

とーど
@toutoutoudo
- 2025年5月20日君の名前で僕を呼んでアンドレ・アシマン,高岡香読み終わった前に映画を見てから読みた〜いとなって買って積んで寝かせていた。発掘して読んだ。 君の名前で僕を読んでってタイトルがいい。 この記憶があるだけでこの先も生きていけると思える出来事がずっと欲しいな〜と思ってたけど、エリオにとってのそれがオリヴァーとの6週間だったのかな。違うな、その出来事に出会ってしまったばかりに後の出来事が全て手痛い苦しみとなってしまったのかもしれない。 男女だったら運命の出会いでハッピーエンドまで滑らかに進めた道が男同士ということで期限付きの美しい過去になってるのつらいよね。けどそれがカタルシスとなって美しい物語として消費しているこの現状はどうなんでしょうと悩み悩み。美しいと捉えないで悲劇として捉えないといけない。いや私が勝手に結ばれない二人に美しさを感じてるだけで、これは悲劇を描いてる?
- 2025年5月20日NHK心おどる あの人の本棚久住昌之,クリス智子,池澤春菜,角幡唯介,金原ひとみ,鈴木敏夫読み終わった池澤春菜さんの本棚が好き、あの納戸みたいな部屋が欲しい。本を語る人と本と生活を語る人がいた。 京極夏彦先生だけ本じゃなくて終始本棚の話をされていて笑った。本じゃなくて本棚をあんなに真剣に語れるのすごい。適当に詰めていっているから見習いたい。
- 2025年5月19日博士の長靴瀧羽麻子読み終わった学生のときによんだぱりぱりが好きだったな〜と本棚の前で思い出して手に取った。一つの家族の様子が何世代かにまたがって書かれている。 過不足ない文章で安定したクオリティの面白さが続く。過度じゃなし、不足もない。過剰な感動も無ければ読み途絶えるつまらなさもない。疲れ萎んでいる状態だったので、するすると読むことができた。おそうめんですね。 最初の話が好きすぎて、長靴の告白〜とか思ってたら、和也が浮気しだして笑った。 書かれてない空白に何があったのか想像できる文がちらばめられている話の時は自分がそのエピソードを埋める想像をするから自分もなにかしている気分になるな〜と思った。 博士は思ったより出てこなくて、最後にでてきてメモを渡して言った台詞が好きだった。メモは大切。忘れちゃうからね。
- 2025年5月19日
- 2025年5月13日ビオレタ寺地はるな読み終わったポプラ社の新人賞を受賞した作品と聞き読んだ。 2010年代を感じた。棺桶を売るお店という設定が良くてそれに絡めたエピソードが数個描かれるのかなと思っていたら主に主人公の思考が多くてあまり理解できないことと理解できることがあった。じたばたしているという表現があったけど、確かにめっちゃじたばたしてて面白い女だとなった。大きなオチがあるのかなと思ったらするするすると終わってしまって拍子抜け。文体はエンタメっぽいけど文芸よりのストーリーとして書かれてる?だったらエンタメの気持ちで読んでたからあまり考えてなくて読み取れなかったのかもしれない。あとさけるチーズ家族像なので暖か家族エピに普通ダメージ食らってしまった。
- 2025年5月9日あらゆることは今起こる柴崎友香読み終わった「百年と一日」がすごい好きで追ってる作家さんの本なので手にとった。 本を読んでて一ページ目を読んだ時に文章は理解できるのに書いてある出来事と感覚が全く理解できなくて読めなくなってしまうときがある。柴崎さんの本を読んだ時、感覚が分かりすぎて同じだ!となって感動した覚えがあって、著者の発達障害について書かれている本と知って何かわかるかなあと思って読んでみた。 なにもわからなかった。人が自分との対話を経て得た経験を読んでも私がそうだとかそうじゃないとかはわからなくて知識として吸収して一例として自己との対話の結論の参考にするしかない。 過去と現在と未来が同じ強度で並んでいる部分の話やわかるわからないの話が言語化できなかった自分の感覚が話されていて新たな発見。全然わからな〜いが突然わかった!となることがたくさんあった。
- 2025年5月9日星の牧場庄野英二読み終わったカシワイさんの絵が素敵だ〜となって手に取った一冊。 名作でした、この世には存在するけど読んでないだけのすごい作品があるのだと改めて思って、発行してくれてありがとうございますという感情。 大人になるにつれてなくしたやさしい世界が描かれていて、自分も持っていた世界を思い出した。 モミイチという戦争から帰ってきた男が主人公。はにかみやの無口なモミイチがツキスミという戦争中に離れ離れになった愛馬との話。 森の中で出会うジプシー達のエピソードひとつひとつが愉快で面白くて綺麗でわたあめに包まれているみたいな気分で呼んでいた。