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本の虫太郎
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@book_liver
  • 2026年9月19日
    ワインと外交(新潮新書)
    国賓の食事に政治背景が現れるのはシンプルに面白かった
  • 2026年9月16日
    西洋の敗北と日本の選択
    西洋の敗北と日本の選択
    印象に残ったこと3点 ・活動的国民と無気力国民 「国民」とは、集団的信仰によって「政治的に目覚めた民来」と、その信仰に沿って「民票を導くエリート」のことを指す。ただし、「国民」という集団的倉仰が消滅すれば「国家」もまた消滅すると思ってはいけない。ここで唱えるのは「行動する能力」だけで、「民衆」は残存する。 (中略) 一方、ドイツのケースでは、「国民の理想は蒸発してしまったが、明らかに「何か」が経済的な力を生み出し続けている。こうして私は「国民の完全な消滅」という見方に再考を迫られることになったのである。ここで私は、自覚のある「活動的国民」に対して、自覚はなく、まさに物理学的な意味で惰性のままにある軌道を進んでいくような「無気力国民」を対立させてみた。 (中略) 日本もまた、「直系家族・ゾンビ」の国であり、国家プロジェクトを欠いたまま、完全な形で存続し、ドイツと同様に経済的な強迫観念に取りつかれている。 ・ウェーバーの定義に見出せるのは、典型的な「プロテスタント・ゾンビ」である。もはや宗教の実践はしないが、倫理として、誠実さ、労働、真面目さという価値観を重要視し、人間に与えられた時間は限られているという意識を持つ。 ・高等教育を受けた人々の高額の収入は、弁護士、銀行家、その他多くの見せかけの第三次産業従業者が優れた略奪者として群れを成していることを物語っているのである。これが教育の発展がもたらした究極の悪影響だ。高等教育修了者が急増し、無数の寄生虫が生み出された。フランスの読者がなぜフランスは貧しくなっているのかを知り、不安になりたいのであれば、公務員や移民を非難するのではなく、ビジネススクール、経営学、会計学、セールス学の学生数が一九八〇年の一万六〇〇〇人か、二〇二一年から二〇二二年の間に二三万九〇〇〇人に増加していることに着目するべきだろう。
  • 2026年9月9日
    修養 自分を磨く小さな習慣
    修養 自分を磨く小さな習慣
    印象に残ったこと3点 ・私は、たいがいの善行は生きているあいだによい結果を生むものであるとは思う。だが、仮にそれがいかに遅くとも、必ず実を結ぶことに変わりはない。世人の目の醒め方が長くかかるかどうかは知らぬが、善事には必ず相応の報いがあると断言する。 シラー(ドイツの詩人)は「世界の歴史は世界の審判なり」といったが、まさにそうである。これを思えば、いかに苦しいことがあってもヤケになるのは短慮のきわみである。苦しみに耐えれば、必ずその報いは来る。悲しむ者は幸いなりという教訓さえある。苦しみはいつまでも続くものではない。だから逆境にある人はつねに「もう少しだ、もう少しだ」と思って進むがよい。いずれの日か前途に光明を望むことは疑いない。 ・要するに、心の用い方一つで憂いを転じて楽しみとできる。稲を転じて福とするのは、必ずしも英雄聖人を待たなくともできる。天は決してわれわれに無意味な禍を与えない。決してわが力で耐えられぬものを与えない。ちょうど手頃なものを与えるとじれば心も休まる。 ・よく注意して人間の道を一歩も誤らぬようにしていったなら、必ずうまく目的地に入るものであろう。その目的地というのは何であるか知らぬけれども、ちょっとたとえてみると門のようなものである。この門から内へまごつかずに入ることのできるのは、踏む道がわかっているからであると思う。 良書!繰り返し読みたい。
  • 2026年9月7日
    サティ 気づけば変わる
