風の歌を聴け
286件の記録
- 夏至@pixied82026年8月23日読み終わった読み終えたぞ… ついに春樹の短編以外を…と言いつつ、連作短編集みたいな作品だった。 読んでみて、これは英語で読んでみたいと思った。翻訳小説慣れしたから読めるようになったのかもしれない。 彼の作品は舞台が日本でなくても当時の設定でなくても読めるような小説だ。 海外のビーチやバーで読んでも良さそう。 夏にこの小説が読めて良かった。 またチャレンジしたい。
くね@draves3302026年8月20日読み終わった数年ぶりに読んだけど、相変わらず意味はわからない。 少し大人になった頃の夏の思い出という雰囲気はよく伝わったし、ちょうど作中の日付と同じような時期に読めてよかった。 あちらこちらからなんとなく伝わるものはあったけど、完全に分かることもなく、最終的にはネットの考察に頼るしかない自分の無力さを感じた。 とりあえず鼠三部作とされている1973年のピンボールに進もう。
だいき@daaa_3302026年8月16日読み終わったこの作品に限らずだけど、言い回しと余白が好きだなって感じた。 雰囲気掴む程度には読めたと思うけど、短編なこともあって、余白が多くてうまく読み取れない部分が多かったのが悔しい。 最後の締めのニーチェの言葉で、この作品のテーマがうっすら自分なりに解釈できた。
J.B.@hermit_psyche2026年8月12日読み終わった本書を村上春樹の若書きの青春小説として片づけるのは、作品の表層だけを見て構造を見落とす読み方だ。 もちろん本作は1979年に発表され、第22回群像新人文学賞を受賞した村上春樹のデビュー作であり、1970年の夏、海辺の街に戻った「僕」と「鼠」、そして偶然知り合った女の子との時間を描く、極端に小さな物語である。 初版は201ページにすぎず、出来事のスケールも驚くほど小さい。 だが、この小ささこそが本作の形式的な核心であり、壮大な事件や濃密な心理劇を排除することによって、村上春樹は小説を人生について何かを語る装置から、失われていく時間をどう言葉に変換するかを検証する装置へと変えている。 本作の本当の主題は青春ではない。 青春という概念を成立させる時間構造そのものだ。 1970年の夏を生きている「僕」にとって、それは現在である。 しかし、それを語っている「僕」にとってはすでに過去であり、しかも過去は記憶としてしか回収できない。 ここで重要なのは、記憶が過去そのものではないという単純だが決定的な事実だ。 経験された時間と、記憶された時間と、文章として再構成された時間はそれぞれ別物であり、この三つを意図的にずらしながら成立している。 だからこれは回想小説であると同時に、回想することの不可能性についての小説でもある。 その意味で、作品冒頭から頻繁に現れる小説を書くことについての自己言及は、単なるメタフィクション的な遊戯ではない。 むしろ村上春樹は、物語を始める前に物語とは何かという問題を先に置いている。 これは新人作家としては異様に自覚的な出発点だ。 通常、デビュー作には何を語りたいかという欲望が過剰に現れる。 しかしここでは、作者は逆に何を語ることができないのかを先に設定している。 世界は複雑すぎる。 記憶は不確かだ。 言葉は現実を完全には再現できない。 ならば小説家は、世界を説明するのではなく、説明できなさそのものを形式化するしかない。 本作の乾いた文体は、この認識論的な制約から生まれている。 ここでいう乾きは、単なる洒落た都会性ではない。 感情を欠如させることによって、感情の存在を逆説的に強調する技法である。 村上春樹は感情を消しているのではない。 感情を直接記述することを避けている。 その違いは大きい。 悲しみを悲しみとして説明する代わりに、酒、音楽、食事、会話、街、レコード、身体的な距離といった物質的な細部へ感情を分散させる。 心理を心理学的な説明に還元せず、生活の表面に沈殿させる。 読者は人物の心を説明されるのではなく、人物が世界と接触するときに生じる微細な摩擦から、その心を逆算することになる。 この方法によって、人物は心理小説的な深い内面を持ちながら、その内面を容易には所有できない存在になる。 「僕」がとりわけ興味深いのは、自己について語りながら、自己を完全には信じていない点だ。 語り手は自分の記憶を絶対視しない。 むしろ、言葉によって過去を再構成する以上、そこには必ず虚構が混入すると理解している。 この自己不信が、語り手を私小説的な告白者から遠ざける。 日本文学において「私」を書くことは、しばしば私の真実を提示することと結びついてきた。 