すべての美しい馬
29件の記録
たけなか@takenaka2026年3月22日読み終わったいままで読んだ中で1番美しくて宝物みたいな本だった…!とにかく風景描写が美しい。読んでいると映画みたいに次々とイメージが浮かんでくる。前半は爽やかで風景に浸れてゆっくり味わいながら読んでたけど、後半はちょっと悲しくなってきた。越境も楽しみだな〜






DN/HP@DN_HP2026年3月16日素晴らしかった。とても美しかった。 主人公、ジョン・グレイディ・コールの、大切だと思えるものだけとともに、今ここでは無い、どこかにあるのかもわからない自らの「居場所」、納得できる生き方が出来る場所 ——それは「逆方向の不法入国者(モハード・レベルソ)」として国境を越えた先かもしれないし、愛する誰かの隣かもしれない—— を求め続ける人生は、喜びや楽しみの何倍もの困難や苦痛、悲しみに満ちているしやはり何処にいても「この世はままならない」けれど、だからこそその人生は美しく描き出されるのかもしれない。 ただ、わたしは彼の親友であり、共に旅をはじめ途中までその過酷な人生を共にするレイシー・ロリンズのように、飄々とした態度を装いながら、ときに世界に凹まされへこたれながらも、天然で世界の「真理」のようなものに肉薄したりもしつつ、あきらめることを選択することで旅立つ前の「日常」に戻りそこに留まるような生き方の方に共感していたりするのだった。だって、やっぱり、人はそんなに強くはいられないし、人生ってそういうもんじゃん、とか思いながら。 この物語では主人公はじめ登場人物の何人かは馬を愛している、というのは本当にそうだとは思うのだけど、その上でというかそれと同時にままならない世界のなかで唯一コントロール出来るもの(正当に所有しうる唯一の財産とも)としても捉えている。だから主人公は自分の馬は決して手放そうとはしないし、奪われればどんなことをしても取り戻そうとする(終盤はまさにそういう話だ)。馬の手綱を手放さないということは、つまりは自分の人生のコントロールを手放さないということの象徴でもある、のかもしれない。 一方で共に旅に出たレイシー・ロリンズは道半ばでその手綱を手放してしまう。その選択自体は間違っていないと思うし、それは彼なりの人生をコントロールするための、あるいは奪われないための方法だった、とも思いたいのだけれど、そんな彼に主人公はもう一度馬の手綱を、象徴としての人生のコントロールを握らせてくれるのだった。その行為、友情に感動したし、わたしも少し救われもした気もしていた。 少し前に読み終わっていたこの小説をバッグに入れて出かけた土曜日の午後、坂の上の公園の陽の当たるベンチに腰掛けて付箋を追いつつ、そんなことを改めて考えていたら、人生のコントロールを失いそうになった後、「日常」に戻り損ねそうになっているわたしにももう一度その手綱を握らせてくれようとしてくれた(とわたしは思っている)友人たちのことを思いはじめていた。しかし、それを確かに握った、とは言い切れないのが心苦しい。ありがとうと申し訳なさ。それでもそれが物語だとしたら、わたしは親友役には随分と役不足だろうけれど、その友人たちのことは大切に美しく語れる、語りたい。勝手にそんなことを思っていた。少し泣きたいとも思った。涙の前に汗と鼻水が流れてきた。歌でも歌うか。 と小説の中で出会った印象的なセリフを思い浮かべて、最近のお気に入りの歌を少し口ずさもうとしてみる。 🎶 EVISBEATS, Nagipan 《Taste of Life feat. Midique》 「かりに居心地悪い感じがしてるのになぜだかわからんとするな。するとそいつはいるべきでない場所にいるのにそれに気づいてないってことか?」 「いったい何の話だ?」 「わからん。何でもないよ。歌でも歌うか。」 こんな風に表面上のわからなさと同時に深いところでわかり合えているような会話が出来たとしたら、やっぱり歌でも歌うか、という気分にもなるのではないか。 素晴らしくて美しい小説を読んだことについて書こうとすれば、多少エモーショナルにもならざるを得ない。これは照れ隠し。