    印象に残ったこと3点 ・心理面接で来談に訪れるクライエントの二大質問は、「どうしてこうなったのですか」と「どうしたらいいんですか」の二つの問いである。自分や家族の問題を前にして、「何がどうなっているのか」、「何をどうしたらいいのか」わけのわからない混乱した状態に悩んでいるのである。この「わけのわからなさ」について、精神分析学派の妙木浩之は興味深い論述を行なっている。若干言い換えているので、文章は筆者の責任である。おおかたの趣旨はこうである。 この「わけのわからない」状態に対する不安)が多くの神経症や心身症の発症原因である。もっといえば、「わけがわからない」ことを気に病み、それにとらわれて、「わけをわかろう」とあがきもがくことがその症状をさらに悪化させる。精神分析は、クライエントの「わけのわからない」状態の無意識的な<わけ>を意識化・言語化して自己洞察させることによって、「わけのわかる」状態にすることを治療目標としている。そのためのさまざまの解釈モデルが準備されている。 しかし、そのわけがわかったからといって必ずしも病状が寛解するわけではない。むしろ逆で、「わけがわからない」まま治ることも少なくない。その場合、「わけがわかるかわからないか」へのとらわれから解放され、このままでも大丈夫と安心感がもてることが前提である。そのためには「わからなさ」を共感的に共有してくれる同伴者が不可欠である。わかることに越したことはないかも知れないが、わかること、知ることが必ずしもいいこととは限らない。「知らぬが仏、知れば鬼」ということもあるのである。ソクラテスのような哲人ならいざ知らず、われわれ凡人は知ることに伴う苦痛に対する耐性が乏しい。それゆえ、北山修は言う。「わけがわからない」状態をあえて強迫的に「わかろう」とするよりも、そのことがどうでもよくなることをむしろ望んでいるのである。 あらゆる事柄は、わけもなく、いや、はかり知れないわけによって「現に今、ここにこうしてある」。それを「こうしてあるわけは?」と問うのは、世俗の分別思考である。「あるがまま」とは、分別思考の彼方のことである。そのわけを問われても、少々乱暴であるが、「こうしてある」から「こうしてあるのだ」としか答えようがない。いい加減なわけを答えてはならない。そうかも知れないし、そうでないかも知れないし、そうでないのではないかも知れない。煎じ詰めれば「知れない」のだ。 ・西洋の二価値の論理しか頭にない人は、「存在するのかしないのか」どちらかに明確に分別しないと気が済まないが、わからないものはわからない、語れないものは語れない、とあるがままに受け入れる以外にない。 「ある」とか「ない」とか、両極の一方を主張することは、決定の邪見にとらわれることである。この世のものごとはすべからく「こういうものだ」と決めつけた瞬間に、「こういうものではなくなる」のである。語る端から虚偽になる。釈迦の思想は不定の論理に貫かれており、有無の二元を超越しているのである。 ・われわれは、日頃、いま自分に起こっている考えや感情、行動に気づかないまま習慣的、自動的、無自覚に実行している。マインドレスなのである。日常起こるさまざまな問題の大半は「気づかなかった」ことから起こる。その行為に気づかない限り、いつまでも変わることなく同じことが繰り返される。そこで、もし変化が必要なのであれば、現に今この一瞬に体験している行為に意識を向けて気づき、自覚的に行為することが要請される。これがサティであり、マインドフルネスなのである。
  • 2026年9月3日
    ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」
    印象に残ったこと3点 ・技術職の人は技術の話から、財務はバランスシートの作り方や読み方、計算などから勉強を始めます。そういったスキル面の教育を進めるなかで、どこの部門でも、組織を率いる意識など「マインド面の教育」も必ず入ってきます。 つまり、能力を身につけてからマインドを鍛えていくという順番です。そうしてからハードルの高い仕事を課せば、簡単には投げ出さないと思います。部下を育てるときは、この順番を意識したほうがいいでしょう。 ・自分の役割が全体の中でどのくらいの重要度を占めているかを考えると、一見キツそうに思える仕事が、案外そうでもないことに気づくこともあります。「少しくらい失敗しても大丈夫」と思えれば、必要以上に緊張したり、逃げ出そうと考えたりはしなくなるのではないでしょうか。 「山より大きいイノシシは出ない」と言われるように、物事にはおのずと決まっている上限が存在するものです。心配すればするほど不安が大きくなりますが、心の持ちようで小さくすることもできるのです。 そして、逃げずに立ち向かうと、意外と問題は小さかったと気づく場合もあります。あれこれ考えすぎるより、行動に移してみるのが一番の解決策なのです。 ・どんな物事に対しても、自分の意志によっていくらでも楽観的になれます。 全体として読んでいてやっぱりキツい、ハードすぎる、こんな世界に戻りたくない、虐待を美徳としている感じなどを受けた。違う方法で生き延びたり「成長?」したりする方法を模索したい。 将来読み直した時には何か変わるのだろうか…。
  • 2026年9月3日
    心理的安全性 最強の教科書
    心理的安全性 最強の教科書