しかし、「私」は真実を所有する主体ではなく、真実に到達できないことを自覚している主体として置かれる。 この差異は決定的だ。 村上春樹は自分のことを書くのではなく、自分というものがどのように物語化されるかを書いている。 したがって本作は自伝的に見えて、実はかなり高度に人工的な小説である。 海辺の街、酒、女性、友人、音楽、青春という素材は極めて私的に見えるが、それらは精密に配置された記号でもある。 現実をそのまま小説へ持ち込んだのではなく、現実らしさそのものを一つの文学的装置として構築している。 「鼠」の存在も、この構造を理解する鍵になる。 「僕」と「鼠」は似ているようでいて、世界との距離の取り方が異なる。 「僕」は世界を完全には信頼しないが、それと闘争することにも熱心ではない。 一方、「鼠」は自分の属している階級や社会そのものに対して、より直接的な嫌悪と違和感を抱えている。 だから「鼠」は主人公の単なる親友ではなく、「僕」が別の形で持っている可能性を外部化した人物として読むことができる。 この二人の関係には、1960年代末から1970年代初頭の日本社会の残響がある。 ただし、本作は政治小説ではない。 学生運動や階級、社会への反抗といった要素は、歴史的現実を説明するために使われているのではなく、若者が自分の生きている社会を自分のものとして受け入れられないという感覚の背景として機能している。 本書の政治性は、政治的主張の強さではなく、政治的な大義から距離を置いた個人が抱える空白の描写にある。 そして、この空白こそが作品を今日まで古びさせない最大の理由だろう。 社会制度や流行や政治状況は変化する。 しかし、自分が生きている場所に完全には所属できないという感覚は消えない。 その感覚を、思想としてではなく生活様式として描いている。 何かを熱烈に信じることもなく、何かに全面的に反抗することもなく、それでも世界との間に薄い膜が存在している。 この膜が、本作独特の透明な孤独を生む。 女の子との関係も同様だ。 ここには典型的な恋愛小説に見られる出会い→葛藤→愛の成就という因果律が存在しない。 二人は一時的に親密になり、やがて離れていく。 重要なのは恋愛が成立したかどうかではなく、親密さそのものが時間によって不可避的に解体されることだ。 人間は誰かと完全に共有された時間を持つことができる。 しかし、その時間を永続させることはできない。 恋愛を関係の成立ではなく共有された時間の一時的な発生として扱っている。 ここには村上春樹の後年の作品へつながる原型がほとんどすべて存在している。 孤独な男性、失われた女性、音楽、都市生活、酒、性愛、過去への回帰、現実の表面に潜む異物、そして言葉によってしか接近できない何か。 後年の『羊をめぐる冒険』や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』などでは、この構造がより巨大で幻想的な形式へ展開していくが、ここではまだそれらが日常の表面に潜伏している。 さらに本作を特異なものにしているのが、架空の作家デレク・ハートフィールドの存在だ。 ここでは小説の内部に別の作家が作られ、その架空の文学について語ることによって、現実と虚構の境界が意図的に攪乱される。 これは単なる遊びではない。 現実を写し取ることが文学なのだとすれば、架空の作家について語ることは現実を写すという文学観を内部から破壊する。 村上春樹はデビュー作の段階で、文学が現実のコピーではなく、現実と同じように存在しているように見える世界を生成する技術であることを示唆している。 その意味では、リアリズムから逃走した小説ではなく、リアリズムの条件を問い直した小説だ。 現実とは何か。 記憶とは何か。 作者とは誰か。 語り手の言葉をどこまで信用できるのか。 小説における本当らしさは何によって成立するのか。 本作はこれらの問いを哲学論文のように直接論じるのではなく、軽い会話と短い断章の内部に埋め込む。 ここに村上春樹の強みがある。 思想を思想として提示せず、スタイルへ変換する能力だ。 もっとも、本作を過大評価する必要もない。 完成された村上春樹文学のすべてが、すでにここにあるわけではない。 女性人物の造形には後年の作品にも通じる類型性があり、主人公の距離感そのものが時に何も傷つかないための美学に見える危うさもある。 また、乾いた文体は読者によっては深遠さよりも気取りとして感じられる可能性がある。 作品の空白を深さと読み替えすぎれば、何でも意味のあるものにしてしまう危険もある。 だが、まさにその危険を含めて本作は面白い。 