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あずき(小豆書房)
あずき(小豆書房)
あずき(小豆書房)
@azukishobo
山に囲まれた福井県池田町にてひっそりと本屋&カフェをやっています。いつも数冊を同時並行で読む。
  • 2025年8月23日
    言葉のトランジット
    言葉のトランジット
    デビュー作の『鴨川ランナー』を読んで、内省的な文章に共感するものがあり、歳も近く、福井を舞台にした短編も書かれていて、性別も生い立ちも全く違うけれど不思議な親近感を持っていた。エッセイ楽しみにしてました。まだまだ書いてほしい。
  • 2025年8月20日
    野生生物は「やさしさ」だけで守れるか?
    害獣も害虫も「駆除しなければならない」と、頭では分かる。でも命として向き合うと「かわいそう」と思ってしまう。害獣、害虫という呼び方だって、まったく人間の都合じゃないかと思う。 だけど熊が人を襲ったと聞くと「怖い」と思う。 そんな色々な気持ちをちゃんと受けとめて作られた一冊。つらい選択をしなければならない専門家の苦悩も伝わってくる。
  • 2025年7月30日
    レシピ以前の料理の心得
    なぜここでフタをするのか、あるいはフタをしないのか、混ぜるのか、放っておくのか…レシピ以前の、というか、レシピに書いてあるけど書いてないようなコツ(その理由)がたくさん盛り込まれた理論派レシピ集。きっと腕が上がる。
  • 2025年7月28日
    食べて祀って
    食べて祀って
    小さな村の各集落でひっそりと受け継がれている小さなお祭り。 それぞれがどんなきっかけで生まれたか、もしくは伝わったか、今となっては分からないことも多いけど、きっと災いや困難に対する小さな祈りや願いが始まりなのではないかな、と思う。 故郷で数々のお祭りを取材した著者が、最後の章で、コロナと豪雨で傷ついた町の人たちの気持ちに寄り添いながら、「赤の祭り」 という祭りを始めるのがなんか良かった。川を御神酒と塩で清め、縁起の良い赤い食べ物を持ち寄り、お供えする。土地を慰め、鎮め、新しい一歩を踏み出す。 私は全然信心深くないけど、信心深くないからこそ、気持ちが分かる気がした。
  • 2025年7月25日
    国宝 下 花道篇
    9割がた読み終えたところで映画を鑑賞し(スケジュールの都合上)、その後、残りを一気に読み終えた。最後に向かって圧巻だった。 映画だけ、もしくは原作小説だけでは勿体無い。映画を観られた方は原作を、原作を読まれた方は映画を、ぜひ両方で作品を堪能してほしいと思った。 特に私のように歌舞伎に疎い場合、映像によってかなり補完される。 誰も到達できないところに足を踏み入れてしまった者の孤独が美しく、恐ろしく、さらに人を惹きつける。映画でも、何も映っていないような底知れぬ眼をしていた。芸術に心を取り憑かれてしまった。万菊も半二郎も俊介も、最期にはそういう眼をしていた(役者さんってすごい)
  • 2025年7月15日
    ルワンダのガチャチャ裁判
    ルワンダのガチャチャ裁判
    1994年にルワンダで起きたジェノサイド(集団殺害)。 フツ族(フトゥ)とツチ族(トゥチ)の対立、というのは社会科の授業で教わった記憶があるが、当時、その複雑さや深刻さが全く理解できていなかった。1994年のジェノサイドでは、3ヶ月間に50万人以上が虐殺された。同じ村で暮らす隣人同士が、加害者と被害者になった。 ジェノサイド後、人々は大きな問題を抱えながら、どのように関係をつくり、社会をつくってきたのか。対立や紛争が絶えない今、争いや暴力からの関係修復について、私たちがルワンダから学べることは。
  • 2025年7月8日
    シシになる。