DN/HP@DN_HP2026年3月14日少し前に読み終わったこの小説をバッグに入れて出かけて、陽の当たる公園のベンチに腰掛けて付箋を追いつつ改めて色々と考えていたら少し泣きたい気持ちになった。流れてきたのは汗と鼻水だった。「歌でも歌うか。」と小説で出会った印象的なセリフを思い浮かべて、最近のお気に入りの歌を少し口ずさんでみた。 🎶 EVISBEATS, Nagipan 《Taste of Life feat. Midique》 「かりに居心地悪い感じがしてるのになぜだかわからんとするな。するとそいつはいるべきでない場所にいるのにそれに気づいてないってことか?」 「いったい何の話だ?」 「わからん。何でもないよ。歌でも歌うか。」 この会話もそうだけれど、主人公の親友、レイシー・ロリンズが最高だし彼の選択した生き方というかあきらめにも共感を覚えているのだ。










DN/HP@DN_HP2026年3月6日あとですね、この物語の主人公はじめ登場人物の何人かは馬を愛している、というのは本当にそうだと思うのだけど、その上でというかそれと同時にままならない世界のなかで唯一コントロール出来るものとして捉えているんですよね。だから「自分の馬」は決して手放そうとはしないし、奪われたらどんなことをしても取り戻そうとする(終盤はまさにそういう話だ)。つまりそれは自分の人生のコントロールを手放さないということでもある、のかもしれない

DN/HP@DN_HP2026年3月5日「彼は自分の全生涯の意味がこの一瞬に凝縮されたのをはっきり見てとりこの先自分がどこへいくのかまったくわからないことを悟った。彼は何か魂を持たない冷たいものがもうひとつの人格のように自分のなかへはいってくるのを感じその人格が悪意のある笑みを浮かべたように感じそいつがいつか出ていく保証はどこにもないと思った。」 黒原敏行さん訳のコーマック・マッカーシーは田口俊樹さん訳のボストン・テランに近い感じ、というかこの小説はテランの『音もなく少女は』に読み心地、読みごたえがかなり近いと思った。↑の文とか彼を彼女、あるいはその名前のイヴに変えたら、そんな文章が『音もなく少女は』にもあったような気もしてくる。



DN/HP@DN_HP2026年3月5日素晴らしかった。 主人公、ジョン・グレイディ・コールの、大切だと思えるものだけを手に、今ここでは無い、どこかにあるはずの自らの「居場所」、納得できる生き方を求め続ける人生は困難や苦痛に満ちているけれど、だからこそそれは美しく描くことが出来るのかもしれない。 ただ、わたしは彼の親友であり、途中までその旅を共にするレイシー・ロリンズのように、飄々と装い、ときに凹まされへこたれながらも、天然で世界の「真理」のようなものに肉薄したりしつつ、前向きにあきらめることで「日常」に帰りそこに留まるような生き方の方に惹かれていたりするのだった。 この小説を再読するなら、今度は彼の物語としても読んでみたいし、小説では物語られなかった彼の人生も改めて想像してみたい。『平原の町』は続編みたいだけど、彼はまたは登場するのだろうか。




DN/HP@DN_HP2026年3月2日死ぬってどういうことか考えることあるか? ああ。たまにな。おまえは? うん。たまにある。天国ってあると思うか? ああ。おまえはどうだ? わからん。うん。あるかもしれないな。地獄を信じないで天国だけ信じることはできると思うか? たぶん何でも信じたいものだけ信じりゃいいのさ。 ロリンズがうなずいた。死んだらどうなるかと考えるだろ、と彼はいった。そしたらもうきりがないな。





DN/HP@DN_HP2026年3月2日「かりに居心地悪い感じがしてるのになぜだかわからんとするな。するとそいつはいるべきでない場所にいるのにそれに気づいてないってことか? いったい何の話だ? わからん。何でもないよ。歌でも歌うか。」 この感じ、なんだかとても良かった。 「歌でも歌うか」と言われたらこんな歌を歌ってみて欲しい、と思ったのは、HOLY HIVEの「Story of my life」。ちょうどインスト盤の方流してたからというのもあるけれど。



なず@nzn_20002026年1月17日読み終わった再読。 16歳の子どもを相手に人生や運命についての何たるかを省略せずに大人が語り尽くそうとする。それを誠実な態度と取るか、子どもにとっては理不尽で耐えなければならない時間と受け取るか。 一文一文がとても長いのをあるがままに世界とそこで起きている出来事を描いていると捉えて、自分の中で句読点をつけながら読むスピードとリズムを形作っていける。読む人固有の時間である少年の人生を追いかけていける小説だ。

ゆべし太郎@skikzy2025年3月5日かつて読んだまた読みたい初読は4年前くらい。映画『像は静かに座っている』がこの小説をテーマにしているってことが読むきっかけになったのだけれど、魂にあかりを灯すような文章が多くて付箋だらけに。そろそろ再読したい。





