村上春樹の文学が後に巨大な国際的読者層を獲得した理由の一端は、感情や思想を直接的な言葉で固定せず、意味の余白として読者側へ返す構造にある。 読者は作品を解釈するだけでなく、自分の経験をその余白へ投影する。 だから同じ作品が、二十歳で読む場合と五十歳で読む場合とでは、まったく異なる相貌を見せる。 青春の真只中にいる読者には現在の物語として読めるが、青春を遠く過ぎた読者には、失われた時間をどう処理するかという物語として読める。 タイトルも、この作品の哲学を凝縮している。 風は見ることができない。 音そのものでもない。 それでも風が吹けば、木々や波や身体を通して、その存在を知ることができる。 これは本作の小説観そのものだ。 意味は直接的には提示されない。 人物の心理も、青春の意味も、過去の真実も、風そのもののように掴めない。 しかし、その不在を周囲の現象から感知することはできる。 小説とは、見えないものを説明することではなく、見えないものが通過した痕跡を配置することなのだ。 だから最も重要なのは、何が起きたかではなく、何が起きたあとに何が残ったかである。 夏は終わる。 人間関係は途切れる。 記憶は変質する。 言葉は現実を完全には保存できない。 それでも人間は書く。 失われると知りながら記録する。 この矛盾こそが文学の発生条件になる。 本作が1979年に登場したことも重要だ。 高度経済成長を経た日本社会において、文学の中心的な主体は、かつての政治的・歴史的な大きな物語から距離を取り始めていた。 その時代精神を、声高に代表するのではなく、むしろ大きな意味を必要としない生活の形式として提示した。 そこにあるのは革命でも救済でもなく、ビールを飲み、音楽を聴き、誰かと話し、少しだけ親密になり、やがて別れるという生活である。 だが、その些細な生活の中にも、人間が世界に意味を与えようとする欲望は消えずに残る。 結果として、物語の内容以上に小説を書くことについての小説として強い。 青春小説の姿を借りながら、記憶論であり、自己論であり、言語論であり、同時にポップカルチャーの感覚を文学へ持ち込む実験でもある。 そのすべてを深刻な哲学小説の顔つきで提示せず、むしろ軽く、乾いて、少しばかりふざけた調子で書いてしまう。 この深刻なことを深刻そうに書かないという美学こそ、村上春樹の文学的発明の一つだった。 したがって村上春樹の原点だから読むという文学史的な態度だけでは不十分だ。 この作品はむしろ、現代小説が大事件や深い心理を必ずしも必要としないことを示している。 世界の中心にいる人物ではなく、世界の中心から少し外れた人物を置く。 人生を決定する事件ではなく、人生からこぼれ落ちる断片を拾う。 真実を断言するのではなく、真実に到達できないことそのものを語りの条件にする。 そのとき、小説は巨大な意味を提供する装置ではなく、意味が失われていく速度を測定する装置になる。 その意味で、非常に小さな小説でありながら、文学については驚くほど大きなことを考えている。 デビュー作として未熟なのではなく、未完成であることそのものを方法にしている。 物語の余白、人物の沈黙、記憶の不確かさ、言葉の不完全さを欠陥として埋めるのではなく、そのまま作品の構造へ組み込んでしまう。 そのため、刊行から半世紀近くを経ても、この小説は1970年の夏を再現しているというより、過ぎ去ったものを人間はいかにして現在へ呼び戻そうとするのかという、時間そのものに関する問いとして読める。 結局、描いているのは青春ではなく、青春が記憶へ変わる瞬間だ。 現在だったものが過去になり、経験だったものが物語になり、現実だったものが言葉へ変換される。 その変換の過程で何かは必ず失われる。 しかし、すべてが失われるわけではない。 残った断片が文章となり、文章が読者の記憶に接続される。 そのとき、1970年の夏はもはや「僕」だけの過去ではなくなる。 風そのものを保存することはできなくても、風が通過したことを言葉によって感知することはできる。 本書の文学的価値は、まさにその不可能な保存作業を、軽やかさと冷静さと孤独のなかで成立させたところにある。- k@NEK0CAT2026年8月9日読み終わった村上春樹のデビュー作 「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんなふうにして生きている。」 大学生の主人公と、その周辺の人物との日常の話 大学入学当初、サークルや学部、バイトなど、知り合う人が多すぎて一人一人と深く関われなくてもどかしかった そんなことを思い出した


