フィンランドの高校生が学んでいる人生を変える教養
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海底@kaitei2026年5月28日読み終わったフィンランドでは「私たちは何者か、どうありたいか、私たちの最も深い価値は何か」を高校生同士で授業で頻繁に議論し合うそう。すごいわね〜 全体的に肯定的なムードで思考や想像力の飛翔を促すような教育が徹底されてる。日本の「こうあるべき」と特定の方向に人を導くタイプの教育指導とは毛色が全然違くて面白い。 授業の内容には哲学者や教育者の引用も多くて、 「無知でいると、自分が無知であることに気付けない」 「非宗教的に考えるには、宗教的な考え方について知ることも教養として必要。」がす〜ごく好き。 自分の嫌いなものに関する知識でさえたくさん持ってた方がいいんだな、とわくわくした。歴史上の間違いを戒めの意図で学ぶことに近いね。 「不明瞭であることに耐える。情報を単純に二元化せず、その複雑さや不可解さも受け入れる。」も良かった。 色んな方向から物事を見たとき、単純に善悪で分けられる事態ってほんと稀だよね。全ての事象に対してもっと多角的でありたいな〜。




隅田川@202506282026年1月3日読み終わった166頁「また、幸福は自己啓発的なものとも結びつく。『ハッピークラシー「幸せ」願望に支配される日常』(2022年)は、そうした傾向を批判する本である。ハッピークラシーは、ハッピー(幸福)とクラシー(支配)の複合語で、「幸せの追求はじつのところ、アメリカ文化の最も特徴的な輸出品かつ重要な政治的地平」「グローバル産業」と批判している。 それは、幸福であるための自己啓発や自己管理に向かわせ、幸福が新自由主義経済の構造的な問題から目を逸らさせる装置になると指摘する。 しかし、「人生観の知識」の中で、幸福や良い人生はハッピークラシーではない。幸福を批判的に検証する最近の流れの中で、フィンランドが7年間連続して世界幸福度ランキング1位であることは、やや皮肉でもある。 しかし、それは「人生観の知識」が示すように、幸福を道徳哲学とすること、良い人生や幸福は手段としての価値ではなく、それ自体の価値であると考えること、自分らしく良い人生を生きていける社会的な制度があること、その制度を提供するのは国家の責任であるという思想があること等が可能にしていることかもしれない」 54頁「道徳と倫理の違いはなんだろうか。語源的には、モラル(道徳)はラテン語、エシックス(倫理)はギリシャ語という違いがあるが、どちらも善悪や正しいこと・誤っていること等に関する価値判断や規範を指す言葉で、意味が近いこともある。社会はどうあるべきか、価値あるものは何か、どう生きるべきかなどの問いはどちらにも関わる。道徳は、より実際的なレベルでの規範だが、倫理は人の行動への干渉や、こうすべきというような指示はしないという違いはある。」
MDR@MDR20252025年6月28日中断中@ 自宅この本を読んでいると、フィンランドの教育ではなくて、日本の教育が確立された歴史とかバックグラウンドがありありとわかる。経団連のおじさまたちが都合の良い人材を輩出するようにできた社会が日本なんだなと思い、フィンランドは人が幸せに生きるにはどうするか、という趣旨で子供を育てている。 もう一回読み返したいが、今は一旦終了。

































