    印象に残ったこと2点 ・「どっちの意見が正しいか」ということではありません。たとえ表明する意見が違っていても、その奥にある誠実な意図や哲学を対話を通して伝え合うことができれば、お互いの理解が進み、お互いに言頼して、尊敬したうえで、自分の考えを述べ合うことができるのです。 ・ハイコンテクストな文化にあぐらをかいているうちに相互理解が不足して、心理的安全性が置き去りにされています。 全体を通して陳腐。また、「こうすればメンバーはこうしてくれる」があまりに短絡的と感じた。ただ、とはいえ、批判ばかりして具体的にどうするの?と言う意味では、マネジメントの手法論が欲しい時には有用かも。
  • 2026年9月3日
    アイデアのつくり方
    アイデアのつくり方
    印象に残ったこと3点 ・以上がアイデアの作られる全過程ないし方法である。 第一資料集めー諸君の当面の課題のための資料と一般的知識の貯蔵をたえず豊富にすることから生まれる資料と。 第二諸君の心の中でこれらの資料に手を加えること。 第三孵化段階。そこでは諸君は意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事をやるのにまかせる。 第四アイデアの実際上の誕生「ユーレカ!分かった!みつけた!」という段階。 そして第五現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階。 ・心の触角とでもいうべきもので一つ一つ触ってみることである。一つの事実をとりあげてみる。それをあっちに向けてみたりこっちに向けてみたり、ちがった光のもとで眺めてみたりしてその意味を探し求める。また、二つの事実を一緒に並べてみてどうすればこの二つが噛み合うかを調べる。 諸君がいま探しているのは関係であり、ジグソー・パズルのようにすべてがきちんと組み合わされてまとまるような組み立てなのである。 ・だから、アイデア作成のこの第三段階に達したら、問題を完全に放棄して何でもいいから自分の想像力や感情を刺するものに諸君の心を移すこと。音楽を聴いたり、劇場や映画に出かけたり、詩や探偵小説を読んだりすることである。
  • 2026年9月3日
    『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか
    印象に残ったこと3点 ・すると付き合う他人の数が増えれば、果たすべき役割も増える。「父」「子」「上司」「部下」「友人」「競争相手」......これらを全部一人称に回収し、つじつまが合うように編集していかねばならない。この作業に疲れると、人は役割の集積である自分を「本当の自分ではない」と感じ、役割を果たす主体たる「本当の自分」があるはずだと考える。この考え方が無意味であることは、すでに縷々述べたとおりである。 考えるべきは、「自分」という言葉が他者との関係においてしか意味をなさない、ということである。もっと言えば、「自分」とは他者との関係において形成される個体の行動の型、様式についた名称なのだ。我々は、他者(人も物も含む)との関係において考え、行動した一連の経験を、「私」という首尾一貫した行動様式に構成していくわけである。 「自己をならう」というときの「自己」とは、このように解釈される行動様式としての「自己」なの だ。 ・目の前の出来事に思い悩んだりするのは、その出来事に思い悩むべき「本質」が内在しているからではない。そうではなくて、思い悩むから、事態は思い悩んだように、つまり「このように」現前するのである。いま「このようにある」思い悩むべき事態とは、思い悩む行為から切り離されて、それ自体で存在し、「自己」の思い悩む行為の「対象」になるものではない。そうではなくて、「自己」も「対象」も思い悩むことによって「このように」生成された事態なのだ。なぜなら、思い悩みは行為であり、行為こそ縁起の実質だからである。 ・現代の我々の自己や世界の存在の仕方を強力に拘束しているのは、取引や競争といった行為である。坐禅はまさに、その対極にある行為ー眼が目標を狙い、それを掴もうと手を伸ばし、前傾姿勢で息せき切って走っていくような行動ーとは正反対な行いだ。 つまり、坐禅は身体行為と言語に基づく思考を限りなく停止へと導くテクニックである。停止ではない。停止は睡眠か死かであろう。坐禅は、停止状態に直面する行為である。それは睡眠でも死でもなく、いわば完全に休息することなのだ。「坐禅儀」にいわく、 諸縁を放捨し、万事を休息すべし。 そこには、存在が解体した後の土台が、存在が生成してくる縁起のゼロポイントが現成する。誤解を恐れず言うなら、坐禅は存在を初期化するのである。