    そこでは、人も動物も幽霊も区別しない。 岩手県遠野市。かつて一人のよそ者としてこの地を訪れ、見えないものたちの世界を『遠野物語』として世に出した柳田國男が"戦慄"したというシシ踊り。 この本の著者は、遠野のことも、遠野物語のことも全く知らなかった一人のよそ者で、地元をよく知る人たちに地域を案内してもらう様は、かつての柳田と同じ構図だ。そして、シシ踊りと邂逅する。 シシ踊りとは、シシとは、一体何なのだろう。移り住んで10年。シシ踊りと遠野物語に向き合い、没入し、書ききったであろう一冊。 人間が主観的に動物になる。しかも色々な動物のパーツをハイブリッドに混ぜたキメラのようになる。鹿は神の使いであり、田畑の害獣でもある。 共存する。 身体を通してシシを踊り、内なる野生が万物と共振する。 「誰もがシシになれる」 祭りや芸能は、言葉や文字ではない形で他者と繋がるメディアのような役目をもつのだと思う。 祭りのある地域の方や、他の土地から移り住んで地域の祭りに参加するようになった、という経験のある人なんかも、きっと胸が熱くなる一冊だと思います。
  • 2025年7月8日
    アイヌの世界に生きる
    『アイヌもやもや』の次に読んだのが、この『アイヌの世界に生きる』だったと思う。 あらためて読み返した。 やはり深い感動がある。 1906年に和人として生まれ、アイヌの家族に養女として育てられた「トキさん」。著者の茅辺かのうは、1973年、トキさんの家に20日間ほど滞在し、彼女の生い立ち、アイヌの暮らし、言葉を書き留めた。 厳しい時代と過酷な自然の中で、トキさんが大切に覚えてきたアイヌの世界。 トキさんの芯からの強さが胸を打ち、著者のまなざしがまっすぐに温かいことに心が救われる。
  • 2025年7月1日
    エピタフ  幻の島、ユルリの光跡
    北海道根室半島沖に浮かぶユルリ島。かつては昆布を採集する漁師の住居や番屋が建っていたが、家畜の馬を残して最後の島民がユルリを離れたのが半世紀前。最盛期には30 頭もの馬が暮らしていたが、今では数頭が暮らすだけ。 固有の自然を守るために上陸が厳しく制限されたこの幻の島を、2011年から撮り続ける写真家、岡田敦。最後の島民、最初の馬主などとの対話や、ユルリ島にまつわる歴史、吸い込まれるような瞳をもつ馬と霞む島の情景を一冊にまとめた美しい一冊。
  • 2025年6月25日
    アイヌがまなざす
    アイヌがまなざす
    第2部まで完。 第4章は、なるほど、そういうことか……と。分かってなかった、そういうことなんだな、と。 そして第5章は、なるほど、そうだな、と思う部分と、うーん、そうなのかなぁ?な部分、両方あった。 考え続けること。
  • 2025年6月17日
    家の神さま 民間信仰にみる神と仏
    いい意味でゆるさがあり、アカデミックでないのがいいと思った。研究のためにと無理矢理にかき集められたものではなく、骨董屋や古道具屋などで惹かれたものたちのコレクション。 「これは、どの時代の、誰々の作品で…」というような価値観では測れない、愛おしさであふれている。
  • 2025年6月14日
    看取られる神社 変わりゆく聖地のゆくえ
    「建物」ではなく「土地」として神社をみたとき、その姿は実に多様である。あらゆる理由によって、そこは神社となったり、神社の形を成さずとも何らかの聖地となったりする。その土地のコミュニティの存続に関わるような重大な、忘れてはならない何かをその場所に刻み込む。そして、人口減少、だけでなく、ありとあらゆる理由によって終わりを迎える。または、それでもなお拠り所として生き続ける聖地もある。 著者の聖地をめぐる旅は、聖地の記憶を記録したいという想いにつながってゆく。
  • 2025年6月10日
    民具のミカタ博覧会 見つけて、みつめて、知恵の素
    民具のミカタ博覧会 見つけて、みつめて、知恵の素
    誰かが設計したものではなく、生活の中でデザインされてきた「民具」から、人々が育んできた自然観や世界観を見出し、より良い生活文化を創造するヒントを得る。 日本全国と世界中から集められた民具が、用途や造形ごとにたくさん掲載されていて、類似点や相違点を探しながら見るのが楽しい。
