ガラスと雪のように言葉が溶ける-在日韓国人三世とルーマニア人の往復書簡

66件の記録
- さーちゃん@cong_mei2025年8月16日読み始めた本屋さんで見つけて購入。 p2 はじめに(尹さん) 「言葉と私とが癒着する時、無自覚に振るう暴力をそれとして気づけなくなるという予感は、この時代に至ってさほど誤ってはいなかったように思う。」 在日韓国人三世の尹さんは、日本語が母国ではあったけれど、それに慣れてしまわないように努めていたという。 「すらすらと話してしまえば、きっと何もかもを当たり前や普通に塗り込めてしまうのではないか。そんな怖れが日本語に馴れ馴れしくする態度を戒めた。」 今まで学んだり触れてきたりした言語は私にとって"ザ・外国語"なわけで、「言葉と私とが癒着する」感覚は容易には掴めない。 でもそれが時として「無自覚な暴力」になるというのは、なんとなく想像できる。当たり前だからこその他人を顧みない傲慢な態度。 ただ今まで話す言葉には気をつけていたけれど、日本語を話すこと自体が相手を傷つけることもあるということには思い至っていなかった。 無自覚であるということには自覚的でいたいけれど、じゃあすでに癒着している私のような人はどう在ればよいのか?この本を読みながら考えてみたい。
- ヒナタ@hinata6251412025年8月14日読み終わったこの数週間、自分の体に染み込ませるようにこの本を何度も開いて読んでいた。 日本で暮らすルーマニア人のイリナ・グリゴレさんと、在日韓国人三世である尹雄大さん、日本語によるおふたりの往復書簡。往復書簡、好きなんですよね。 おふたりのそれぞれの状況と日本語との距離、などを想像しながら、自分がいかに無自覚に日本語を使っているか、ということを考えながら最初の方は読んでたのだけど、読み進めるうちにそもそも文字に頼りすぎな自分自身に気付かされる。 文字を読む=情報を得る、ということはなんとなく良いことのように思っているフシがずっと自分の中にある。SNSを読み、新聞記事を読み、小説を読み、商品パッケージの裏の情報までも読む。読むことが好きだから、ということはあるけど、あらためて考えると偏りすぎだなぁと思う。 ちょうど帰省をしていることもあって、少しのんびりしてSNSから離れ、窓の外の雨の音を聞き、海や空を眺める時間がいくらかあったのがよかった。また東京に戻れば生活はあっという間に文字に飲み込まれてしまうだろうか。 沈黙して感じ取りたい。それを言語化するときは横着せずに言葉を探し続けたい。
- ミキ@miki___632025年8月14日読み終わったイリナさんの文章も、尹さんの文章も。はじめての読み心地だった。掴めそうで掴みきれない、でも確かにそこに存在がある感じといえばいいのか。読めてよかった。私はずっと自分がわかりやすいものばかりを選んで摂取してきたのだと改めて思った。 手紙のやり取りの中で触れられていた、中村佑子さんのマザリングは本棚にあるのでもう一度読みたい。ハンガンさんの菜食主義者も。 […]人種、出身国、先祖の国、言語、学歴、性別などなど、世界の見方が違っていても、お互いから勉強することはある。自分と違う他者がとの世にいて、その他者の原風景について知り、調べることが世界を変える道への一歩だ。そう読者に伝わることを願っている。p.190 (おわりに イリナ•グリゴレ)
- ON READING@onreading2025年8月13日読み終わった自分の子供と異国の言語で話す文化人類学者のイリナ・グリゴレと、自国の言葉を話せないライター、尹雄大が、自らルーツと言語、そして言葉で表現できないアイデンティティと身体感覚について語り合った往復書簡集。 読み始めてすぐ、これはゆっくり読む本だ…と思い、毎晩少しずつ、ちびちび大事に読みました。 相手の名を呼びながら、互いのいる土地に想いを馳せながら。 ずれたままで、むやみに同調をすることなく。こんな風に、誰かと対話をすることができたなら。 暴力、身体、異国、移民、植民地主義、言葉、祖母、母、父、子ども、武術、病、痛み、食べること、ルサンチマン、国家。 イリナさんの「言葉」や「身体」に対する鋭敏な感覚、尹さんの自身のルーツと家族に対する想い。 かねてから、ひとりで文章を書くことと、誰かに宛てて文章を書くことの違いと可能性を感じられる「往復書簡」という枠組みがとても好きなのですが、これまでのおふたりの著作ともまた違う言葉のやりとりに、震えながら読みました。読んでいる私たちの、深いところまで届く対話です。ずっと読んでいたかった。
- 海老名絢@ebina_aya2025年8月3日読み終わった@ 自宅往復書簡のやり取りを重ねるうちに、互いが互いの思索を深めている。どちらかの考え方にまとめるのではなく。 言葉と身体、この世界でこの身体でこの言葉の中で生きていくことの重みを引き受ける。
- ミキ@miki___632025年7月30日買った読み始めた@ 増田書店読んでいて、ハッとして、時々ヒリヒリする。悪い意味ではなく。大事に読みたい。 […]すらすらと話してしまえば、きっと何もかもを当たり前や普通に塗り込めてしまうのではないか。そんな怖れが日本語に馴れ馴れしくする態度を戒めた。/言葉と私とが癒着する時、無自覚に振るう暴力をそれとして気づけなくなるという予感は、この時代に至ってさほど誤ってはいなかったように思う。p.2
- あるる@aru_booklog2025年7月23日読み終わった往復書簡というフォーマットが好きです。個人的なやりとりをこっそり覗き見している気分になる。プライベート度合いが上がるからこそ合わない本も結構あるので、最初のやり取りを見ていけそうだったら買うことが多いです。尹さんの言葉と語り口が優しくて、こうやって優しく生き続けることの難しさも同時に感じました。イリナさんは他のエッセイも読もうかと思っていたんだけど、今の自分とはチューニングが合わない予感がしています。また5年後とかに読んでみようかな。アイデンティティと言語、移住と定住など思索のきっかけになりそうなやり取りが多かったです。
- さみ@futatabi2025年7月21日読み始めた@ サンブックス 浜田山誰かが手をとってここでない場所へ連れ出してくれそう、という感覚を読書ではじめて明確に味わっている。こういうことなんだ! 自分はまだ、もう少し遠くに行けるようだ。 「文字は世界を確定することにかまけるためにあるのではなく、人が生きていることと世界のズレを知るための手がかりとしてあるはずです。」