しかし、物事は初期状態が「真実」であるとは誰にも言えない。物事は全体として評価されるべきなのだ。したがって、坐禅の開く境域を「真理」と名づける根拠は何もない。 しかし、初期状態は重要である。なぜなら、言語において存在する人間は、自らの土台である初期状態を簡単に忘却し、それを思いだす方法を知らないからである。どんな建物でも土台の状態への無頓着は危険だろう。 通常の人間は、「完全な休息」などできない。方法を知らないし、その意味もわからない。だから、休みと称して遊ぶのである。『眼蔵』が坐禅修行を強調するのは、繰り返し思いださない限り、忘れるからである。つねに土台を意識して家を建て、そこに住むことはむずかしい。その困難に対する処方なのである。
  • 2026年8月31日
    責任の生成
    責任の生成
    印象に残ったこと3点 ・では両者を対立させることにはいかなる効果があったのか。「Iappear」と「I am shown」を区別することでもたらされる効果について、僕はこんな仮説を抱いています。この区別は、私が自分で現れているのか、それとも現れることを強制されているのか、それをハッキリさせたいのです。つまり、「お前は自分で、自分の意志で現れたのか?それとも、誰かに引っ張り出されて、現れることを誰かに強制されたのか、どっちなんだ?はっきりしろ」というわけです。 能動と受動を対立させる言語は、行為における意志を問題にするようになったのではないかと思うのです。そうすると同じ現象であっても、自分の意志で現れたのか、それとも現れることを強制されたのか、区別しなければならない。 「自分の意志でやったのか?そうではないのか?」と強く尋ねてくるこの言語を、「尋問する言語」と僕は呼んでいます。中動態が消滅した後に現れたのは、そのような言語だったのではないか。 ・私たちは、生まれてから今日に至るまで、大量の予測誤差を経験しています。過去の予測誤差は、それを思い出すたびに叫び出したくなるような「痛い」記憶が多々含まれていると思います。誰でも痛いのは嫌です。しかも予測誤差の記憶は、範疇化を逃れた一回性のエピソード記憶の形式をとります。 予測可能にするためには、反復するカテゴリー(タイプ)の一例(トークン)として、その予測誤差の記憶を位置づける必要があるわけですが、一回性の記憶は私のなかでは反復していませんから、論理的に無理なことです。 おそらくそこで重要になってくるのは、類似したエピソードを経験している他者との言語(タイプ)などを通じた分かち合いだろうというのが、私の考えです。一回性の記憶は、他者を媒介に反復させることによってトラウマ記憶ではなくなるのではないか、という考えですね。そうすることで、集合的な予測のなかに自分のエピソード記憶が位置づけられたときに、それはなまなましいトラウマ記憶ではなく、通常の嫌な記憶として御しやすいものになっていくのでしょう。 ・彼は人間を、人生から問いを投げかけられている存在と捉えたうえで、「私は人生にまだなにを期待できるか」ではなく、「人生は私になにを期待しているか」を考え続けること、それが責任なんだと言っているのです。人生がわたしに何を問いかけているか考えることに責任が宿ってくる。フランクルの言う責任は、必然的に自分の人生を振り返ることを要求します。
  • 2026年8月28日
    insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力
    印象に残ったこと3点 ・若者が自分について深く学ぶ時というのは「家族や文化から無批判に受け継いだ価値観や規範が揺るがされる」状況が多い ・自分を変える代わりに、認識を変える ・このフィードバックは、私の長期的な意味での成功と幸福に、どう影響するだろう?という問いを持つこと 前職、フィードバックを暴力と感じる時もあったけど、また社会に戻るならもっとうまく活用できたら良いなぁ
  • 2026年8月26日
    ゼロ秒思考
    ゼロ秒思考
    印象に残ったこと ・アイデアは一期一会 ・メモに書き出す時は個人名まで書き出すこと。そうしないと気持ちの整理はつかない
  • 2026年8月26日
    自分のために料理を作る
    自分のために料理を作る
    印象に残った点 ・作る自分と食べる自分を分けることで、世界でたった一人の、なんでも言うことを聞いて作ってくれるオーダーメイドな料理人が誕生します。 ・ダラダラする=自然体でいるって呼ぼうよ ・「自分のために料理ができない」という人は、実はすごく「考えている」人なんだな、と。
  • 2026年8月23日