空がまた暗くなる@hir0ej2026年7月30日読み終わった借りてきた高校の終わり頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。
アンモニャイト@Momom_243212026年7月22日読み終わった「たった1文だけ明かされている本の福袋群」の中から選んだ。 「完璧な文章などと言ったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」 哲学か、言語学か、その間か…と想像して開けたら、村上春樹。なるほど小説…しかも純文学。 この手の本はほとんど初めて読んだけど、悪くないね。読み手が自己投影する余白がふんだんにある感じ。 これから純文学に浸りたい!とはならなかったけど、偶に出会ってふと立ち止まるときのお供に良さそうだ。


種まく人@autuak_3y2026年7月1日読み終わったかつて読んだ一年ぶりに再読。あまり明確なストーリーがあるわけではないからどんな内容だったか、忘れていた。断片的には覚えていたが。この長さで40も断章があるのはかなり細かく区切られてるなと思った。デレク・ハートフィールドの火星の話がめっちゃいい。

haku@itllme2026年6月27日読み終わった優しいなって思った。 なんかずっと優しい風吹いてんなって思った。 わたしにはまだ追いつけないことばっかりだけど。 でもニーチェの言葉だけはグサッと刺さりました。 もう一回この夏に読みたいって思った。


mari@mari2026年6月19日読み終わった再読。 久しぶりに読むと、やっぱりこれ好きだなって思う。 半分の会話と港の風、時間の経過。 "しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。"- ドラゴンきつつき@dragonkitsutsuki2026年6月14日読み終わったよくわからない。絶妙によくわからなくて、よかった。1970年の夏を舞台にしていて、私はその時生まれていなかったので、情景がよくわからない。埼玉で育ったので、海辺の町の雰囲気もよくわからない。酒が飲めないので、その近辺の話もあんまりわからない。それがなんか、良かったなぁって。こういう純文学って、わかりすぎちゃだめな気もするんですよね。


ヤマダ!@ts_o_tw2026年6月1日読み終わったP50 「離婚した女の人とこれまでに話したことある?」 「いいえ。でも神経痛の牛には会ったことがある。」 こういうのでゲラゲラ笑うために村上春樹を読んでいる! ● 高校生の頃、初めて読んだ村上春樹の作品が運悪く『ノルウェーの森』で、上巻の半分あたりで放り出して以来すっかり食わず嫌いしていたが、ここ数年は2時間強の移動では春樹を読むことにしている。 ボサノヴァのフランス語を、どうせきっと愛とかについてだろうなと決め打ちして、言語ではなく音として浴び流している時みたいな 飲み屋で隣合った、話だけは面白いろくでもなさそうな大人の昔話に大げさに笑ってみせながら、仲間と目配せしている時みたいな お酒を飲んで踊ってる時の、ただ気持ちのいい音楽が流れているので自然に体を動かしているみたいな、そういう軽薄な楽しみがあり、大人になってようやくそれを楽しめるようになった。 宇都宮行きの湘南新宿ライン内にて。



倫理ペン@pen04142026年5月19日読み終わったデビュー作 正直な感想としては『アメリカかぶれのカッコ付け僕ちゃんの夏休み』ってところ 軽っ!薄っ!小説でもアメリカにかぶれて飲酒運転連発 そして村上春樹の性癖である『乳房・ペニス』の記載をデビュー作からしていた 芥川賞をとれなかったのは当然といえば当然 長編からの春樹ファンは本作を読んでいる? 海外で(なぜか)火がついちゃったから幸運だったが 一歩間違ってたら全くウケない作家だったかも
ポーチドエッグ@JunkLayla2026年5月17日読み終わった@ 電車完璧な文章など存在しない。 少し長い移動時間、数時間で読めてしまうので彼の文体のリズム感がいかに素晴らしいか思い知らされる。 暑い日は冷たいビールが飲みたくなる小説第1位。


ぬーろん@sousounds2026年5月16日読み終わった一行目がとても有名だけど、他の人が書いてて書くのやめました、はい。 では逆に終わりの一行を、 「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。 僕たちはそんな風に生きている。」
沙南@tera_372026年5月10日読み終わった「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 タイトルを目にした瞬間、風が通りすぎた気がした。ちょうど読まなきゃ、と思っていたところだったし。はじめての村上春樹。 遠回りするような文章だった。気づけば知らない道に入り込んでいて、慌てて引き返したり、立ち止まってもう一度読み返したり。一文ごとに、読む、というより歩かされている不思議な感覚がある。たとえば、他人の家で目覚めると「別の体に別の魂を詰め込まれた感じ」がするってそれ、もはや別人やん。あ、自分じゃなくなったみたいってことか。ちょっとわかる。 そんなふうに、読んでいるあいだ小さな脳内会議が開かれっぱなしだった。てか裸で寝てる間に指で身長測られるの、すごく嫌だなあ。うまく説明できないけれど、なんか嫌。顔を観察されるくらいなら、まだ許せるかも。そういうちょっとした違和感が、「僕」が女の子に「嫌な奴」って書かれる理由じゃないかな。 登場人物全員が、他者にも世界にも必要以上に干渉しないのがいいと思った。だから会話も、「なぜ?」「さあね。忘れた」「そう」で終わる。知りたいから尋ねる。けれどその人が忘れた、と言ったならそこで追わない。絶対忘れてなんかないのにね。追及したところで、他者の内面は見えないままだし、世界は結局、そこに見えているままだし。この諦念にも似た静けさが、物語全体に独特の凪いだ空気をつくっている。さみしさと、微かなあたたかさが同時に漂う、そんな空気。私にとって会話は、交わる部分を共に探し、くっついたり離れたりするものだと思っていたけれど、村上春樹の世界では、会話は並走するものだった。その距離を心地よいと感じられるかどうかで、彼の作品を好きになれるかが決まる気がした。 鼠はどことなく、大学時代の友人を思い出す。干渉してこないくせに、人がいないと寂しがる。自論を長々と語り出す。面倒くさいけれど、酔うと特に面倒くさい、面白い奴だったなあ。今年も夏に会うのがたのしみ。私が夏をわりと好きなのは、奴に少し起因している感じがしていつも悔しい。 そういえば、この小説はなんとなく公園で読んでみた。外が合うと思った。そうしていると、左の手の甲と右の頬を蚊に刺された。いっちょ前に夏。東京の自然はぜんぶ嘘っぱちだなあと思っていたけれど、思いのほか悪くなかった。ビル風とはまだ仲良くできそうにないけどね〜。




