生類の思想
50件の記録
JUMPEI AMANO@Amanong22026年1月3日読み終わった@ 自宅「Ⅳ たべる」、「Ⅴ まじる」を読む。藤原さんが深い闇と形容する〈食べる主体〉の話、表皮、漏れ、重力の話など、知的な刺激に満ちた一冊だった。自分はこの本をどう解いていけるだろうか。 † 〈畜産の現場が消えていく、というのは[...]殺すことに向けてケアを続ける、という文化の担い手がいなくなる時代が、有史以来、初めてやってくる、ということを意味する。〉(177頁) 〈人間は、相手を食べるわけでもないのに大量に殺し、焼いたり捨てたり埋めたりする珍しい生きものである。〉(188頁) 〈食べものは噛んで飲み込めば終わりではない。飲み込んだあとを忘れてはならない。〉(205頁) † 〈私は、「二酸化炭素」が悪の表象として機能しすぎていることには違和感を拭えない。〉(218頁) 〈資本主義[...]石油資本[...]バイオケミカル産業[...]以上のような、的確なのだが、エリート臭の抜け切れない言葉では、人びとの腰は鉛のように重いままである。もっといえば、これらの噛み砕かれていない言葉もまた、高速回転的な抽象語のマシーンで世界を強引に説明する愚を犯すことになるのではないか。[...]「規則正しくレイプ」をする人間とはだれか。〉(224頁) 〈食べる、食べさせる、舐める、棲む、流れる、ぬぐう、入れ替わる。これらの動詞が相互に乗り入れる舞台である表皮は、つぎつぎに書き割りが変わるような流動的な舞台だからこそ、とらえどころがない。〉(235頁) 〈漏洩は基本的に忌避される。人間は、表向き破れない膜として暮らしている。[...]しかしながら、私たちが「生きている」と強烈に感じるのは、やはり体液が漏れ出し、こぼれ落ちるときだ。〉(243-244頁) 〈人間が棲まわれる存在であるということ、つまり、微生物にたかられる存在であることから、すでにその効力を失いつつある「人権宣言」を作り直すことはできないだろうか。〉(251頁) 〈あらゆる生命活動の「たかる」の原点にあった引力の根本とはなんだろうか。地球の重力である。〉(266頁)






JUMPEI AMANO@Amanong22026年1月2日まだ読んでる@ 自宅「Ⅰ わずらう」と「Ⅱ あそぶ」を読み終わる。 いつものことながら、藤原さんのエッセイは読み手を触発してやまない。特にⅡを読みながら、去年担当した友田とん『「手に負えない」を編みなおす』や西本千尋『まちは言葉でできている』(特に栗生はるかさんの章)との繋がりを感じ、とても嬉しくなっている。自然と同じ思想的課題を共有してしまっている。あわせて読んでもらったら刺激的かもしれない。 † 〈私たちがだれかに与えつづけている苦しみは、[急性的ではなく/というより]慢性的ではないか。その苦しみは、農家が少量の毒性のある農薬を散布のたびに肺に取り入れるように、あるいは鉱山労働者が粉塵を日々肺に取り入れるように、徐々に、与えている側がほとんど罪悪感を抱かぬままに、だれかを傷つけていないだろうか。〉(48頁) 〈免疫がうまくいかない時代は[...]「自己する」ことが難しくなった時代なのである。「自己する」とは、自己を動的に保ち、まわりの生類に影響を与えながら自己を変化させることである。自己の境界があまりにも膠着していて、動きがなく、境界領域の「あわい」が直視されていない。〉(58頁) 〈私たちの腸内の延長にすまいは存在するのである。[...]身体もまたすまいであるという視点がないために、ハイデガーの建築を自然と結びつけるプロジェクトは未完のままなのである。〉(65頁) 〈細菌の目線(というものがあればの話だが)からすれば、「いきもの」も「たてもの」も大きく変わらない。[...]「すまうこと」とは「すまわせること」を抜きにして語ることはできない。〉(67頁) 〈家庭科の哲学とはなにか。それは「人間とはなにか」という問いにかかわることである。ただし、家庭科は、「生きる術」を扱う以上、その問いを「なにか」という問いで静的にとらえるのではもったいない。[...]問いは「人間する」という日本語には存在しない動詞について考えることであると私は思う。〉(73頁) 〈人格は形成されるものではない。人の格、つまり、自分というもののあり方とは、鉱物や生物や海や川や泥などにもみくちゃにされて、世界に向けてほどくあり方である。ブロックのように積み上げるものなどないのである。〉(88頁) 〈どうして、私たちは、その[「欠けている」とされる]空白部分を、別の生きものの生活空間、共同生活者の興味関心、新しい表現の空間、そしていたわりの空間が「ある」として見られないのか。空いたスペースに建物を建てることしか関心のない開発者は、どうして、木を植え、アスファルトを剥がすという発想にたどりつかないのか[...]〉(89頁) 〈育てるとは、組み立ていくことではない。子どもに傷がついていくことだ。[...]ヒビが入ったり、穴が開いたり、破けたり、欠けていたりしていきながらも、そこに手当をしていくことこそが、育てることではないだろうか。〉(91頁) 〈人間は文を「作れる」という考えから、少なくとも子どもたちを解放するのはどうだろうか。[...]「作文」にはたわむれが足りない。〉(95頁) 〈「まちづくり」とは、まちの風通しをよくすること、つまり「まちほぐし」なのではないか。[...]「作」や「造」という言葉には、「壊」や「解」という言葉がいつも潜んでいる。〉(99頁) 〈「作者」はすでに初めから解体を始めつつ、「解者」のいる場所から「ワーク」が浮かびあがるのを、あるいはその場から「ワーク」が漏れるのを待つ。〉(108頁)





