歌よみに与ふる書
55件の記録
勝村巌@katsumura2026年8月30日読み終わった俳句を詠む後輩から勧められたのが、始まり。俳句や短歌について興味があり、その表現上の差異なんかを聞いていたところ、「そういえば子規が短歌勢をクソミソにケナす奇書があるんすよ(大意)」みたいなことを言われて興味を持った。 正岡子規は早死にしてるので、そのテキストはすでにパブリックドメインなのではないかと思い青空文庫にあたってみた。するとあったので、ダウンロードしたデータを縦書きに組版して文庫サイズで出力し、読んでみたところ激烈に面白くてすっかりハマってしまった。 それほど長いテキストでもないが、漢語調の部分などあり、最初は読みにくかったけど、赤線などを引きながら数回通しで読んだら体に入ってくるようになった。 これまで自分の中で正岡子規といえば、「夏目漱石の傍らにいた親友」「病気して妹とかに好き放題言ってる人」「野球の様々な言葉を日本語に訳した人」という印象が強かったのだが、このテキストに触れたことで、明治の表現論のど真ん中にいた偉い人みたいな感じにイメージがガラリと変わった。 良いきっかけを作ってくれた後輩には感謝しかない。 そうして原文の魅力に引き込まれていたところ、左右社から永井裕氏の現代語訳で綺麗にまとめられた書籍が出ていることを知り、思考を整理するつもりで手に取ってみた。 この左右社本をベースに、子規の思考について感じたことを書いてみたい。 まず、青空文庫で最初に触れた子規の原文は、「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」に代表される強烈な漢語調の言い切りが印象的だった。 最初は少し戸惑ったものの、語尾の文体構造(〜に有之候、〜に候)さえ掴んでメモしておけば、驚くほどスラスラと読めるようになる。 西村賢太氏の小説に見られるような擬似明治調のグルーヴ感が好きなこともあり、これも慣れるとリズムに乗って読めるのが実に気持ち良い。 声に出してみるとなんか、かしこまってへりくだっているのに、言ってることは強烈みたいなバランスが慇懃無礼で好きな感じなのだ。 そのため、後から読んだ左右社の現代語訳は、丁寧で分かりやすい反面、原文の持っていた尖った鋭さが少しマイルドになっていて「ちょっと物足りないかな?」と感じる部分もあった。 しかし、この左右社本の本領はそこではない。メインの『歌よみに与ふる書』だけでなく、その発表後に書かれた『あきまろに答ふ』『人々に答ふ』の現代語訳、さらには永井氏による丁寧な感想・解説、そして巻末には青空文庫でも親しんだ「原文」までしっかりと収録されている。 この「現代語訳・解説・原文」が揃った三層構造のまとめ方は非常に贅沢で、もちろん全て青空文庫に収録されてはいるものの、自力では辿り着けなかったと思う。 子規の議論の全体像を立体的に掴むうえでとても読み応えがあった。 さて、前置きが大変に長くなってしまったが、本書の歴史的背景を述べる。『歌よみに与ふる書』は、明治31(1898)年に新聞『日本』で連載された短歌革新論である。 当時の子規は結核による脊椎カリエスを悪化させ、病床から動けない極限状態(病牀六尺)にあった。 「呆れ返つた無趣味の歌」「歌よみの如く馬鹿なのんきなものはまたと無之候」といったように、よくないものを徹底的にコケにする歯に衣着せぬ物言いにはスカッとする歯切れの良さがあるが、これは単なる悪態ではないようにも思える。 自らの命の限界を悟っていたからこそ、思考停止した当時の歌壇や旧態依然とした伝統礼賛に対して、病床から命がけで叩きつけた心からの言葉だったのかもしれない。 もしくはどうせ死ぬのなら、空気とか読んでも仕方ないな、というやけっぱちな感じか。とにかく、ウソのない言葉であることは間違いない。だからこそ心に響く。 そんな言葉尻の激しさばかりが注目されがちな本論だが、しっかり読み込んでいくと、非常に筋の通ったロジカルな表現論になっていることに気づかされる。 以下、自分が感じた切り口を3点のべる。 1. 技巧へのダメ出し(「それってあなたの感想ですよね」感) 短歌のような短い定型詩において、小賢しいテクニックで気の利いたことを書こうとしたり、実際には見ていない情景を「こう書くと綺麗だろう」という浅はかな思い込みで詠んだりすると、途端に興醒めなものになる。 子規は「昔から残っているから良いものだ」というような思考停止を許さない。伝説的な古い歌で、一定の評価のある作品に対しても、主観的がすぎたり、そんな状況ありえないのに、そうなったら綺麗ですよね、みたいな感じを感じ取ると、「それってあなたの感想(主観)ですよね(ぬるいっすよ)」みたいな感じで、ダメ出しして切り捨てていく。 このぼかさずに白黒をハッキリつける姿勢が、読んでいて実に気持ちが良い。 2. 「客観(写生)」こそが主観を伝えるという発見 特にハッとさせられたのは、主観と客観に関する考察だ。歌というものは、人が何かを美しく感じたときに詠むものであるからには、すべからく主観的なものである。だからこそ、テキスト上でわざわざ主観的になる必要はない。むしろありのままを客観的に写生した表現の方が、結果として良い歌になる、というロジックである。 主観を表現したいときにこそ徹底的に客観に徹する、というこの考え方は、映像的でもある。そこにある情景に趣を代弁してもらう、という感じかな。 色々な有り様があり得るけれども、最近、これも青空文庫で読んだ、坂口安吾や高村光太郎の思想にも通じるものがあって深く納得させられた。 3. 自然な日本人性と新しい言葉への開放 子規は「自分が美と思ったことを、なるべく分かりやすく表現するのが本来の主眼だ」と言う。 日本人なら自然と日本的なものは溢れ出るのだから、本居宣長のようにことさらに「大和心」を主張するのはナンセンスだと切り捨てる。 『人々に答ふ』の最後で宣長の有名な歌を真っ向から否定してみせるあたりも実に小気味が良い。 日本的ってなんなのか、というのは明治の偉い人たちが皆ぶち当たった問題だ。 子規のそのために新しい言葉もどんどん使っていこうという柔軟でストレートな姿勢にも大いに共感できた。 曖昧な言い回しを排除し、「何が良い表現で、何がダメなのか」を具体的に提示する子規のアプローチは、すごく勉強になる。著者の永井裕もその判断の断定的な力強さとスピード感を評価していた。 「昔の名作だから良い」と鵜呑みにするのではなく、 「本当に自分の感性で観察して、その構造を捉えているか」 「主観的な説明に逃げず、客観的な事実(写生)としてどう表現するか」という視点を与えてくれるテキストとして、この子規の論考は今なお強い説得力を持っている。 青空文庫で原文のスピード感を味わうのも良し、左右社のまとめ本で全体の文脈や解説を含めてじっくり深掘りするのも良し。 正岡子規のネアカさとバイタリティがビシビシ感じ取れる名著と言って過言ではない。表現に関わるすべての人に、ぜひ一度手に取ってみてほしい一冊である。




