
読書するはる
@suruharu3686
哲学、心理学、数学を学びたい
けど小説ばっか
- 2026年10月7日
銃・病原菌・鉄 下ジャレド・ダイアモンド,倉骨彰読み終わった疲れた… 人類史の究極的な問いに対して、いわゆる人種という比較的センシティブな用語を扱いながらも、科学的根拠に基づいた説明が整然となされた感じです。 最終的には、歴史を学ぶ意義が語られていてやはり社会学?文化人類学?がいかに社会に還元されやすいかが実感できた気がします。 - 2026年9月27日
- 2026年9月26日
銃・病原菌・鉄 上ジャレド・ダイアモンド,倉骨彰読み終わった夏休みにめっちゃ時間かけて読みましたがその価値がある名著でした。体系的に考えるとはまさにこのようなことを言うのでしょう。歴史の勝利者が勝利者たる所以を根源から探ってやろうという視点から科学的アプローチで全く社会学、民俗学、歴史学に触れてこなかった人でもわかりやすく順序立てられた説明で、勝つための要因を追うことができました。 - 2026年9月24日
- 2026年9月4日
- 2026年9月3日
汝、星のごとく凪良ゆう読み終わった闇夜を前に一際輝く夕星。 プロローグでの感情の抜け落ちた異様な雰囲気から、この作品の、ひいては人生の黒さを暗示していた。良くも悪くも生まれたカタチに等しく人は縛られる。そして、時が経つに連れ先の見えない漆黒が広がり続けていた。不変の過去から抜け出そうにも抜けられず、本当の自由は自由に囚われた不自由になる。そういう縛りの中で選ぶと同時に捨て続けなければ、一瞬の灯火すらも与えられない。一種の絶望とともに、だからこそ隠せない人の儚さが窺えた。 - 2026年9月2日
教養主義の没落竹内洋再読了一周目では情報が垂れ流されてるだけで、何もつかめなかったので再読。教養ある人を1900年代前半から追っていって教養者の形を掴みつつ、その時代背景と絡める。1900年代後半での教養主義没落が当時の大学生の環境とどのようにして関連したのかを憶測も交えながら教えてくれた。現代の大学生として、教養も深められたし、より教養に力を入れたいとも感じた。 - 2026年7月7日
- 2026年6月29日
舟を編む三浦しをん気になる読みたい - 2026年6月29日
カフネ阿部暁子気になる読みたい - 2026年6月29日
蹴りたい背中綿矢りさ気になる読みたい - 2026年6月29日
推し、燃ゆ宇佐見りん読み終わった作中で彼女自身にとっての良いことが全くなかったですね。間違いなくずっと下り坂でした。全てを推しに捧げる身であり、推しを推すことにしか生きれない彼女から推しが離れていく、推しと繋がることができた友人が嫌らしい立場で無意識に彼女を痛めつける。かと思えば、家族からも追い込まれ、いよいよさようなら。つまり必要最低限以外を全て削り落とせたわけですね、そしてこれこそが彼女の理想の形でもありました。推しはもう推せないけれど、何も良いことはないけれど、自分自身を推しと重ねることで、長い余生を残った骨と肉、そして推しの影だけで生きていこうとする。その手始めに推しの原点とも言える破壊を自らの手で行ったのではないでしょうか。この原動力が湧いているのは、まさしく推し活の奇跡と言えそうですよね。もしかしたら燃えたのは『推し』だけではなく彼女自身も含まれ、『推し』活に『、燃ゆ』る彼女とも解釈できそうです。 - 2026年6月18日
- 2026年6月17日
シェイクスピア河合祥一郎読み終わった今までシェイクスピアに触れてこなかったので教養本として読みました。 シェイクスピア本人はもちろんですが、当時の世界観や宗教観、哲学の必要性などを学べる本でした。 人生を一つの育成ゲームだと捉えてもいいんじゃないか、と考えたこともあったのですがここに来て人生劇場という考え方も新鮮で面白いと思いました。 自分としては、哲学や宗教も含め考え方を変えるのは変える必要があるとき変えればいい(もしくは自然と変わる)と考えているので、生き方の一つの指標として知れることを知っておきたいと再認識。 - 2026年6月14日
教養主義の没落竹内洋読み終わったさまざまな視点で教養の歴史を語ってくれる作品でした。現代でいう教養とは、いわゆる一般常識に近いものなので、過去の教養と比べれば、この時点で大きな差を感じてしまうことに面白みを感じます。 自分が読んだ限りは、主に戦前、戦後、戦後最盛期、70年代没落初期、90年代没落決定期という流れになっていたと思います。 こんな文章は本書に出てこないのですが、1900年代では「欧米文化を取り入れようとするのが教養ある者の務め」という一文に多くの人は納得してしまうと思います。これは『欧米文化の取り入れ』が『教養ある者』つまりはエリート層、上流階級にとって必要な物(言い換えるなら一般常識)というわたしたちにとって自然な解釈ができてしまうからです。しかしながら、かつての教養は今で言うガリ勉です。小説を読むのは娯楽の一種となり、文学書や思想書、専門書、総合雑誌が教養を得る行為として捉えられていました。学力水準の高さが窺えますが、これは仕方ないことだとも思います。なぜなら、わたしたちの娯楽水準もしくは生活水準が高くなってしまったからです。かつては考えられないほど、人間にとって簡単に快楽を得られるゲームやスマホの登場は、長い時間をかけてわざわざ本を読むことに必要性を感じさせません。これが読書離れの決定打だと個人的には思っています。ですがスマホ登場はあくまでここ20年の話です。 データなどはありませんが、基本的に娯楽水準は上昇の一途だと思います。それが爆発的だったのが日本では70年代なのかもしれません。そうすれば、自然と読書を離れるでしょう。学力水準が下がるわけです。 さてここまで、完全にわたしなりの教養の没落を語りましたが、実際に教養主義の没落を語るとするならば、まずは当時の教養主義者とはなんだったかを知る必要があります。それを教養主義者であるエリート学生を通して理解し、そのまま学制の変更、戦前の思想弾圧、戦争、エリート学生の一般学生化を経た人々をそのときどきの教養主義と絡めながら考察することで、本当にあった(あるいは、今なお続く)教養主義の変容から没落をリアルに捉えられるのがこの一冊です。 - 2026年6月7日
国際政治とは何か中西寛気になる - 2026年6月7日
破局遠野遥気になる読みたい - 2026年6月6日
夜のピクニック恩田陸 - 2026年6月6日
蜜蜂と遠雷恩田陸気になる - 2026年6月3日
生殖記朝井リョウ気になる読みたい
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