現実から森の中へ入っていっていく過程がグラデーションのように現実から幻想へ移行していくところが良き。あと森の中の風景の色遣いがすごい、美しすぎる。モミイチが見ている色がすんなりと入ってきて想像ができた。あと、フルートさんが作ったジャムが食べたくなった。食事シーンもいい。ミネラル。 紐解いていけば戦争の後遺症で幻を見てしまっていると解釈になる。モミイチが戦争中の体験が辛くて記憶をなくしたけど、そこで出会った楽しかったり美しい体験もあって、それを再構築して森の中に生み出した。頭の中にあってもそれが人を救っているならそれは現実です。でも、音楽はモミイチの頭に知識がなさそうだけど、出てきているからやっぱり本当にジプシー達はいるのかもしれない。 そいでラストシーンですよ、まって、泣きそうとなった。この小説に相応しすぎる。音楽に明るくないので曲全くわからん〜となったまま読み進めたけど、最後だけはなんか音が聞こえた。 タイムスリップして若かりし頃の自分にプレゼントしたい本選手権優勝です。
- 2025年5月7日棕櫚を燃やす野々井透読み終わった拡張された3行。3分で食べて無味。金閣寺より銀閣寺。ソフトクリームの上の金箔。金箔が多すぎたら陶酔。 私の家族はさけるチーズでこの家族はカマンベールチーズ。それは分かり合えない。
- 2025年4月29日葬儀を終えて〔新訳版〕アガサ・クリスティー,加賀山卓朗読み終わったポアロシリーズ読破計画の8冊目。海外小説を読む時あるある、「お前だれや 〜名前に馴染みないからおぼえられないよ〜」が今回も起こった。ポアロシリーズ読んでていつも思うのが外国人の名前に馴染みがないから紹介された人とその名前が覚えきれなくててできた人がわからずに折り返しを確認する作業が起こる。スーザンという名前をやっと覚えたと思ったら、ミセスバンクスと書かれてあれバンクスってスーザンの旦那だよなとか思ったらミセスだからスーザンのことかとわかって混乱混乱。 で、このバンクス夫妻ですよ、グレゴリーとスーザンですよ。(ここからネタバレあるよ)寡黙な薬剤師で周囲から評価低めなのにスーザンはなんでこんな男性と結婚したんだと評価低め。そこからグレゴリーはどんな人物なのか段々と情報が開示されていく。精神病院に入院していたこと、しかもその理由がカッとなって薬に細工をしてご婦人を殺めそうなったことからくる良心の呵責からノイローゼになって自ら入院という選択したということ。えまって小心者で繊細なのにプライド高くて自分を抑えきれないってこと…?ちょっと待ってくれ癖に刺さりすぎると思ってたらまた別のことがラストで語られる。 ここからは妄想を含んだ解釈になるけども、本来の彼はカッとなっても行動には起こさないで押さえ込む小心者で繊細でこの時代に理想とされる男性像としては生きられない人物だった。だけどスーザンと出会ったことで彼は一角の男性として生まれ変わらせようとグレゴリーの精神に干渉されてしまう。スーザンからの干渉という名の愛を受けた彼は自分を人から見下される存在ではないと思うようになり、精神の均等が取れなくなってしまって、リチャードを殺したのは自分だと思うようになる。 スーザンは本来のグレゴリーから自分の夫として相応しい人物に変えようとしていた。ちょっと待ってくれこの夫婦、癖に刺さりすぎる。 犯人の伏線として人物に二面性が与えられたのかなと思った。スーザンは商才溢れる魅力的な女性の他に夫を洗脳する一面。ロザムンドは見た目だけの頭の足りない女性の他に観察眼があり鋭さと客観的に物事を見れる一面。そして犯人がもつ二面性。 今回はポアロは忍び込みおじさんとなっててあまり行動などはしてなかった印象。ポアロがあっちこっちと移動したりするシーンが好きなのでちょっと残念だった。
- 2025年4月25日
- 2025年4月25日ガラスの街ポール・オースター,柴田元幸読み終わったブックオフ散策してたらガラスの街ってええタイトルやな…と思って手に取ったらポールオースターでした。天の啓示が来ている。 ワードサラダが好きで読むとおもろ〜となるんですが、ピータースティルスの語りが主にそれでひとりうお〜となりながら読んだ。選択を誤り続けた男が以前の自分を失ってラストに全てが書き終えた赤いノートだけが残る。本当の小説を書くことを得た代わりに人間を失ったことかと思った。 ラストの文のもドン・キホーテの話と呼応することがあるかと思うけど一回読んだだけじゃ理解できなかったので来年あたりにもっかい読もうと思う。 ミステリー小説の導入みたいだけど何が起こったのかだけを提示されてあとは書かないので考えてください方式。それを可能とさせるだけの文体が必要という学び。 ニューヨーク三部作の一つらしいので幽霊たちを買ってきた。読もうと思う。 まって、幽霊もガラスも透明じゃん。そういうこと?