  • 2025年6月8日
    声の文化と文字の文化〈普及版〉
    声の文化と文字の文化〈普及版〉
    読みたかったので、普及版ありがたし。早速、仕入れてあります。 人間は文字を獲得したことで、何を得て何を失ったのか、に興味がある。 言語と文字はセットだと思い込んでいたけれど、数の上では、文字を持たない言語の方が圧倒的に多いということを最近知った(公用語として使われるのは、文字を持つ言語) 読み書きは、人類にとって当たり前の文化ではない、ということ。
  • 2025年6月7日
    大災害とラジオ
    大災害とラジオ
    災害時にはラジオ、と言われる。 メディアが多様化し、SNSが発達した今も、受信機と電池があればどこでも聴くことができるラジオは強い。 被災状況や復旧情報だけでなく、減災や希望につながる情報も伝えることができるラジオ。 被災者に語りかける放送は、被災していないリスナーの共感をも呼びさまし、リスナーからリスナーへの支援や励ましにつながる。 「ラジオ的なもの」が非常時にどう働くか。 博士論文をベースに書かれた一冊。
  • 2025年6月3日
    家守綺譚
    家守綺譚
    山に囲まれた田舎に住んでいると、精霊か化け物か、木や花や河童や小鬼などが作中に数多出没しても、主人公の綿貫と同様、驚きはするものの違和感なく受け入れてしまう。都会で読むとまた違った印象なんだろうか。 梅雨時の日本家屋によく似合う。
  • 2025年5月31日
    落語と学問する
    落語にまつわる学術的エッセイ集。落語を人文学する、という感じ。時代性、言語性、ライブ性の3つの視点から落語を考える。 落語家による落語論と、落語家でない批評家による落語論についても後ろの方にまとめられており、ブックガイドとしても優秀。
    落語と学問する
  • 2025年5月28日
    海外・多拠点で働く
    海外・多拠点で働く
    建築の仕事は、現場(ローカル)に根差したものであり、同時に、現場がある以上さまざまな場所へ行かなければならない(グローバル)。 この本は、海外に拠点をもつ建築関係者16組によるその土地での活動とQ&Aがまとめられたもの。建築の目線でその土地をみるというのはこういうことなのか、と刺激を受ける。 コロナと同時に店を構えたこともあり、遠出をしたり移動をしたりすることに対して、若い頃に比べてずいぶん億劫になってしまった。私も本屋的視点で色々な土地を見てみたいなーなんて思ってしまった(本屋的視点とは何か、も掘り下げたい)
  • 2025年5月21日
    ナラティヴの被害学
    私たちはある出来事を、なぜ・どのように起こったのか、という、ナラティヴ(物語、ストーリー)の形式で受け取る(実際に体験することはできないので)。そして正義感の強い人ほど、無批判に被害者と加害者という構造を作り出してしまうように思う。 ここで大事なことは、ナラティヴという知の形式そのものが批判対象ではないということだ。ナラティブを批判的に、自覚的に、相対的に、分析する力が求められる。 もう一つ大事なことは、「何のために」分析を行うかということであり、著者にとってそれは「暴力の否定」だという。 しっかり読んで考えたい。
  • 2025年5月20日
    大阪ことばの謎
    「ワロタ」「ちゃうねん」「知らんけど」あたりは関西圏以外でもよく使われるようになった。大阪弁・関西弁はなぜこんなふうに人を惹きつけるのだろう。 そんな大阪ことばの特徴を、リズム・アクセント・メロディ・オノマトペといったことばの音楽性から、また、コミュニケーションの取り方から分析した一冊。
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