Θの散歩

26件の記録
𝚗𝚊𝚝@sapphicalien2025年11月14日読んでる@ 機械書房ベビーカーがあれば『カフカの日記』を持ち歩くのも苦ではないという記述がすでにおもしろすぎて苦しい!(わたしのカフカちゃんはずっと棚で眠っています)




どんつき団@dontsukidan2025年11月13日買った@ 機械書房機械書房にて購入しました。 著者の富田ララフネさんだけでなく版元である百万年書房の北尾修一さんも来店されると知り、この機会を逃す手はないと駆け付けました。 いざ入店すると最近、新作を発表されたばかりの本の著者がずらりと平台を囲む、眩いばかりの最先端の文学の光景。 本と本屋さんがなければ絶対にできない、しかもその日その場所でなければ絶対にできない体験。 新作、拝読いたします。
くまこ@iitenamoko2025年11月11日読み終わったそれで気づいたが、私は大江健三郎が小説に書くことはすべて本当のこととして受け取っているのだった。(p211) この小説に対して私も同じように思っていて、すべて本当に起こったことのようでもあり、すべて創作のようでもある。 日記と小説の違いって何だろう。書き手の意思でどちらにもなり得るのかもしれない。




本屋lighthouse@books-lighthouse2025年10月31日読み終わったゲラをもらってますたぶん『迂闊 in progress 『プルーストを読む生活』を読む生活』を先に読んでいたからこそ、この小説を(さらに)面白く読めたような気がする。さらに言うならば、刊行に向けて制作中の仲西森奈『ホームページ』のゲラを何度も読んでいたからこそ、とも言える。おそらくこの3つの作品につながりを見出せるのは現時点では私だけなのだけども、なんというか、まったくうまく言い表すことができないが、なにか視界がひらけた、というような感覚がある。本書の刊行が楽しみだし(11月中旬)、『迂闊〜』もたくさん読まれてほしいし、『ホームページ』もなんとか1月初めには刊行したい。元気になった。









本屋lighthouse@books-lighthouse2025年10月28日読んでるゲラをもらってます志津での勤務を終えて、次の用事まで時間があるので散歩をする。散歩してどこかで座って本を読むのはこの作中で主人公がずっとやっていることであり、私は主人公に同化するつもりで本を読んでみる。へんてこな遊具があり、かつだれもいない、つまり最高の公園があり、iPadをひらいてゲラを読む。ふと視界の端に動くものがあり、それは人影で、仕事中とも言えるがそうでもないとも言える様相の人が歩いていく、さらにその先に自転車で公園を横切るおそらくおばあちゃんがいて、なんとなくおばあちゃんを見ていたら私の視線を感じたのか公園と道路の境くらいのところで止まり、首をぐるりとまわしこちらを見ている。そんな気がするが50メートルは離れているので気のせいかもしれず、しかしおばあちゃんも同様に向こう岸の人間が自分を見ている気がするが気のせいかもしれず、とか思っていながらこちらを凝視しているのなら、それはコミュニケーションと言えるのか。作中の主人公はミトコンドリアが生命の細胞に棲みついた話をしている。私はその事実を知らなかったのでシンプルに驚いている。ひろこさんから駅のケンタッキーにいると連絡が入る。そういえば最近、ひろこさんの口から何度もケンタッキーという言葉を聞いていた気がする。









本屋lighthouse@books-lighthouse2025年10月27日読み始めたゲラをもらってますたくさんの本を読み、それが育児に影響を与えていくことについての小説。ということでどう考えても『迂闊〜』と共鳴するものがあるに違いなく、新刊のお知らせをくれた北尾さんのメールに即座に返信をしてゲラをもらった。やっと読み始められた。 本を読み、引用され、思い出された過去が綴られ、それらが現在の生活に織り込まれていくその様は、まさに『迂闊〜』であり『プルーストを読む生活』であり、その源泉にある『失われた時を求めて』でもあるように思える。