にこ@ikko_nico_sanko2026年7月25日読み終わった借りてきた和歌も俳句も正岡子規も全くわからんけど、表紙がかっこよかったので。それぞれ分かってたほうが楽しめたんやろけど、ぜんぜん知らんくてもめちゃくちゃ面白かった。文芸やら絵画やらの芸術に対して子規の思う確固たる美みたいなもんがあって、情熱を持って古いことばっかりやっててはよくない、こうしたらもっと良くなるのに、みたいなんを色々言うてるのかなと。昔のこういうのにもペンネームがあって、お便り受け取ってそれに対してお返事というか、現代のクソリプぶった切りみたいなことしててわらった。子規の返しがばっさりいったり皮肉っぽかったりほんまにおもしろくて、この人知識とか語彙力すごいなーと思って読んでた。めちゃくちゃ興味が湧いたので早速本屋さんに子規の本探しに行ってみたけど、文章が大体当時の雰囲気で難しそうやったので結局悩んで買わず。この本みたいに親しみやすくてでも情熱が伝わるような翻訳で出版してくれたらうれしいなぁと思いました。くれなゐの、は教科書で見たかな?これだけ知ってたけど、改めてちゃんと読んでみたら美しいなって素直に思った。

LUCiA@gogo2026年5月27日読み終わったタイトルの「歌」とは短歌。私は短歌も俳句も詠みも読みもしないが、面白そうだったので。新聞紙上に連載し、名歌と言われる歌を糞味噌にけなしたり、読者からの批判に応えたり、良いものは良いと言ったり。「理屈」論争。源実朝へのベタ褒めっぷり。「も」の功罪。でもやはり普段歌を嗜まない身としては、う〜ん面白くないなぁ、、、と流し読みしていたところ、子規作の歌とその訳、解説のページになると面白くなってきた。この本の目的からは少し逸れたかもしれないが。短い文字数の中に込められた感情や時間、距離、病状を表すテクニックなど、知らないことがいっぱいだった。面白くないと思いつつも、気付けば8ページも付箋をつけていた。表紙がカッコいい。



