日の名残り
104件の記録
- 綾鷹@ayataka2025年11月20日第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての時代に、英国有力貴族の屋敷で執事を務める男を主人公に据えたーーというか彼の視点から語られるーー年代記。 信頼していたダーリントン卿に仕えていた時の話を「昔はこんなことがあったな」と主人公が思い出しながら語る物語であり、現在の主人との関係性との対比から全体的に哀愁が感じられる。 誰しもいいとき、そうでもないときがあるが、自分で自分を納得させて進んでいくしかないのだな。 主人公の仕事への姿勢に共感する点が多かったが、村上春樹の解説を読んで納得。 この物語とは関係ないが、カズオ・イシグロがミュージシャンを目指していたことに驚き。 ・その偉大さを真似しようとした人々が、うわべを本質と取り違えてしまったのです。私どもの世代は「飾り」を追い求めすぎました。本来なら、執事としての基本の習得にすべての時間とエネルギーを振り向けるべきなのに、やれ誰の矯正だ、弁舌だ、百科事典だ、雑学事典の勉強だと、どれほど時間を無駄遣いしてきたことでしょうか。 ・品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか。並の執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人にとって、執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべがはがれ落ち、中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大であるゆえんは、みずからの職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。外部の出来事にはーーそれがどれほど意外でも、恐ろしくても、腹立たしくてもーー動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるような真似は、たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にいたしません。それを脱ぐのは、みずから脱ごうと思ったとき以外にはなく、それは自分が完全に一人だけのときにかぎられます。まさに「品格」の問題なのです。 ・あまりにも理想主義的にすぎ、理論的にすぎて、大方の理解は得られないのではありますまいか。 たしかに、ある程度の真実は含まれておりましょう。イギリスのような国に住む私どもには、世界の大問題についても自分なりに考え、自分なりの意見をもつことが、多少は期待されているのかもしれません。しかし、現実の生活に追われている一般庶民が、あらゆる物事について「強い意見」をもつことなど、はたして可能でしょうか。ここの村人たちはみなもっている、というミスター・スミスの主張は、おそらく空想にすぎぬでしょう。一般庶民にそのようなことを期待するのは、とても無理というものです。さらには、望ましいことでもないようにー私にはし思われます。 一般人が知り、理解できることには、たしかに限界があるのです。そのことを無視して、誰もが国家の大問題について「強い意見」をもち、発言すべきだと主張するのは、とても賢明とは思われません。 ・しかし、あの朝、ビリヤード室でが私に語ってくださったことの中には、重要な真実が合まれていたことも否定できますまい。ミスター・スペンサーが私にお尋ねになったたぐいの質問に権威をもって答えることなど、どのような執事にも期待するほうが無理と申すものでしょう。それができなければ「品格」を保てない、などというミスター・スミスの主張は、ナンセンスの最たるものと言ってよかろうかと存じます。執事の任務は、ご主人様によいサービスを提供することであって、国家の大問題に首を突っ込むことではありません。この基本を忘れてはなりますまい。国家の大問題は、常に私どもの理解を超えたところにあります。大問題を理解できない私どもが、それでもこの世に自分の足跡を残そうとしたらどうすればよいか・・・・?自分の領分に属する事柄に全力を集中することです。文明の将来をその双肩に担っておられる偉大な紳士淑女に、全力でご奉仕することこそ、その答えかと存じます。 ・この結果は少しも意外なことではありません。結局はそうなるのです。と申しますのは、雇主に対して批判的な態度をとりながら、同時によいサービスを提供するということは、現実にはとても可能とは思われないからです。もちろん、レベルの高いお屋敷になりますと、つまらないことに気をとられていたら、執事のもとに出される無数の要求をさばききれないというのも事実でございまして、それも理由の一つと考えられましょうが、それだけではありません。より基本的には、「思誠心」の問題に行き着きます。雇主の行動について「強い意見」をもとうと絶えず鵜の目鷹の目をつづけている執事は、この職業に従事するすべての人々に不可々の特質である「忠誠心」を、必然的に久くことになるのです。 ・ダーリントン卿にお仕えした長い年月の間、事実を見極められるのも、最善と思われる進路を判断されるのも、常に卿であり、卿お一人でした。私は執事として脇にひかえ、常にみずからの職業的領分にとどまっておりました。最善を尽くして任務を遂行したことは、誰はばかることなく申し上げることができます。そして、私が提供申し上げたサービスが一流だったと認めてくださる方々も、決して少なくはありません。卿の一生とそのお仕事が、今日、壮大な愚行としかみなされなくなったとしても、それを私の落ち度と呼ぶことは誰にもできますまい。私がみずからの仕事に後悔や恥辱を感じたりしたら、それはまったく非論理的なことのように思われます。 ・私にはダーリントン卿がすべてでございました。もてる力をふりしぼって卿にお仕えして、そして、いまは・・・・私には、ふりしぼろうにも、もう何も残っておりません ・ダーリントン卿は悪い方ではありませんでした。さよう、悪い方ではありませんでした。