JUMPEI AMANO@Amanong22026年1月2日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅「Ⅲ はぐくむ」を読む。藤原さんの過去作『稲の大東亜共栄圏』や『農の原理の史的研究』を読み返したくなる(なかなかそういう時間は取れないけれど...)。去年初めて裸足歩きを経験した身としても、「土の思想」の問題はかなり重要な意味を持ってきそう。ぼんやり考え続けたい。 † 〈囲いつつはぐくむというhegenに込められた意味を、最大限生かした「囲い」は、まだ真剣に思考されていない。囲いをあまりにも高く設定し、囲いの外で乱暴狼藉を働いたナチスと同じ過ちを繰り返さないためには、流動性のある最低限必要な低い囲いとはなにかについて考えなくてはならない。〉(120頁) 〈思想の根拠として土を思考することは難しい。[...]農でも村でもなく土を思想の中心に据えるのであれば、さまざまな地域の自然現象、社会現象、歴史現象、そして心理現象にその論理をつらぬかなくてはならない。〉(122-123頁) 〈そもそも土のなかは「共同体」だろうか。[...]もっと目的はバラバラで、各々自分たちの生命活動を遂行しているにすぎないのではないか。/ならば、このような適度な距離感をもとに同じ空間に併存する土壌世界と人間社会の相互関係を、道徳の言葉ではなく、説明することはできないだろうか。〉(133頁) 〈歴史の暗部を掘り起こすときにしばしば私が陥りがちなのは、その被害者たちを「抵抗者」という枠組みに押し込むことである。水俣病の患者や運動者たちはいつも闘っていたのではない。なによりもまず、からいもや魚を食べ、日々を暮らしてきた。〉(156頁)



JUMPEI AMANO@Amanong22026年1月1日読み始めた就寝前読書お風呂読書@ 自宅藤原さん、さすが読ませる文章を書かれるな。 〈そろそろ日本の批判精神の担い手は、石牟礼道子に頼りすぎてきたことを、公然とあるいはこっそりと彼女の思想を盗んできたことを私も含めて自覚せねばならない。「生類のみやこ」が失われた感覚さえ失われた時代に対峙する、生類の思想を探らねばならない。〉(36頁) 〈生類の証である血液や涙などの体液は、いつも巨大な力によって犠牲に供された側から大量に流れる、という歴史法則といってもいい冷徹な事実[...]生類全般を際限なく礼賛する思想では、この世にほとんど立ち向かえないと私が考えるのは、たとえば、以上のような修羅場ではガラクタ同然になるからである。〉(42頁)






- 糸太@itota-tboyt52025年10月29日読み終わった生類から描きだされる世界に頷きつつも、この視点に立ったとき、実際にどう行動していけるかを、考えながら読み進めた。結局私には分からずじまいだったが、最後の章に朧げながらの道標があるように思えた。 たとえば「すでにその効力を失いつつある「人権宣言」をつくりなおすことはできないだろうか」とある。そして、作りなおすための始点は「お互いの微生物を食べ合うこと、リスクを顧みず意識的に微生物を共有しようとすることへの執念だけ」と言い切る。 フランス革命から200余年、理想に近づこうと人類は歩みを進めてきた。三歩進んで二歩下がりながらも、たえず次の一歩を踏み出してきた力は執念とも言えるだろう。 いま、ここで一度、立ち止まること。 人とは何かを改めて捉えなおし、その上で人としての在り方を世界に謳いあげること。 百年単位の未来へ。 大きな課題が突きつけられている。

Rica@rica_bibliotheca2025年10月21日買った読み始めた藤原さんの前著『植物考』がとても良かったのと、「本書をまとめるうえで、もっとも意識されているのは石牟礼道子」との文章に触れ、お迎えすることに. そういえば宇野常寛さん著『庭の話』では藤原さんの前著についての批評がされていて興味深く読んだ. いろんな意味で楽しみな一冊. 読み始めたところだが、早速思考をぐらりと揺さぶらされている.






犬山俊之@inuyamanihongo2025年10月7日買った読み始めた読んでるまだ前半ですが。 頭の中をすっと風が通り抜けるかのような読み心地。すごい書き手。 装幀(須山悠里)も装画(エレナ・トゥタッチコワ)も美しい。 あと、どうしたって言及されている石牟礼道子の著作を読みたくなります。手元にあってよかった、と。休日の朝2時間ほどこの2冊で過ごしました。大切に読み進めたいたいです。










緑井直@midori_23082025年10月5日買ったかつて読んだ“もれる・こぼれる・たかる”という事柄は、書籍の内容として扱われているのをあまり見たことがないように思えて新鮮だった。 それらは、生活の中でも自分が親密な人以外にはなるべく他人に見せないようにしている部分でもあり、そのことを学者さんが書くということに興味を惹かれた。 思考と感覚と現実が、誠実にまとめられているような文章だと感じた。











