- 2025年4月25日ハイパーたいくつ松田いりの読み終わった装丁が素敵で読みた〜いとなって読んだ。 熱で寝込んでいる時にみる夢、またはピンクの像。 岡本太郎みたいな文体や。クリスマスツリーにオーナメントじゃないものがぶら下がっている感じ、クイクッルワイパーとかフライ返しとか鹿の頭の剥製が飾られているクリスマスツリーみたいな文章だった。 頭から終わりまで大まかな事の経緯は実際に起こっていてそれを主人公の視点から見た際の混乱が比喩と比喩と比喩を重ねて書かれていてその混沌が文章の装飾のマッチして凄みのある話になっている印象だった。 手を引っ張られて最後のまで読みゴールテープを切った感じ。 あとしごおわ(仕事が終わっている=仕事できない)人間なので主人公の自責と逃げたさはめちゃ共感できた。
- 2025年4月19日地球にちりばめられて多和田葉子読み終わった星に仄めかされてを読みた〜いと思っていたら三部作らしく一作目のこちらから読むことに。 道筋が見えている小説は分かっていることが起こる楽しさがあるけど、これはどこへ連れてかれるのか全くわからないまま文章を読んでいた。不思議な文体だった。言葉が核となっているからだけど、全部の文体が一筋縄でいかない感じで数本の糸で編み込みされたミサンガみたいだった。編み込まれてる一本一本はわかりやすい言葉でできているし理解できるものなのに全体をみたら摩訶不思議な文体になっていてすご〜いとなった。 誰がどこで何をして何を考えいるのか理解できてストーリーは追えたけど私は何も理解してないのかもしれない。 星に仄めかされて、読むぞ〜い。
- 2025年4月7日言葉の守り人エンリケ・トラルバ,ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ,吉田栄人読みたい
- 2025年4月6日願わくば海の底で額賀澪読み終わった表紙とタイトルが素敵で読みた〜いとなっていた本。表紙、遺影写真を意識してるんかな。 東日本大震災の話だった。本ができる最大の祈りだった。 思い出すことはいなくなった人が存在できる唯一のことで、私が思い出さなくなっても私がその人の話を誰かにしていたら後世の人の記憶に人が存在をする。人物単体だけじゃなくて震災で亡くなった人という括りでもいいからいなくなった人を何度も思い出すことが弔いなのかもしれない。 もらったお菓子をその場で一口で食べることで示す好意。 あの悪癖が菅原晋也の人となりで迎える最後の伏線なのかなぁとかおもったけど、違うかもしれない。菅原晋也の視点から物語が進むことがなくて全て関わりがあった人からの視点だから本来の彼を読者は一生わからんし、これからも知り得ることはない。
- 2025年3月30日夜明けのはざま町田そのこ読み終わった夜明けが明けた後が死? 葬儀の仕事のお話だと思ってわくわくして読んだらなんだかズレを感じてしまって、シンプルいちごかと思っていたら生クリーム盛り盛りいちごパフェだった。葬儀の場においてドラマチックな死がピックアップされている構図と死がドラマチックに描かれてしまっているのが苦手なのかもしれない。 葬儀は死を書くためのモチーフなのか?劇的じゃなくても死は訪れるのに。 ドラマとしてみたらめちゃめちゃ面白かった。
- 2025年3月26日雲をつかむ死〔新訳版〕アガサ・クリスティー,田中一江読み終わったポアロシリーズ読破計画の7冊目。ミステリーって解釈とか考察とかから離れて読める。楽しい面白い!だけで読み進めたい気持ちだけがある。 今まで読んだアガサクリスティーの本の面白さレベルで読んだら中の中。 けど序盤の書き出しは一番好きだった。たまたま大金を手に入れた女性が憧れの地へ旅行へ行き、その帰りの飛行機で旅行へ行ったことを振り返る場面で今後の自分の人生を振り返る独白があるけど、全く見知らぬ感情じゃなくてどこかわかるのですごい部分だと思う。ミステリー読んでると出てくる人物像に?