- ごうき@IAMGK2026年5月1日読み終わった「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。 僕たちはそんな風にして生きている。」 とんでもないものを読んでしまった、と思った。 私は今、とある詩人の影響で、フォルマリズムとロマンチシズムというものについて考えている。堀辰雄の『風立ちぬ』が大好きな(おそらく)ロマンチストの私にとって、反叙情を掲げ詩を紡いでゆく彼の影響は大きいのだ。 本作は、そんな私が初めて読んだ村上春樹の作品である。彼の作品は屡々雰囲気小説だと揶揄されるが、少なくとも本作は極めてフォルマリズムに則ったものであるように思う。雰囲気小説と言われるのはおそらく、なんの脈絡のない接続詞であったり斜に構えた態度であったりストーリーの展開のせいだろうが、その実文章は極めて現実的であり、感傷の欠片もない。作者は然るべき展開を然るべき位置に拵え、しかもそれを無意識的にしているような感じがする。それが本作の最も優れた点だ。 けれども、比喩はとても詩的だ。「それは見た人の心の中の最もデリケートな部分にまで突き通ってしまいそうな美しさだった」という部分、なんて比喩だ。 人生の無為から生きる動機を見出すのがロマンチストの所業なのならば、人生の無為を静観し、ただ在るという態度をとることこそ、フォルマリストの成す所業であろう。本作は意図的に無為なものを描写しているように感じる。また、「鼠」というロマンチスト(おそらく鼠はフォルマリストである主人公の奥底に僅かに残留するロマンチシズム的存在なのだろう)を無為に対するアンチテーゼとして置くことで、徹底的に無為を読者に突きつけているように思える。 読んでいる途中の思索があまりにも多く、メモしながら読み進め、しかもそれを忘れないうちに書き留めておきたかったので、なかなか支離滅裂な感想となってしまった。 後日、本作に関する論文を読むつもりなので、それを読んだら、もう一度整理してみる。 翌日の私より、P.S. 「『自分と自分をとりまく事物との距離を確認する』行為がなぜ必要なのだろうか。『ものさし』はその距離を介して現実へのコミットメントを取り戻そうとするための手段なのではないか。」 「注目すべきことは、この個がそれによっていつもある一般性(普遍性)を象徴することである。たとえば、特殊な個々の松を描くことによって、逆に「松」という普遍を描き出す、あるいは描きうるという信念こそが、リアリズムなのである。」 ふむふむ、なるほど…。柄谷行人と小林秀雄を読まねば。そして、道具化しなければ。 あと、前々から思っていたんだけど、こういう批評家や文学研究者の指摘を、作者自身は自覚しているのだろうか?作者自身も気がついていないような内面的な要素を指摘しているように見える…。もし作者自身もそれに気づいていて小説を設計しているのならば、なんとも恐ろしいことだ。


Hürrem@hurrem2026年4月25日買った読み終わった中古で村上春樹をまとめ買いしてしばらく読んでなかった。移動中のみで2日で読み終わるほどに薄く読みやすい。村上春樹のデビュー作。爽やかな青春作と言った感じなんだけど、やはりどこか暗くて重さを仄めかしている。私は好きでした。
藍@indigo20172026年4月9日読み終わった高校以来2度目。やっぱり中身じゃなくて言葉の外面だけがシルクのような水のような触感でするするとほどけていく 小説を読んだというより絵画を鑑賞した感覚に近い。なぜかと考えた。描写的だからではない。時間経過が存在するように感じられないからだ。



栞@shiorinna2026年4月7日買った読み終わったたぶん3回目の読了。 とある夏の日々で、内容もよくわからないのだれけど、なぜか安心できて落ち着く。 20歳になってこの本を初めて読んだ後、バーでギムレットを飲んでみたことを思い出した。 鼠が大学の友達に似ていて、いつものその人が思い浮かぶ。





ちょび@greenapple42026年4月7日読み終わった再読@ 自宅おっしゃれ~! 虚無感をブランド化し、粋に着こなす。 書き出しはホントカッコよ! また高度成長期の空気も感じるし、主人公「僕」や「鼠」は何に絶望しようとしているのか!? その絶望の中にもみずみずしい若さを感じる。 絶望したいのに、そのネタがないことに茫漠とした不安を抱えているのか!?