仲西森奈@mit_valentin2026年5月26日読み終わったいやあ、めちゃくちゃよかった。読んでよかった……。 歌集を読んだことがある人もない人も、短歌をつくったことがある人もない人も、短歌に興味がある人もない人も読んだらいいと思った。とくに、「短歌は好きだけど歌人は嫌い」というような人に、この本はうってつけなのでは。



- 苦行淳之介@howling_moon2026年3月25日読み終わった革命児が遺した伝説の書の現代語訳版。原書も読んだことがあるが、リーダブルな現代語だと新たな一面が見えてくるようである。それにしても子規の論の痛快なこと。
- 糸太@itota-tboyt52026年3月2日読み終わった激しい。子規の批評が的を得ているのかは分からない。でも鋭いことだけは分かる。スパッと短い言葉で言い切られるだけに、その指摘には有無を言わせぬ説得力がある。 訳者の永井さんが断っているように、たしかに原文のニュアンスはもうすこし丁寧なのかもしれない。でも込められた熱量は、この訳でなければ伝わってこないだろう。 なによりも感じたのは「美」への執着だ。 俳句でも和歌でも、表現方法は何だって構わない。伝統におもねている暇なんてない。自らのうちに芽生えた感動だけに忠実であれ。そして、その感動を表現するテクニックは、確かにここにあるから。と、そのことだけをシンプルに言い続けられているように思えた。 「子規の言葉が直撃する歌は今でも、というか今こそたくさんある気がした」と、永井さんはいう。べつに歌人でない私にも、直撃するものはたくさんあった。「人間は別に進歩しない。そして子規はいつでもそこにいる」 時代を超えた出会いを可能にしてくれた、素晴らしい現代語訳に感謝したい。




編集Lily@edition_lily2026年2月1日読んでる読者との質疑でキレ散らかしていて、なかには無理筋なロジックもあるんだけど、それも含めて最高。そして、ちゃんといいこともたくさん言っている。
編集Lily@edition_lily2026年2月1日読み終わった花鳥風月のリアルな美を愛し、その感慨を芸に転化することにこだわり、嘘くささや理屈の言葉を嫌い、そうしたものに容赦なくキレ、でもそうすることによって欺瞞の芸術がはびこる世界に発破をかけた。未来の芸術に幸多かれと願った。美をあきらめなかった。自分はもう長くなかったのに。 〈文学的なセンスを持ちながら大喝采を得るものが、非文学的な作品に取って代わること。思うにそれこそが歌人の仕事のはずだ。〉 いま、現実はどうだろう。大上段に振りかぶった言葉、わかりやすいだけで実が伴わない言葉、そんな美しくないものばかりが持て囃されている。




編集Lily@edition_lily2026年1月31日読み始めた私の子規好きを知っているある著者がくれた。 装幀めっちゃかっこいい!と奥付を見たら、森敬太さん(飛ぶ教室)だった。タイトルや帯のテキストが激しいダンスをしているようなデザインをする方。私は『変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館』でご一緒した。 子規といえば、歌、俳句、文学、絵。芸術を愛するあまりの観察眼とシニカルさの共存をリスペクトしている。その現代語訳という発想は、本書が出たときからやられたなあと思っていて、今から読むのがとても楽しみだ。



高山碧瑶@uya_202509062026年1月27日読み終わった借りてきた豪放磊落な筆致も裏腹に古今和歌集を理想としたこれまでの歌壇に万葉集と実朝の歌を例に引き新たな歌論を展開。 理屈が入ると面白くない、技巧や理屈に走らずストレートに表現すべしとは短歌に限らず写真についても言えると思う。 さあ私の作っている作品は率直に感じた事を表現できているだろうか? 何らかの表現する人は一度読んでみると良い一冊だ、参考になったりならなかったりするだろう

nogi@mitsu_read2025年12月31日買った@ 紙片(しへん)投稿するの忘れてたけど年末最後の購入本はこちら 大晦日に紙片にすべりこんだ 三宅さんがYoutubeの配信で話してて気になってた~








































