アウステルリッツ(新装版)
50件の記録
本屋lighthouse@books-lighthouse2026年7月4日読み終わった断片的とも言える過去がアウステルリッツによってとめどなく語られるが、全編とおして段落がほぼないため読み手=聞き手はその語りを自らの意思で中断することが難しい。私はずっと、アウステルリッツの話を、アウステルリッツのリズムで聴いていた。「とアウステルリッツは語った」というフレーズが何度も挿入され、そのたびに息がつけるかと思いきや、深く吸いこんだ息を吐き出さずにとどめておくのは苦しいように、気づくとまた続きを追い始め、やめどきを忘れてしまう。いや、とめてはならないという切迫したなにかをも感じていたかもしれない。アウステルリッツの語る過去、その光景も心象も私は理解できないことばかりで、だからこそ「この話を聴きつづけなくてはならない」と思ったのか。ユマニチュードを実践するスタッフが、相手の視界に入り、顔を近づけ、ゆっくりと話しかけつづけるように、私はアウステルリッツの視界に入ろうとして、まなざしをとらえ、かれの話を聴いていた。そうであったらいいなと思った。

本屋lighthouse@books-lighthouse2026年7月4日読んでるしばしのち、七時十三分発の列車の発車間際に客車の通路側の窓から外をのぞいたとき、疑いようもない、プラットホームに架かるガラスと鉄骨の屋根の、三角形や半円や水平線や垂直線や、対角線で組み合わされたその模様を、自分は前にもいちど、同じ仄明かりの中で見たことがある、と卒然として確信したのです。(p.210) 『急に具合が悪くなる』についてなにか書こうと思いつつ、どこか軸になるものが見当たっていない気がして手がつけられず、代わりにアウステルリッツの話を聞きつづけている。アウステルリッツの「思い出す」は我々もみな体験したことのあるもののはずで、つまり認知症の人の生きる点線の世界を、健常者と己を自認する者も生きている。思い出すという行為は常に点線的で、思い出してからそれを「実線」にするのかしないのかの違いなのかもしれない。認知症の人は実線にしようとする。そうはせずに点線のまま放置しておくと「健常者」とみなされる。そうであるならば、「狂っている」のはどちらなのかという問いがあらためて浮上してくる。

本屋lighthouse@books-lighthouse2026年7月2日読んでる書店員オープンチャットで共有される転売屋からの横暴やクレームの数々に疲弊してしまう。しかし私のお店には昨日今日とほとんど人が来ていない。と書いた途端、私のライフがゼロになった。急に具合が悪くなる。そう、『急に具合が悪くなる』の感想文を書きたいのだけど、元気が出ない。少し奥の部屋で倒れて、景気づけに『アウステルリッツ』をひらく。 現行の法規にほんのちょっと違反しただけで、裁判で自己弁護の時間を九十秒与えられたあと死刑の判決を受け、そして法廷のすぐ脇の処刑室でただちに首をくくられることもあった。(p.168) 昨日、転売屋が書店に殺到したあとの、もはや「残骸」と言ってもよいような荒らされ具合の本棚が写真の形をして目の前に現れた。私はそれを「写真の形をしたもの」ととらえることでどうにかなにかを保ったのだけど、あの残骸は明確に、ひとがいかにして簡単に一線を踏み越えるのか、たとえば虐殺にいたるのかを示しているように思えた。昨日、書店に殺到したのは、そこを一歩出れば善良な人と称されてもおかしくない人たちだったはずだ。