    苦しくて切ないすべての人たちへ
    また読了。暖かくて「生まれたくて生まれたわけじゃない」「親への憎しみが止まらない」というどうにもならない人生のスタートに、折り合いをつけて生き直す元気をくれるなぁとしみじみ。 この一年、思えば「自立」するために親を許すための時間だったように思う。
  • 2026年8月19日
    「アイ・カンパニー」の時代―キャリアを鍛える。モチベーションを高める
    良い意味で、今の自分にとっては、嫌悪感を感じるほど根本的に馴染まない前提の話だと感じた。筆者(社長)のキャラや思想と合わないのか、あるいは「時代」と合わないのかはわからない。 無論、「ビジネス」の話と言われればそれまでだが、下記ぶりから「自己投資」といった、人生の時間配分にまで踏み込んでいると推察される。 嫌悪を感じたのは下記。 ーーー ・自分を会社に置き換えるという発想。会社とは「利益を求めて、反復的継続的に営業活動をする法律上の仕組み」のはずで、人間がの多様な生きる意味を非常に狭く制限している ・二極化という表現。不安を煽る。今のままではいけないという強迫観念を植え付けられる ※競争社会なのは間違い無いので、二極化した下っ端に入れば、淘汰される(生きていけない)ことは覚悟しないとけないかも。となると、死と向き合った上で生きたいように生きる、覚悟の問題とセットかな ・勝ち組負け組という表現。強制的に他人軸を持ち込まれる ・「常に濃く生きる」という表現に反対でも無いが、前職ではそれが「生産する」に読み替えられ、冷静さを奪われながら常に走り、むしろ人生を空走したと感じた。立ち止まりスローダウンすることが「濃さ」だと私は思う。 ・ブレイクスルーを信じて頑張り抜くこと、という表現。かつて大好きだったせいか今見ると気持ち悪い。究極は竹槍戦法と同じではなかろうか ーーー 改めて、今の自分は「労働」が「人生を消費」してくることに強い強い警戒心がある。 うまく付き合えるようになりたい。 補足で、具体的なワークとして自分の仕事を選んだり、やることをクリアにするにはめちゃくちゃ良い本だと思う。やってみたいワークが沢山ある。
  • 2026年8月19日
    エフォートレス思考
    エフォートレス思考
    ・今我慢すれば、で良くも悪くも成功体験が多く、そのやり方でどん詰まりにあった自分には視界が広がる良い一冊 ・前書に比べて、全体のつながりはよくわからないが、パートパートでキャッチーで目に入る内容が多く、付箋を貼りやすい
  • 2026年8月18日
    エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする
    ・2025年9月の最も苦しい時期に初読 ・言うは易し行うは難し(特に断る系)とは思う ・ただ、無批判に飲み込み自身を苦しくさせる価値観をメタ認知するのにはとても良い
  • 2026年8月18日
    モチベーション・ドリブン 働き方改革で組織が壊れる前に
    冒頭「目的は組織の生産性向上」と明記されており、今全く私にその「how」への興味がないことを自覚。なぜ生産性を向上せねばならないのか?というwhyを渇望している。 ただ、働いていた時の内容を思い出したり、大学院時代のようにまたテーマがあって、組織作りをツールとして扱いたいときには優秀
  • 2026年8月18日
    組織と働き方の本質
  • 2026年8月17日
    エッジソン・マネジメント2.0
    ・ロールモデルの大切さが語られる中で、私にそれはなかった ・「根」をどこにも張れなかったのが全てだと思う ・「自分に構う時間」が取れた人々でないと、大体土台この世界観には馴染めないのかも(そういう意味含めての2割なのではないかと) ・長期では雄大すぎ、短期では学生に引っ張られ過ぎ、自分の中で何の未来も描けず、無責任さと膨大な仕事量に潰れたことを自覚 ・ただ、自分がやってきた仕事を思い出すにはもってこいの本
  • 2026年8月17日
    エッジソン・マネジメント 尖った優秀な若者をどう採用し、いかに育てるか
    ・大きな視界(日本全体)で、エッジソンと呼ばれる少数の若者について説明される様を見ると、しみじみ自分がその人材でないことが分かる ・「成長」という言葉に含まれるプラグマティズムが苦手 ・企業とか採用とか、そういうものに興味がなかったことを再確認 ・もっと近くて小さな身の回りのことから社会貢献を考えていくカタチが自分には良さそう
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