それに、お亡くなりになる間際には、ご自分が過ちをおかしたと、少なくともそう言うことがおできになりました。卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、しかし、卿はそれをご自分の意思でお選びになったのです。少なくとも、選ぶことをなさいました。しかし、私は・・・・私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。 私は卿の賢明な判断を言じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか? ・人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様のーーこの世界の中心におられる偉大な紳士淑女のーー手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありますまいか。あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれないーーそう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。 ◾️村上春樹 解説 ・ずいぶんたくさん音楽の話をしたことを記憶している。イングロも僕に劣らず音楽が大好きだった。彼は小説家になる前はミュージシャンになることを志していたということだし、僕自身も小説家になる前は、音楽に関わる仕事をして生計を立てていた。 ・この本のページを繰りながら、読者は当時の英国貴族の暮らしぶりの中に、また彼に仕える忠実な執事の生き方や心理の中に、そしてそこに繰り広げられるドラマの中にとても自然に、抵抗なく引き込まれていく。しかし物語全体を読み終えたときに、僕がひとつ強く実感したのは、「これはまるで日本人の物語であるみたいに書かれているな」ということだった。ひょっとしてこの物語をそのまま日本に置き換えても、それほど不自然ではないんじゃないかと思うくらいに。 たしかにここに描かれている社会環境はすべて英国のそれであり、取り扱われているのはまさに英国的なものごとであり事象だ。しかしそこに登場する人々の感覚や感情は、あるいはその感覚や感情の描きかは、僕に驚くほどありありと、日本的な感覚や感情を想起させることになる。誤解されると困るのだが、僕はこの物語が「国際的」「普遍的」な域に達しているとか、文化の違いを超えて共感が成立しているとか、そういう一般的なことを主張しているわけではない。僕が言いたいのはもっと狭義に、それが優れて日本的なものとして成立しているということだ。たとえばーーこれはあくまで一例に過ぎないがーーそこに描かれた英国人執事のどこまでもストイックな、自らを殺してまで主人に仕える、あるいは規範に殉じるその生き方は、そして彼の内で堅固にクリアに維持される限定された世界観は、日本古来の武士の生き方と共通項を有しているようにさえ感じられ る。 ・なぜか?その理由はとてもはっきりしている。それはイシグロが高い能力を有した作家であり、しかも常に新しいテーマを追求し続けている、スリリングで意欲的な創作者であるからだ。僕が考えるところ、世の中には大きく分けて二種類の小説作家がいると思う。ひとつは作品をひとつひとつ系統的に積み重ね、いわば垂直的に進歩していく(あるいは進歩しようと試みている)作家であり、もうひとつはそのたびに異なったテーマや枠組みを取り上げて、自分を水平的に試しながら進歩していく(あるいは進歩しようと試みている)作家だ。僕自身はどちらかといえば前者に属すると思う(進歩を遂げていればいいと思う)。そしてイシグロはどちらかといえば後者に属しているようだ(間違いなく進歩を遂げている)。 『日の名残り』(一九八九)を書き上げたあとのイシグロは『充たされざる者』(一九九五)『わ たしたちが孤児だったころ』(二〇〇〇)『わたしを離さないで』(二〇〇五)『忘れられた巨人』(二〇一五)と、そのたびに異なるフォーマットを持つ長備小説に次々に挑戦してきた。あるものはカフカ的な道具立てを用い、あるものは歴史ミステリーの衣を纏い、あるものはサイエンス・フィクションの構図を借用し、あるものは古代説話を下敷きにしている。まことに多種多様だ。 僕の知る限り、一人の作家がこれほど多様なスタイルを用いて小説を書くというのは、他にほとんど例を見ないことだ。そして僕の目からすれば驚くべきことに(というべきだろう)、どの作品も水準を軽々とクリアしている。 ・そのような実験的な姿勢をポストモダン的手法のひとつととるか、あるいはあくまで個人的な方向性ととるかは、評価の分かれるところだろうが、僕としてはとりあえず「結果的にポストモダン的手法ともとれる、しかしあくまで個人的な営為」みたいなものではないかと考えている。そして彼の追求する自らのアイデンティティーの中には、彼の「内なる日本人性」みたいなものも間違いなく含まれているだろうし、そのことと彼の物語の「水平志向性」をどこかで結びつけて考えてみるのも、彼の文学を追究するための興味深いアプローチのひとつとなるかもしれない。
ぐ@busy-lake2025年10月2日読み終わった面白い仕掛けの小説だと思った。 一人称小説の中でも特に特に視野が狭い。 主人公の語りだけで話が進むのは当たり前なんだけど、 ミステリーでもないのに見えるものが本当に少なくて、 長年屋敷から出ないし、価値観は固執してるし、 叙述ミステリーでもないのにこんなに視野が狭い小説って珍しい気がする。 主人公は実際には視野が狭いわけじゃなくて、 仕事と主人にしか興味がない。 執事の仕事と主人のことなら、誰よりも察しが良く、細やかな気遣いが出来る、何もかも見えているのだけど、 それ以外のことになると全く見えないんだ。 別に特別気の利く訳でもない読者が当然気付くことに、 主人公は全く気付かなくてもどかしい。 それも過去の回想だからどうにもならない。 そんなのがなんか面白かった。 この著者の他の小説も読んでみたい。 わたしを離さないでの冒頭を試し読みしたけど、 なんか似たような感じ?




