書物の航海へ いまを生きるための古典
34件の記録
- さんさん@sak88232026年6月23日読み始めた@ 石垣市【印象残った内容メモ②】 第三章 個人と共同体 p126人間はひとりでは生きられない-これまでに何度繰り返されてきたかわからかいこの常套句は、恥ずかしくなるほどの陳腐さにもかかわらず、あるいはその陳腐さゆえに、私たちの存在についての本質的な命題、それも限りなく真に近い命題を表している。生きるということはすでにそれ自体、他者と関わること、他者との関係性の中で生きるということにほかならない。たとえいっさいの人間関係を遮断して絶対的な孤独のうちに生きる決意をしたとしても、他者が存在しなければそもそも孤独という概念そのものが存在しないのだから、それは孤独という関係性の中で生きていることを意味している。 p129プラトンは先に見た『国家』の第五巻第五節で、人はそれぞれ生来の自然的素質に応じた仕事を担うべきであり、女はすべてにおいて男よりも弱く生まれついてはいるが、中には戦争に向いた女もいれば国の守護に向いた女もいるのだから、そうした女にはそれにふさわしい任務を与えるべきであると述べていた。 p166 アーレント『全体主義の起源』 彼らは個人としての自我を進んで放棄し、周囲の他者と区別のつかない匿名の存在として、より巨大な集団に統合されていくことを希う。自分が自分でなくなること、無名の一兵卒として共同体に吸収され、やがては消滅してしまうことこそが、彼らの究極的な憧れであり願望なのだ。だから本来は純粋に個人的な経験であるはずの苦しみも(そして喜びも悲しみも)、彼らにとっては自分の苦しみ(喜び、悲しみ)ではなく、集合的な経験として通過される匿名の無色透明な苦しみ(喜び、悲しみ)でしかありえない。

- さんさん@sak88232026年6月23日読み始めた@ 石垣市【印象に残った内容メモ】 第一章 世界という不思議 p61性急な判断の条件反射的な反復は、一見したところ驚きに似ているようでもあるが、じつはその対極にある。驚くことは判断ではなく、判断以前の身体反応であるからだ。そしてものを考えるということは、この身体反応から出発して、不可解な現実の前でうろたえ、戸惑い、たゆたいながら、針が連続的に移動していくアナログ時計のように「0と1のあいだ」の空隙を丁寧に埋めていくプロセスに他ならないはずである。 p63私たちが言葉によって世界を分割するのは、本来明確に分けられないものを便宜的に「分ける」ことで、対象を「分かる」ようにするためでかる。けれども実際は昼と夜のあいだに「黄昏どき」があるように、海と陸のあいだには「波打ち際」がある。そう、世界はけっして「分かつ」ことのできない曖昧な領域、0でも1でもない「あいだ」に満ちているのだ。

mayu@yatsu_books2026年6月22日読み終わった@ 自宅「博覧強記の読書家による知の航海記。 「驚く、戦う、愛する」などの 普遍的な営みを軸に古典を読み解き、 新たな思索の海図を描く。」 知の航海に溺れそうになりながらも、 何とか読了しました。 難しいというよりも、知識量に追いつくのが やっと、というイメ-ジです。 一度は読みたいと思いながらも、 手に取ることをためらったり、 途中で挫折してしまった古今東西の“名著”。 古典を読む時にぶつかる最初の壁は、 理屈から古典を理解しようと するからだと感じました。 古典とは理屈ではなく姿勢から 読むものであり、そのためにいかに 古典を定義すべきかが浮き彫りに されていくかのような内容が 本書には書かれていました。 この本は、「驚く・知る・関わる 戦う・愛する・生きる」という 人間を形作る「相」ごとに章が構成され、 古典から引用した文書を丁寧に読み解き、 思索を重ねた著者の自らの言葉で、 今を生きるわたしたちに伝えてきます。 考え、悩み、迷走を重ねて 新たな問いに漂着する。 これこそが「人間の人間たる所以」 だと思いました。 「なんのために本を読むのか?」 情報が瞬時に手に入る現代において、 ますますその重みを増している気がします。





喜楽@kiraku2026年5月6日読んでる心に残る一節物理的な時間を人間的な時間へと変換させるこの気の遠くなるようなプロセスの、全容とは言わないまでも少なくともいくつかの断片を、私たちは先人の残した書物を通して知ることができる。(p.2)

















