地球にちりばめられて

42件の記録
- とーど@toutoutoudo2025年4月19日読み終わった星に仄めかされてを読みた〜いと思っていたら三部作らしく一作目のこちらから読むことに。 道筋が見えている小説は分かっていることが起こる楽しさがあるけど、これはどこへ連れてかれるのか全くわからないまま文章を読んでいた。不思議な文体だった。言葉が核となっているからだけど、全部の文体が一筋縄でいかない感じで数本の糸で編み込みされたミサンガみたいだった。編み込まれてる一本一本はわかりやすい言葉でできているし理解できるものなのに全体をみたら摩訶不思議な文体になっていてすご〜いとなった。 誰がどこで何をして何を考えいるのか理解できてストーリーは追えたけど私は何も理解してないのかもしれない。 星に仄めかされて、読むぞ〜い。
- 中根龍一郎@ryo_nakane2025年4月16日読み終わったかつて読んだ読み返した10年以上前、ロンドンでホテルのスタッフに「あなたは中国人?」と英語で聞かれた。いえ、日本人です、と答えると、彼は手元のノートパソコンを操作して、「日本人なら知ってる?」と言って画面を見せた。画面にはどこかの公園のような屋外の風景が映し出されていたが、私にはよくわからなかった。彼はヒントを出すように「サナア」と言った。それで、SANAAのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオンの画像だと思い当たった。SANAA! 知っています、と答えると、彼はうれしそうに笑って、自分は建築が好きなのだ、ということを、短く、私に理解できるくらいの英語で話した。 彼にとって私はSANAAの国の人だった。でも私は自分とSANAAが「同郷である」と意識したことは全然なかった。海外に行くと、そんなふうに他者の目を通して、自分の帰属を意識させられることがある。どこから来たのか。どこに属しているのか。その所属をどのように代表するのか。それはしばしば、いくつかの固有名詞との接点で問われることになる。トヨタとか、富士山とか、北斎とか。 俺はジョージと違って海の向こうの知らない国を批判する動機は全く持ち合わせていなかったし、エスキモーであることに誇りもロマンも感じていなかったが、逆に劣等感も持っていなかった。それがコペンハーゲンで暮らしているうちにだんだん民族という袋小路に追い詰められていった。 (『地球にちりばめられて』文庫版p.146) 多和田葉子はこういう外国のなかで異分子になってしまう人を描くのがうまい。外国で外国人としてだれかに見られ、見なされ、見分けられることについてまわる居心地の悪さ、自分が自分のある属性のなかに縮減され、還元されてしまうような所在なさを、『地球にちりばめられて』では、複数の人物を通じて描いてみせる。とりわけナヌークが印象的だった。 外国でだれかと話すとき、自分のナショナリティから自由であることはむずかしい。どこにも属さない自分でいることはむずかしい。母語の外に出ていった(多和田はその状態をエクソフォニーと呼ぶ)にもかかわらず、私たちは自分の出自とする国家へ、民族へ、集団へ逆戻りしていく自分を見つけ出す。でも一方で、それは、実はほかの人が見つけ出す自分、あなたはこうなのだね、と私たちを仕分けようとする力にみちびかれた自分にすぎない。だから他者によって見つけ出される自分が別のものであるとき、私たちは別のものになることができる。ナヌークが〈第二のアイデンティティ〉を、嘘や誤解によって身につけたように。 星野道夫はアラスカのシシュマレフ(今その村は温暖化の影響で海に沈みかけている)に滞在したとき、「エスキモーそっくり」と言われる外見で、たちまち現地に溶け込んだという。日本人とエスキモーは同じモンゴロイドだ。ナヌークはそうした言語以前、民族以前の、生物学的な近似性を手がかりに、自分のアイデンティティを複数化する。それは環太平洋文化圏に、私たちの祖先と、もはや私たちのものではない祖先がちらばっていった名残だ。 言語は隔てられている。民族も隔てられている。しかし言語でも民族でもないものがめぐり合わせによって奇妙に接続してしまうことがある。そこに現れる〈第二のアイデンティティ〉の起源は、言語や民族以前の、人類の行為の痕跡のようなものだ。残響のように消え切らない人類の行為の痕跡が、私たちを私たちでないもの、私たちではなかったかもしれないものへと連れていく。 ロンドンで「あなたは中国人?」と聞かれたときに、ええ、中国人です、と答えた自分を想像する。そのとき私はSANAAの国の人ではなくなっただろう。そのとき私は日本人がさらされる偏見をはなれ、中国人がさらされる偏見に迷い込んだだろう。そんなふうにして自分を見失い、見失うことによって見出すような試みのことを考える。その誤解は、ナショナルアイデンティティというものの〈頼りなさ〉によって成立している。頼りないものがそこにあり、頼りないものが揺らいでしまうからこそ、そのゆらぎをむしろ足がかりに自立するものがある。ゆらいでいる場所にしか立ち上がらないものがある。私はその不確かな足場のことが好きだ。 三部作の1冊目であるこの『地球にちりばめられて』は昔一度読んで、当時は続刊が出ていなかったので、そのまま離れてしまっていた。せっかく再読したので、『星に仄めかされて』も買った。読んでいきたい。
- ぴぐ@pgmn2025年3月27日読み終わった留学中に故郷が消滅してしまった女性が、自分と同じ母語を持つ人を探す物語。登場する独自の言語や方言がおもしろかったのはもちろん、自分が生まれ育った地方の方言に想いを馳せながら読んでいた。 私は祖母ほど方言を多用はしていないので、聞けば意味はわかるけど自分の口から出てくる語彙ではない言葉たちはかなりの量になる。このまま方言を失うのは惜しいなとぼんやり思った。
- Rika@ri_books_2025年3月15日読みたい最近はまとまった時間が取れず、読書がなかなか進まない。それでも読みたい本は日ごとに増え続ける。実際に本を読んでいる時間よりも、本のことを考えている時間の方が格段に長い気がする。それもまた読書の愉しみ、ということなのか。 そろそろ多和田作品が読みたくなってきた。
- ぴぐ@pgmn2025年3月7日読み始めた先月友人が遊びにきた際、これおもしろいよって貸してくれた本。今日からようやっと読む。たのしみ 昨夜、ヨンフォッセの「だれか、来る」を読了。戯曲を読むってはじめてだったな〜 Alone together 一人が 二人 ふむ。 今のところ読書検索で出てこないのでここにメモ書き
- のーとみ@notomi2025年3月6日読み終わった今更ながら読み始めました。すごく面白いのね。 読了。グローバルとは対極にありつつ、越境という概念も平気で飛び越えた先にあるものを見つける旅のキーは言語というのがカッコいいな。そして日本が滅亡してるのが、なんだかリアリティある。そして、こんなに言葉が気持ちいい小説というのも珍しい。 次巻「星に仄めかされて」読み始めました。
- あるる@aru_booklog2023年7月6日かつて読んだ言語とアイデンティティって絶対に切っても切り離せないと私は思っています。故郷の島国が消滅したHirukoと言語研究をするクヌートをつなぐ独自言語のパンスカ。母語とは何か、母語でつながる人とは誰になるのか。言語の旅を見ているようで面白かった。