- yassh@akr12172025年9月28日読み終わった35年ぶり再読 前回はイシグロ初読で大好きな作品だったが、今回、スティーブンスにイラつくこと多し。 でも最後の最後はすごく良くて、自分も年取ったことに気づいた。


ぐ@busy-lake2025年9月24日読み始めたaudibleまだ読み始めたばかり。 紳士淑女しか出てこなくて凄いな。 主人公の細かさと気遣いが、 自分がうんざりしている自分の細かさと気が効きすぎる気遣いに重なって、 これを肯定できる世界線も存在するんだなあって思ってる。 主に家族や友達に向ける自分の気遣いが報われるかは、 受け手の度量次第なんだな。 ここに出てるお金持ちの紳士は、 自身とても有能で気が利く人たちなんだろうな。 そのくらい賢くないと、この執事の価値はわからないし使いこなせないわ。 わしの環境はわしを活かしきれているか。

ススワタリ@lost_corner2025年9月21日読み終わったまさにイシグロマジック! 読んでるうちに「いやいやスティーブンス、それは違うでしょ!」とツッコミたくなるんだけど、同時に彼の語り口があまりに真面目で誠実だから、つい乗せられてしまう。で、あとから「あ、これって作者が仕掛けた“罠”だったんだ…」と気づかされる。 これがノーベル文学賞受賞者の実力かぁ。 今更ながらこの作品でますますファンになりました。






- おおしま@_carino_2025年9月15日読み終わった昭和史の間に挟むものとしては合ってるような気がする内容、時代だけ ズルズル昔のことばっかり考えてるしあんまりなんかプライド高い割に卑屈そうな執事だなって思ってたら終わり方綺麗すぎて一気にめちゃいい本ってなった、てか卿ことも含めて全部ラストのためにあるだろ!!てぐらいよかった。真面目な教訓挟んだ後ジョーク上手くなろうって前向くオチが超いい 訳すの大変だっただろうなあ、綺麗な英語を綺麗な日本語にしたんだろうなって感じ ミスケントンのことはわかっていましたよわたしは!