本屋lighthouse@books-lighthouse2026年7月1日読んでるナツコミ特典にむらがる転売について急ピッチで記事を書き、投稿し、疲弊し、そのうえまったく来客の気配がなく、夕方。なんもやる気が起きず、本を読むことすら怠く、むりやりひらいて読み進めようとしたところ、 ジェラルドははてしなく長い授業時間をほとんど鳥類の分類についやしていたといって、それをこまごまと話して聞かせるのでした。分類のさい重視したのは鳥の飛行特性で、ジェラルドの言うには、とアウステルリッツは語った、この分類法をどんなふうに変えても、鳩はかならず上位にくる、それは速度と飛行距離の点においてばかりでなく、鳩が生き物の中でも傑出した方向感覚をもっているからだというのでした。(p.110) と1文目からあり、少し元気になる。ハト、すき。∈(゚◎゚)∋






本屋lighthouse@books-lighthouse2026年7月1日読んでる認知症が進んでいる私の祖母にも、映画『急に具合が悪くなる』で言及されていた「点線の時間」が、あるいはそれに似たなにか別の時間が流れているはずで、しかし祖母が自らの過去を語り直すことはもうないのかもしれない、ないだろうな、と思いながら、アウステルリッツがはじめは点線のように、しかし徐々になだらかな線をなしていくように思い出すかれの過去をひたすら読んでいた。閉店。


本屋lighthouse@books-lighthouse2026年6月30日読んでるいま思い返すと、とアウステルリッツは語った、あのふたりは、自分たちの心の冷たさによってゆっくり死んでいったのかもしれないという気がします。グェンドリンがなんの病気に蝕まれていたかは知りません、おそらく本人も知らなかったでしょう。いずれにせよ、病気に対してなすすべのなかった彼女のただひとつの奇体な欲求は、安物のタルカムパウダーのような粉を日に何度となく、おそらく夜もだったと思いますが、全身にはたくことでした。(p.60) 状況はまったく違えど、思い出されたのは『薬屋のひとりごと』だった。今朝は『ダンシングイズワールド』のアニメを観てうれしくなり、その居心地のなかでイオンモールを練り歩き、いまはサンマルクで映画までの時間潰しをしている。
本屋lighthouse@books-lighthouse2026年6月29日読み始めた多和田葉子の次にこれに行き着くのは必然か。アウステルリッツが「私」に対して使う言語を英語に切り替えてからの態度の変化は、多和田が『白鶴亮翅』で描いていたオリオンという歯医者の造形に引き継がれている気がする。オリオンは英語で話すときは機嫌がよく見え、ドイツ語で話すときは機嫌が悪く見える、そういう描写がされていた記憶がある。









mkt@mkthnsk2025年8月2日読み終わった途中で止まってた時期も挟みつつ、ユルユル読了。(解説はまだ) 久しぶりに読み始めてもすーっといつのまにか本の世界に入ってて、夢の中のようなぼんやりした心地で読んでた。(寝る前に読んでたからかな) どこか遠いところのような、でも本当のことだ、と感じていたように思う。 今、帯を読んだら"翻訳された時のみ前面にでてくるということもあり得るのではないか"という言葉があって、先日読み終わった本(「パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち」)に書いてあった"対話者を取り替える""テクストを亡命させる""国境線の引き直し"あたりの話をを思い出させた。 2025/08/03 多和田葉子さんの解説と訳者あとがきも読んだ。 何重かに重なる語りによる距離のことを書いてあって(ドイツ語文法によるのかな?)、なるほどその距離感が私にとってちょうど良いと感じたのかも、と思う。 "進歩の風に逆らって顔を過去に向け、うずたかく積もった廃墟に目を凝らすベンヤミンの歴史の天使のように。" ここを読んで、どこかでクレーの天使やヴェンダースのベルリン天使の詩について書いてあった気がするなということを思い出した。どこでだろ。





辻井凌@nega9_clecle2025年4月26日感想語り手とアウステルリッツ、2人の一人称「私」を登場させ入れ子の構成にすることで、あえて読むスピードを落とそうとしている。スピードが遅くなることで、情景や語られる歴史の断片に引っかかりが生まれる。チェコというドイツではない国からナチスを見ることで残酷さが余計に際立つ。 https://note.com/nega9clecle/n/nfe566283016d





