無限@Infinity_032026年4月4日読み終わった言語化するのが難しい気持ちになった。さらっと読めるのにどこか懐かしい気持ちにさせられる。景色とか匂いとかそういったものが浮かんでくるような作品だった。
寿司沢山@sushiumauma2026年3月28日読み終わった何を言いたいのか、何を言っているのか正直よくわからなかったけど、嫌いじゃなかった。(多分70年代の夏の情景を感じられたから) またゆっくり読み返してみたい
mm@miho-05252026年3月22日読み終わった村上春樹のデビュー作。 一番好きな本。 書き方もやりたい放題なところも好き。 あと佐々木マキさんの絵(表紙)好き。 以下は考察と感想と好きな文章がごちゃまぜになったメモ。 -------------- 鼠は、【僕】の中の一部なのかなと。 60年代を生きたときの僕。 地元に残してしまった、ハッキリとものを言う僕。 そこに踏みとどまってしまった。 様々な変化を受け入れられない。 自分の弱さは知っている。 それでも大事なものを無くしたくない。 ー本当にそう信じてる? ー嘘だと言ってくれないか 僕(鼠)は 自己療養のための試みとして(自分のために) 小説を書いている。 Happy birthday and white christmas 僕や鼠は本当はとても傷ついているから 恋人の死に正面からぶつかるだけの経験もタフさも器用さもなかった。 なにかが生まれて何かが死んで なにかを決意したりそれを諦めたり 悪い風が吹いたらいい風も吹く ------ あらゆるものは通り過ぎる だれもそれを捉えられない ぼくたちはそんな風にして生きている ------ そんな全部ひっくるめて 全部全部全部ひっくるめて 【僕は・君たちが・好きだ】

紫香楽@sgrk2026年3月18日読み終わった初村上春樹氏。 自分には全然なにもどこも合わなかった。 冒頭の一文や「あなたのレーゾン・デートゥル」のような聞いたことのある文が出てきて「これが!」となったのは面白かった。 もう何作か読んでみるつもり。
小石川@mkgaogao2026年3月15日読み終わった@ 自宅26/09 鼠が女の子に会ってほしいと頼んだあとに、僕がクローゼットの中からいちばん「まとも」な服装を選んで車で街をまわるパートがあって、そこに「川口近くで車を降りて川で足を冷や」すシーンがある。これと、それに続く街についての話を読むたび、数年前に神戸の塩谷と夙川に行ったときのことを思い出す。 何もかも全て嫌になってきていた時期で、そんななかとある友人に神戸にいるからと誘われて行ったのだ。ヤナーチェクのシンフォニエッタを聴いたり、朝早くに瀬戸内海の穏やかな海辺を散歩したり、本棚を見せてもらったり、実に不思議で素敵な体験をいくつもしたのだが、そのときに夙川河川敷を川口まで歩いた。その川口のことをこの話を読むたびにいつも思い出す。 自分はとても気の利いたことなど言えるようなまともな状態ではなく、友だちだというのも憚られるような人だったように思い出されるのだけど、あくまでも自分側からこの思い出を振り返ると、あの時のことはこれから先もずっと、この小説と一緒に覚えているだろうなと思うくらいとても救われたし、とても素敵な思い出だ。 余談だけれどそのとき、この小説に出てくる猿の檻がある公園のモデルらしき場所にも行った。残念ながら猿はおらず、遊具に二人で腰掛けて取り止めもない話をした記憶がある。 こういうことがこれから先もあればいいなと思うけれど、そう思っていればやってくるものでもないなとも思う。 その友人は今も元気そうで、ときどき絵を描いて過ごしている。 村上春樹の小説を読むと、孤独になんとか立ち向かい、自分の信じるものを貫き通すための緩やかな活力を見出すことができるところが、16歳のときに初めて読んでから33歳になった今でも変わらず好きだ。 隣で温かい猫が寝ている時に読み終えた。