kei@k32452025年9月5日読み終わったカズオ・イシグロ著「日の名残り」読了。 2025/9 3冊目 ◎サマリ ①古き良きイギリスの衰退 ②執事の品格とは ③変わることが正しいのか ◎書評 大英帝国の国力、文化の衰退を克明に描いた名作。 小説ではあるものの、学びの多い作品だった。 ① 古き良きイギリスの衰退 主人公は名門貴族、ダーリントン卿に仕えた執事、スティーブンソン。 ダーリントン卿は3年前に亡くなり、新たに屋敷の主人となったアメリカ人に仕えている。 そんな新たな主人からスティーブンソンは休暇をもらい、フォードに乗ってイギリスの田園地帯を走り旅に出る。 物語は大部分が過去の回想だ。 第一次世界大戦後から第二次世界大戦前夜にダーリントン・ホールで何が行われていたかがスティーブンソンの回想のもと描かれる。 しかし、古き良きイギリスの衰退はアメリカ人主人との日常のやり取りで色濃く描かれている。 スティーブンソンは新たな主人が飛ばすジョークについていけない。 過去のイギリスではこんなことはなかったのに…と苦虫を噛み潰すような思いをするわけだ。 イギリスの一級貴族の邸宅がアメリカ人に購入されていることで経済的なイギリスの敗北を描き、文化としても潮流はアメリカンカルチャーが中心となり、イギリス文化は古くは臭いものになっている。 執事としてのプライドもズタボロにされていくスティーブンソンは、過去の時代に取り残されている老兵ともいうべきだろう。 カズオ・イシグロはこのイギリス経済、文化の衰退を執事視点で暗に、時には鮮明に描き切っている。 ②執事の品格とは スティーブンソンが過去の回想をする際のひとつのポイントになっているのが執事の品格だ。 スティーブンソンは多くの執事仲間と執事とはどうあるべきかを論議し、その時代の立派な執事へと成長した。 その一方で、父の最期にも立ち会えない、女中頭の恋心にも気づけないような空虚化した存在になってしまったことへの後悔の念も描かれる。 極めつけは主人であるダーリントン卿が第二次世界大戦前に行なっていたことは、決して正しいことではないと薄々気づいていたものの、主人を信じるということを言い訳にダーリントン卿への進言を行うことは避け続けた。 結果、戦後ダーリントン卿は世間からの大バッシングを受け、失意のまま亡くなる。 正しい執事の在り方、執事の品格とは何か。 このテーマを追いかけることこそこの小説を楽しむひとつの鍵になると考えられる。 ③変わることが正しいのか ダーリントン卿が冒した罪とは、親ナチス派になってしまったことだった。 ダーリントン卿自身、古き良きイギリスが大切にしているものなど今の時代には合わないものだと自覚している。 しかし彼が求めてしまったものはヒトラーやムッソリーニといった過激な指導者だった。 確かに大きく世の中は変わるがこれが本当に正しいのか。そういった視点が抜けていたのだろう。 ここから変わることが正しいのか、改めて考えさせられた。 ビジネスの場でも変革、変革とばかり言うが、それは過去を全否定すべきものではない。 そういった大局観のようなものもカズオ・イシグロは読者に伝えたかったのではないだろうかと感じた。


KaRo@hua_runchai2025年7月24日読み終わった車で旅路を行くのが牧歌的で良かった。 また、そんなゆったりとした雰囲気とスティーブンスの穏やかな語りが合っていて、最後のシーンは切なくなった。 私が、スティーブンスと同じくらい年齢を経た時に読むとどう感じるのだろう。


kasa@tool2025年4月8日かつて読んだ素晴らしく丁寧な物語。 その舞台となるイギリスのリトルコンプトンやウェイマスの風景も素敵で(画像検索した)読みながら主人公のようにちょっとした旅行気分を味わった。 執事であるスティーブンスの信念には確固たるものがあるが、時々かいま見える人間らしさに一息つく。
夏しい子@natusiiko2025年3月6日かつて読んだ凄かった。 スティーブンスの不器用さ 執事としての執務への入れ込み様が 読んでいて切ないほどだった。 ミス・ケントン側の方からの物語も読めたらもっと、もどかしてく泣いちゃうような物語だったかもね。 辛くて、切ないのに読了後は「読んで良かった!」としみじみと思えた小説だった。

彼らは読みつづけた@findareading2019年5月9日かつて読んだ*読書で見つけた「読書(する人)」* 《「何をお読みになっているのかしら、ミスター・スティーブンス?」 「ただの本です、ミス・ケントン」 「そんなことは見ればわかります、ミスター・スティーブンス。何のご本ですの? とても興味がありますわ」》 — カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳『日の名残り』(2009年8月11刷、ハヤカワepi文庫)
- pessimism@notimetosleep1900年1月1日かつて読んだ"The Remains of the Day"という原題の響きも美しいけど、日本語にしても趣深い秀逸なタイトル。英国紳士の旅のお供はフォードなのね。




















































































