走ることについて語るときに僕の語ること
58件の記録
ゆう@yu_322025年11月23日読み終わった再読小説家、そしてランナーとして、村上春樹さんが思うことや練習やレースでの思い出などを綴ったメモワール。 なぜ村上さんが走ることを始めたのか、ということから出場したレースの思い出まで、詳細に、率直に綴られている。 きっと走り始めたから村上さんは今でも小説家として長く活躍しているのだろうし、名作や大作を書き上げることができたのだろう。 走り始めることを決めた村上さんの意志には感謝してもしきれない。 およそ20年前に書かれた文章なので、情報としては少し古いが、文体や言葉づかいは全然古びていないし、今でもスッと頭に入ってくる。 33歳で走り始めた、という文章を読むと、自分ももしやまだ走れる?始められる?と思ってしまう。 だんだん走ってみたくなってしまうから不思議だ。







しをに@remnkkswn603062025年11月12日読み終わったストレスの少ない文章で、その分、きっと細部は長く覚えておけないだろうなと思った。 自己に向かって完結していくストイックな精神の傍らで、それを見聞きしているだけのはずの他人が耳を塞ぎたくなる現象ってあると思うんですけど、あくまで内に内に向いたものであるという線引きは丁寧に、置き石のようになされていると感じたし、だからこそこちらも他人事ような気持ちで遠くから眺めることになるんだろうとも思う。 自転車も海も怖いし、走ると膝を壊す気しかしないので、ウォーキングと筋トレくらいするかなと思いました。
亜希@marooji2025年11月7日読み終わった読みかけだった本を再び。 自分も一応フルマラソンを走るランナーなので「Pain is inevitable. Suffering is optional.(痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル)」をマントラにしたい🏃♂️ 2025.10.27-11.7
しをに@remnkkswn603062025年10月20日読み始めたモンテ・クリスト伯最終巻の緊迫と疾走にぜぇはぁ言ってる旨を伝えた身内から、それなら普段読まないエッセイなどを同時進行で読んでみては?と勧められて先週あたりからぱらぱらと。 村上春樹に漠然と苦手意識があって小説をどれもちゃんと読んだことがなく、入り口はエッセイの方がいいかもねと言われていたこともあり、こういうのはタイミング!ということで。 現状、タイトルの時点で「???」ってなってますが、読みやすいです。モンテ・クリスト伯は読み終わってますが、引き続き読み進めます。 読み始め日の記録忘れたので今日の日付で登録。
手元にある物を栞にする女@hrpdz_4122025年10月11日読み終わった服部文祥さんが本の中で引用していたので読んだ。レイモンド・カーヴァーのWhat We Talk About When We Talk About Loveのタイトルをオマージュした「走ることについて語る時に僕の語ること」しゃらくさい。しゃらくさいが、想像した3倍は走っていた。走る小説家なことは知っており健康のために朝走ってますぐらいかと思っていたので、毎年フルマラソンに出ていたり、100km走るウルトラマラソンの参加に驚いた。ランナーだった。あと走っていてしんどいときに唱える人のマントラに私も興味がある。 『「基礎体力」の強化は、より大柄な創造に向かうためには欠くことのできないものごとのひとつだと考えている』 →なるほど、と思った。 『もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。 村上春樹 作家(そしてランナー) 1949-20** 少なくとも最後まで歩かなかった』 →作家(そしてランナー)がかっこいい。会社員(そして〇〇)欲しい。村上春樹が走り始めたのは33歳の時なので30歳のわたしは何か始めればリードできる!

✧\\ ٩( 'ω' )و //✧@_n_em_2025年10月3日読み終わった三宅香帆さんの本で引用されていたのを機に、家にあったなーと読んでみた。村上春樹氏の本を読むのはかなり久しぶりだし、ノルウェイの森あたりの初期の作品しか読んでいないのだけど、読み始めるとああ村上春樹の本だなーと思う。何となく、ピエール・ブルデューの「ディスタンクシオン」を思い出す。文化資本。文化的雪かきというワード。 ここを読んで、米津玄師の名曲「地球儀」の『この道続くのは 続けと願ったから』という名フレーズが浮かぶ。何かを続けるというのは本当に容易なことではない。 『走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。』 『終わりというのは、ただとりあえずの区切りがつくだけのことで、実際にはたいした意味はないんだという気がした。生きることと同じだ。終わりがあるから存在に意味があるのではない。存在というものの意味を便宜的に際だたせるために、あるいはまたその有限性の遠回しな比喩として、どこかの地点にとりあえずの終わりが設定されているだけなんだ、そういう気がした。』- シャガ@filifjonka2025年3月28日読み終わった何年かぶりに村上春樹の、特に比喩の素晴らしさを堪能した。個人的に再開したジョギングの習慣づけの励みにと再読した本だけど、とても楽しい読書だった。本を途中まで読んでいると並行して(次は何を読もうかな)とうっすら考えるものだけど、(確か積ん読の中に春樹さんの翻訳があったはず)とあたりをつけていた。この本で何度かフィッツジェラルドに触れられていたからフィッツジェラルドを読みたいな、と。「走ること」を読み終え、本棚を探したらありました、中央公論新社の「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」(村上春樹翻訳ライブラリー)が。やっほー。
- シャガ@filifjonka2025年3月27日読んでる作家とは芸術のために退廃的に生きるもの、という定説への春樹さんの反論を久しぶり(10数年ぶり)に読み返す。記憶ではもう少し湿った嫌悪感をともなった文体だったような気がしたけど、やはり春樹さんはからりと乾いて整頓された言葉で書いている。記憶もバイアスがかかっていくんだろうな、それに気づくのも再読そして反芻の楽しみ。
- シャガ@filifjonka2025年3月25日本を中ほどまで読み進めた頃に頭によぎる、「これを読み終えたら次は何を読もうかな」という思考の寄り道。覚えてる限り2、3冊しか読んだことのない春樹さんの小説を新たに読んでみようかな、あるいは春樹さんが翻訳したフィッツジェラルドか。春樹さんが走り始めた三十三歳は、同じ歳のフィッツジェラルドの凋落が既に始まっていた、とある。
- シャガ@filifjonka2025年3月25日読んでる20代の頃に安西水丸さんの挿絵による春樹さんのエッセイをよく読んだからか、春樹さん特有のあの口調(文体)で「世の中ってなんだかよくわからないですよね」みたいなことが書かれると、ポンっと水丸画伯による春樹さんの顔が浮かんできてそれが楽しい。




- シャガ@filifjonka2025年3月24日読んでる村上春樹の落ち着いて気の利いた比喩の光る「走ること」についてのメモワールを読む月曜の朝、素晴らしく素敵じゃない? どうして出勤しないといけないのかな?

- シャガ@filifjonka2025年3月24日読んでる春樹さんのエッセイで時々見る、何かについてやや断定気味に述べた後の、「まあ、なかなか◯◯というわけにはいかないですけどね」と語調を丸めたフォローのような柔らかい一文が好きです。

- シャガ@filifjonka2025年3月16日読んでるジョギングの習慣を定着させようとした矢先に月経と春の雪に阻まれ、みぞれの降る音を聞きながら読む村上春樹の「走ること」についての本、なかなか良いものです。せめてモチベーションを上げてやる。


- シャガ@filifjonka2025年3月14日読んでる春樹さんについて私は小説にはあまり馴染みがなくエッセイを中心に読んできたけど、この人はいつも比喩がずば抜けてて(そしてそれがさりげなくて)感心する。小説でもその抜群さが発揮されているのだろうな。










































