子 あまりに美しい姿に胸の奥までぽかぽかします。 黒井健さんのイラストがさらにかんどうを ふかめてくれます。 娘にプレゼントしよう。
  • 2025年10月3日
    両手いっぱいの言葉
    齋藤孝さんが推薦していたので手に取った一冊。 そもそも齋藤孝さんのイメージと寺山修司さんとイメージはあまりにもかけ離れているから興味をもったとも言える。 *親の愛情、とりわけ母親の愛情というものはいつもかなしい。いつもかなしいというのは、それがつねに「片恋」だからです。 *ただ、たしかなことは自分の未来が自分の肉体の中にしかない、ということであり、世界史は自分の血管を潜り抜けるときにはじめてはっきりとした意味を持つものだ。 *不自由を知るものでないと、自由は語れません。 *子供は子供として完成しているのであって、大人の模型ではない。 *時計の針が 前にすすむと「時間」になります 後にすすむと「思い出」になります *夢の中は治外法権である。 *いい「言葉」を沢山もつことは、銀行に沢山、預金するよりもゆたかなことである。 言葉が両手からあふれていった。 この本を片手に旅に出かけるフットワークがほしい。
  • 2025年10月3日
    海が見える家
    海が見える家
    『山に抱かれた家』から原点に戻って『海が見える家』 あー、そうだったのか。 文哉のお父さんと三年も会ってなかったのか。 お父さんが亡くなった。寝耳に水のような、ぶっきらぼうさんから連絡。そこから物語が始まる。 父が知らない場所でどんな生活をしていたのか。 なぜ房総の海を選んだのか。 父の遺品を整理しながらだんだん謎が解けていく。 周りの人との関わり。 秘めていた想い。 そして山にも出てきた凪子との出会い。 順番が前後したからこそ 繋がった悦びが大きい! だんだん変わっていく文哉。 そして、父の見ていた風景を見ようと 父と同じ体験にトライしていく。 亡くなって初めて父の存在の大きさに気づき もっともっと父と話しておけばよかったと 後悔していた自分を思い出した。 今からでも遅くない。 父が好きだった場所を訪ね、父が好きだった本を読みたい。
  • 2025年10月2日
    山に抱かれた家
    山に抱かれた家
    大学進学で田舎を出て、一人暮らしをした時、蚊がいないので、都会っていいなあと思った。 そういえば、故郷にはムカデもしたし、ヘビが家の中に入り込んできた。見たことはないけど、イノシシもいたらしい。 だから、限界集落に住んで、自給自足の生活をしていこうとする文哉くんには憧れの念は抱かない。でも、文哉くんの生き方を応援したくなる。梅が売れた瞬間には一緒にガッツポーズをしてしまった。 最後の凪子からの便りに救われる。 凪子がいれば心強い。 初めてのはらだみずきさん。 しっかりと土の香りがした。 地に足をつけて生きている人特有の。
  • 2025年10月1日
    流転の海
    流転の海
    松坂熊吾の破天荒な半生。熊吾は、息子の具合が悪くなると、かかりつけの病院をこじ開け、 「もし息子が死んだら、この病院に火ィつけちゃるぞ」 と叫び、診断がくだると涙ぐんで、 「安心しました。ありがとうございました」 と言う。孫と間違えられるほど歳の離れた息子伸仁を溺愛する愛すべき親父だ。 好色で、時に暴力的で、はったり上手な熊吾は、スケールが大きい。学歴はないが、時代を読む力、勘が鋭い。そして、裏切られ騙されても、人を裏切らない。 熊吾の言葉は残るものが多い。 「何の天分もない人間は、ただのひとりもこの世におらん。」 どうやったら、懐の深い、他人の心のわかる人間に育てあげることが出来るだろうと考えた。 「(息子に)苦労させるんじゃ。辛いめに遭わせるんじゃ」 郷里に帰る松坂熊吾、房江、そして病気がちな子、伸仁。続きが楽しみ。伸仁がどう成長していくのか。
  • 2025年9月29日
    世界地図の下書き
    前日読み終わった本で私の心にまで翳りが侵入していたので、朝井リョウさんに振り払って欲しかった。 朝井リョウさん、ありがとうございます。20代前半の作品らしく若さがほとばしっている。こういう色彩のある、熱のある話が読みたかった! 小学生の気持ちや思考パターン、会話にいたるまであまりにリアル。ストーリーはリアルでなくとも、朝井リョウさんが伝えたかったことが、一番のお姉さん、佐緒里を通して語られている。 優秀でありながら、直前で進学の道を諦めざるをえなかった彼女。いじめや虐待を受けている、受けた経験のある「青葉おひさまの家」の弟分妹分が、佐緒里との別れの前に夢をプレゼントしようとする。 逃げてもいい。どんな道を選んでも、道は狭まったりしない。必ず出会いと救いがある。 そう語る佐緒里自身が自分自身にも言い聞かせているんだとわかった時、どうしようもなく込み上げてくる。 この小説によって、心が軽くなった若者、読者はたくさんいるはず。 大袈裟に言うと文学の力、存在意義まで再確認できた。改めて朝井リョウさんに感謝したい。
  • 2025年9月27日
    心の中にもっている問題
