午後
32件の記録
Marua@marua2026年2月24日ある短編(それぞれの短編には題名はなく、番号しかついていない)。 旧知のピアニストに十年ぶりにパリで出くわす。コンサートの後忽然と姿を消した彼女に、その理由を尋ねたのだが「ピアノを弾くことができなくなったんです」という答えが返ってきた。コンサートでの演奏中に「このまま続けるのは無理だと気づいた」とのこと。彼女は自分の気持ちを話し始めた。 この箇所を読んで「ああ、何かと似ている」と思った。一度引退したフィギュアスケーターのアリサ・リュウが、自分を取り巻く外部との軋轢を理由にスケートから離れた、という内容の記事を読んだのを思い出したのだった。
Marua@marua2026年1月31日好みすぎて、読むのがもったいなくて、本を閉じた。 3つ目の話に出てくる『ロスト・イン・トランスレーション』は、大好きな映画の一つだ。大学を卒業したばかりの妻は、写真家の夫の出張にくっついて東京に滞在中で、深い孤独を感じている。知らない土地にいるからというより、あの夫があまりにも彼女には合わない、そのことが彼女のやるせない気持ちに大きく影響している。 たとえば同じホテルに滞在中の俳優が「わたしイヴリン・ウォーの名前で宿泊してるの、ウフフ」と言って立ち去った後、「イヴリン・ウォーって男性なんだけど」と夫に耳打ちしたら「誰もが君のように物知りじゃないんだよ」と返される場面。ふたりの未来はあまり明るくない、と思ってしまった、それを思い出した。
Marua@marua2026年1月31日好きな短編集はなにか聞かれたら、『オリーヴ・キタリッジの生活』と『珈琲と煙草』をあげる(後者はエッセイなども含むが)。 シーラッハの新しい短編集が出ていることは全く知らなくて、たまたま近所の書店で見つけた。今回の装画もタダジュンだ。
Anna福@reads--2503092026年1月20日読み終わったタイトルのないナンバリングされた短編たち。 弁護士であり作家の「私」が、東京のホテルで、パリやオスロのカフェで、世界各地で出会う人々から話を聞く午後の時間。 なぜ数字なのかは、シーラッハ自身が共感覚の持ち主だと、あとがきで知った。それぞれの数字が彼には何色に見えているのか、気になるところだ。 原子でできた世界は循環する、とナポリのカフェで94歳のロレンツォは語る。私たちは原子でできた存在であると同時に、心を持った人間でもあるのだと感じる。人は孤独を抱え、その孤独を語ることで他者とつながる。重い出来事が語られていても、読後に残るのは静けさだ。午後という時間に向けられた、シーラッハの人間存在への眼差しが、そこにあるのだと思う。



Chihiro@chiii_no02025年12月27日読み終わった@ 文喫 栄最近本を読み終わった後でこの感覚をどう言語化すればしっくりくるのかを考える中で、本についている帯の表現を見てなるほどと思うことが多い 「純粋で奇妙な人々」、この作品に出てくる人々の気持ち悪さは確かにこの表現がしっくりくるかも、でも決して非現実的な話ではない タイトルの通り様々な午後が書かれた短編集だけど、午後の少しどんよりとした空気感、中途半端な昼寝から目覚めた時のじんわりとした不快さのようなものが感じられた トーマスマンやルキノヴィスコンティや、私自身も通ってきた人達の名前が度々登場するのが個人的には嬉しかった
Garnie@Garnie2025年12月6日読み終わったシーラッハ作品には本当に惹きつけられる 読むにはドイツ語だけに原文とはいかず、翻訳者に頼らざるを得ないのだけど、本編のボリュームに対して訳者の後書きの主張が気になる… いつ読むか、どんな音楽を聴くかは読者の自由 シーラッハといえば、になっているけれど、ドイツ語を訳せる人は他にもいますよね






























