戦争×書物
28件の記録
本屋lighthouse@books-lighthouse2026年6月24日読み終わった核を保有する大国どうしが、相互確証破壊の確実性を認識しながら、敢えて戦争に踏み切ることなどありえない。また、サイバー戦争や精密誘導兵器といった戦争技術の進歩によって、民間人への被害は最小限に抑えられるはずだと。しかしこれもまた甘い読みであり、実際に起きた二一世紀の戦争は、正規軍の兵士よりも民間人のほうにはるかに大きな犠牲を生んでいるように見える。(p.537-538)









本屋lighthouse@books-lighthouse2026年6月23日読んでる日記からは、自宅の玄関先まで迫り、あるいは屋根を突き破って入り込んでくる戦争に個々人がどう反応したのかがわかる。多くの人々は、防空壕で過ごす夜や急な避難に備えて階段の横に置いてある非常用袋のなかに、数冊の本をしのばせていた。ところが、あらゆる証拠は、ロンドン大空襲中に読書量が急激に減ったことを示している。爆撃が最も激化した時期には、完全に読書をやめた者もいた。あまりにも精神的なショックが大きく、あまりにも忙しすぎて、あるいは単に、彼らは張りつめた不安のなかでの待機や中断される睡眠、防空壕での不快な夜に疲れ果ててしまったのだ。(p.424-425)




本屋lighthouse@books-lighthouse2026年6月21日読んでる「本は思想戦の武器である」というわかりやすいスローガン。書物が文明の代理人であり、理念を広める伝道者だったとすれば、出版社は軍需工場の経営者といったところだろう。(ともにp.195) 出版業界の苦境が相当なものになり、日本社会全体も戦争への道を進んでいる現在を鑑みると、出版業界の立て直しと政治権力への接近が接続してしまいつつあることの愚かしさもあらためて蘇ってくる。経産省主導のプロジェクトはいずれこのようなものになる。業界が元気になればその方法はなんでもいい、なんてことはありえない。







本屋lighthouse@books-lighthouse2026年6月21日読んでるネラのマス・オブザべーション日記で最も注目すべきは、大量の言葉の海のなかに読書についての記録がほとんど見当たらない点だ。なぜ注目すべきなのかというと、戦争が勃発するまでネラは熱心な読書家だったからだ。(中略)。一九四二年に実施された戦時中の読書に関する大規模な世情調査では、四〇パーセントもの人が戦時中は読書量が減ったと答え、そのうちの多くが読書量はかなり減った、あるいは全く読まなかったと回答していた。(p.222-223) 第二次大戦中、兵士を筆頭に戦争に深くかかわる生活を送っていた者らにとって本は貴重かつ主要な娯楽となったが、いわゆる銃後の民として戦時下における「日常生活」を送っていた者らは本を読めなくなっていた。これは戦中に限った話ではないだろう。戦前から徐々に生じていく現象として捉えるのなら、このところの出版業界の苦境もこの流れのなかにあると考えても筋が通る。 ネラの日記“Nella Last's War”は1981年に刊行され、2006年に再販もされている。翻訳権が切れてたら自前刊行してしまおうかと思ったけど、まだ権利者がいるようなのでどこかの出版社で出してくれないだろうか。






本屋lighthouse@books-lighthouse2026年6月20日読み始めた『重力と恩寵』は断片的な記述のかたまりなので読み方もそのようにするのがあっていると判断し、ぐわっと読んでみたい物理的大物(500ページ超)であるこちらに手をつけてみる。 主要テーマとは別のものかもしれないが、南北戦争時に北軍兵士のひとりが言ったとされる「我々の国家、我々の国民性が消滅するのなら、いっそ我々全員が死に絶えてしまったほうがいい。このまま生き延びて、共和制を試み失敗した者たちと指差され、後世まで物笑いの種となるのを見たくはない」(p.80)という心理状態が気になった。おそらくこの感覚は、いま「戦争になってもよい」とどんな形や強度であれ考えている人のなかにあるものなのではないだろうか。国家という、本来なら自分自身と同一化できやしない存在への同一化による虚しい安心感。そしてどうせ失敗してしまうのなら試行錯誤もしないほうがよい、という失敗への恐怖。 「世論の動向、さらにはその根底にある特定の国または社会集団の姿勢や前提は、長い時間をかけて構築されるもの」(p.82)である以上、2020年代の日本の空気がどのようにして構築されてきたのかを考える必要があるし、同時に、現在から見た「長い時間」ののちにある未来の社会の空気を作る要素のひとつである本、そして本屋の責任を考える。すぐには結果が出ない、出たとしても効果測定ができないものにこそ、時間をかけて向き合い続ける必要があるのだろう。


