ロトひろろ@AI_authored_us2026年3月3日読み終わった語り手の偏りを表現しているのかな? 続けて2回目を読んでみた。 OFF、ケネディー、不毛、風、夢、指、ものさし、猿、などの単語が違った文脈でたびたび登場したりする。 これは語り手の思考の癖みたいなものを表現しているのかなと思ったりしたが詳しいことはわからない。 この小説は時間軸がちょこちょこ変わるので、2回目をすぐに読み直してみるとかなり頭に入ってきやすかった!
ロトひろろ@AI_authored_us2026年3月2日読み終わった読み終わりはしたが、果たして一回読んだだけで、しかも鼠三部作の一作だけを読んで「読み終わった」と言って良いのだろうか? 続けてもう一回読んでみる。
- トム@lightingman2026年2月19日読み終わった雰囲気が好き。 California Girls聴きながら読むと最高。 まだ理解はできなかったけど、読み終わった後に不思議と心地良さがあった。

ここ@kawahonto2026年2月13日読み終わったハンバーガーを食べて血糖値上がった酩酊状態でばーっと読んだのが丁度良かった。アメリカすぎる。研究に没頭するのも青春だし、呑んだくれて遊び呆けるのも青春というわけだ。 「みんな何処かに行っちまうんだよ。学校へ帰ったり、職場に戻ったりさ。あんただってそうだろ?」(p.110)



幽霊@kikichacha2026年1月23日読み終わった初期の作品群が俗に「鼠三部作」と呼ばれていることを知らずに、先に1973年のピンボールを読んでしまった。 そちらでは各視点で物語が進んでいくので、今作で2人がジェイズ・バーで会話している描写には感慨深いものがあった。これはこれで良い読書体験かも。 達観と諦念の狭間を揺蕩っている僕と、世界と自分の噛み合わなさに藻掻いている鼠。全体的に仄暗く、諸行無常といった印象でした。 ホットケーキにコーラをかけて食べてみたい気もする。
つつつ@capyandtsubasa2026年1月13日読み終わった架空の人物であるデレク・ハートフィールドを、あとがきでも実在の人物のように書いているのはちょっとやり過ぎな感じがあるなぁ。物語の中だけで閉じてて欲しかったというか…


どうどう@toutoutoudo2026年1月12日読み終わったこんなに章分けしていいんだ、こんなすぐに改行していいんだと衝撃。ダンスダンスダンスで出てきた鼠さんがいて、いた!となった。私が読んだことある作品は物語として滑らかに繋がったお話が多かったけど、これは、はい!はい!はい!とパズルを渡されて自分で組み立ててみてくださいという印象だった。



アネモネ@anemone2025年12月22日読み終わった一九七〇年の夏、海辺の街に帰省した〈僕〉は、友人の〈鼠〉とビールを飲み、退屈な時を送る。村上春樹のデビュー作。 とにかく文体がお洒落。村上春樹の作品がここから始まったと思うと、実に感慨深い。 実は高校生で初読した時は、あまりピンと来なかったのだけど、今読むと心に染みるし、ほろ苦い。高校の時の国語の先生(教師になって一年目の女性だった)が好きな小説として、この作品を挙げてたことも思い出した。 作品中に港町の匂いと1970年代の雰囲気が漂っている。目を閉じたら情景を思い浮かべることができそうだ。素敵な作品を読めて、幸せな気分になった。






熊田ぽよ美@poyopoyokumasan2025年12月9日読み終わったキモさ抑え気味ハルキ。読み切れたハルキ。天気悪い日に読んだら頭痛エグすぎたハルキ。現実で主人公に相対したら、ブチ切れる自信しかない。


ほせ@coffee_dog2025年12月7日読み終わった村上春樹のデビュー作と聞いて借りてみた本。だいぶ余白の多い作品だと思った。短い話だからか多くは語らず、こちら側に想像させるような場面が多かった。 好きだなと感じた場面もあれば、まだ理解するには人生の経験が足りないなと感じた場面もあったけど、今はこれで良い気がした。 一番好きなシーンはラジオで病気の子からの手紙を紹介する所。どこをどう好きと言うのが難しいけど、ラジオパーソナリティの人柄とか病気の女の子を含め今を頑張って生きている人の心がふっと浮くような台詞の全てが好きだと思った。 読む時々によって感じ方の変わる本だと思ったので、定期的に読み返したい。