が浮かぶことがある。この登場人物は小説家の中でストーリーを成立させるためだけに作られた人であり人間じゃないと思う。けどアガサクリスティーの作品の登場人物はちゃんと人間だと思う。 大学で文学研究できるならアガサクリスティーの小説における女性について研究したい。 一行で場所や時間を移動して素知らぬ顔で話しが続く文章がいくつもあり、こんなことしてええんか…!という新たな発見。ミステリーは最後の一行までノンストップで辿り着きたいから、こうなっているのだと思う。クリスティーの乗るめちゃはや急行で最終行に辿り着いたら人生が変わった女性が一人いてそれだけで読めてよかったと思えた。
- 2025年3月24日植物少女朝比奈秋読み終わった自分を産んだことで母親が植物人間になってしまった女性のお話、って聞くと悲劇的なお涙なもののみたいに聞こえるけど、なった瞬間じゃなくてなった後のことが書かれていた。確かに悲劇性みたいなものもあったけど、ストーリーではない人間の感情の移ろいが書かれている。存在だけしている何も能動できない人に対する視点がマイナスじゃない一つの回答が提示されていて、手を握るという行為で表されていた。 あと走る主人公の呼吸が母の生のあり方を会得することとつながっていく場面が好きだった。雑念のない生の連続が続いている状態にいる母に気がついて価値が下から上に移動する。 パラフィン紙みたいな文体。 「あなたの燃える左手で」と全然違う印象だった。 なぜか朝比奈秋さんと芦沢央さんが書いた本がそれぞれ私の中で混ざって同一人物が書いた本になってたからなんでやと思い返したら「汚れた手でそこを拭かない」と「あなたの燃える左手で」から混同していた。そして二人ともあにいた。
- 2025年3月23日空想の海深緑野分読み終わった前に同じ作者さんの「この本を盗む者は」を読んで、この本に前日譚?が書かれてるらしいときいてずっと読みたかったのをやっと読んだ。3年かかった。 引き出しが…引き出しが多い…!温度差で風邪ひく…!って一人で大盛り上がりしてた。 空想の海にいたら、架空の学問の軌跡を辿っていて、方舟を鳴らすピアノの音が聞こえてきた後、内戦を語る幽霊が背後から忍び寄り、甘酢っぺぇ飴を舐めさせられ、生卵を頭に落とされて、戦争に参加して、自転車作った。なんかそっちが凄すぎて目的を忘れてた。本泥棒を呪う者は、おもろかったけど、霞んじゃったよ。 この人文章って釘みたい。一文読むごとに釘が上から降ってきて木に刺さる感じがある。 一番好きだったのが緑の子供たちで、映像でも漫画でもできない小説だけができる魅力が詰まってた。自転車作るお話なんですけど、視覚化しないことで奥行きが広がって、読んだ人の脳みその中に言葉でも映像でもない存在となってはじめて完成する感じ。
- 2025年3月20日推し、燃ゆ宇佐見りん読み終わった推し、燃ゆって口にだすと楽しいですね、おし、もゆ。 推しが背骨になっていた女の子が砕かれた背骨を拾い集めて再築を試みるまで。 明記されてなかったけど発達障害が恐らくあって、肯定感が低い子が以前会っていた推しに自分を共鳴させてしまって同一化して人生の軸を譲り受け渡してしまっていた。意図的とか意図的じゃないとかではなく無意識にそうしないと立てなかったから。 推しを生活の中心に持ってくると自分のこと考えなくていい楽さがある、人生壊さない程度の彩りであればいいのかなとは思う。でも、この最後って推し活への否定が入っている?推し活ばかりじゃなく自分の人生見ろってこと?推し活が運動や勉強や文化的な活動だったらまた違うのか?そんなことしていない方がいいよ文脈がある?推し活って狂気でしか語られないのか。でも確かに他人に活動のベクトル向いているのに自分の人生ほっぽってるもんな。 このあとも激しい脳内会議が行われたのでよい本でした。
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