    長田弘さんの新しい詩集を図書館で見つけた。 お気に入りは 虫歯 本(1)(2)(3) 砂時計の砂の音 「砂時計の砂の音は、繰りかえすうちにますます早く過ぎてゆくようになる日月、一人のわたしのもつ時間の音だ。」 何より最高は、「失くしたもの」 「言葉が 手わたすための言葉だった 他の人びとにむかって 一字ずつ書く ガリ版印刷という 手の文化があった」 鉄筆で蠟引きの原紙に丁寧に 力を込めて緊張して書いた。 ああいつでも直せるという発想が入り込む余地のない言葉は、きっと自分にも相手にも刻みこむ言葉。 単なる郷愁ではない。 「一画一画正確に」書いた言葉を使って 人に伝えたい。
  • 2025年9月27日
    螢川・泥の河
    「あーよかった!」という読後感を残して忘れてしまう小説があるが、この『泥の河』と『螢川』は情景が深く沈み忘れられない小説。 『泥の河』は昭和三十年の大阪。馬車引きは子どもの頃、目にしていた。乾いた馬糞を遊び道具にする逞しい子どもがいた。でも、水上生活者は想像するしかない。天神祭りの出来事、そして哀しい別れ。その情景は少年時代の不安や哀しみと共鳴する。 『螢川』の舞台は富山。思春期の少年の心は想像に難くない。でも、四人が金縛りにあうほどの螢川の情景は、はるかに想像を超えていた。華麗なおとぎ絵ではない。 「寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状となって舞い上がっていた。」 螢の乱舞の形容を読み、『錦繍』の。「生きていることと死んでいることとは、もしかしたら同じことなのかもしれません」という言葉か重なった。この小説にも川の煌めきが、一筋の「錦繍」に見えたという表現が出てきた。 情景描写の美しさ、思春期の男女の心理描写の細やかさに唸った小説だった。
  • 2025年9月27日
    波 2025年 09 月号
    石川直樹さんの写真展で感動したことをSNSに書いたら、親切な友人が送ってくれた。 『波』初めて手にした新潮社の雑誌。雑誌というジャンルに閉じ込めてしまうには申し訳ないほど質が高い。そして100円という信じられない値段。 石川直樹さんのエアジョーダンを履いての登山。そして沢木耕太郎さんの石川直樹さんの『最後の山』を紹介する「青春の残り香」。これが実にいい。 登山家でもないし、冒険家でもない。紀行作家でもないし、写真家でもない。その揺らぎを美質て言い切る沢木耕太郎さん。この文章にしびれた。友人に感謝。 古市憲寿「絶対に挫折しない教養入門」 三宅香帆「推しとハレ」 椎名誠「こんな友だちがいた」
  • 2025年9月25日
    チア男子!!
    チア男子!!
    二分三十秒の先 この二分三十秒に向かって物語は加速していく。 全国選手権前に高木コーチが、最後の儀式を提案する。コーチに提出し、アドバイスをもらっていた反省ノートを回し読みするという。交換日記の閲覧だ。 でも、これが感動を増幅する。朝井リョウさんの手腕にしてやられた! 溝口が文章の最後に必ず書き記していた言葉 「人は苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得る。」 このメンバーでやるチアは今しかないと熱い気持ちが、何度も書き直し、真っ黒になったノートから浮かび上がる。 一番気になっていた関係は弦とイチロー。 「何年も弦の中に積み重なっていた悔しさが、今、確固たる力になる。イチローの相棒としてではなく、弦という一人の人間の強さだ。」 弦はイチローを誰よりも理解し、そして悔しさを憧れに変える。 男子のチアリーディング。団体競技を通して、16の個性がひとつになっていくストーリー。青春の熱を感じて、自分まで熱くなった!
  • 2025年9月24日
    森にあかりが灯るとき
    『森にあかりが灯るとき』 介護をテーマにした藤岡陽子さんの小説。藤岡さんの魅力は読後感のよさ。でも、そこに登場する人物はリアルだ。医療現場も報道現場もそしてこの介護施設現場も。 お笑い芸人を挫折し、特別養護老人ホームで働く星矢の眼を通して、介護施設の人間模様が描かれる。星矢自身も、努力が報われない現場に心が折れかかっている。介護のプロなのだから100点でなければいけない、24時間ミスなく過ごさなければとみんな疲弊している。 長年介護の現場で奮闘している介護士と施設担当医師葉山。そして思ったことをストレートに話す星矢が延命治療をめぐって対立する場面は重く迫る。 『命は大切と言いますが、 それはおそらく長く生きることではなく、 その動物らしく生きることなのだと思います。』 葉山が旭山動物園で出会った園のスタンス表れる言葉も印象深い。 一番グッときたのは、ベテラン介護士が、「彼の誠実な人柄はここにいるみんなが知っています」と警察に憤慨する場面。「背番号」を見つけることのできた星矢の自己肯定の安堵が嬉しい。 魅力的な葉山医師と新たな道を歩む星矢。またどこかで接点が生まれてほしい。 返却期限ぎりぎりで一気読み。介護の現場で働く人達にも藤岡陽子さんにも感謝。
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