ゆう@yu_322025年11月24日読み終わった再読何度も読み返す大好きな小説の一つ。 (村上春樹さんの初期三部作、大好きでいつもセットで読み返す。) 去りゆく夏の哀愁をビターに、ドライに書いている。 1970年の夏。 物語の舞台からもう55年経っているのか。 確かに今の世の中と、物語の中の世界は随分肌触りが違うけど、何かが終わりゆくときに人が感じる気配というものはあまり変わらないのかもしれない。 軽い筆致で書かれている短い小説なので、さらっと読めるところもいい。 その軽さが絶妙で、時代の空気感が伝わってくる。 佐々木マキさんの表紙の絵もまたいいんだよなぁ。








tico@mi032025年11月14日読み終わったかつて読んだ小中学生の頃、理解できないのになぜか村上春樹の書く物が好きで アフターダークまでの作品はほとんど全て図書館などで読んでしまっていたと思う 理解できていなかったからなのか、話の内容はあまり憶えていなかったけど、章の冒頭などに現れる、はっとするようなフレーズを幾つも憶えていて自分でも驚いた 久しぶりに村上春樹作品を読んで、どこから来たのかわからないけど、自分の中にずっとある言葉は、ここにあったんだと感じた


さくら@saku_kamo_ne2025年10月31日読み終わった「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」p.7 初の村上春樹。夏の匂いと切なさ、時間の流れ、小説にしか描けないものを堪能した気がする。他の作品も読みたい。<読了>





sun@book32025年10月30日買った羊をめぐる冒険→ダンスダンスダンスの順で読み直そうと本屋に行ったら 風の歌を聴け→1973年のピンボール→羊をめぐる冒険→ダンスダンスダンスの順だそうで全部買うかとなった。 ダンスダンスダンスはまた今度。



- 本の虫になりたいひと@reaaaads38692025年10月24日読み終わったかつて読んだ高校生の時に初めて読んだ。今日、久しぶりに読み、1時間程度ぶっ通しで読み続け、今感想を書いている。 読者に想像させて勝手に感動させるのが上手い。村上春樹自身はそんなつもりで書いたわけでは無いのかもしれないが、勝手に心動かされたシーンがあった。 やはり、好きな作家である。





おと@parklife2025年8月22日この作品に出てくる誰とも仲良くなれないだろうなと読む度に思う。 「もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ」とデビュー作で書くのはすごい。作家としての精神力を感じた。 「嫌なことは大抵真夜中に思いつく」これもその通り。夜はきちんと寝るようにします。

プカオ@panshg_01182025年8月7日読み終わった感想登場人物達の会話のテンポが心地良く、特に主人公と鼠の何気ない話題で各々が持つ考えをビールを飲みながら話す場面はとても好きだ。自分自身も友達とそんな会話をしている時が一番楽しいと感じるし、その為に酒を飲んでる節もある。ビールを飲んだ後普通に車を運転しているのも、1970年という時代を表しているようで気に入っている。こういった青春時代を語る話は映画でも小説でも一作で完結してしまう物が多いイメージだったので、続きがあることに驚き、早く次作の『1973年のピンボール』を読みたいと思う。

混沌@kon_10n2025年6月19日読み終わった「あらゆるものは通りすぎる。誰もそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。」 夏に読めたこと、嬉しい。すごく、すごく好きだった。大切にする。




星埜まひろ@hoshi_mahi2025年3月19日読み終わった高校生以来の村上春樹デビュー作。昔は読者として読んでたけど、書き手として読んでみると、小説を書くことに対してのアグレッシブさを感じた。斬新である。村上春樹の小説は冒頭がいつも美しくて良いし、今回はラスト1文に勇気を感じた。内容を好きになるというよりは、文体に感動する1冊。
ゆん@yk505252025年3月17日読み始めた読み終わった@ 電車とうとう手を出しました! たのしみ。 …なのに、イヤホンを家に忘れるという痛恨のミス。 2025/3/18 読了 2日で読み終わってしまった。独特すぎてまだ腹落ちしてない感じ。いろいろ読んでみよう。



空気@lumemolle2023年3月3日かつて読んだ「15年かけて僕は実にいろいろなものを放り出してきた。まるでエンジンの故障した飛行機が重量を減らすために荷物を放り出し、座席を放り出し、そして最後にはあわれなスチュワードを放り出すように、15年の間僕はあらゆるものを放り出し、そのかわりにほとんど何も身につけなかった。」p11 「僕たちは近くの自動販売機で缶ビールを半ダースばかり買って海まで歩き、砂浜に寝ころんでそれを全部飲んでしまうと海を眺めた。素晴らしく良い天気だった。」p20
星埜まひろ@hoshi_mahi2017年10月21日かつて読んだ8年前に読んだ。当時の感想。 読むまではデビュー作だとは知らなかった。デビュー作から村上春樹節が全開だった。なんとなく意味の無いような現実の話が淡々と続いていくイメージ。好きでもないし特に嫌いでもない作品。ただ、作中に出てくる本やレコードは実際に自分の目で確かめてみたくなったのでやっぱり魅力的な文章なんだろうな。

















































































































































































